嘘から出た…?


 立海大学
 ここの購買部は、昼休みには例外なく戦場と化す。
 毎日飢えた学生が胃袋を満たすために殺到し、毎日毎日、それはもう物凄い惨状となるのだ。
 戦場と異なる点と言えば、銃器などの武器がないことと、血が流れない程度。
 かなりのスペースがあり、かなりの量のパンなどを搬入しているのだが、やはりそれだけ生徒の人数も多いということでもあり、あまり解決策には至っていない。
 こういう時、体格が良かったり運動神経が良いと、それなりの恩恵がある。
 他人よりも早く購買に行き着き、他人よりも早く食料を調達し、他人よりも早くそこから退却出来るという、実に有難い恩恵が。
 しかし、体格が華奢であったり、そんなに運動能力に長けた人間ではないと…それなりに可哀想な目に遭う事もままあるのだ。
 例えば、この大学に通っている、或る一人の女子の様に……


「はわわわ…!」
「おっと、すまんの」
「こ、こちらこそ、です」
 その日も、或る一人の女子大生、竜崎桜乃は購買で飲み物を購入すべく孤軍奮闘していた。
 辺りには自分と同じくレジへと殺到する人々の群れ、群れ、群れ…
 押し合いへしあいしながら、桜乃はぎゅうぎゅうと窒息寸前になりながらレジへ向かう。
 ぶつかった男子は軽く謝罪をしながら群れから抜け出ていくが、自分と比べて実に動きが軽やかで、それでいて力強い…やはり性別の違いというものもあるのだろうか…
(ううっ…もう少しだけ背が高かったらなぁ…)
 筋力はどうしようもないとしても、せめてもう少し身長があったら、今よりは世の中の見通しも明るかったかもしれないのに…と思いつつ、ようやくレジの前に辿り着くと、桜乃は息切れ寸前で飲み物を購入する。
「○△下さい〜」
「はい、最後の一本」
「良かった〜!」
 苦労はしたが、何とか目的の飲料を買うことが出来て、桜乃はほっと息を吐き出して、ようやく人ごみから抜け出した。
「このシュワシュワが丁度良いんだよね〜」
 ノーカロリーで微かに香る柑橘系の風味の炭酸飲料…最近の彼女のお気に入りであるが、世間でも人気が高いらしく、時間が遅れると購買でもすぐに完売となる新商品なのだ。
「えへー、じゃあこれとお弁当で…」
「あ、桜乃―」
「あ、お久し振りー」
 同じゼミの女子に会って挨拶を交わすと、向こうは彼女の手にした例の飲料のペットボトルを見てあっと驚きの顔を見せた。
「ウソ、まだあるのソレ!?」
「あ…これが最後だったみたい…」
「やだホントー!? 今日こそはって思ってたのに〜〜」
「……」
 ざんね〜んとがっかりすることしきりの相手を暫く見ていた桜乃は、そろっと自分のペットボトルを差し出し、遠慮がちに声を掛ける。
「…あの、私のでよければ…」
「え!? いいの!?」
「う、うん…」
「きゃー、ありがとっ!」
 相手は桜乃からペットボトルを受け取ると、足早にそこから走っていき、そこには親切な娘一人が残された。
「……ふぅ」
 少し気のない息を吐き出して、桜乃は俯き笑う。
(まぁいっか、また今度にしよ…)
 もう疲れたし今日は諦めよう、と踵を返そうとした時だった。
 ぽん…
「ほへ…?」
 目の前が真っ暗になる…何か、温かなものが自分の行く手を遮ったのだ。
「え…?」
 きょと、と上を見上げると、鮮やかな銀の色が視神経を刺激し、続いて端正な顔の若者が自分を微笑んで見下ろしているのが分かった。
 銀の色は、彼の髪の輝きだったのだ。
「す、すみません」
「……ほら」
「?」
 促され、彼が差し出したモノに反射的に手を伸ばした桜乃は、掌にひやりとした感覚を覚えて目を向ける。
 そこには、ほんの数秒前に友人に譲ったばかりのあのペットボトルが新品のままで握られていた。
「…え?」
 何がどうなっているのか…戸惑う彼女に、不思議な雰囲気を纏う男はにこ、と屈託の無い笑みを浮かべた。
「さっきのお詫びじゃ、とっときんしゃい」
「はい?…あ…」
 言われて、少し考えてみた桜乃が声を上げる。
 さっき、購買でぶつかってしまった人だ…!
