詐欺師の多忙なる日々
「助けて下さいぃ」
「は?」
或る日の昼下がり
非常に良い天気だったので、立海の中学三年生、仁王雅治は、地下街をのんびりと闊歩していた。
今日は部活動もない、予定も無い、完璧なオフ。
たまには外に出てみようかと出掛けた先での地下プロムナードで、彼は見ず知らずの少女に声を掛けられた。
何の前触れも無く、不意に。
「……」
声を掛けられ、何も考えずにそちらを見た途端、仁王は自分の足を止めてしまった。
止めてしまった後で後悔した、止めなければ良かったと。
自分は面倒なコトは嫌いなのだ、出来れば厄介ごとには関わらずにのんびり呑気に過ごしたい。
別に刺激が嫌いなワケでもない、ただ、それを選ぶ選択権というものは自分が持っていたいのだ。
しかし今日の…今の厄介ごとは、完全に向こうから一方的にぶつかってきた。
しかも…向こうが一人ではない状態で。
「……」
「あの…交番って…何処に、あるんでしょうか?」
「……お前さん、大丈夫か?」
「は?」
相手の質問に答えるより、最初に仁王はそう尋ねずにはいられなかった。
向きを変えた自分の前に立っているのは、一人の小さな少女…とその背に負ぶさった彼女より小さな男の子。
一見すると姉弟の様にも見える…が、おそらくは違うだろう。
男の子はすやすやと安らかな寝息をたてて呑気にもお昼寝中の様子だが、彼を背負った『姉』の方はその体重の負荷を自分の身体に課して、肩を上下させていた。
よく見ると汗も浮かべているし、疲労の色も確かに滲んでいる。
自分より明らかに年下のおさげの少女の姿を一見して、先ずそれだけの情報を得た仁王は、だからこそ、彼女にそう尋ねたのだ。
「あ…だ、大丈夫ですよ?」
(とてもそうは見えんのじゃが…)
軽く息も切れている様子の少女は、にこ…と笑って仁王に答えたが、本当に大丈夫だとは到底思えない。
特に…『コート上の詐欺師』という呼び名を持つ男にとっては、こんな超素人の嘘を見抜くなど、欠伸が出そうな程に簡単なコトなのだ。
(姉弟…にも見えるが、多分違うじゃろうなぁ…何処かでこの子を拾って、それから交番に届けようとしとるんじゃろ…)
それが正しいかどうか確かめるのも最早面倒で、仁王はすぅ、と地下街の一つの道を指差した。
「交番はちょっと遠いのう…こっからずっとまっすぐ行ったら、案内所があるけ、そこに行ったらどうじゃ?」
「あ、そですか…えーと…この道を真っ直ぐ?」
「そうじゃよ」
「何処にも曲がらずに?」
「そう」
「…じゃあ、多分大丈夫かなぁ」
「?」
最後の呟きをどういう意味で言ったのかは不明だが…
「あ…すみません、御親切にどうも有難うございました〜」
「いや…」
子供を負ぶったまま、自分が出来る限り深々とお辞儀をした少女は、よいしょっと少年を抱え直して、仁王に指差された道を一歩一歩進み出した。
「……」
何となく気になって見ている仁王の視界の中で、大荷物を抱えた少女が背中を向けて歩いていく。
よろ〜……よろっ…よろよろ……
(…真っ直ぐ歩けとらんぜよ)
心の中に冷や汗が浮かぶ。
あの調子じゃあ、道の先の案内所に行くまでにどれだけかかるか…いや、果たして辿り着けるのか?
