「おいしいですね〜〜〜」
「ほーね」
 一緒に行動することで落ち着いた二人は、取り敢えず昼も近かったということで、適当に少し歩いたところで見つけたファーストフード店に入り、ジャンクフードを満喫していた。
 桜乃は元々小食の為に、普通のハンバーガーにミニサラダ、アイスティーというシンプルなメニューだったが、流石に偽切原はそこまでお上品に合わせる事は出来なかったらしく、より大きめで素材豊富なハンバーガーにチリドッグ、ビッグサイズのコーラにフライドポテト。
 正に若者が好むジャンクフード一色!という感じだ。
(つか、赤也ならこの倍ぐらいでもいけそうじゃがのう〜〜)
 外見はともかくとして、流石に内臓までは真似出来ない…
「男の人って、やっぱり凄く食べますね〜〜」
「アンタはもっと食べなきゃダメだろ、小人さんになる気かよ…まぁ、腹壊すまで食べる必要もないけどさ」
 向かい合わせに座って、互いのメニューを確認しながら、二人は一時の楽しい時間を過ごす。
「ん〜〜、幸せ〜〜」
「…単純だなー、ハンバーガー一個で」
「だって、久し振りですもん。たまにむしょーにジャンクな物を食べたくなる時ってないですか?」
「俺はしょっちゅうだし…へへ、羨ましい?」
「……ちょっと可哀想になってきました」
「何だよそれ」
「ふふふっ、なーいしょ」
 あくまでも切原として振舞う仁王との会話に、桜乃はまるで気付いていない様子で笑いながら、はた、と彼の顔の一点に注目した。
「あ、切原さん?」
「んあ?」
 名前を呼んで、そこで桜乃は一旦言葉を切ると、すうと右の手を相手の顔へと近づける。
 人差し指を除いて軽く握られると、その指は男の口元に更に近づき、そしてそこに付着していたケチャップソースをそっと拭っていた。
 実は、あくまで切原のとる行動らしく、と仁王は敢えてそれを付けたままにしておいたのだが、無論、或る程度時間が過ぎたら拭き取るつもりでいた。
 それを…桜乃が取った…しかも、彼女の指で…
(え…?)
 更に、それだけでは終わらなかった。
 ぱく…
「っ!?」
 驚く仁王の目の前で、桜乃は、彼の口元から掬い取ったソースをそのまま指ごと咥えて舐め取ったのだ。
(なんじゃと〜〜〜〜っ!!!)
 どういうコトだ!?
 そういう行為は…只の友人、知人同士ではやらない!
 確かに、常識から外れた人間はこの世にいるだろう、しかしこの少女に限っては!
 こんな世の道徳理念の大道から外れることなど考えられない程に素直な娘に限っては、そんな例外などあり得ない…!
 では、それを敢えて行った彼女の行為の表すものとは…?
(嘘じゃろ…? そんな素振りは少しも…)
 混乱しながら、仁王はかろうじて切原の様に慌てて口を拭いながら誤魔化しにかかる。
 こういう時ですら詐欺師として振舞える事が、今だけは無性に腹立たしくも有り難い。
「な、何やってんだって、アンタ。恥ずかしいじゃねーかよ」
「あ…い、いけませんでしたか?」
 そういう言い方をするというのは、「いいこと」だと思っていたという意味か?
(まさか、この子…赤也とそういう関係だったんか…?)
 あり得ない…過去をどれだけ思い出しても、そんな二人の様子など、自分には一切見えていなかった。
 しかし、切原が自分すらも欺くほどに嘘が上手い人間とも思えない。
 と言う事は…
(…ここ最近の間に、一気に二人の仲が深まった…?)
 確率は低いが、あり得ない話ではない。
 恋というのは、いつもいつでも人智も及ばぬ奇跡を引き起こす。
 恋の神様が二人にそんな気紛れをかけたというのなら…そう、十分に考えられることなのだ。
「? どうしたんですか?」
「あ、いや…これからどこ行こうかってなー…何か、リクエストある?」
 いかん、うっかり仮面を被っているのを忘れそうになってしまった、と仁王は自身を戒めた。
 こんな場所でばれたら最悪だ、一緒に行動すると決めた以上は、騙し通さなければ…
 そんな考えが男の胸の中に渦巻いているとも知らず、桜乃は無邪気にその言葉を受け取って、嬉しそうにはしゃいでいた。
「そうですねー…じゃあ、ちょっと服とか見て回りたいです。良かったら、見立ててくれませんか?」
 服の選別を頼まれた偽切原は、はん?と意外な言葉を聞いた様に相手を見る。
「なんだそりゃ。アンタの好きなのを選んだらいいんじゃねぇ?」
「え、だって…」
 返された桜乃は、はにかむように笑うと、小首を傾げてこそりと付け加えた。
「折角一緒なんですから…服の好みとか、教えてほしいんです…」
「……」
 最早、驚く、という行為すら不可能だった。
 女性が男性の好みの服を選ぶというのは…それだって、友人の枠の中ではやらない筈だ。
 まるで…いや、それはまさしく、恋人達に許された特権ではないのか?