 でも、あれはそんなに激しくぶつかった訳ではないし、あの程度でお詫びをされたら自分だってあそこにいた人達に詫びをして回らないといけない…
「え、でも…怪我もしませんでしたから、いいですよ」
「ええよ、もうお前さんにやったんじゃけ遠慮しなさんな…しかし…」
 笑みを浮かべたまま、男はすぅっと視線を滑らかに動かし相手の全身を見つめた。
「見事なおさげじゃのう…結構目立っとるよ」
「あ、そう、ですか…?」
「艶々してて綺麗じゃの」
「〜〜〜〜」
 子供っぽい、とか変わってる、とか、そういう言葉は聞かされてきたけど、そんな事言われたのはこの大学に入学してからは初めてだったかもしれない…
「あ、有難うございます…」
「……」
 頬を染めて俯く乙女を見下ろし、暫く無言を守っていた銀髪の男は、静かに何かを断ち切るように瞳を伏せながら背を向けた。
「ほんじゃな」


 それからも立海大の購買部は相変わらずの盛況振りで、何ら変わりはなかったが、桜乃の環境には或るささやかな変化が見られていた。
「おう、竜崎、こっちじゃ」
「あ、仁王さん」
 購買から少し離れた場所で、仁王と呼ばれたあの銀髪の若者が手を振り、そこに来た桜乃を呼んだ。
「こんにちは〜、今日も早いんですね」
「善は急げっちゅうじゃろ? ほれ」
 若者は笑みを称えたまま、桜乃にあのペットボトルを差し出した。
 二人が知り合う切っ掛けになった、あの飲み物であり、今も桜乃が好んで飲んでいるものだが、あの日から、仁王はそれを前もって二人分購入しては、一つを相手に与える様になっていた。
「仁王さんも、これ、お好きなんですね」
「ん…まぁ、の」
「よく飲むんですか?」
「どうかの…けど、お前さんといる時には、結構選んどる気がするのう」
 どちらから言い出した訳でもないが、それを契機に昼休みは二人でいることが多くなった。
 少なくとも桜乃は無理に付き合っている訳ではないのだが、自分と一緒にいることを望む相手に対して、どうしてもその理由と言うものが分からない。
 何しろ良い男なのだ、端正な顔立ちで、背も高くすらりとしてスタイル抜群…大学内を歩くだけでも、彼はかなり目立つ方だ。
 それに人から聞いた話ではあるが、成績の方もなかなか大したものだとか…一見、それ程熱心に勉学に打ち込んでいる様子は見られないのだが…
 そんな良い意味で目立っている若者が、どうしてこんな…自分で言うのも何だが、平々凡々な女と一緒にいる理由があるのだろう…?
「…どうした? ぼーっとして」
「あ、いえ…最近、ここでよくお会いしますけど…私なんかが一緒にいていいのかなーって」
「ん?」
「…仁王さん、結構女性に人気あるみたいですよ? 何だか視線が…」
 今も、自分達に向けられる周囲の女性達からの視線を感じながら、ぼそっと桜乃が小声で言った。
 この銀髪の男はまるで鈍感なのか、彼女達にはまるで気付いていない様子だが、明らかにあの視線の向く先は彼自身…たまに自分に来る視線の鋭さは…羨望の表れだろう。
(別に恋人でも何でもないけど、わざわざそれを言って歩くのもね…)
「…ああ、まぁ、の…」
 促され、辺りからの視線に少しだけ気を向けた男だったが、彼はそれでもすぐに意識を桜乃の方へと戻すと、こそっといやに小さな声で彼女に或る提案を持ちかけた。
「…ところで、じゃ。それについて少しお前さんに頼みたいことがあるんじゃが、ええかの?」
「はい…?」
 それについてって…もしかして、彼女達の視線について…?
