詐欺師の心


『俺の心は高いぜよ? 誰であっても渡せんの』

 金剛石を切り出して
 金と銀とで細工して
 詐欺の華で飾ったら
 其は至上の愛となる

「ここまで酷いと愚痴りたくもなるぜよ」
「俺も、最近毎日鬼ごっこばっかでさ……かなり技を磨いたぜぃ」
 青空の下、立海のテニス部レギュラーの仁王と丸井が、非常に機嫌を損ねた様子で、柵に手を掛け、外の風景をぼんやりと眺めていた。
 彼らの不機嫌の理由は共通している。
 最近、彼らは学校の中で女子に纏わりつかれるのが日常となっているのだ。
 普通の男子であれば諸手を挙げて歓迎したいシチュエーションなのだろうが、二人にとっては迷惑以外の何者でもない。
 何しろ銀髪の男、仁王は『コート上の詐欺師』という異名を持ち、人の心を欺くことを得意とする一方で、誰からの束縛も嫌い自由を愛する性分。
 当然、纏わり付かれて自分の自由を侵害されることを極度に嫌っている。
 更に、赤い髪の丸井という男は、今興味があるのは専ら食い気とテニスというやんちゃ盛りの若者であり、彼もまた、面倒な事が苦手な性分。
「なんで見ず知らずも同然の奴らにあそこまでプライバシーを侵害されなきゃなんねーの?」
「芸能人の気持ちが分かるのう…まぁ、俺らだけじゃなくて、他のメンバーもおんなじ目には遭っとるんじゃろうが」
「とほほ…」
 この学校の屋上は仁王が気分転換によく使う彼にとっての『聖域』であり、今もここで女子の目を避けて休んでいるところであった。
 そしてついでに、同じ苦労を背負い込んでいる丸井が避難してきたところを、ドアの鍵を一時的に開いて助けてやったのである。
 『詐欺師』とは呼ばれているが、困っている仲間は助けてやるという人情味も兼ね備えている若者は、そこから見えるテニスコートをぼーっと見下ろしていた。
「女にモテたいと思ってテニス始めるヤツの気が知れん…ってか、テニスやっとる俺達しか見とらんのに、よくあそこまで熱中出来るもんじゃ」
「もうアイツら、俺達よりバッジしか見えてねーんじゃねぃ?」
「本末転倒じゃの…しかし合っとるよ」
 はぁ〜〜と息を吐く二人の襟元に光る校章バッジは三年間彼らと学生生活を共にしたアイテム。
 そして、二人が逃げ回っている対象の女子達から守ろうとしている物でもあった。
 ここ立海では、詰襟学ランの卒業式の風物詩『第二ボタン』の代わりが、この校章バッジとなり、女子達はこれを求めて彼らに群がるのである。
 渡してしまえば女子からの告白を受諾したということになるのだが、彼らを追いかける女性達の中には、残念ながら心を許す存在はいなかった。
 もしいたら、さっさと渡してそれを口実に追いかけっこから解放されることもあったのだろうが…
「俺、このままじゃ女嫌いになりそうだよぃ…マトモな恋愛運が欲しいだけなのに〜〜」
 めそめそと嘆く相手に、仁王も少し疲れた表情で頷いた。
「有名税とは言え、ちとうざったいの。いっそバッジを放棄したくなりそうじゃ」
 仁王が同意すると、丸井が俯けていた顔をがばっと上げて宣言した。
「もうこーなったら、オークションに出品するとか!!」
「……は?」
「いいアイデアだと思うんだけどなー。それぞれのバッジを出品してさぁ、オークションで落札させんの。恋人になんのはヤだけど、まぁ一日デートぐらいならやってもいいし、お金が入ればオヤツ代も稼げるし」
「お前さんにしては考えたのう…しかし、もし千円程度で落札されたら、お前さんの愛情の値打ちがその程度ってコトになるんじゃが…」
「じゃあ開始金額を一億ぐらいから…」
「入札するヤツの顔を拝んでみたいもんじゃ」
 途中からは聞く気も失せた男がそっぽを向いてしまい、丸井はわーんっと手足をばたつかせた。
「何だよい! じゃあ仁王なら安くてもいいってのかよー!」
「逆じゃ、逆。幾ら積まれても売るわけないじゃろ。俺のバッジは高いんじゃ」
「…特別製?」
「まぁの、詐欺師がそうそう安く自分を売るワケないじゃろ? せいぜい騙して、金だけ頂くのが常套手段よ…じゃから、売るとは言わん」
「うっわぁー、仁王クン、真っ黒だ〜」
「たりめーじゃ、日々こんだけ追い掛け回されとるんじゃ、毒ぐらい吐かせぇ」
 もうすぐ昼休みも終わる…そうなると必然的にまた下の階に降りなくてはならないので、今から仁王はその事実に対してかなりやさぐれてしまっていた。
 たまの騙し合いなら喜んで迎え撃つが、騙す暇もない程にひたすら追い掛け回される生活にもいい加減飽きてきた。
「…心のオアシスが欲しい」
「じゃの」
 ぽつりと呟かれた丸井の一言には、文句無く詐欺師も同意した。


