Double Present
十二月四日…今日から一週間後の日である。
「……」
自室のカレンダーを前にして、桜乃は赤マジックでその日付にきゅっと大きな丸を付けた。
そして、何事かをうーんと考え込みながら、ゆっくりとリビングに歩いて行った。
冬の夜は寒いが、そこは暖房が効いていてとても暖かく、先客がソファーにごろんと転がって思い切りくつろいでいた。
「雅治お兄ちゃん、ちょっと聞きたいんだけど」
「んー?」
二つ年上の兄である仁王雅治は、気だるげに身体をソファーに預けて、何かの雑誌を読んでいる最中だった。
妹に呼びかけられても、読んでいる内容が気になるのか、視線はそのまま雑誌から離れようとしない。
いつものことなので、それについては桜乃も特に言及することはなかった。
「何じゃ、桜乃」
「今度のお誕生日に、何か欲しいものある?」
お誕生日、という言葉を聞いた仁王は、ぴくんと反応を示し、そこで初めて視線をこちらへと向ける。
「あーそう言えば…そうじゃったか」
「自分の誕生日ぐらい覚えていてよね、お兄ちゃん。で? 可愛い妹からのプレゼントでリクエストはありますか?」
「そうじゃな…」
ソファーにのべーっと横たわる兄は、少しだけ考えると、相手に向かってぺっと左手を差し出した。
「じゃあ、現金」
「夢がなーいっ!!」
そんなのヤダ!とぶんぶんと両手を振り回して駄々をこねる妹に、仁王は再び雑誌に視線を戻しつつ、人生に疲れた表情を浮かべてみせた。
「桜乃…お前にはまだ分からんじゃろうが、夢で腹は膨れんのじゃ。先立つものがなければ、人間どうしようもない事もあるんじゃよ…すまんのう」
「妹からの贈り物でもそんな事言うの〜?」
「世の中、綺麗ごとだけでは生きていけん。兄だろうと妹だろうと金や名誉を巡って本気で争う奴らが、この世にどれだけいると思っとるんじゃ」
「!!」
兄の現実的な言葉が衝撃的だったのか、ずが―――んっ!!と物凄くショックを受けた顔をした桜乃は、そのまま無言でがくっと肩を落とし、しょぼしょぼしょぼ…と力なくリビングから出て行ってしまった。
「…ありゃ?」
言った後で、少女の背中を見た仁王は意外な相手のリアクションに逆に戸惑う。
(ん? てっきり言い返してくるかと思っとったのにのう…そんなにショックだったんか?)
相手の言い返してくる台詞に更に返す言葉を五通りぐらい考えていたのに…と思っていると、暫くしてから再び桜乃が、今度は何かを抱えた状態で戻って来た。
「?」
何だろう、と思う仁王の前で、桜乃は抱えていた自分の持ち物を相手に向かって瞳を潤ませながら差し出した。
MP3プレーヤーと何枚かのCDと彼女の貯金箱だった。
「じゃあ、私のこれあげるから、質に入れてお兄ちゃんの足しにして…」
「スミマセン、気持ちだけ受け取っておくからそんなコトしないで下さい」
天才詐欺師らしくもなく、仁王はソファーの上に畏まって座りなおし、深々と相手に頭を下げた。
赤の他人には絶対に見せない姿である。
仁王は生来の性格か、それとも天賦の才の為か、常日頃から人を欺き、人を食った発言が目立つ若者である。
いつの頃からそんな事を始めたのか…最早本人ですら覚えていない。
覚えていない程に経験を重ねてきた所為か、今や彼の詐欺は限りなく完璧に近いもの。
しかし幸いにも、詐欺の能力には恵まれていたものの、むやみやたらと人を傷つける様な剥き出しの刃の様な凶悪な人間でもなく、普段の仁王の詐欺はちょっとした悪戯のレベルに留まっていた。
勿論、鞘から刃が抜かれた時にはその鋭さは比較にならないだろう。
しかし、そんな能力者の若者もやはり硬い刃ではなく心を持つ人であり、それ故に弱点なり心の拠り所というものが存在する。
彼にとってのそれは、この血を分けた妹である桜乃だった。
小さい頃から詐欺で怒られるより、詐欺を本気で受け取られて真心を返される方が余程心に堪えた…特に、この妹相手だと。
彼女は普段は結構口も達者なのだが、何処か天然めいたところがあり、こうやって意外なところで本気になって返してくることもあるのだった。
そこに便乗出来ず、つい引いてしまうところが、仁王の桜乃に対する甘さでもあった。
「え〜〜?」
「いや、流石にそこまでは詐欺師の俺でも出来んから。まぁ、気にせんと、気持ちだけ受け取っとくけ」
「うう〜〜〜…」
まだ少し不満そうに唇を尖らせる妹の頭をなでなでと撫でながら、仁王は仕方ないと苦笑しながらも首を横に振った。
「別にそれ程に欲しいっちゅうモンも無いし、最近は自分で欲しいシューズも買ったしの。その貯金はお前の使いたいものに使ったらええよ。有難うな」
