にこ、と笑ってそう言うと、仁王は桜乃に手本を示すように、先に寄って来た犬達に手を伸ばして可愛がり始めた。
「おー、久し振りじゃのう、ジョン。元気にしとったかの…そうかそうか」
(うわーっ! ほんっとうに完全に馴染んでるーっ!)
最初こそ面食らいはしたものの、そんな若者の様子を見ると、確かに彼の言う通り、犬達はこちらに危害を与える様子は無く、純粋に構ってもらいたいと寄って来ている様だ。
(い、いいのかなぁ…でも飼い主みたいな人達も笑って見てくれてるし…じ、じゃあ、ちょっとだけ…)
ちょっとだけ、と言いながら、一度彼らの艶やかな毛並みに触れると、たちまち彼女はその心地良さに夢中になってしまった。
この温もり、この毛並みの触り心地に、彼らのつぶらな瞳…!!
「あ〜〜〜ん! かわい〜〜〜〜、きもちい〜〜〜〜、癒される〜〜〜〜っ!!」
そうか、この子達が、仁王さん…雅治さんが紹介したがっていた友達だったんだ…
人間じゃなかったのは意外と言うか、納得と言うか……
(…にしても…)
寄ってくる様々な犬達の頭や背中をよしよしと撫でて可愛がりながら、桜乃はじっと仁王の方へと視線を固定させた。
「ありゃ…お前さん、ちょっと太ったかの? 良いモノ食わせてもらっとるんじゃろ」
相手もまた自分と同じ様に、彼らへと手を伸ばして一匹一匹、優しく手櫛で毛並みを梳いてやりながら声を掛けていた。
それは本当に、動物相手ではなく、人に接するそれと同じ様に…
(動物にもああやって声掛けるんだなぁ…でも、雅治さん、いつもより優しそうな顔で笑ってるし…何だかいいなぁ、こういう雰囲気…)
言葉が通じない、人とは異なる動物相手だからこそ、あんな顔をしているのだろうか…心を相手に読まれても、それを他人に語られる心配が無いから…
それとも…自分と一緒にいるから…笑ってくれているのだろうか…?
もし、我侭を言っていいのなら…
(…私と一緒にいることが嬉しいって、思ってくれていますように…望みすぎかな?)
でも今は、折角彼が紹介してくれた友達と、思い切り遊ぼう。
生来の優しさは野性の生物達にもすぐに見抜かれたのか、桜乃は特に犬達に警戒されることもなく、嫌われる様子も無く、思い切りじゃれつかれていたが、仁王も彼女と似た様なものだった。
但し、彼女とちょっと違うのは…
「…なに? 三丁目の木塚のドラ息子が? そりゃあいかんのう、やっぱり今度、話をつけんといかんかのう…うーん」
犬にしか囲まれていない筈なのに、何故かたまに飛び出す初耳の固有名詞…しかも、犬の鳴き声に応じて、そんな台詞を呟く若者…
「かっ、からかってるんですよねっ!? ま、まさか、犬とも会話出来るなんて言いませんよねっ!? 詐欺ですよねっ!?」
びくびくと怯えながら、強張った笑顔で桜乃が尋ねるが……
「……」
相手は背中を向けたまま、一言も答えない。
背中を向けてはいるが、その向こうでは物凄く怪しい笑みを浮かべているのが気配で分かる。
「うわあぁぁんっ! 詐欺でいいですから否定して下さいよう〜〜〜っ!!」
恐い〜〜! 気になる〜〜! 寝られない〜〜!っと散々訴えた桜乃だったが、結局、彼から満足出来る回答は得られないままだった……
「別にええじゃろうが、詐欺だと思っとったら楽になるぜよ」
「雅治さんの場合は、本気で出来そうだから恐いんです」
「じゃあそれでもええよ?」
「あうう…」
どっちつかずのまま、桜乃は犬達とひとしきり遊んだ後は、再び仁王に連れられて、今度は公園から少し離れた先にあった、海岸沿いのカフェに連れられて行った。
人は然程多くないが、景観が素晴らしく良く、店の内装もシックで落ち着く雰囲気だ。
「わっ…お洒落なお店ですね」
「じゃろ? 隠れ家みたいな感じが気に入っとるんよ。メニューも十割美味いし、お薦めの店じゃよ」
「ふぅん…いいですねぇ」
「内緒にしてくれよ、ここはあまり人気になってほしくはないんよ。このままのんびり出来るままであってほしいからの」