 彼らが望んだ心のオアシスは、男達の切なる希望を感じ取ったのか定かではないが、意外と早くに訪れていた。
「お邪魔します、皆さん…これ、差し入れのクッキー…」
「うわあああぁぁん! おさげちゃ――――――――んっ!!!!」
 その日の放課後、一人のおさげの少女がテニス部部室を訪れクッキーを差し入れると、そこにいた丸井が大喜びで彼女に抱きついていった。
 青学の一年生、竜崎桜乃である。
 授業の合間も放課後も、結局女子の熱い視線に晒され続けた男達は、久し振りに普通の対応をしてくれる妹分の少女を喜んで迎え入れた。
「…どうしたんですか?」
「うん、久し振りに普通の女性に会えて喜んでいるだけ」
「はぁ?」
 部長の座をもうすぐ退くことになる幸村は、相変わらず優しい笑顔を浮かべていたが、他の男達は一様に彼の言葉通り少しばかり疲れた様子だった。
 当然、昼の仁王や丸井達と、ほぼ同じ体験をしていたからだ。
「…何か、マジで竜崎が天使に見えてきた」
「私はもう少しで女神にまで格上げしそうですが…」
「な…何なんです…?」
 丸井に抱きつかれたまま、ジャッカルや柳生にまで過大な評価を受けてしまった桜乃は、喜ぶよりも寧ろ不穏な空気を感じ取って慄いていた。
「すまんな、竜崎…今の立海は少々荒れててな」
「え!? 真田さんが風紀委員長を務めていた学校で!?」
「いや、そういう意味ではなく…」
 げんなりとした親友の代わりに、柳が後を続けた…彼もまた少しだけやつれた印象はあったが。
「卒業を控えている俺達に、女子が色々とな…朝から夕方までずっと騒がれて、こういう普通の会話も出来ない状態だったのだ。正直、今のこの状況が嬉しいぐらいだ」
(流石立海…女子までパワフル…!)
 ひゃ〜〜と内心で悲鳴を上げていた桜乃に、丸井はまだぴっとりとひっついてう〜〜〜っと呻き声を上げている。
 テニスの腕は凄い物を持ってはいるが、女性関係はまだまだの様だ、余程ストレスを掛けられたのだろう。
「お、お気の毒です…」
「なーんでウチの女子におさげちゃんみたいな子がいないんだろな〜…みんながおさげちゃんみたいだったら良かったのに」
「それは流石に違うんじゃないか、全員が竜崎だったら恐いだろう」
「でもそしたらよりどりみどりだぜぃ?」
「……それはいいな」
(うわ―――っ、かんっぜんにコワれてきてるぞ、ウチの先輩達…)
 真顔でそんな会話が為されている中、唯一二年生のレギュラーである切原は、冷や汗を浮かべつつ彼らを見つめている。
 来年は我が身だ…そう思うと人事とも言っていられない。
「…卒業式前から告白ですか…皆さん、焦ってるんでしょうか?」
「や、そうじゃない」
「え?」
「…いい加減どかんか丸井、竜崎が窮屈そうじゃ」
「あ…ゴメン…クッキーちょーだい」
「はいはい」
 ぺいっと手を出して、離れる代わりにクッキーの入った箱を受け取ると、丸井はいそいそとそれをテーブルの上に持っていって開封し、代わりに桜乃の傍に仁王が立って相手を見下ろした。
「告白じゃなくてな、バッジを欲しがっとるんよ、奴等は」
「バッジ…ですか?」
「そう…ほら、これじゃよ」
 机の前の椅子の背に掛けてあった自分の上着を取り上げると、仁王はその襟元に付けられていた円形の小さなバッジを指先で指し示した。
「あ、これ…立海の校章ですね?」
「そうじゃよ。これを卒業式にくれってな、騒いどるんよ」
 見た目は本当に普通の、何処の学校でもありがちなバッジなのに?と首を傾げた桜乃に、幸村がふふふと笑って秘密を明かした。
「そう言えば、青学は詰襟学ランだったから、こういうのは珍しいかもね。立海では制服がこんな感じだから、『第二ボタン』がこの校章バッジになるんだよ」
「あ…!」
 そこまで言われて、ようやく桜乃もその意味するところに気付いて声を上げ…そして僅かに顔を赤らめた。
