癒してホシイ?


 ぽえ〜〜〜〜〜〜…
「桜乃…さーくーの」
「……」
「……うりゃ」
 ぷにっ
「ひゃん!」
 ほっぺを指先でつつかれ、我に返った桜乃が前に視線を合わせると、銀の髪を持つ見知った若者が困惑の表情でこちらを見つめてきていた。
「はれ…? な、何ですか? 仁王さん」
「そんな上の空で何ですか、もないじゃろ。どうしたんじゃ、ぽけーっとして…」
 ここは立海のテニスコート。
 桜乃は青学の女子だが、彼ら…立海の男子テニス部メンバーと懇意にしている縁があり、よく時間をみつけてはここまで練習の見学に来ている。
 元の性格が真面目であり、彼らからは非常に好意的に受け入れられている彼女は、無論、その見学の時にも常に前向きにそこから何かを学び取ろうとする気概を持っていたのだが…今日は少々いつもの彼女とは異なるようだ。
 何となく心此処にあらずという感じで、集中力に欠けているのか、視線も定まっていなかった。
 今も、呼びかけても気付かないくらいだったし……
「悩み事でもあるんかの?」
 そう言いながら、彼女の方へと上体を倒して、顔を覗きこんでいるのは、立海のレギュラーの一人である仁王雅治。
 『コート上の詐欺師』と呼ばれている若者は、普段はその呼び名に相応しく、己の心を読ませずに相手の心を手玉にとって色々な企みを画策するのが日常ともなっている。
 企みとは言うが、その目的すら彼本人しか分からない事が殆どで、それによって彼が何を楽しんでいるのかという事も不明。
 掴みどころのない若者だが、只、闇雲に周囲に迷惑と不幸をばら撒くのが目的である訳ではないらしく、年齢相応の優しい若者の一面も持っているのだが、そんな男が唯一執着を露にした存在が、実はこの竜崎桜乃という少女だった。
 いつから気になっていたのか…いつから気に入っていたのかは分からない。
 しかし、いつの間にか、彼女がここに来た時、その隣にいるのはいつも彼であり、何かあった時に最も力になってくれるのも彼だった。
「あ、大丈夫ですよ? そういう訳じゃないんです…ちょっとぼーっとしちゃって」
 見られてしまったのを恥ずかしがる様に笑う桜乃を見る若者の目はとても優しい。
 立海テニス部の中でも最も恐ろしいと言われていた彼だが、桜乃に対してだけは彼はそういう自分を見せるのを好まなかった。
 桜乃を気遣う姿は兄のように、庇い、守っている様にも見えたが、実はそんな生温い感情ではなかったらしい。
 桜乃と出会い、その人となりを知り、彼は生まれて初めて他人を欲しいと思ったのだ。
 そしてその想いに衝き動かされた詐欺師は、詐欺に彩られた言葉ではなく、ただ一つの真実を代償に、少女の心を手に入れたのだった。
「元気がないのう…疲れとるんか?」
「うーん…どうでしょう?…確かに最近は眠りがちょっと浅い気がしますけど、でも全然眠れていない訳じゃないんですよ? まぁ、学校の色々な行事が重なって忙しいのは確かですけど」
 丁度練習の区切りをつけた仁王は、休憩を兼ねて桜乃の隣にすとんと腰を下ろす。
 間近で見た相手の顔は、確かに自身では気付いていないかもしれないが、血色が普段よりは良くない…よく見ないと分からない程度ではあるが。
「あまり無茶はせんようにな…お前さんの学校生活にまでは流石の俺も手出しは出来ん」
「あは、そうですか? 仁王さんなら何処かに隠しカメラとか仕掛けても何となく納得出来そうですけど…」
「それは流石に詐欺師の範疇外じゃの……」
 にっと笑った仁王が、しかし暫く沈黙するのを見て…
「……『それもいいな』って思いませんでした?」
と、桜乃が疑いの目で鋭い突っ込み。
「うーん、思ったかもしれんが実行に移すかは未定じゃ」
「そこはしっかり否定して下さい」
「はは、相変わらずそういうトコロは鋭いのう…まぁ、それだけ突っ込めるなら大丈夫か」
 なでなで、と優しく頭を撫でられて、桜乃が微かに頬を染め、それを隠すように下を向く。
 彼の想いを受け取り、応えたものの、まだまだ照れ臭さは隠せない様だ。