 自分の目の前で、自分ではない男に、そこまで彼女は心を許した姿を晒すのか…
(俺の、見誤り…とも言えんか、もうここまで来ると…)
 詐欺師は、打ち消したくても不可能になってしまった事実を心でそっと噛み締めた。
 心が痛んでも、それを悟られたら終わりだ。
(けど、この際、はっきりさせとくのがいいのかもしれんのう…)

 切原の顔で、仁王はそのままずっと彼としての人格を演じ続けながら食事を続け、何食わぬ顔で桜乃と外へ出た。
「んじゃま、リクにお答えしましょうか…ってな」
「すみませんー」
 相手の望むまま、彼女が目指すブティックへと歩いていく途中で、不意に仁王は…切原の顔でおちゃらけながら相手に聞いた。
「なぁ、ちょっと、イイ?」
「はい?」
「…や、なんつーかさぁ…ちょっと聞きたいんだけど…もし、もしもさ」
「? はい」
「…もし俺が、アンタに付き合ってほしいって言ったら…どうする?」
「え…!」
 これが、最も都合のいい質問だった。
 ノーを突きつけられたら、『ちぇっ』と舌打ちの一つでもして、後は知らぬ存ぜぬを通せばいい…
 イエスだった場合は…ちょっと切原の方に細工をして、上手く取り成せば事は済む。
 そして自分は…仁王に戻った後は何も知らない顔をしていたらいいのだ。
 弱気と言われるかもしれない、卑怯と罵られるかもしれない、しかしもし自分が今更彼女に好意を伝えたところで何になる。
 それは無駄に彼女を混乱させ、苦しませるだけだ。
 下手に物事を大きく騒ぎ立てて世を撹乱するのは、三流の詐欺師。
 一流の詐欺師は…騙した相手を騙されたとも思わせず、静かに運命の筋道を変えるもの。
 だから、相手の答えが何れであったとしても、自分は最早揺らぐまい…
 さぁ、お前はどう答える…?
「…どうよ」
「……あの…」
 聞きなおした偽切原に、桜乃は激しく狼狽しながら頬を染め、せわしなげに身体を揺らせる。
 そして、数秒の沈黙の後に、ちらっと相手の顔を見上げ…確認するように答えた。
「…あの、それは……仁王さんとしてです、か…?」
「っ!!??」
 唐突に本名を名指しされ、仁王は切原の顔をしながらも驚きを露にした。
 揺らぐまい、と思っていたのに、既に心の根幹が揺らされている。
 今、何と言った…?
「…は?」
「に、仁王さんが…ってことで…いいんですよ、ね…?」
 胸に手を当て、不安げにこちらを見上げてくる桜乃は、瞳が潤んでおり、異常な程に可愛いかった。
 その姿に心を乱されたのか、それとも相手から呼ばれたショックが大きすぎたのか、仁王はこの時ばかりは誤魔化すという基本的な行為すら出来ず、遂にその場で仮面を外してしまう。
「……知っとったんか?」
「…………え!? それって、じゃあ、今のって、どういう意味で…ま、まさか、切原さんの代理で訊いたんですか!?」
 どうやら桜乃は桜乃で、彼女が相手を仁王と気付いているのは彼自身が了承済みだと思っていたらしく、話はややこしい方向へと流れていきそうになる。
「あー、いや、その質問は置いといて、今は俺の質問に答えんしゃい…俺が仁王じゃと、いつ分かった?」
 脱線しそうになるところを無理やり元へと引き戻し、仁王は最も重要な、己の心を乱した原因とも言える答えを求めた。
 俺の変装は完璧だった筈なのに彼女はどうやってその嘘を暴いたのか…何処で気の緩みが生じたのかと思慮する仁王に相手が与えた答えは、実に意外なものだった。
「えと…それは…最初にお会いした時…」
「最初!? じゃけど、お前さん、俺の事、切原って…」
「あ、そ、それは、変装したまま切原さんの振りをずっと続けてらっしゃったから、私も合わせた方がいいのかなーって…」
「……」
 少女の言葉に、仁王は内心軽く落ち込みたくなった。
「…そんなに早くバレとったんか?」
 その程度ってコトは、俺の変装技術も大したものじゃないのかもしれんな…
 悩む仁王の耳に、桜乃の声が追い掛ける様に入って来た。
「だ、だって…一緒でしたもん」
「え?」
「…仁王さんの腕…が…一緒、でしたから…」
「腕?」
 つられて、自分の腕を見る。
「落ちそうになってた時に支えてくれたの、いつもの仁王さんの腕でした…癖って言うか…触れ方が凄く優しかったから、分かりました…」
「……」