「はい…分かる気がします」
確かに、こういう時間の緩やかな流れを感じさせるような場所に、せわしない人の姿は似合わない。
閑散としつつも、人の気配はある…静かではあるが、無音でもない。
窓の向こうに見える海を遠く眺めながら、寄せて返す波を数えて時を刻む…そういう一時を過ごすには、絶好の場所だ。
「男の人って、幾つになっても隠れ家が大好きで憧れるものなんだって何処かで聞きましたねぇ」
「お前さんは嫌いかの」
「大好きですよ」
「何じゃ、それは」
面白そうに笑いながら仁王が先に立って店の奥に入り、顔馴染みらしい店員に尋ねる。
「テラス、空いとる?」
「はい、どうぞ」
「すまんの」
丁度良かったとばかりに彼の足が店の奥のドアへと向き、そのノブを捻ってドアを開放すると、窓越しに見ていた生きた絵画がそのまま自分達を包みこんだ。
店の外にあった大樹の緑が頭上を覆い、木漏れ日のシャワーを演出し、視線を先に向ければ何処までも広がる青い海原。
全て木造りのテラスは素朴な色を醸し出し、風景にとてもマッチしている。
命の洗濯をするような…贅沢な一時が過ごせそうだった。
「うわぁ…」
「気に入ったか?」
「はい!……確かに、ここは人には教えたくありませんね〜」
こそっと辺りに店員がいない事を確認してから仁王に小声で言うと、相手はじゃろ?と薄い笑みを浮かべてみせた。
「流石に冬になると難しいが、ここはいい風が吹いて心地いいんじゃ。ほら、こっち」
「はい」
促して桜乃を座らせ、自分も木造りの椅子に腰掛けると、テーブルの上に置かれていたメニューを少女に手渡す。
「俺の奢りじゃよ、好きな物を選びんしゃい」
「ええ!? いいんですか?」
「ああ……まぁ、いつか色々と頼みごともするかもしれんし」
「…拒否権はアリですよね」
「ケースバイケース」
(本当に誤魔化し方は上手いんだから…)
けど、そういう事を言いながらも、彼は決して自分を悪意をもって貶めるような事はしない。
それに、自分のした事に対してのけじめはちゃんとつける人間である事も知っている。
ちょっとだけ、悪戯が心臓に悪い時もありはするけど……
「…じゃあ、お言葉に甘えて」
「そうそう」
甘えてくれたのを嬉しそうに笑って頷き、仁王は相手がメニューに集中する姿をじっと観察している。
「うーん、でも本当に美味しそうなものばかりですね…迷うなぁ…ありきたりのものは今日はやめておいて、また別の機会にして…」
「じゃあ、後ろの特製パフェなんぞいいかもなぁ」
「特製?」
「いい食材を使って、味もなかなか美味かった。女性に一番受けとる理由が、えーと、あれじゃ」
思い出して、仁王がびしっと人差し指を立てる。
「美容に良い上カロリー控えめ」
「それにします!」
(こーゆーところは立派に女じゃのう)
即答して決めた少女にそんな事を思いつつ、彼は店員を呼んでそのパフェと自分の分のコーヒーとスコーンのセットを注文した。
「…しかし、お前さんはそんなにスタイル気にせんでもええじゃろ。寧ろ痩せすぎじゃないのか心配じゃ」
「そ、そんな事言わないで下さいよ。もう腰とかお腹とか、気になるトコロばかりなんですから」
「そうか?…ちょっと立ってみんしゃい」
「?」
そう言いながら自分も立ち上がった仁王につられて、何を思うでもなく桜乃もそれに倣う、と…
むぎゅっ
「!!!」
徐に、仁王が桜乃を抱き締める。
いきなり…前触れも無く本当にいきなりそういう事をされてしまった桜乃が三秒硬直している間に、若者は納得したのか満足したのか、そのまま身体を離した。
「うん、抱き心地は抜群じゃのう、寧ろそれ以上痩せられたら俺がこま…」
背を向けつつワケの分からない分析をしている仁王に、珍しく桜乃が実力行使での反撃開始。
「店の中から見られたらどうするんですか〜〜〜〜〜〜っ!!!!!」
ぽくぽくぽくぽくぽくっ!!!
