本気の言葉(前編)


「さて…時間は朝十時…」
 正月…一月一日の朝、仁王雅治は自宅にて私服に着替えた後、ふむ、と自身の携帯を手に時刻を確認していた。
 そして、そのまま窓越しに外の様子を窺う。
「外は快晴」
 続けて自分がいるリビングをぐるりと見回すと、そこには死屍累々と横たわる彼以外の家族の姿…実際は床暖房で十分に温もった部屋で寝倒している真っ最中なだけ。
「身内は全滅…よし」
 何がいいのか良く分からないが、おそらく詐欺師には彼独自の判断基準があるのだろう。
 彼は上機嫌で、自室から持ち出した一つの袋を片手にぶら下げたまま玄関へと向かい、履きなれたスニーカーを履いて外に出た。
「お、流石に晴れてても寒いの」
 ダウンを着るなど十分に防寒装備は整えているが、露出している顔の感覚はどうしようもない。
 きんと冷える冷気を顔の皮膚で感じながらも、彼は至って上機嫌で自前の自転車を持ちだし、しゃーっと快適に乗りこなしながら何処かへ向かい始めた。
 手に提げていた白ビニルの袋の中からは、かしゃかしゃと振動が伝わる度に金属音が響いてくる…が、袋の外からは何が入っているのかは分からない。
「……」
 時々その袋に視線を遣り、にっと面白そうに笑っていた仁王は、そこから一路、自分が通っている中学校の校舎へと向かっていた…


「ほい、到着…っと」
 きぃっとブレーキを効かせて正門前に自転車を止めると、仁王は軽い身のこなしでそれから降り、道の脇へ寄せてしっかりと鍵を掛けた。
 そして袋を再び手に提げて、正門を固く閉ざしている鉄扉を見上げた。
 鉄扉と言っても、びっちりと鉄板で作られたものではなく、よく他の学校でも見られる、鉄柱の隙間から向こうの様子が窺える造りになっているそれだ。
 正月には流石にどの部活も活動を休んでおり、それは無論、仁王が在籍している立海男子テニス部も同様である。
 但し、彼にはこれから正午に、他レギュラー達と部長の幸村精市宅で落ちあい、新年を祝うという予定があるのだ。
 別にテニスをする予定はないが、部活動抜きでもレギュラー達とは気が合うので、集まって遊ぶ機会は割と多い。
 正直、この中学に入学して彼らと会えた事は、自分にとって大きな喜びだと思っている…照れ臭いから絶対口では言わないが。
(…そう言えば、アイツと会えたのもここにおったからじゃなぁ)
 レギュラー以外の一人の人物についても思いを馳せつつ、仁王はぐるっと周囲の様子を窺った。
 流石に元旦だけあって、通行人も車の通りもない。
 つまり、目撃者はゼロ…
「…よし」
 にやっと笑った詐欺師は、瞬間、ぽんっと軽く飛びあがり、扉の鉄柱の一つに手を掛け、同時に足でも鉄柱を蹴って勢いをつけると、そのままひょーいと悠々と鉄扉の関門を突破していた。
 扉を超え、そのまますたんと猫の様な身軽さで着地すると、彼は何事もなかったかの様に立ち上がり、すたすたと校門の石柱から続く塀の裏にある茂みの方へと向かって行く。
 そのままだとコンクリートだけの殺風景な場所を、緑を植えることによって心を落ち着けるものに変える…これもよく学校内では見られる工夫である。
 実は三年に進級してから間もなく、仁王はよくこの場所に足を運んでいた。
 勿論、普段から詐欺師と呼ばれている彼なので、それが自分の習慣と気取られる様なヘマはしていない。
 自分の癖や習慣を知られるという事は、それだけで何かの企みを行う上で弱点になりうるのだ…そしてそれは詐欺師にとっての致命傷である。
(しっかし柳に知られたんはマズかったのう〜〜…ま、今は変装しちょるからそれで暫くは誤魔化せるじゃろうが…そろそろ次の手も考えとくか)
 先手先手を打つのも基本中の基本である。
 ま、おいおい何とかしようと考えながら茂みの中に入っていった仁王は、ある所まで来たところですとんと腰を落とし、きょろっと周囲を見回した。
「…こーいこいこい」
 軽く歌う様に何かに呼び掛けた後、じっと暫し何かを待つ。
 特に焦る様子もなく、彼が泰然と構えていると…

 にゃあぁ〜〜〜ん…

 ふと、猫の鳴き声がして、彼の背後から一匹の野良猫が現れた。
 タイミングを考えると、先程の仁王の声を聞きつけてやってきた様だ。
 黒と白の雑種だが、緑色に輝く瞳が非常に美しい。
「お、来たか、ぴーちゃん」
「にゃあん」
 ぴーちゃんと呼ばれた野良猫は、ててっと仁王の足元に走り寄ると、ごろごろと喉を鳴らしながら身体を相手の足に擦りつけて来た。
 野良猫の割には、彼には非常に懐いている様だ。
「おお、よしよし」
 なでなでとひとしきり相手の背中を撫でてやった後、仁王は、ちょこんとそこに座る姿勢になった猫に軽くお辞儀をした。



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