うわーんっ!とパニックになりながら今度こそよろよろと起き上がった乙女に、詐欺師は残念、といった顔をしながらも相手を支えてやる。
「はは…ちょっと刺激が強すぎたかのう…恋人や婚約者なら良かったか?」
「あ…あの…じゃあ、あなたって…」
ようやくベンチに座る格好をした少女は、身体を僅かに引きながら仁王をじっと見つめた。
「ん…?」
「…け、結婚詐欺師とか何かですか?」
「……」
かつてない指摘に、男の身体が石像と化した。
確かに…詐欺師は詐欺師だが…そういう批評は初めてだった。
いや、それ以前の問題として…
「…一応、中学生」
「あ、私と同じですね」
「中学生は結婚出来ん」
「それもそうですね」
「…そういう訳じゃ」
「詐欺師ってところは否定しないんですか?」
「……」
この娘、出来る!
のほんとしているばかりの天然かと思っとったのに…何でここまで鋭い言葉をあっさりと出せるんじゃ?
「まぁ、否定する気も起きんからの…そんなに構えんでも手は出さんよ、そこまで下劣な輩じゃない」
「そうですか…でもあなたがもし詐欺師でも、とても優しくて良い人です」
(どー答えたら正解なんじゃ)
よく分からない褒め方をされてしまい、流石の詐欺師も悩んでしまった。
「優しい…のう」
「だって助けてくれましたよ」
「うん…まぁ…そうなるんじゃけどな」
確かに、今回の件については自分は何の見返りも期待せずに助けたことになるのだが…だからと言って、その銀河系並に感動して輝く瞳は何とかならないものだろうか。
「まぁ、お前さんと一緒じゃよ」
「一緒?」
「…当然のこと…じゃろ?」
「!!……えへへ」
はっとした表情の後に浮かぶ照れ笑い。
それを間近で見つめた仁王は、ほんの一瞬酷く驚いた様な表情を浮かべ…楽しそうに笑った。
「…お前さん…名前は?」
「はい?」
「名前…あるんじゃろ?」
「は、はぁ…それはまぁ…えと、竜崎桜乃、ですよ」
「竜崎…桜乃…」
竜崎? 何じゃろ、どっかで聞いたような気がするのう…まぁ、滅多にない名前という訳でもないか…
「あのう…あなたは?」
「ん、俺か?…仁王」
「におうさん…?」
二度と会うコトは無いかもしれないのに…この子には、名前を明かしておきたい気がした。
「そう、仁王雅治、じゃ」
「…二度と会うコトはない…か」
そっちの方が…お互いに良かったかもしれんのう…
ダブルスの試合で無事に勝利を勝ち取った仁王は…相棒と同じ色に染めた髪をくしゃりと掻き上げて、小さく呟いた。
関東大会決勝戦…青学との戦い…勝てばよかった、だから勝った。
しかし今、試合を終えた今…自分はコートに身体を向けずにいる。
何故なら彼女がいるから…あのおさげの少女が、こちらを見ているから。
(…竜崎、か…まぁ、知っとっても、どうなるモンでも無かったが…流石に驚いたぜよ)
聞いたことがあると思っていたのは、立海の同じ男子テニス部参謀、柳蓮二が口にしていたことがあったからだ…決勝で戦う青学のテニス部顧問だと。
それを思い出したのは、今日、コートに出た時…その顧問の姿と、応援席にいるあのおさげの少女を見つけた時だった。
驚いたが、その感情の揺らぎを見せる訳にはいかなかった…何故ならその時、自分は仁王ではなく、相棒の柳生だったから…それが今日、自分が仕掛けた詐欺だったから。
勝利を掴むためにこんなコトだってしてみせる…俺は詐欺師だ、後悔なんてしない。
(ああ、けど…ちょっと読めんかったの、この展開は)
折角、優しい人だと、良い人だと、言ってくれたのに。
あの時自分は、そう思ってもらおうと欺いていた訳ではないのに。
これで俺はもう、彼女の心の中でも完全な詐欺師…人を欺く悪い男だ。
(…はは…何とでも言うがええわ。もう慣れとる)
また、笑えばいいだけの話じゃ…心を抜いた笑顔を浮かべるのは俺の十八番。
「…ちょっと席を外すぜよ、髪もさっぱりしたいしのう」
「分かりました」
勝利を得た後は他の奴らの勝利を見届ければいい。
それに、自分がいてもいなくても、試合は勝手に進んでいくだろう。
仁王は試合と試合の合間の時間、ベンチを抜け出して共同の水飲み場へと向かった。
天気は快晴、風も穏やか
頭を洗ってついでに冷やせば、この天気の様に爽快な気分に…なるだろうか?