まぁ、お前が得意なケーキでも焼いたらどうじゃ?と簡単なアドバイスをすると、仁王はソファーから立ち上がって、のんびりと自分の部屋へと戻って行った。
「ああ、毒気抜かれたぜよ」
どーも調子が狂う…と思いながら、いつもの様に壁に掛けられていたダーツ盤を相手に、集中力を保とうと愛用のダーツを構える。
そして、構えたと同時にひゅっと盤へと放ったのだが…
たんっ………
見事に中央に命中したものの、ダーツはそのまま盤に突き刺さった姿を維持出来ず、そのままぽとんと床に落ちてしまった。
「? ありゃ…」
どうしたのだろうとそちらへ歩き、ダーツを拾い上げてから盤を調べた仁王は、あーと納得した様に数回頷いて、曇った表情を浮かべた。
「そうか…随分長く使っとったからのう」
遠目にはよく分からなかったが、コルク製のダーツ盤は、中央から径数センチの周囲に渡って無数の穴を穿たれており、表面が凸凹に抉られている部分もあった。
買ったのはいつになるか…と思いつつ、その表面の窪みにそっと触れた男は、明らかにそれが最早ダーツを捕える力を失っている事を察した。
「…替え時かの」
呟いた仁王は、今度は自前のPCの前に座り、かたかたかた…と小気味良くキーボードを打ち込んで、映し出される画面を結構長く、真剣に眺め続けていた……
翌日の放課後…
「お疲れ〜」
「また明日な」
「赤也、明日は遅刻するなよ」
立海の男子テニス部の放課後の部活動が無事に終了した後で、仁王は仲間達と別れの挨拶を交わし、いつもの様に帰りの道を辿っていった。
雪こそ降らないが、明らかに日々寒くなってくる空気に、吐息が白く変わる。
「はぁ…暑苦しいよりはマシじゃが、流石に冷えてきたな…」
曇り空を見上げつつマフラーを弄り、顔の下までを保護するように隠しながら歩いていた仁王は、そのまま真っ直ぐいけば家へと至る道を、躊躇うことなく右に曲がった。
今日は、家へ直帰する前に、寄りたい場所があったのだった。
「この時期はきっとクリスマスプレゼント狙いの奴らも来とるんじゃろうなぁ…あんまり混んだ場所には行きたくないが、仕方ないか…」
ささやかな不満をぼそりと呟きながら歩いて行った若者が、やがて大きな通りに出たところで顔を上げる。
巨大なクリスマスツリー…を模した電飾が、ある大きな建物の壁一面に飾られていた。
(ほーらやっぱり…)
見た者全ての心を浮き立たせる筈の装飾を見て、仁王は逆に憂鬱そうに視線を逸らす。
その建物こそ仁王が今から赴こうとしていた、大手高級デパートだった。
(まー、良いモノはそれなりの場所にあるんじゃろうけど…はぁ)
近くの行きつけの店に問い合わせても、目的の品物は今年中に納入出来る保証はないと言われ、諦めざるをえなかったのだ。
「まぁ、モノを確認して、良かったら次の小遣いの予定日にでも…」
それでも結構先の話だが…と思いつつ、仁王はやれやれと建物の中へと吸い込まれていった。
一歩踏み入ると、そこはもう完全にクリスマスワールド。
スノースプレーでデコレートされたガラスや、きらきらしいモール、一際光り輝くシャンデリアが目に眩しい。
外の闇とは対照的な輝く世界は、それだけでも人を惹き付ける魔力があるのだろう。
何かを買う予定のない人々も、この夢の世界の雰囲気だけでも楽しもうと、かなりの数が入店している筈だ。
やっぱり…と思いながら、仁王はスタスタとエスカレーターへと向かっていく。
大体の大型店は、一階や低い階はご婦人たちをターゲットにした品揃えにしているから、男である仁王にとってはまるで縁が無い世界なのだ。
更に、こういう建物の移動手段としてはエレベーターもあるのだが、見ず知らずの人達と身体を密着させる可能性が高く、尚且つ無言のあの間にどうしても馴染めず、彼は専らエスカレーター派だった。
こちらだと、移動途中でも周囲の変化が暇潰しになるし、空間も余程開放的でマシなのだ。
「えーと…玩具売り場は…七階」
案内掲示板で確認していた情報を頼りに、若者はきょろっと辺りを見回し暇を潰しつつ、目的の場所へと向かう。
そしてようやく該当の階へ辿り着いたのだが…
(うおう…)
流石、玩具売り場…ガキんちょとその保護者達がひしめき合ってうぞうぞと…
世の中が平和だからこその、この光景だということは分かっているのだが、やはりどうしても一歩を踏み出すのに一呼吸が要る。
(そう言えば昔、桜乃が迷子になった時も建物中を探し回ったことがあったのう…もしかして、俺の人混み嫌いはそのトラウマなんじゃろうか…?)
