「…雅治さんったら、デートの最中に浮気?」
(はあぁぁぁぁっ!!??)
 何!?
 何がデート!?
 誰とデート!?!?
 かろうじて大声を心の中だけに留めながらも、仁王が硬直している中、桜乃は相手の腕に自分のそれを絡ませながら目線を合わせてきた。
『今日の夕食の買出しに来て、ここに寄ってみたらお兄ちゃんがいたの! 言い寄られて困っているんでしょ? 私が恋人の振りをするから、とにかく合わせて、早く抜けちゃおう!?』
『そりゃ確かに助かるし有難いとも思うが、お前はたまに突拍子もない事をやり過ぎじゃ!! 軽々しくそんな事しとったら、尻軽女と呼ばれるんじゃぞ!?』
『お兄ちゃん相手にしか出来ないわよ、こんなコト! いーから合わせてっ!!』
 目と目で通じ合う…のにも程があると思うが、二人は確かにアイコンタクトのみで意志の疎通に成功した。
 もうこうなったら、騙せるところまで騙すしかないだろう。
 後は野となれ、山となれ…だ!
 開き直った詐欺師ほど、恐いものはない。
「あ、ああ…すまんすまん。大丈夫じゃよ、テニス部を応援してくれる人達じゃ。俺にはお前しかおらんのじゃけ、浮気なんぞする訳がなかろうが」
 恐怖の詐欺師は妹を恋人に見立てると、べったりと身体を摺り寄せつつ桜乃の頭をなでなでと撫で回し、見ていた三人の女子を凍りつかせた。
「ホント?」
「ああ、本当じゃよ? じゃから、機嫌を直してくれんかの」
 そこまで言うと、仁王は例の三人へと振り返りつつ、軽く手を上げて断った。
「すまんの。俺の恋人が拗ねてしまうけ、デートに戻らせてもらうぜよ。応援、ありがとさん」
 そう言っても向こうは返す言葉もなく、こちらもそんなのを聞く気もなく、仁王は桜乃と一緒にすたこらとその場を立ち去ってしまう。
『じゃあ、お詫びにココア飲みたいなぁ』
『分かった分かった…お前には敵わんの』
 急いではいるが、あくまでも恋人の様な睦まじさを醸しつつ……