とっとっと…と軽いステップで目的の場所に向かう途中、他の学校の学生達と擦れ違う。
『おい、あれ…』
『あ、さっきの試合で化けてた…仁王とか言った奴』
『流石、詐欺師…あくどい手を使うよな』
(やかましい、どうせ言うなら俺の目の前で堂々と言うてみぃ)
そんな度胸も無い奴らにグダグダ言われる筋合いはないと、彼は一瞥で相手方を黙らせる。
そして水飲み場に到着し、そこの蛇口の一つを勢い良く捻った。
溢れ出る水の流れに頭を突っ込み、冷感を感じつつ染髪剤を洗い流す。
昏い色から銀の輝きが戻り、仁王が本来の姿へと戻ってゆく。
「ふぅ…」
濡れた髪をかき上げながら頭を上げ、肩に掛けていたスポーツタオルで覆いつつ水気を軽く拭き取ると、タオルで吸いきれなかった水滴が首を伝い、ウェアに染みた。
それもまた心地よい感触とばかりにそのままに、わしわしと髪をタオルで荒く拭いていると、その場に副部長の真田も現れた。
どうやら、彼も喉を潤しに来たらしい…
「む、仁王か」
「おう、真田…次の試合は始まったかの」
「もうそろそろだ…お前も早めに戻れ」
「そうじゃの…さっさと決めて、みんなで病院に急がんと」
待っているだろう自分達の部長の許へ、という詐欺師の言葉には、何の反論もなく真田は頷く。
「向こうもなかなかやってくれたが…やはりお前達が上手だったようだな」
「は…あまり嬉しくない褒められ方じゃ」
上手だったのは、詐欺師の腕か、それともテニスの技量か…
どちらの評価をより望むのか、ということは一切口にせず、仁王が皮肉の笑みを浮かべていたところで、誰かがこちらに走ってくる音が聞こえてきた。
観客か選手が水を飲みに来たか…と、場所を空けてやろうと詐欺師が動こうとした時だった。
「あ、やっぱり…!」
「…?」
何処か嬉しそうな女子の声が響き、彼がそちらへと振り向くと同時に…
「やっぱりあなた、詐欺師さんだったんですね!?」
「っ!!」
仁王の目の前で堂々とそう言ったのは…竜崎桜乃だった。
「りゅ…ざき…?」
「知り合いか、仁王」
二の句が継げずにいる相手に代わり、真田がちらりと桜乃を見遣ってそう尋ねると、彼女は、あ、と真田へと向き直った。
「あ、立海の真田副部長さん。いつも青学がお世話になってます」
ふかぶか〜とお辞儀…なかなか礼儀正しい子である…が…
「あ、ああ…いや、こちらこそ」
別に青学の世話をしたことなど無いのだが…と思いつつも、真田も帽子のつばに手をやり一応は礼を返す。
そうした挨拶の後で、桜乃は今度はくるんと仁王へと振り返って、にこっと笑った。
「結婚詐欺師じゃなかったけど、詐欺師なのは合ってましたね!」
爆弾発言。
「!!!」
途端、仁王の隣の真田が、ぐわっと殺気を露にして彼を睨んだ。
結婚詐欺師…だと?
「……仁王…?」
「誤解じゃ!! 少なくとも『結婚』に関しては!」
仁王はばたばたと手を振って否定しながら、桜乃に迫った。
「お前さん! ナニ変な誤解受けるようなコト抜かすんじゃ! 新手の嫌がらせか!?」
そんな相手に、桜乃はきょとん…と不思議そうな顔を向け…遠慮がちに彼を指差した。
「え…だ、だって…詐欺師、さん…」
「いや…確かに詐欺師は詐欺師じゃが…」
「ですよね、私、詐欺師って初めてお会いするから、今日もすっかり騙されちゃいました」
騙されたと言いながら、少女はまるで楽しい遊戯の後の様に笑っている。
てっきり詐欺に対して糾弾や非難の目を向けられると思っていた男は、そのあまりに意外な反応に珍しく戸惑う様子を見せた。
「そ、うか…まぁ、当然じゃな。真っ当な人間、そうそう詐欺師には会わんと思うから」
「そうですねー、仁王さんが化けてたって分かった時は、本当に驚きましたよ」
「…ヒドイ男じゃろ?」
皮肉の笑みを浮かべて自虐の言葉を言った仁王に対し、桜乃はえ?と首を傾げてさらりと言った。
「ヒドイんですか?」
「…いや…騙すんじゃからヒドイじゃろ」
「だ、騙すのは反則でしたっけ…」
「いや、反則じゃないが…」
「じゃあ、れっきとした作戦ですよね…私はよく分かりませんけど…」
「俺にはお前さんが分からん」
心の底からそう思い、げんなりとして仁王は言った。
「騙してお前さんら青学に勝ったんじゃろうが…もっと恨まれとるかと思うとったがのう」