「休む時には休まんといかんよ?」
「はい…週末にはのんびりするつもりです。少し休めば大丈夫ですよ」
「…そうか」
 ほんの僅か…何かを考えた後で、しかし結局は何も言わず、仁王は再びその場に立って相手を見下ろした。
「じゃ、俺はそろそろ行くぜよ。疲れた時に休むのは賛成じゃ、それとお前さんはいい加減…」
 言いながら、そ、と思わせ振りに相手の頬に手を触れ、唇を歪める。
「ちゃーんと俺の事、名前で呼ばんとなぁ?」
「っ!」
 つい先程、思わず苗字で相手を呼んでいた事を思い出して、桜乃は瞳を軽く見開き…そのまま頬で相手の手のぬくもりを感じながら照れ笑いを浮かべた。
「まだ…慣れてないみたいです…雅治さん」
「はは、まぁええよ…これから俺が慣らしちゃるき」
 今は彼女の笑顔を収穫としておこうか、と詐欺師はにっと笑みを深めて手を離し、再びコートへと向かっていった。
(ふーむ…病気ではなさそうじゃが、あんまり無理するんは感心せんの)
 顎に手をやって少し考えた後、仁王はにや、と意味深な笑みを一人浮かべていた…


 そして日曜日…
「宿題も終えたし、テレビも面白い番組はないし…お出かけって行っても行きたい場所は思いつかないし……暇だなぁ〜」
 その日、朝から桜乃はころころとベッドの上で暇を持て余していた。
 流石にパジャマ姿のままでは自分の自堕落ぶりが嫌になるので、ちゃんと私服に着替えてはいるのだが、どうにも何をするにしてもやる気が起きない。
(休むって言っても、こうごろごろしてても、あんまりリフレッシュしている実感はないし…昼間から寝たら却ってよくないんだよね…)
 でも、仁王さん…じゃない、雅治さんにも、休むって言ったし、言った以上は、次に行く時にはちゃんと元気になってないとなぁ…心配なんか掛けたくないもん。
 テニスに頑張っている彼に、自分の管理不行届きで迷惑掛けるなんて嫌だもの…
(あ〜〜〜、でもやり方が分からないよう…)
 こういう時って、自分と同じ年頃の子って、どうやって気分転換を図るんだろう…やっぱり何処かに美味しいもの食べに行ったりとか、ウィンドウショッピングに行ったり…公園で和むとか、ペットいたら遊ぶとか…恋人いるならデート、とか…?
「……誘えばよかったかな…」
 ぼそ、とベッドの上で呟き、瞬間、自分の言葉に驚いて桜乃はばふんと布団を頭から被ってもこもこと身悶えた。
(きゃ―――――! きゃ―――――! きゃ―――――!! な、何考えてるんだろ私っ!! 女の子からそんな、デート誘うって…ふしだらな子って思われるに決まってるじゃない!!)
 もしここに他人がいたら『いつの時代の話だ』と冷静且つ的確な突っ込みを入れてくれた事だろう。
 しかし、こういう思考が何の疑いも迷いもなく浮かんでくるのだから、彼女の純粋培養振りが伺える。
(あー、恥ずかし…やっぱり少しは外に気分転換に行った方がいいかな…カルピン貸してって言っても、絶対リョーマ君は貸してくれないだろうし…)
 そんな事を考えている桜乃に、家族から彼女を呼ぶ声が聞こえてきた。
 来客が来た、というのだ。
「お客様…? 誰だろ」
 朋ちゃんかな…でも、彼女だったら来る前に携帯とかで連絡くれると思うんだけど…
 思いつつも、取り敢えずはベッドから出て身なりを確認し、玄関へと向かう。
「はーい、どなたさ…」
 挨拶をしていた桜乃が、玄関で立っていた客人を見た瞬間硬直した。
「…ま?」
「よ」
 ぴ、と手を上げて軽い挨拶をしたのは、私服姿の仁王だった。
 彼が自宅を訪れるなど、今までなかった事…しかも今回、自分には全く連絡はなし。
「ど、どうしたんですか!? 一体、どうしてここに…」
「お前さんに会いたかったから」
「!!!」
 熱烈な言葉を受けた桜乃が言葉を失う様子を見て、にっと詐欺師は満足そうに笑う。
「なーんてな…ちょっと付き合ってほしいんじゃが、お前さん、時間はあるかの?」
「え? あ、ええ…別に予定はありませんから、いいですけど」
 びっくりした…でも、急にそんな事言うなんて、何があったんだろう…?