「あービックリした」
「それはこっちの台詞じゃ」
 ようやく二人が互いにいつもの口調に戻れたのは、地下の食料売り場に入った時だった。
「偶然来てみたらお兄ちゃんがあの人達に絡まれてて…遂にソッチの詐欺にも手を出したのかと思ったわ」
「怒るぞ」
 こっちも被害者じゃ、と主張しながらも、仁王は軽く髪をかき上げつつ溜息をついた。
「俺こそビックリじゃ。いきなり髪を下ろしてノリノリだったのはお前じゃろうが」
「だって…もし妹だって知られてたら意味ないでしょ? この格好なら殆どの人には分からないだろうし…逃げられたんだから良かったじゃない」
「それはそうじゃが…」
 曖昧に答える兄を、妹が何故か微妙な視線で見上げる。
「…何じゃ」
「いやぁ……お兄ちゃんに恋人が出来たら、あーゆー台詞言うのかと思って、ちょっとビミョーな気分に」
「振っといてその言い草か、ちゃーんとそれらしく振舞ったろうが」
「うん。すっごいやり手のホストみたいだったよ」
「お前、もしかして反抗期なんか?」
 そろそろ不安を覚えてきたらしい兄の言葉に、桜乃はくすくすと笑った。
「ごめんなさい、冗談。でもあそこまでさらりと言われたら、そう思いたくもなるじゃない」
「まぁ…な」
 確かにそれはそうだ、と賛同してから、仁王は徐にくるっと背を向けた。
「じゃあ、そういうコトで」
「恩人は置いてきぼりですか」
 逃がすか!とばかりに桜乃は仁王の背中の部分のシャツをわしっと握り締めて確保し、向こうも既に逃走は不可能と判断していたのかあっさりと振り返った。
「はいはい…荷物持ちじゃろ?」
「ん〜、荷物はそんなに沢山じゃないんだけど」
「じゃあ何で…」
「お詫びにココア飲みたいなぁ」
「……」
 沈黙する兄に、桜乃は前で両手を組み合わせて瞳をキラキラさせながらおねだりする。
「お詫びにココア飲みたいなぁ」
「…分かった分かった、雅治お兄ちゃんの負け」
「やったあ!」
 きゃ〜〜っと大喜びの妹に対し、仁王ははぁ、と溜息をつきながら顔に手をやり、ぼそっと小さく呟いた。
『そういう可愛いおねだりは反則じゃろ…』
「え?」
「何でもない…」
 それから結局、仁王は桜乃の買い物に付き合い、荷物を持ち、約束通りココアを奢ってやった。
 そして、二人で仲良くデパートを出ようとした時…
「…っ、お兄ちゃん?」
「しぃっ」
 急にこちらに身体を寄せてきた相手に疑問の視線を向けた桜乃は、彼から声を抑えるように指示を受けた。
「???」
「そのまま、俺にくっついときんしゃい桜乃…さっきの恋人の真似みたいにのう…」
「え…ど、どうして?」
「あの三人…また後ろにおる」
「え!?」
「振り向くな」
 仁王が思わず振り返ろうとした少女をぴしりときつい言葉で戒め、相手もまたその声を聞いて、かろうじて動きを止めた。
「ど、どうしよう…」
「いいからそのまま、恋人の振りを続けるんじゃ…どうせその内諦めて離れるじゃろ」
「う、うん…」
 仁王はそのまま桜乃を隣に歩かせ、家への道を辿る。
 外に出ると、ひゅうと冷たい風が吹きつけてきて、桜乃はふるるっと身体を小さく震わせた。
「ふわぁ…やっぱり寒いね」
「平気か? 桜乃」
「うん、へーきへーき。さっきココアも貰ったもん」
「……」
 そうは言うものの、早くも外の冷気で頬と鼻の頭が赤くなりつつある妹の姿を見て、仁王は彼女を見下ろしつつ、ぐい、と首に巻いていた立海指定のマフラーを外す。
 そして、それをそのまま彼女の首に優しく巻いてやった。
「え…お兄ちゃん?」
「これで少しはましになるじゃろ? 家まで貸しちゃるよ」
「でも…お兄ちゃんが」
「俺は大丈夫じゃ、寒さには強いんでな…それに、恋人ならこれぐらいはして当然じゃろ? 怪しまれるから、そのままでおるんじゃよ」
「う…」
 後ろにいるという三人に、下手に疑われるワケにはいかないので、桜乃は仕方なく仁王の申し出を受けたものの、相手が本当に寒くないのかと不安で、それからもちらちらと相手を見上げていた。
「…本当に寒くない?」
「ああ、全然平気」
 事実、暑さよりは寒さの方がウェルカムの仁王だったのだが、桜乃は相手からマフラーを奪ってしまった事がどうしても気になるらしい。
「……折角助けたつもりが、これじゃあ逆だね。ココアまで奢ってもらったのに」
「……」
 そんな少女を見下ろして、詐欺師はふ、と笑った。
「…ま、俺にはこれがココアの見返りってトコじゃな」
「ん?」
「いやいや…ほれ、早くあったかい家に帰るぜよ?」
「うん!」
 そして二人は、相変わらずぺったりとくっついて歩いてゆく。
 そんな兄妹の背後には、詐欺師が言った三人の存在など、最初から無かった……


 十二月四日…
「はぁ…ただいま」
 誕生日当日、仁王はいつもより遅めの帰宅だった。
 立海のテニス部メンバー達が集まって、彼の誕生日を皆で祝ってくれたのだ。
 近くのファミリーレストランでの集まりだったが、こういうものは店のレベルではなく、祝ってくれる人の気持ちだ。
 その程度の事は十分に知っている彼は、その場で心地良い一時を過ごした後、家へと戻って来た。
 兄の戻りの声を受けて、妹が玄関先にぱたぱたと出迎えに現れた。
「お帰りなさい、お兄ちゃん。皆さんとのパーティーはどうだった?」
「ああ、まぁまぁ楽しんだぜよ」
「良かったねー、でも夕食は入る? ケーキも焼いたんだけど…会心の作品です!」
「勿論、食べる。その分の胃袋は空けてきた」
「わぁい」
 相手の言葉に妹も喜び、彼に早速上がるように促した。
「先に部屋に鞄とか置いてきたら?」
「ん、そうじゃな」
 言われるままに自室に戻るまでの廊下で、仁王ははぁと誰にも知られずに溜息をついた。
(やっぱ、駄目じゃったか…)
 実は今日、レストランに向かう前に、自分は仲間達と一緒にあのデパートを再び訪れていた。
 彼らの好意で、仁王が欲しいダーツ盤を全員で購入しよう!という話になったのだが、一歩遅かったのか、それは残念な事に売り切れてしまっていたのだった。
 しかし仲間達の思い遣りは非常に有難く、仁王にとっては彼らの心そのものがとても嬉しい誕生日プレゼントになった。
(とは言え、これで年末・年始はダーツはお預けか…結構間が開くと勘も鈍るんじゃよなぁ)
 やはり、新しい物を買うまでは、お古で粘るしかないか…
 そう思って部屋に入りつつパチリと電気を点ける…と、
「…ん?」
 机の上に、不審な物体。
 鮮やかな包装紙に包まれた、正方形の形をした薄い箱型のものだ。
 しかし表面積は非常に大きく、机の半分以上の面積を占めている。
「何じゃこりゃ…一体誰が」
 覚えが無いという事は自分以外の家人がここにそれを置いたのだろうが…とそれを手にとってみると大きさの割には軽めである。
 そしてそこで彼は、箱の隅に付けられていたカードに気がついた。
「え…?」
 これは、と取ってみると、細いペンで綴られた整った文字が瞳に映る。