少女の周囲の世界はまるで彼女など存在しないようにせわしなく時が過ぎてゆく。
他のどの通行人も、彼女に注意を向ける様子は無い…仁王だけが見ている、何処か冷たい世界だった。
「……ちっ」
舌打ちをして、仁王は少女の方へと足を進めて彼女を追いかけ…ほんの数歩歩くだけでその背中に追いついた。
「おい、お前さん」
「あ…?」
「その子、降ろしんしゃい、俺が持っちゃる」
「え…」
聞き返す相手がうろたえている間に、彼女の背中で休んでいる子供をゆっくりと持ち上げると、仁王はひょいっと軽々と彼を前に抱き上げてしまった。
途端に軽くなった自分の身体に驚きながら、小柄な女子は再度仁王を見上げた。
「あ、あの、あのう…」
「心配しなさんな、ちゃんと運んじゃるよ」
銀の髪の男は、まるでそれが当然のことと言う様に笑っていて、それは少しなりと女性の良心の呵責を軽くしてくれた。
「あ…す、すみませんっ…有難う…ございます」
「ええよ、どうせ暇じゃき…じゃ、行くかの」
「…はい」
ほ…と心の安堵から微笑む相手を見て、仁王はうんと頷きゆっくりと歩き出した。
子供は寝ていると重くなると言うが、まだ小学生にも上がる前のこんな幼児なら、仁王の体力なら楽勝だった。
(…俺もお人よしじゃのう…まぁ詐欺師でもたまには人助けぐらいええじゃろ)
軽いもんだ、人の心を欺くなど。
今の様ににっこりと、朗らかな笑顔を見せるだけで人は安堵し心を開く。
本当はそこからが詐欺師の真骨頂なのだけど…
(こんな小さな子に、何を騙すわけにもいかんじゃろうなぁ…まぁ、笑顔で安心させるんも一種の詐欺よ)
けどこういう詐欺は、嫌いじゃない。
「お、重くないですか?」
呼びかけてくる隣の少女に、仁王はひょいひょいと足を軽く運びながら頷いた。
「へーきへーき、しかしお前さんは辛かったじゃろ? 女にこの重さは結構骨じゃ…迷子かのう?」
「はい…泣いているのを見かけて、一緒に来ていたお母さんを探していたんですけど、途中で眠っちゃって…仕方ないから、交番に届けようと…」
「…そーか…いい子じゃの」
「え…?」
「なかなか出来んよ? 自分の時間使って見ず知らずの子に構うっちゅうんは…この子、お前さんに会えて良かったのう」
「……」
見ず知らずの人にそこまで褒められてしまい、少女は嬉しさと恥ずかしさで顔を真っ赤にしてしまった。
(ほう…今時分かり易い子じゃ)
素直な心を持っているらしい子は、それから暫く照れまくっていたが、その中でぽつりと言った。
「あの…と、当然のことだと…思いますから」
「当然ね…」
「でも…褒められて、凄く、嬉しかったです…有難う」
「ふぅん…そりゃ良かったのう」
こんなコトで喜べるなんて、珍しい子だ…と思いながらも、仁王も内心まんざらではなかった。
付き合うのに理想なのは駆け引き上手な女だが、素直な子も話していて心地良い。
もうすぐ着く案内所に行けばそこでお別れだが、その後も良い気分で街を回れそうだ。
そんな事を考えている間に二人と一人はようやく案内所に到着した。
幸いなことに到着してすぐに迷子の母親は見つかった…と言うより、そこに丁度彼女も息子を探して駆けつけていたのだった。
こんなに長い時間心配かけさせて、と眠る子に怒りながらも、仁王達に丁寧な礼を述べた母親は、安心した表情でその子を引き取っていった。
「……見つかって良かったです」
「じゃの…お前さんもお疲れさん」
「いいえ…本当に助かりました」
「ん…じゃな」
「あ…」
軽く手を振って、仁王はそこから数歩歩き出した。
さて、これから何処へ行こうか…
そんな事を考えている時に、背後からあの少女の声が聞こえてきた。
どうやら、案内所の受付嬢に話しかけている様子だが…まだ何か用か?
『あのう、すみません……私、迷子なんですけど、ここって何処ですか?』
くるっ…すたすたすた…
当て所も無く彷徨うつもりだった若者は、すぐに踵を返して案内所へと直行すると、そこで受付嬢に尋ねていた少女の腕を引っ張ってその場から引き離した。
「すみません、俺の連れなんで」
「?」
ずるずるずる…
半ば強制的に案内所近くにあったベンチへ彼女を連れて行って座った後、仁王は信じられないといった表情で相手に迫った。
「何じゃお前さん!? 自分が何処におるかも分からんで人の世話焼いとったんか!?」
放っておいて案内所に任せておいても良かったが、どうしても聞かずにはいられなかった。
「す、すみません…成り行きでつい〜…」
「……」
物凄い笑い話だ、迷子が迷子の世話をしていたなど…
てか、自分のことを後に回して、子供の母親探しを先に持ってくるなんて…
(なんて子じゃ…)
感心する…と言うより、寧ろ呆れる。
「…とにかく、自宅住所を教えてもらえば、大体の経路は教えてやれるけ、何処じゃ」
「えーと、○△区…」
「待ちんしゃい」
早速ストップをかけた仁王は、まじっと相手を見据える。
「…それは東京じゃ」
「そうですよ」
「……神奈川まで遊びに来たってことか?」
「え…ここ、神奈川なんですか?」
(ウソじゃろ〜〜〜〜〜っ!!??)