「そ、うですか…それがボタンの代わりに…」
「…はは、顔が赤いぞ、竜崎」
「あ…そう、ですか?」
「何じゃ? もしかして今年の卒業生に誰か、気になる人でもおるんか?」
 ニヤニヤと何かを企んだ笑みを浮かべた仁王が顔を寄せ、桜乃は更に顔を赤くして首を振った。
「あう…ノ、ノーコメントです」
「からかったらダメだよ仁王…別に立海の人間に限られた話じゃないんだし、もしかしたら青学の誰かかもしれないだろう?」
「……」
 幸村のたしなめの言葉に、仁王の肩が微かに動いたものの、その表情は全く変わらず納得したように頷いた。
「確かにそうじゃの…すまんすまん」
「は…はぁ」
 誤魔化すような相槌を桜乃が打ったところで、クッキーを頬張りながら丸井が振り返った。
「どーせ仁王も誰にもやるつもりはないんだろい?」
「え…」
「まぁそのつもりじゃけどな」
 けろっとした顔で答えると、せわしなく視線を動かす桜乃を見下ろして、仁王はその頭をなでなでと優しく撫でた。
「俺に限らず、テニス部の面子はみんなお安くないからのう。惚れた人間じゃなければ、どんなに頼まれたって首を縦には振らん奴らばかりじゃよ」
「当たり前だ」
 そんなにあっさりと心を渡してたまるか、と真田が不機嫌も露に言い切った。
 どうやら彼も、酷い目に遭った被害者の一人には違いないようだ。
「竜崎さんみたいにいい子だったら、どんな男性でもあっさり渡しそうだけどね、バッジ」
「そ、そんな事はないですよ…」
 幸村にぱたぱたと手を振った桜乃はちらっと仁王を見て、視線を合わせた相手が優しく笑うと、それに笑みを返しつつ再び目を逸らした。
(そんな事ない……今、言われたばかりだもん)
 誰にもやるつもりはないんだって…本人が言ったばかりだもん…
(でも、仁王さんなら…納得かな…私、納得、してるのかな)
 心密かに慕っていた男の無情な言葉だったが、桜乃は少しだけがっかりして、大いに安心している自分に内心驚いていた。
 『コート上の詐欺師』
 しかし、彼が詐欺を仕掛けるのは何もコートの上に限った事ではない。
 いつもいつも、彼の周りには彼の唇から生み出される見えない詐欺の華が咲き誇っている。
 美しい華だが、見蕩れているとそれの持つ蔓が絡みつき、いつの間にか動けなくなり、詐欺の毒に侵されるのだ。
 自分が見る初めての人種に、最初は酷く驚いた記憶がある。
 しかし、そこまで驚かれたのはどうやら向こうも初めてだったようで、また、自分の様な反応を返す人間はいなかったのだとも彼は言っていた。
 だからだろうか。
 彼は自分に詐欺をかけた時に、成功したら酷く楽しそうに笑った。
 そして詐欺をかけられていながら、自分もそれが嫌ではなかった。
 何故なら、彼の詐欺には心を傷つける刃は無く、代わりに不思議な優しさがあったから。
 騙されても『すまんすまん』と微笑まれ、まるでそれが本当の目的だったように頭を撫でられ、時にお菓子とかを分けてもらうと、それだけで小さな怒りなどはすぐに消えてしまう。
 世間で言う詐欺師とはこういうものなのだろうかと悩んだ時期もあったが、彼はその中でも特に優しい詐欺師なのだろうという事で、心の中は落ち着いた。
 それからずっとテニスを通じて二人はそれなりに仲良く過ごしてきたのだが、結局、恋人というものにはなれないままこの時期を迎えてしまったのだ。
 卒業という節目にそんなイベントがあるのなら、と淡い期待を抱いたが早いか、それは早速本人の言葉によって打ち砕かれた訳だが。
(…あっさり『誰かにあげる』なんて言う仁王さんって、ちょっと想像出来ないし)
 残念ではあるけど、やはり誰にも心を見せず譲らないというのが、彼らしいのかもしれない…



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