『雅治お兄ちゃんへ お誕生日おめでとう   桜乃』

「!!」
 妹から!?
 まさか…誕生日プレゼント!?
 びっくりすると同時に、仁王はいつになく焦った様子で包装紙を破り始めた。
 その奥から出てきたのは、あの売り切れていたダーツ盤だった。
 桜乃からのプレゼントに先ず驚き、その中身にまた驚き、仁王は一人部屋の中で挙動不審になってしまう。
 何故…これが欲しいだなんて自分は彼女には一言も言ってない。
 メンバー達にも今日初めて伝えたくらいなのに…!
「…さ、くの?」
 ダーツ盤を見るよりも、壁に掛けて眺めるよりも先に、仁王は部屋を出て急ぎ足でリビングへと向かった。
「桜乃!? お前…あれは」
 そんな兄の様子を予測していた様に、桜乃はキッチンに立ちながらにっこにこと実に楽しそうな笑みを浮かべていた。
 彼女的にはしてやったりという気分だったのだろう。
「えへへ〜、びっくりした? お兄ちゃん」
「びっくり…って…何で」
「詐欺師さんの尾行はなかなか大変でした〜…おまけに恋人の振りもするコトになっちゃったしね」
 瞬間、察しの良い詐欺師は理解する。
 あの日! 自分がデパートに行って桜乃と会った日…!
 あの時に品定めしていた自分を、彼女もまた見ていたのか!
「お前……」
 呆然とした仁王は、どんなもんです、と胸を張る桜乃をじっと見つめ…
「まさか、援交までやって…」
「こういう時ぐらいそのクチどうにかならないっ!?」
 不届きな兄に、桜乃は近くにあったフライパンを持って構えてみせる。
 折角の兄妹愛に、照れ隠しだろうが何という失礼なコトを!!
「すまんすまん、悪かった」
 はいはいと両手で相手を宥めた詐欺師は、左手をさり気なく自分の口元に運び、顔を隠す…その顔は確かに普段よりも紅潮しており、彼は背を向けつつぼそりと言った。
「有難う…な」
「!…うん。おめでとー、お兄ちゃん」
「……」
 それから、仁王は家族から誕生日を祝う暖かな言葉を貰い、いつもよりかなり贅沢な食卓を皆で囲んで楽しい一時を過ごした。
 多くの人々から祝ってもらった仁王だったが……
(…あの日のデートだけで十分なプレゼントだと思っとったのに、結局、プレゼントを二つもくれよったか…敵わんの、やっぱり)
 多分、一生敵うことはないのだろうけど、何故か嬉しい…と、心に食らった心地良い『敗北』を楽しんでいた。


 後日談
「しかしお前、あれは結構な出費だった筈じゃが…援交もせんとよう買えたもんじゃの」
「どうして『バイト』とかをすっ飛ばしてそういう思考にいくのか分からないけど…別にやましい事はしてません」
 仁王の部屋で、桜乃もあの新しいダーツ盤を使わせて貰っていた。
 ぼ〜っと机の前に座る兄の声に、ダーツに集中している桜乃は声だけで返しているが、やはり兄の腕前には到底及んでいない。
 しかし本人は十分に楽しめている様だ。
「実はデパートとかのカードには、ポイントとゆーものがありましてですね…」
「……あー」
 ポイント分、買い物が出来るというアレか。
 言われてみて納得…確かにそれは意外な伏兵だった。
「…主婦の鑑じゃのう」
「安心してお嫁にやれるでしょ? お兄ちゃん」
「……」
 絶対に返事なんぞしてやらん、と思いつつ、兄はそっと机の引き出しを少しだけ開いた。
 そこにあったのは、あの妹の手書きのメッセージカード。
 いまだに大事にとってあるという事を知る者は、勿論、仁王本人以外はいない……






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