東京から神奈川まで迷って来たっちゅうんか!?
どうやったらそれに気付かずにここまで来れるんじゃよ、ソッチの方が不思議じゃ!
また冷や汗がだらだらと流れている…心の中に。
まさか、さっき、真っ直ぐ進むだけ、という発言で安堵していた理由は…
(何なんじゃ、この奇天烈女子は…俺でもコイツはよう読めん…)
余程自分に無頓着か…それとも宇宙レベルで天然か…それとも両方か?
「うーむ…じゃあ、取り敢えず駅に行くかのう」
ぐら…
「!?」
一番手っ取り早い駅への近道は、と考えていた仁王の隣で、少女の身体が大きく傾ぎ、そのまま床面に倒れこみそうになった。
「おい…!」
慌てて抱き寄せ、反動でぱふんと自分の身体に寄りかからせながら仁王が呼びかけたが、相手は殆ど反応が無かった。
「…み…ません」
かろうじて、小さな声が聞き取れた。
「……何か…ほっとして…少し、疲れて…」
そんな小さな声さえ必死に振り絞っている様な、嫌な危うさが漂っている。
「……」
「すみません…このまま、置いてって…いいです」
ずるり…
「おい…」
完全に彼女の身体が脱力し、その全ての体重が仁王の肩に掛かった…が、軽い。
「……置いてって…じゃと?」
このままベンチに寝かせたまま、疲れて気を失ったお前さんを?
気を失いそうな中で、それでもお前さんは自分よりも他人を思い遣るんか…?
「…凄いのう…お前さん」
この世の中、人を案じるより欺く奴が良い目を見ることばかり…嫌な世の中。
けど、詐欺師の俺には何かと都合は良かったりするんじゃが…
(それでもたまにお前さんみたいな人間を見ると、驚く以上に呆れ、呆れる以上に嬉しくなってしまう自分も、ここにおるんじゃよ?)
特にお前さん程のレベルの奴は…初めてじゃ。
「馬鹿が付くほど…良い子じゃの」
惹かれてしまいそうじゃ…けど、ここまで良い子なら、俺みたいな人種はすぐに嫌われてしまうんじゃろうな…
「ふ…」
暖かな枕の感触を感じながら目を醒ますと、眩い銀の色が飛び込んできた。
「…おう、起きたか…気分はどうじゃ?」
「え…!?」
上から覗き込んできたのは、あの親切な銀髪の若者。
では、この体勢は…まさか…
「!!」
がばっと跳ね起きて…上体がやや斜めになったところで、彼女の身体はがくんと重くなり、主人の命令にも従わず再び頭から落下する。
「ほれ…また無理をする」
ぽんと大きな掌でその頭を支え、仁王が笑った。
「うあ…」
「お前さん、軽いのう…体力もあまりないじゃろ、無理したらいかんぜよ…」
そう言いながら、相手の頭をそっと膝の上に乗せ、自分のパーカーをかけた彼女の身体をぽんぽんと優しく叩く。
その時の仁王の表情は、詐欺師のものだったのか、それとも本心からのものだったのか、誰も分からなかった。
ただ、娘はその笑顔を優しいと思った、綺麗だと思った…男性相手なのに。
「どうして…置いていって…」
「いける訳ないじゃろ…もし俺がお前さんほっぽって、次の日にどっかに拉致られたとか傷つけられたとか新聞に載ってみい…俺、関係者」
「う…」
困惑する少女に、くす…と仁王は悪戯っぽく笑う。
「……なんてな、そんな意地悪なコトは言わん…これも何かの縁よ」
「…どれだけ気を失ってたんですか…私」
「ん?…そうじゃの、三十分ぐらいか」
「……」
じゃあ…三十分間は、ずぅっと…寝顔を見られていたと…?
恥ずかしくて赤くなってしまった少女を覗き込み、銀髪の美丈夫はにやりと唇を歪めた。
「何じゃ、そんなに照れんでもよかろ…可愛い寝顔じゃったよ」
「おっ、起きます起きます〜〜〜〜!」
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