そんな平和な日の放課後…
「あ、雅治さん」
「おう桜乃、待っとったよ」
中学校の正門を桜乃が抜けようとしたところで、片方の柱に寄りかかっていた仁王が身を離しつつ、彼女に声を掛けた。
「今日は早かったんですね。もしかして、随分待ちました?」
とととっと小走りでこちらに駆けて来る少女は、申し訳なさそうに恋人に尋ねたが、仁王はあっけらかんとして答えた。
「いや、大した時間じゃなかったぜよ。お前さん、部の方はもういいのか?」
「はい」
「そうか…じゃ、帰るか」
「はい!」
その日のスケジュールにより、どちらかがどちらかを待ち、一緒に帰るという習慣にも慣れてきた。
しかし、一緒に帰れるという喜びは変わらないとばかりに、満面の笑みを浮かべて答えてくれる少女に、仁王も笑みが自然と深くなる。
どうにもこの子の前だと、得意のポーカーフェイスも本調子になれないのだ。
一緒に歩き出しながら、二人は何気ない会話を交わした。
「高校生の雅治さんの方が、中学生の私の事を待つなんて、ちょっと不思議な感じですね」
「そりゃまぁ今はしょうがないじゃろ。お前さんは相変わらず部活のマネージャー、こっちは一年に上がったばかりで、まだ部活動を始められん身の上じゃ。しかしいよいよ入部が決まれば、今度はこっちが遅く終わってしまうじゃろうなぁ」
「それなら、今度は私が雅治さんを待ちますよ」
「そうか? しかし、あまり遅くなるとお前さんの身が心配じゃなぁ」
「え? 雅治さんは絶対に私を守ってくれますから、私は安心してますけど」
「はは…それは光栄至極」
笑いながらも、内心、若者はほんの少しだけ落胆していた。
(こんだけ純粋な信じてますオーラ全開じゃと、下手に手出しも出来んぜよ…全く)
変なところだけ、相棒の紳士癖がついてしまったのだろうか…と悩みつつも、それからも仁王は桜乃と睦まじく歩いていたが、不意にその少女の足がぴたりと止まった。
「あ…」
「ん、どうした?」
「いえ、この道…」
そう言う桜乃の視線はやや上向き加減で、それを追った仁王もまた納得の態で頷いた。
「…ああ、ここも満開じゃなぁ」
「本当に…」
二人の目に映っていたのは、公園へと続く道の両脇に植えられた桜並木。
丁度満開で、薄桃色の彩が青の空に映えて夢の様な美しさだった。
「…」
その場を離れるに離れられなくなってしまったらしい桜乃が、うっとりと桜吹雪のトンネルを見詰めていたので、仁王は笑いながら軽くその道の先を指差した。
「…行ってみるか? ちょいと遠回りになるが、まぁたまにはこういう寄り道もええじゃろ」
桜を堪能したいなら、渡りに船の誘いだったにも関わらず、何故か桜乃はそんな仁王の台詞には鈍い反応だった。
「え? うう、ん…どうしようかな…」
「? 何じゃ、中に入るんは嫌かの?」
仁王としては、桜の中でいつもより長く恋人との逢瀬を過ごせるチャンスなので是非実行したいと思っていたのだが、意外な答えにおや?と首を傾げる。
そんな彼に桜乃が理由を答える前に、二人の耳に甲高い女性の悲鳴が聞こえてきた。
『きゃ〜〜〜〜っ! いやーっ、毛虫〜〜〜〜っ!!』
「…っ」
「…う、やっぱり」
仁王が、はっと並木道の方を振り返り、桜乃は諦め顔で肩を落とす。
そこで何となく、詐欺師も少女の気分が今ひとつ乗ってない理由を察した。
「…降ってくるんは桜の花弁だけじゃないってことか」
「去年、経験して軽くトラウマなんですよう…」
桜の花弁を愛でようと木々の下を歩いていたら、花弁に紛れて黒い毛虫も降って来るという嫌なサプライズを覚えていた桜乃は、ぶるぶると軽く身体を震わせて、ついでに声も震えていた。
余程、その時のことがショックだったらしい…まぁ女の子ならありえることだ。
仁王も桜乃程ではなくとも、やはりいきなり虫が頭や肩に落ちてくるのは勘弁願いたいという顔をしていたが…そこで彼は何かに閃いた。
「……」
閃いた後、彼は無言でぱかっと自分の鞄を開き、不思議そうにそれを見ている桜乃の前でごそごそと中を探り…
「じゃ、コイツの出番じゃ」
「…わ!」
取り出したのは、晴れの日には無用の長物だったあの例の折り畳み傘だった。
それをかちゃりと開いて、柄を肩にとんと乗せ、仁王が桜乃に振り返りながら手を差し伸べた。
「どうじゃ? 桜乃。俺と一緒に、桜の雨の下で相合傘デート」
「!」
デートという単語に、ぽっと桜乃が頬を桜の花弁の様に染める。
恋人になったというのに相変わらず初々しい反応だが、それもまた仁王にしてみれば可愛くて仕方がないらしい。
「照れんでもええじゃろ、恋人なんじゃから。ほれ、早くこっちに来んしゃい」
「ま、雅治さんが恥ずかしいコト言うからですよ」
ちょっとだけ反論しつつも、恋人の誘いは非常に魅惑的で断る訳にもいかず、桜乃はおずおずと彼に近づいて密着する形で傘の中に入った。
「お、お邪魔します…」
「おう、いらっしゃい」
獲物確保!
そんな心の言葉が聞こえる様な笑みを浮かべながら、仁王は傘の中に恋人を迎え入れ、ぎゅうとその細い肩を自分の方へと抱き寄せた。
「はは、本当に可愛いのう、お前さんは。俺の方がどうにかなってしまいそうじゃよ」
「ちょ…雅治さん?」
大胆な若者の行為に、更に真っ赤になった桜乃が顔を上げると、図ったように彼の唇が彼女の耳元へと下りて来る。
「ほれ、もっと寄らんと肩が出てしまうぜよ…そうそう、良い子じゃな、そのまま…」
かぷ…
「っ!!」
耳を優しく噛まれた桜乃がびくんと身体を戦慄かせている間に、身体を溶かす程に甘い男の囁きが続いた。
「俺の傍におりんしゃい…愛しとうよ、桜乃」
二人の恋人の蜜時は、桜の花吹雪と傘に隠され、誰にも見られることはなかった…
了
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