 首を傾げる桜乃の手を引いて、仁王はキャンパスの一画にあるテラスへと彼女を連れて行くと、丸テーブルを挟んで向かい合わせる形で座った。
「頼みたいことって、何ですか?」
「んー…お前さんが言う通り、俺、結構騒がれやすいんじゃよ。見たことない女から声掛けられたり、ナンパもどきの勧誘受けたり、まぁ、正直少しうんざりしててのう…」
「あ、やっぱり気が付いてはいたんですね」
「下手に気付く素振りを見せたら、それで寄って来られたりするからの。そういう場合は無視するに限るんよ。けど、最近は流石にそれも通じんようになってきてな、ウザくて敵わん……そこでじゃ竜崎」
「はい?」
「お前さん、どうせ今、恋人おらんのじゃろ」
「急な用事を思い出したので失礼します」
「すまんすまん、悪かった」
 ぷくーっと頬を膨らませて立ち上がりかけた娘を、寧ろ楽しそうに笑いながら謝りつつ引き留めると、仁王はぐい、と上体を前に乗り出してこっそりと囁いた。
「ま、それは俺も同じじゃよ、そこでな? どうじゃ、暫く俺の恋人の振りをしてくれんかの」
「ええ!?」
 思わず大声を上げてしまった桜乃に、仁王が人差し指を口の前に立てて注意を促す。
「しーっ! 静かにせんか、バレたら終りじゃろうが」
「こここ、恋人って…私なんかよりもっと美人でノッてくる人いるでしょ?」
「そういう奴こそ信用出来ん。振りと言いながら、本当の恋人になりたがって付き纏われる事も考えられるしのう」
 想像の話にすらうんざりと言った表情を浮かべた男は、気を取り直して桜乃に微笑みかける。
「竜崎、お前さんはどうやらそういう輩ではなさそうじゃ。暇な時にこうして会って話すぐらいでいいから、頼まれてくれんかの」
 つまり、少しは信用されているということなのだろうか…
 流石に頼まれた内容が内容だけに、桜乃は暫く無言で考え込んだが、こういう頼みをするということは、相手もそれなりに苦労しているという事なのかもしれない。
 暫く購買で会って話している間に、悪い人ではないということは何となく分かったし…お話するぐらいなら…
「う…じゃ、じゃあ、条件付きで、いいですよ」
「条件?」
「…お互いのどちらかに本当の恋人が出来たら、当然、この契約は解除ですよね」
「…そうじゃな」
 視線を上に向けつつ、ふむ、と仁王は頷いた。
「後は…本当にお話するだけですよ。そ、その…キスとか、そういう行為は絶対にナシ!」
 この条件に、今度は視線を横に逸らしつつ、つまらなそうにぼそりと愚痴を言う。
「……何じゃ、それもいかんのか、つまらんのう」
「当たり前ですっ!!」
 念を押しておかないと、えらい目に遭うところだった!と桜乃は内心冷や冷やしながら即答した。
 女性達の視線を煙たがる割に、もしかして結構手は出したりするんじゃ…でもそうしたら、こんな頼みなんかする訳ないし…どうにも良く分からない人。
「取り敢えず、それを守ってくれなきゃ、この話はナシですよ」
「…身持ちが固いのう、こりゃ予想以上に…」
 微かに何かを呟いた仁王に、え?と桜乃が小首を傾げる。
「何か言いましたか?」
「いや、別に……ええよ、じゃあそれで、契約成立じゃの」
「はぁ…」
「じゃあ宜しくな、恋人さん」
「〜〜〜〜〜〜〜〜」
 かくして、二人は奇妙な契約に基づき、一時的な恋人関係になったのである……



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