 何とか気を取り直した桜乃は、それから一度自室に戻り、急いで出かける体勢を整えると、行き先も明かされないままに仁王に同行した。
 今日は非常に良い天気・・出掛けるには絶好の日和だ。
「何処に行くんですか?」
 てくてくてく、と付いて歩きながら桜乃が訊くと、相手の若者はにこ、と笑った。
「ん…ちょっと久し振りに友達に会いに行こうと思っとるんよ」
「お友達…ですか? 立海の方ですか?」
「いや、違う…最近忙しくてなかなか会えんでのー。お前さんにもいつか紹介したいと思っとった」
「ふぅん…紹介ってことは、私は知らない方なんですよね? 何でそんな急に…?」
「平日はちょっと都合がつかんのじゃ…今日みたいな日和なら文句ないじゃろ。まぁ後は会った時にな…俺も久々じゃから楽しみでのう」
「……」
 肝心な部分を秘密にされてしまい、桜乃は頭の中での想像を加速させる。
 仁王さんがこんなに嬉しそうな顔で語るなんて珍しい…余程気心の知れた友人なんだろうなぁ…でも、そんな人って、失礼かもだけど普通の人とは思えないなぁ…
(うわぁ、もしかして詐欺関係のお友達とか、一般人には言えないお付き合いだとか、裏で何かやってる人とか…えーとえーと…)
「そこまで汚れちゃおらんぜよ」
「あ、そうですか?……って、きゃーっ! 何で分かったんですか!?」
「やっぱりそういう想像をしとったな〜〜?」
「ほえんらはいほえんらはい(ごめんなさいごめんなさい)〜〜〜!!」
 結局、詐欺師の掌で踊らされた憐れな乙女は、お仕置きにほっぺをぷにぷにされながら、彼と同行を余儀なくさせられたのであった……


 仁王が連れてきたのは、広々とした敷地を使った公園ドッグランだった。
「うわぁ…こんな処にこんな公園があったんですね〜」
「結構広いし、ペットOKじゃからの…休みともなれば色んなワンちゃんが大集合するんよ」
「かわい〜〜〜!」
 流石に天気の良い休日だけあって、そこにはもう数多くの人々が自分達のペットを放して自由に遊ばせている。
 飼い犬という事もあり、毛並みも良く人馴れしている犬達が多い様だ。
「お前さん、動物が好きだと言っとったじゃろ?」
「はい! 大好きですよ。あ〜ん、みんな可愛い〜〜、もふもふしたーい!」
 きゃーっと嬉しい悲鳴を上げていた桜乃が、はた、と我に返って男を見上げた。
「あ、もしかして仁王さんのお友達の方って、ここに来ている誰かなんですか?」
「……」
「仁王さん?」
 むにっ!
「ふにゃ〜〜〜ん!」
 ほっぺた抓りの罰、再び…
「ま・さ・は・る」
「〜〜〜!!」
 応える代わりにこくこくこくと必死に首を縦に振った桜乃を自由にしてやると、仁王はやれやれと苦笑しながらポケットから一つの笛を取り出した。
 棒状の…かなり細い形をしたモノだ。
「ううう、おたふくになっちゃいます〜…それ、何ですか?」
 それに答えるより前に、彼は笛に口を付けて、思い切り息を吹き込んだ…が、空気を震わせる様な高い音が微かに感じられるのみに留まった。
「…あれ? 殆ど鳴りませんね…不良品?」
「いや…犬笛じゃからの。犬笛は知っとるよな?」
「あ、知ってますよ。ワンちゃんを訓練する為の笛ですよね。人間の耳には聞こえない周波数で、その音で指示を出したりし…」
 言いかけて口が止まる…自分で言った台詞をよく考え直してみると、つまり、彼は、今、この場のペット達に……
「…えっ?」
 戸惑う桜乃の耳に、どどどどどどどっ!と遠くから地鳴りの様な音が聞こえてきて、恐る恐るそちらへと目を遣ると…
「きゃ〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 今までは公園中に散っていたペット達が、一丸となってこちらに向かって突進してくる光景があった。
「あー、大丈夫大丈夫。全員、俺の友達じゃけ」
「はいいい!?」
「飼い主さん達には、変な癖をつけん事を条件につき合わせてもらっとる。人慣れしとる奴らばかりで噛まれる心配もないし、思い切りもふもふさせてもらったらええよ」



仁王リクエスト編トップへ
仁王編トップへ
続きへ
サイトトップへ