だから、こうして普通に話せていることがやたらと嬉しく感じる…絶対に言わないが。
「勝つ人がいて負ける人がいるのが勝負だって、おばあちゃんは言ってましたよ。それにただ騙すだけの人達に菊丸先輩や大石先輩が負けたとは思えません…やっぱり、仁王さん達がテニス上手だから勝てたんじゃないですか?」
「……」
素直な…あまりに真っ直ぐな評価に、仁王は立ち尽くし、隣の真田はほうと驚きながら桜乃を見下ろした。
感情的になるのが女子の特権と思っていたが、どうやらこの子は少々違うらしい…
少なくとも仁王がテニス部に入ってから、自分は彼へのここまでの好意的な評価は聞いたことがない。
「…詐欺師をそこまで褒める奴を見たのは初めてじゃ」
視線を逸らした仁王に、桜乃はあくまでも真っ直ぐなそれを向けていた。
「ええと、ですから…作戦とか詐欺師とか…よく分かりませんけど…仁王さんが優しくて良い人なのは、分かってま…ひひゃい(痛い)〜〜〜〜!」
言いかけた少女の両方の頬を、仁王の手が摘まんで横へと引っ張った。
「下らんコトを言うんはこの口か? え? この口か?」
「仁王!!」
真田から叱られたからだけではないだろうが、詐欺師はぱっと手を離すと同時にくるりと桜乃に背を向けて歩き出した。
「は、はれ…?」
「やっとれん…俺は戻るぜよ、真田」
「ふむ…?」
ひらひらと手を振って立海側のベンチへと去って行った詐欺師に、副部長は軽く視線を遣った後で桜乃へと目を向けると、相手は、彼を怒らせてしまったのかとおどおどとした様子で視線を合わせてきた。
「あの…私…何か失礼なことを…」
「いや…? そういう事ではあんな顔はせんだろう」
いつもの様に、中身の無い笑顔を浮かべる筈だ…
「?」
あんなに無理やり、照れた表情を押し隠そうとしている詐欺師を見たのは俺も初めてだ。
この娘…
「…もしかしたら、気に入られたのかもしれんぞ?」
「はい?」
珍しく勘が良かった副部長は、微笑みながら少女に答えていた……
(で…いつの間にかこうなっとる)
「すう…すう…」
あの関東大会で再会してから、桜乃は以降も立海まで仁王に会いに来るようになっていた。
初めて見る詐欺師が…いや、仁王本人が酷く気に入ってしまったらしい。
根が悪人であれば、きっと意地悪な詐欺にかけて追い返していただろう。
しかし、仁王はそんな事はしなかった…出来なかった。
今まで、他人は騙し弄り回すものと考えていた彼にとって、桜乃はそれだけではない初めての存在だったのだ。
何しろ騙した後の反応が自分でも読めない人間、一緒にいて心が浮き立つ人間…嬉しくなる人間。
(…これは…やっぱり、アレなんじゃろうなぁ)
こういう感情を何と言うか、何となく分かる…が、口に出すにはまだ重過ぎる。
ぼんやりとそう思いながら、仁王はちらっと隣を見た。
そこには、海が見える公園のベンチで、自分の肩に頭を乗せて安らかに寝入っている桜乃がいる。
貴重な休日をこうして共に過ごすことを許すほどに、もう彼女はこちらの心に入り込んでいる…あんなに心の中に他人を入れることが嫌いだった自分なのに。
(何も知らん顔をして…呑気なもんよ)
そう思いつつ、仁王はとても優しい笑顔を眠る少女に向ける。
相手が起きている時には滅多に見せない笑顔を浮かべながら、彼の指がそっと桜乃の頬を撫でた。
「ん…」
(…詐欺師の前でここまで無防備とは、すこーし油断しすぎじゃの)
ちょっとだけ、悪戯してしまおうか…と詐欺師の性が疼き、男はそっと彼女の頬に唇を寄せた…のだが、
「ん……うう〜ん…におうさん…女の人…泣かせちゃだめですよぅ〜…」
「〜〜〜〜〜〜」
どーゆー夢を見とるんじゃ…
悪戯を働こうとした唇を止め、代わりに彼の手がわきわきと動き…
むに〜〜〜〜〜っ!!
と思い切り彼女の両頬を引っ張った。
「起・き・ん・か、このKYおさげっ子!」
折角のいい雰囲気がブチ壊しじゃ!
「ふにゃああ〜〜〜〜〜〜ん!!」
夢の世界から戻っていたいいたいと可愛く訴える桜乃に、仁王はむすっとしながらも心で告白していた。
『心配せんでも、お前さん以外の女には興味持てそうにないんじゃ…責任は、取ってもらうからの』
了
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