あの時は本当にぞっとした…と昔を思い出しつつ、仁王はすたすたとフロアの中を歩き回り始めた。
玩具売り場の何処かに目的の品物がある筈…
店員に聞くのも面倒だとばかりに、彼は素早い動きで辺りを確認しながら動き回り…やがて対象年齢が成人向けの場所になったところでぴたりと足を止めた。
(…これか)
じっと仁王が見つめる先は壁…に掛けられていた一つのダーツ盤。
あの日、PCで吟味に吟味を重ねて決めたターゲット!
その実物を前にして、仁王の瞳が鋭いものに変わった。
「ふーむ…」
壁に掛けられているのはそのダーツ盤だけではなく、他の盤も複数掛かっており、仁王は他のものも念の為にじっと一つ一つを凝視し、手に触れて感触を確かめてゆく。
しかし、最終的に仁王が再び前で足を止めたのは、やはり最初に目を留めたものだった。
(やっぱり、欲しいといえばこれが一番じゃな…しかし…)
問題はやはり値段…
流石に目が高い仁王のお眼鏡に適ったものだけあり、それなりに高価なのだった。
(見る目と財布の中身が伴っていたら良かったんじゃがのう…)
と、中学生が言ってみても仕方がない。
取り敢えず、自分の財布の今の中身では、この獲物は手に入らない事ははっきりしているが、品物そのものは手に入れる価値があるものだと分かった。
「まぁ、もう少し待てばいいし…あ、すみません」
「はい?」
丁度近くを通りかかった店員を呼びとめ、目的のダーツ盤を取り置き出来ないか尋ねてみた仁王だったが、やはりクリスマス間近ということもあり、それは不可能ということだった。
先に売り切れる一抹の不安はあったが、それも仕方ないと思い、彼がそろそろ帰ろうかと身体の向きを変えようとした時だった。
『きゃ―――――っ!!』
(何やらうるさいのう…)
何のデモンストレーションが始まったのか…と仁王は眉を顰めて声のする方を振り向き、こちらに駆け寄ってくる複数の女子の姿を認めた。
同じ立海の制服ではないが、学生服…年齢は同じ中学生ぐらいか…?
三人程のその女子の集団は、自分と同じ学校の帰りがけなのか、学生鞄を持ちながら自分の許へと掛け寄って来た。
「…え?」
「あの…っ、立海の仁王さん…じゃないですか!?」
かなり興奮した様子の一人が自分に話しかけてきて、仁王は僅かにたじろぎながら頷いた。
「あ、ああ……そう、じゃけど?」
『キャ―――――――ッ!!』
答えた途端、今度は三人揃っての黄色い悲鳴…結構大きく、辺りの客達も振り返る程だった。
(やめてくれーっ…!)
内心そう思いながら、仁王は笑顔を顔に張り付かせたまま無言を守る。
本当は無視してその場を立ち去りたかったが、その彼の脳裏には自分の属するテニス部部長の顔が浮かんでいた。
『いいかい、俺達は立海男子テニス部を代表する立場でもあるんだから、それに相応しい行動を取らないといけないよ。決して、相手に対しては失礼のない様に…いいね?』
(よかないです…なんてアイツに言えるヤツなんぞ、ウチにはおらんし…あーうんざりじゃ、何分ぐらい付き合わされるんじゃろうなぁ…)
向こうはこっちの憂鬱など知るものかとばかりに勝手に盛り上がっている。
「こんな所で会えるなんて夢の様です〜!」
(夢であってほしかった…)
「相変わらず、格好良くて端正な方ですね、素敵!」
(そりゃ毎日顔が変わったら怖いじゃろ)
「これからどちらかに行かれるんですか!?」
(お前さんらが解放してくれたらすぐにでも)
一人延々と心の中で突っ込みを返していたのだが、流石にそれも飽きてきて、更に苛立ちも募ってくる。
こうなったら、嘘でも待ち合わせと称して逃げてしまおうか…もしつけられても、素人相手なら逃げ切る自信はあるし…
(ふぅ…ん?)
くいくい…
何故か、左の袖が後ろへと引っ張られ、仁王がさり気なくそちらへと振り返ると…
「っ!!!!」
非常に見慣れた…見知った顔がそこにあった。
(桜乃〜っ!!??)
何で桜乃がこんな処にっ!?
自分の妹なのだから見間違えようもない、しかしその姿は自分とは異なる私服であり、また、普段の生活でよく見かけるおさげでもなかった。
兄の仁王でも、彼女のお風呂上りや早朝にしか見られないレア仕様!
ゴムを外して髪をそのままに遊ばせている姿で、内心激しく動揺している仁王に向かって、桜乃はむっと少しだけ機嫌を損ねた表情を浮かべてみせた。
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