最初こそ猫と一緒に盛り上がっていた少女だったが、ず〜〜〜っと傍で沈黙されたまま視線だけ向けられていると流石に気になってくる。
「…お、お返ししましょうか?」
「そっちの方が無礼じゃ」
 けっとそっぽを向いて拒絶した後、仁王は相手の膝の上で大人しい猫をしげしげと見遣った。
「…よく慣れとるのう」
「この子、たまに校門で見かけるからその時には声かけたり撫でたりしてたんですよ。その内に懐いてくれたみたいで」
「ほう…」
 自分の考えていた以上に、どうやらこの猫は世渡りが上手かったらしい。
 しかし自分の膝の上ではなく、この娘のそれを求めるとは…結構自分も可愛がっているという自負はあったのに。
「……所詮は獣か」
「なにやさぐれてるんですか」
「別に」
「?」
 どうにもよく分からない相手の反応に首を傾げた桜乃が、ふと視界の中に余ってしまった特製おせちを捉えた。
「そっか、もうお腹いっぱいだもんね。どうしよう、一度持って帰った方がいいのかな…」
「ああ…別にそのままにしとけばええじゃろ。そろそろお客さんも来る時分じゃ」
「お客…?」
 にゃあ〜〜〜〜ん…
「ん?……わっ!」
 背後から猫の鳴き声を聞いて振り返った桜乃が見たものは、いつの間にか塀の上でこちらを窺う複数の猫達の群れだった。
「おう、来た来た、新年の挨拶回りじゃな」
「あ、挨拶回りって?」
「うん…」
 尋ねる桜乃の膝の上から例の猫を取り上げると、仁王がびろーんとその身体を伸ばす形で抱きかかえて言った。
「この地区一帯のボス」
「えええええっ!!」
「紛いなりにも立海に根城を置くんじゃけ、そこらの猫に負ける訳にはいかんじゃろうが…いやぁ、鍛えた鍛えた」
(な、何をどうやって鍛えたんだろう…)
 悩んでいる間にも、塀からぴょいぴょいと降りて来た猫達は、一斉に仁王と彼が抱きかかえるボス猫の周囲にたまり始めた。
 うち一匹は、仁王の頭の上にまでぺったりと乗っかっており、かなり壮観な光景。
「す、凄いですね…」
「一応ボスの師匠じゃもん」
 それが事実で、仁王が猫達に一目置かれる存在なのだとしたら、彼らは人間が考える以上に知能が発達しており、柔軟な思考を持っているのかもしれない。
 無論、この仁王雅治という人物が色々な意味で凄い人間であることにも違いはないだろうが。
「ふわぁ…仁王先輩って人間だけじゃなくて、猫ちゃん達にもモテモテなんですね……いいなぁ」
「……そうでもないぜよ?」
 にーにーにーと賑やかに騒ぐ猫達に埋もれつつある仁王は、何となく覇気のない口調で否定した。
「好きでもない奴に好かれるんと、好きな奴に好いてもらえんのは…どっちも辛いもんよ」
「…はぁ、それは……え?」
 納得しかけたところで、桜乃がぴん、と気付く。
「え、もしかして……先輩、好きな人が?」
「んー」
 濁しつつ、仁王はぴーを一旦降ろし、別の猫をまた抱き上げて毛並みを手櫛で梳く。
「まぁの…まるで相手にされとらんけど」
「え!! に、仁王先輩が相手にされてない!?」
「そりゃもう、血も涙もないスルーっぷりで…」
 相変わらず猫と戯れている若者の背中にそこはかとない哀愁が漂っている…様に見えたが、それを目の当たりにした桜乃は、一瞬安堵した自分自身を激しく嫌悪した。
(う、いけない…仁王先輩にとって残念な事なのに、良かったなんて考えちゃった…)
 相手の女性がもし仁王に気があったら、きっと今頃は二人は恋人同士…
 これまで言い寄る女性達はばっさばっさと斬り捨てていた詐欺師だが、もし彼が恋愛対象を見つけたとしたら、間違いなくその想いは半端ではない。
 その程度の事は、彼を見ていた自分ならよく分かる。
 よく分かるからこそ…まだ伝えられていない気持ちもあるのだが。
(振ってる話しか聞かないから…安心って言うか…そんな気持ちになってたみたい。でもそうだよね、ずっとそれが続く訳じゃないし…)
 そうか、目の前の懸想の相手はもう見つけてしまったのだ、恋しい相手を。
 手が届かない相手、いつかはこの時が来ると分かっていた…でも、手に入れることはないと分かっていても、やはり寂しい。
(あー、何か凹んじゃう…でもダメ、余計に気付かれちゃうし)
 相手が今更自分の気持ちに気付いたところで、それが何になるというのだろう。
 ダメだ、私はあくまでもこの人の後輩で、同じ部のマネージャーなんだから…そういう自分を通さなければ。
「ス、スルーですか…え、アタックしても無視されちゃうってことですか?」
 さり気なく尋ねた質問に、相手はうーむと首を捻る。
「無視っちゅうか……気付いとりゃせんの、ありゃ」
「……鈍感な人ですか」
「鈍感に天然のダブルコンボじゃな」
「それは大変ですね」
「……うん」
 不思議な間を置いて頷いた仁王は、まだ寄ってくる猫達を構ってやっている。
(意外……こういう話は絶対他人には漏らさない人だと思ってたのに…)
 自分の心中を決して人には明かさない人だったのに…こんな話題をこんなに気安く話してもいいのだろうか…?
