こたつむり
「…また」
北風が吹き荒ぶ、ある寒い冬の日…
学校の授業を終え、所属している男子テニス部マネージャーの仕事を無事にこなし、帰り道でスーパーに立ち寄って食材等を買って、寮へと戻って来た竜崎桜乃は、玄関に入ったところでやれやれと溜息を一つついていた。
玄関先には、自前の靴が数足…と、自分のよりかなり大きめの男性用の靴が一足。
よく女性の一人暮らしの用心の為に、男性用の下着などをわざと外に干して犯罪者に対して牽制をする、という方法を聞くが、少なくともこの男性用の靴はその為の物ではない。
更に言うと、この靴の持ち主を桜乃はよーく知っているし、こんな状態になっているのも初めてではない。
単純に考えたら、自分以外の誰か…しかも男性が、主人の自分よりも早く部屋の中に侵入を果たしているという由々しき事態の筈なのだが、彼女はもう慣れているといった感じで何ら警戒感を出す素振りもなく、靴を脱いで奥へと歩いて行った。
一人暮らしにしては十分過ぎる程に広いリビング…その中央に控えるは冬の楽園とも呼べるこたつが一つ鎮座している。
そのこたつ布団の一端から、にょきりと見えているのは銀の毛玉…ならぬ銀髪の誰かの頭部。
顔は向こうに向けられていて見えないが、明らかにあの状態は、全身の殆どをこたつの中に埋没させ、ぬくぬくと横になっているのだろう。
桜乃が帰って来ても一向に動こうとしないところを見ると、眠っているのかもしれない。
「ん、もう…!」
それを見た桜乃は、手にしていたビニル袋と鞄を一時床に置いて、こたつの傍へとつかつかと歩み寄り、上から大きな声で呼びかけた。
「に・お・う先輩っ!!」
「ZZZ…」
ビンゴ、熟睡中。
「んも〜〜〜、あいっかわらず無断侵入してー! 寝たいんなら自分の家で寝て下さいよう!!」
既に怒るべきところさえもずれている。
本来なら、ここで警察に電話しても誰も少女を責める理由は持たないと思うのだが、彼女はそれについては考えていないらしく、相変わらず上から眠っている先輩に呼び掛け続けた。
「ん…」
遂に桜乃の訴えが彼の脳にも響いたのか、仁王がもっそりとした動きで身体を反転させ、しぱしぱと目を数回瞬きさせつつ桜乃を見上げた。
「あ、目が覚めた。仁王先輩、いつまでも人の家で油売ってないで、ほら、起きて下さい」
「……」
言われたものの、仁王はそれからも暫しじ〜っと桜乃を見上げ…
「…ぱんつ見え…」
「きゃ〜〜〜〜〜〜っ!!!」
げしょっ!!
男の言葉が終わる前に、桜乃が悲鳴を上げながら思い切り相手の顔面を足で踏んづけた。
これは…やはり結構痛かったのか、がばっと起き上った仁王が珍しく大声で抗議。
妙な趣味があった場合には喜んでいたかもしれないが。
「『見えそう』って忠告しようとしただけじゃろがーっ!!」
「そーゆーところに寝ていた先輩が悪いんですーっ!」
後輩の反撃に遭い、更に言葉で応戦しようとしていた若者だったが、それは不意に出てきた何度かの咳で不発に終わってしまう。
「けほっ…あーくそ…」
「?…どうしました?」
「んー、ちょっとな、喉が痛いんじゃ…疲れてもおったから、ちょいと休ませてもらっとったんじゃよ。ここの方が学校からも近いしの」
「喉!? 大変!」
相手の告白を聞いた桜乃は、口喧嘩も忘れた様子でぱたぱたと自分の寝室へと急いで走って行き…すぐに何かを手に持ってまたぱたぱたと戻って来た。
「これ、アロマ加湿器、使って下さい!」
「あ、ああ…?」
電池式のそれを無理やり持たされた仁王が戸惑っている間に、桜乃は近くのソファーに置かれていたタオルケットとクッションも持ちだして、てきぱきとこたつでの安静姿勢の為の準備に取り掛かった。
「これ使って、肩まであったかくして下さい。枕もあった方がいいですよね、これ、代わりになるかしら…」
「あ、いや…そこまで気ぃ使わんでも…」
「いいから横になって下さい、ほらほら」
いつの間にやら形勢逆転。
今度は桜乃が仁王を強制的にこたつの中に押し込み、横にさせると、上からふわりとタオルケットをかけてやった。
「寒くないです? 楽な姿勢をとって下さい…あ、おこた、強くしましょうか?」
「ああいや、今ぐらいで丁度いい…ん…」
もぞもぞとこたつの中に入った仁王が、ちょっと困った顔になりつつ身体を不自然に動かす。
「? どうしました?」
「いや、こたつの上が引っかかっとるだけじゃ。ほれ、これって普通のテーブルとかより低いじゃろ? 身体横にしたら、どうしても引っかかってしまうんよ」
「あ…」
言われたところで気がついた。
最初からソファーで休む様に勧めるべきだったか…うっかりして、こたつばかりに気を取られてしまっていた。
でも、もう向こうはこの場所で休む体勢を取り終えつつあるし、ここはもうこのままで休んでもらった方がいいかも。
「ん、と…はぁ、ま、これでええかの」
ようやく楽になれる姿勢を取れたらしい若者が、もこもことタオルケットを肩の上の方まで引き上げて落ち着いたところで、桜乃はクッションを頭の下にあてがってやり、傍に加湿器を置いてやった。
見えない水蒸気と共に鼻腔に流れ込んでくるラベンダーの香りが、心地よく、仁王の緊張の糸を解き解す。
「…」
ふぅ…と微かに息を吐いた相手の様子を見て、桜乃が少しだけ安心しながら彼の額に手を当てつつ、軽くその銀髪を払ってやった。
「!」
「うーん、熱はないみたいですね…風邪の引き始めかしら…」
ひとまずは安心、と言いつつ、桜乃は立ちあがってキッチンへと向かって行った。
「照り焼きにしようと思ったけど、お鍋の方がいいかな〜…」
少女の独り言が遠ざかるのを聞きながら、仁王は微かに額に残る少女の手の感触を思い出していた
(…ダメじゃなぁ…弱っとるところにあんなコトされたら、グッと来るじゃろが…)
こういう不意打ちは、相手が無自覚だからこそ覿面に効く。
それが打算であるか否かなど、詐欺師にとって見抜くのは容易い…だから困るのだ。
(……寝るか)
上がった心拍数を抑えるには、下手な小細工をするよりも一度リセットした方がより効果的かもしれない。
思いつつ、仁王はタオルケットに顔の下半分まで隠し、暫しの眠りに落ちた…
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