 恥ずかしげに笑う無邪気な少女に、詐欺師が完敗した瞬間だった。
 何ということだ、誤魔化せていると思ったこと自体が、自分の目を眩ませてしまっていたとは…正に初歩中の初歩の敗因ではないか。
(ああくそ…やられたぜよ)
 桜乃にやられたのではない…恋にやられた。
 桜乃と切原の恋仲を疑った自分こそが、恋の神に翻弄されていたのだ。
「…はは」
「……仁王さん?」
 自嘲気味に笑う相手に不思議そうに声を掛けた桜乃だったが、相手はすぐにその笑みを消して、何かを吹っ切ったように顔を上げた。
「そうじゃの…折角告白するのに、赤也の格好なんは勿体無いのう」
 そして、桜乃を歩いていた歩道の端へと連れて行き、車道とを分ける街路樹の陰に来ると、手を己の黒髪へと伸ばして一気にそれを引き降ろした。
「!」
 驚く桜乃の前で、その奥から鮮やかな銀髪が現れる。
 切原の髪質に酷似したウィッグを取った後、仁王は今度は顎の下方へと手を遣ると、べり、と皮を剥いでいった。
 勿論、自前のものではなく、人工樹脂製のマスクだ。
 その下から現れたのは…
「……え…っ?」
 いつもの仁王の顔ではなく、彼にとてもよく似た、彼より幼い少年だった。
「え? 仁王さん? え、でも、その顔…えっ?」
 何これ、どういう事?
 仁王さん、二重に変装していたの?
「俺は紛れもない仁王雅治じゃよ、お前さんの見立て通りなー…ちょっと、今日は若返っとるけど…」
 にこ、と笑うその笑顔には、確かに彼のそれの名残がある…しかし、それでも桜乃は目の前の現実がすぐには飲み込めない様子だった。
「ええ、けど…一体それって…」
「俺もよく分からん。まぁ、お前さんと同じ中学一年ぐらいかの…さて、全部暴露した上で、お前さんにもう一度質問じゃ」
「はい…?」
 そう言われると同時に、桜乃はするっと腰に回された手で相手に抱き寄せられ、言葉を失う。
「…っ」
 見たこともない、幼い顔立ちの詐欺師が、いつもより近い距離から真っ直ぐに自分を見つめてくる。
「付き合ってほしいって言ったのは、俺の本音じゃ…けど、こんな姿になった俺にそう言われて…お前さん、果たして受ける覚悟があるかの…?」
 原因も分からず、時間に逆行して幼くなった奇天烈な人間にそう言われて、その望みを受ける事は出来るのか…?
「…」
 見つめられ、赤面していた桜乃は、挑むような仁王の言葉に真っ向から顔を上げて断言する。
「仁王さんが仁王さんなら…私、それでいい」
「!」
 それは、答えだ。
 求めていた、答えだ。
 そうだ、自分は求めた、この答えが聞きたいと。
 それに、神か悪魔が応じてくれたのだ…ようやく思い出した。
「…はは」
 全てを理解したように、仁王はぎゅ、と相手を抱き締めて肩口に顔を埋めた。
「に、仁王さんっ!?」
「凄くいい気分なんじゃよ…もうちょっと、このまま…な…」
 狼狽える桜乃を押さえて離さず、含み笑いを零しながら仁王はすぅと顔を動かして、彼女の白い首筋にキスをする。
「…っ! に、おうさ…っ」
 咎めたくても、その感触に身体が勝手に戦慄き、声すら出せなくなる。
 そんな相手を更に翻弄するように、仁王は幼い顔に悪魔の様な優しい笑みを浮かべながら、徐々に首筋から上に唇を動かし、顎、頬、鼻先へと…
 大胆な悪魔の行為に、桜乃が震える声で訴える。
「こんな、ところで……っ」
「いいじゃろ? もう赤也じゃない…俺なんじゃから…」
「っ…!」
 他の誰でもない、自分が相手なのだから…何に構う必要があるのか。
 指摘され、はっとした表情を見せた少女に、仁王は楽しそうにその唇を塞いだ…
「ん…!」
 初めてのキスに翻弄される乙女の切なげな表情を楽しみながら、仁王はこっそりと心の中で呟いていた。
(まぁ、明日には多分元に戻るじゃろうが、それは内緒にしとくか…してやられっぱなしも癪じゃからの…)



 お前には何か望みはあるか…金でも名誉でも、一日だけでもいいのなら、それを得る機会を与えよう
『……金は要らない、名誉も要らない。ただ、知りたい。あの子が何を見ているのか、同じ視点で…俺を、見てくれているのか…それだけで、いい』

 夢の中で、その約定は成されていたのだ…






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