「取り敢えずは、あけましておめでとさん」
「にゃあん」
「今年もまぁ宜しく」
「にゃああん」
「いや全く本日はお日柄もよく」
「にゃーん」
「……」
合わせて三回お辞儀をした後、頭を落としたまま暫し沈黙し…
「ま、挨拶はこれぐらいで」
ごそごそと手持ちの袋をあさって、中から幾つかの缶詰を取りだした。
ラベルには非常に毛艶の良い長毛種の猫のイラストに、気取った英文字が並んでいる。
そう、紛うことなき猫の食用缶詰。
年末の内にペット専門店に並んでいた物の中から、仁王が選んで買ってきた逸品である。
「猫の世界にはおせちなんてないからのー、まぁ、アレもそんなに美味いモンじゃないが、ちょいと今日は奮発じゃ。結構高かったんじゃぞ」
話しかける仁王に対し、猫は前脚を彼の足に掛けて身を乗り上げ、ふんふんと鼻先を缶詰に近づけている。
催促する姿から、缶詰がどんなものかは既に向こうもよく知っている様だ。
「はいはい…っと」
ぱっ缶!
小気味良い音をたてて缶詰を開け、それをそのまま地面に置いてやると、早速猫が喜び勇んでそこに顔を突っ込み、中身を貪り始めた。
「おお〜、なかなかの食いつきっぷりじゃのう…そんなに美味いんか?」
答える暇もないとばかりに猫はがつがつがつと食べ続けており、そんな小動物の様子に仁王は興味を抱いた様子で、地面に置いたその缶詰のラベルを首を曲げながら再び確認した。
「…これまでにない美味しさグルメの逸品…鶏ササミ味」
売り文句を復唱した後、彼は徐に猫の口の脇からちょいっとその中身の一部を拝借し、そのまま自分の口に放り込んでみた。
むぐむぐ…と咀嚼して飲み込んだ後、眉をひそめて首を傾げる。
「……そうかの〜?」
グルメという割には味気ない…と、今一つの反応だが、元々猫にはしょっぱい物は禁忌なのである。
「うーむ…後は…ビーフのテリーヌ仕立てにまぐろとかつおのシラス入り……人間のおせちよりよっぽど豪勢っぽく見えるのう」
ぴーちゃんが最初の缶を完食したのを確認して、今度はビーフ缶を開けてみる。
そして、またも仁王が自分の分もちょっぴりつまみ食い。
「…ん、これはなかなか」
どうやらササミよりはこちらのが彼の味覚には合っていた様である。
好奇心を満足させた後、彼は空いた最初の缶を持って一時その場を離れ、近くにある水飲み場へと向かった。
どうやら空き缶を簡易水入れにして、野良猫に提供してやるつもりらしい。
普段から他人を欺き騙すことが多い男が、ここまで親身になって生き物の面倒を見るというのは、誰も想像が出来ないだろう…もしかしたら家族でさえも。
無論、本人も見せるつもりもないだろう。
そんな彼が、缶に水を満たして再び元の場所へ戻ろうとした時…
「…ん?」
おかしな影が見えた。
あの茂みではなく、自分が外に自転車を置いている、あの鉄柵の向こう側に。
(まさか盗難しようって奴じゃないじゃろうな…まぁ俺の特製鍵を突破出来るとも思えんが…)
しかし、見てしまった以上はやはり気になるもので、それから仁王は缶を持ったまま、進路を変更して正門の方へと歩いていった。
果たしてそこに見えたのは…
「お」
「あ」
見知らぬ盗人ではなく、見知った盗人でもない、自分のよく知る一人の後輩だった。
「何じゃ、竜崎か」
「仁王先輩!」
ほぼ同時に向こうもこちらの気配に気づき、柵の向こうで身体を向けてくる。
私服姿の少女は、自分の所属する男子テニス部でマネージャーを務めている一年生女子、竜崎桜乃だった。
私服でも、そのチャームポイントであるおさげは今日も健在で、彼女の背中の向こうでゆらゆらと揺れている。
「あ、あの…あ、あけましておめでとうございます」
「おう、おめでとさん」
ぺこっとお辞儀をしながら、今日という特別な日限定の挨拶をする少女に、仁王もまた軽く頭を下げて返す。
そして、沈黙の時…
「……」
「……」
互いが互いを鉄柵越しに見つめ合う中、沈黙を破ったのは仁王だった。
「こーゆー状態で挨拶すると、刑務所の中みたいじゃなぁ」
「敢えて言わなかったのに、自分から言っちゃうんですね…」
「いかんのう竜崎、真っ当に生きんと」
「えっ!? 犯罪者私?」
心から驚いている後輩に、仁王はくっくと小さく笑みを漏らした。
女子には基本つれない態度を取る若者だが、およそ小賢しい計算や計画とは縁のない、素直すぎるこの娘には、警戒する意味もないと、割と砕けた態度で接していた。
「あの…仁王先輩どうやって中に入ったんですか?」
「ん、実力行使じゃ」
「…そっちから鍵って開けられませんか?」
何をするつもりか知らないが、どうやら彼女もこの校内に用事があるらしい。
「何じゃ、部室か教室にでも忘れ物したか?」
「そういう訳じゃないですけど…ちょっと中に入りたくて」
「ほう…しかしタダでは嫌じゃな」
「あ〜、そんな事だろうと思いました」
この人の場合、タダで済む筈はないと思っていた桜乃は、ある種諦めの表情を浮かべてため息をつき、改めて相手の顔を見て出方を待った。
「そうじゃな…」
顎に手をやって少し考えた後、仁王がにっと笑って条件を出す。
「じゃあ、ちゅー一つで取引じゃ」
「やです」
「……お前さん今、光の速さで断ったの」
「当たり前です!」
むっとした表情できっぱりと断言すると、もう頼まないとばかりに桜乃は柵の端へと歩いていき、まずは手に持っていた、布袋で包まれた人の頭程の大きさの荷物を柱の上に置いた。
そして自力でそこを越えようと、上の鉄柵に手をかけ、懸垂運動を試みたのだが…
「う〜〜ん…」
腕力が明らかに足りてない…しかし女子では致し方ないことである。
「……そこまで嫌わんでも」
「そーゆー問題じゃないんですぅ!」
呆れた詐欺師の言葉に頑なに答えながら、尚も懸垂に勤しむ桜乃だったが、あの様子では新年が去年になっても目的は達成出来ないだろう。
「……はぁ」
放っておいてもいいのだが、このままだと寝覚めが悪い。
「分かった分かった…ほれ」
「きゃっ…」
桜乃の前へと移動し、仁王がにゅっと鉄柵の向こうに両腕を伸ばすと、そのまま桜乃の腰を抱えてぐいと上に持ち上げてやった。
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