 そう思いつつも、相手の心を覗ける折角の機会を逃す事も出来ないと、桜乃はそのまま話を続けた。
「もしかして、先輩の押しが弱いんじゃないですか? 変な企みが過ぎると、却って気付かれない事もあるんじゃ」
「変な企みってところが気になるが……いや、弱くはないぜよ? バッチリアピールしちょる」
「そうなんですか? じゃあアピールって?」
「ちゅーしたいって言っても聞いてくれん…」
「気付いてないんですよ!!!!」
 予想外の変化球に、思わず大声で桜乃が主張した。
 まさか自分以外に…よりによって好きな女子にまでそんな軽い言葉を掛けていたとは!
「何ですかそれーっ!!?? 好きだ、の何の告白も無しに、いきなりそんなコト言われたら冗談にしか思われませんよ、って言うか私ならまだ冗談で済みますけどねぇ! 本命の人にそんな事言ったら軽い人だと誤解されちゃいますよっ!!??」
「お前さん以外には言うちょらんもん」
「ああはいそうですかぁ〜」
 さり気ない相手の返事に対し、余程仁王のアピール方法に呆れてしまったらしい桜乃が、はぁ〜っと溜息をつきながらおざなりに返す。
「人の話を聞いてほしいんじゃけど」
「聞いてますよ。で? 冗談にしか聞こえない好きな人へのアピールの台詞を、私にしか言ってないってことで………え?」
 これまでの相手の説明の要約をして声に出したところで…桜乃もようやくその先にある意味に気がついた。
 それって…ちょっとおかしくない?
 いつの間にか、仁王先輩の好きな、本命の人が抜けてるんだけど…て言うか、私の国語力がおかしくなければ、それって…
「…え?」
 戸惑い、言葉を失う少女の前で、猫達に埋もれていた詐欺師は視線をあらぬ方へと遣りながら言った。
「本気を伝える言葉って何じゃろな?…真面目な顔で『好きじゃ』って言えばそうなるんなら、詐欺師の俺は、幾らでもそのぐらいの台詞は吐けるぜよ…簡単なもんじゃ」
「……」
「けど、お前さんの前ではよう言えん。言ったら、それも詐欺師の台詞になりそうでの…仁王雅治の言葉を探しても、俺の中の嘘が邪魔してなかなか見つからんし…しょうがないから、自分のやりたい事を言ったんじゃよ。ま、多少直球じゃったけど」
「そこに『多少』は要りません…」
 聞き捨てならない発言にしっかり突っ込みを入れつつ、桜乃は自分の右頬に手を当てた。
「〜〜〜〜〜」
 真っ赤になっていく…熱を帯びていくのが分かる…恥ずかしい程に。
 まだ頭は混乱しているけど…これが自分の浅ましい思い込みだという訳ではない事は理解している。
 信じられない…けど、相手がいつものふざけた詐欺を掛けている訳ではない事も分かっている。
 何てことだ、冗談だと思っていた『ちゅー』が、まさか本気の希望だったとは。
 恋愛事情に不可欠な『好きだ』という台詞をすっ飛ばして、いきなりそこに持っていくのは、流石詐欺師と言うべきなのか…お陰でちっとも動揺が治まらない…
「あの…私…」
「俺が嫌いか?」
「!!」
 ぶるぶるぶるっと激しく首を横に振ると、向こうはしてやったりという笑顔を浮かべる。
「じゃあ好きか?」
 覚えがある、ついさっきも同じことを訊かれてその時の自分は答えを拒否した。
 相手が、からかっているのだと思っていたから。
 けど、今は……
「〜〜〜〜」
 かぁ、と一層顔を赤くしながら、桜乃は恥ずかしさに目を閉じたものの、こくんと首を今度は縦に振った。
 ああ、答えてしまった…ばれてしまった…自分の気持ちが。
 目を閉じていたら今度は見えない事がとても不安になり、桜乃が再び目を開く…と、立ちあがって目の前に来ている仁王の姿があった。
「…っ」
「……どんな言葉がええんじゃろ、やっぱり真面目な顔で告白した方がええんかの?」
 本気で困っているのか、仁王がやや困惑気味の表情で、横に視線を逸らしている様子を見て、桜乃の顔に自然と笑みが浮かんだ。
「……いいんですよ、仁王先輩が言いたい事で」
 それがきっと…あなたの本気の言葉なんでしょう?
「…じゃあ、『ちゅー』で」
 そして、仁王はそのまま顔を寄せ、桜乃の唇を優しく塞いだ。
 愛の告白の代わりに、どんな言葉よりより優しく甘く…
 どれだけ続いたのか、その甘美な時が、仁王の唇が離れて終わりを告げた後、その唇はそのまま桜乃の耳元へと運ばれ…
「…―――」
 ひそりと何かを囁いた。
「!」
 途端、桜乃の瞳が大きく開かれ、は、と相手を振り仰いだが、その時にはもう彼は猫達の方へと身体を向け直していた。
「あの…い、今の、もう一回…!」
「嫌じゃ」
「えー!? やだやだ、もう一回言って下さいよう!」
「聞こえたならええじゃろ! 人の目もあるのに何度もよう言わんわ!」

 人の目じゃなくて猫の目です

 と、猫達が思ったかどうかは分からないが、それからも結局、仁王の最後の一言が繰り返されることはなかった……当日は。



 


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