抱き締められた恥ずかしさと、店の中の誰かに見られたのでは、という不安で、少女は真っ赤になりながら非力な拳で若者の背中を叩いた。
「あいたたたたっ! あー、すまんすまん、降参じゃ! いてててっ!」
何度も相手に謝りながらも、仁王はそれでも楽しそうに笑っていた……
そんな小さなトラブルはありはしたが、注文された品が来てそれを食べ終えた頃には、二人は何事もなかったかの様に仲良く笑っていた。
「ふわぁ〜〜、美味しかったぁ」
「それは良かったの」
今、二人は店を出て、見えていた海岸へと移動し、ゆったりと砂浜を歩いていた。
「雅治さんって、人を驚かせる天才ですよね…詐欺に関係なく」
「何じゃ、いきなり」
「だって今日は本当に驚かされてばかりで…でも凄く面白かったし」
「…そうか」
「特にさっきのお店! 凄く女心をくすぐる場所でしたし、デートで来たらどんな女性もイチコロですよ」
「デートじゃろ?」
「え……えええええっ!?」
本気で驚いている桜乃に、仁王は困った様に笑った。
「はぁ…付き合っとる男女が休みにこういう場所を巡るんは、どう考えてもデートじゃろうが……どんな女性もイチコロの店に連れて行ってもそれじゃ、お前さん、たいがい手強いのう」
「…い、言われてみれば確かに…」
気付く暇もなく驚いたり喜んだりしていたけど、落ち着いて考えてみたら、本当にデートとしか思えない…
しかも、今自分達がいる夕暮れの砂浜だって、考えようによっては物凄く美味しいシチュエーションだし…!!
(…そう言えば、雅治さん、海好きだったよね……)
今日連れて行ってくれたところは自分にとっても本当に面白かったけど…やっぱり彼のお気に入りの場所だったのかな…
(そこに連れて行ってもらったって考えたら、何だか凄く嬉しいなぁ…けど、私は雅治さんに、何もしてあげられてない…デートにも気付けない鈍感女だったし…)
「…どうした桜乃?」
急に無言になった少女に、仁王が首を傾げて尋ねる。
「いえ…自分のあまりの鈍感っぷりに嫌気が差して…デートには気付かないし、付き合っている筈なのに、私は雅治さんにしてあげられることなんてないし…」
「はは、別に気にせん…元々、今日の目的は、お前さんをリラックスさせる為じゃったしな」
「…え?」
「こないだ立海に来とった時に、少し疲れとる様に見えたからの。そういう時には上手く身体の力を抜くもんよ…これで、少しは眠れるようになるとええの」
「雅治さん…」
相手の心遣いに、じん、と胸が熱くなる。
詐欺師なんて言われてるけど…それこそが彼の最大の詐欺なんじゃないか…こんなに優しくて人の事を思い遣れる人なのに……
「…有難うございます…けど、心配ばかりかけてちゃ、デートって言ってもいつもと変わりませんね」
「そうかの、デートって言ったら、大切なコトがあるじゃろ?」
「え…?」
こちらに振り向きざまに立ち止まると、仁王が淀みない動きで桜乃の腰を抱き、別の手で頤を上向かせると、そのまま唇を重ねてきた。
「ん…っ!」
驚く少女の戦慄く身体を抱いたまま、詐欺師は深く深く唇を重ねる。
それはまるで、偽りを紡ぐ唇を敢えて塞ぎ、無言の行為だけで愛を語ろうとしている様だった。
波の音が遠く聞こえる。
こうしていると、海に今の二人を見つめられている様だ。
少女の頬はきっと赤く染まっていただろうが、それは夕陽の悪戯によって鮮やかな色彩の中、隠されていた。
「…傍におってくれるんじゃろ?」
「え…」
微かに離れた唇から、そんな囁きを紡いだ男は、相手以外には誰にも聞かれないように…海にも聞かれないように…本当に小さな声で囁いた。
「お前さんが俺を好いてくれとるなら、それだけでええよ…」
「……はい…けど、一つお願いが」
「え…?」
「…今度誘うときは、ちゃんと『デートしよう』って言って下さいね? 今日も凄く楽しかったですけど…何となく、損した気分です」
「…んー、めんどいのう」
ちょっと視線を横に逸らして即答を避けた若者だったが、その表情には僅かに困惑と照れの色が滲んでいた。
もしかしたら、彼が今日サプライズ的に外に連れ出したのって……その誘い文句が照れ臭かったから…?
「あの…」
ついそれを確かめたくなって声を掛けたのだが…
「いっそ二人でずーっと一緒におったら、そんな面倒なコトもせんで済むのにのう…流石の俺でも、欲しいヤツと一時でも別れるのは結構ストレスじゃ」
「っ!!」
デートへのお誘いの台詞どころではない、大胆過ぎる発言を受けて桜乃が一瞬固まった隙を突き、それ以上の追求を避けるように仁王は再び唇を求めてきた。
「ふ…っ…」
最初より更に熱い、意識の全てを焼き尽くしそうなキス…
今この人だけいたら、もうそれでいい…そんな願望すら抱かせる程にそれは心地良かった。
(やっぱり詐欺師だ…雅治さん)
自分の心を明かさずに、こちらの心をこんなに翻弄してくる…
恐いぐらいに優しくて…恐い筈なのに離れられない…
偽りなのか、真実なのか、それすらも混沌として、全ては彼の掌の中だけに握られている。
(…でも、これだけは…)
私が好きだという事だけは…真実だって、信じていいですよ、ね…?
了
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