得てしてこういうアミューズメントパークでは、いなくなった子供は大事件に巻き込まれるよりも、迷子コーナーに確保されていたり、親切な大人に保護されているのが常である。
 しかし。
 今回の桜乃に関しては、残念ながらそういう福音を得る事は無く、仁王の悪い予感通り、本当に拉致されていた。
 事実は拉致という程に強引な手法ではなかったのだが、相手の仁王と同じ様に必死に手を握っていたところが、いつの間にかその手が恋人のものではなく、狼さんのそれに変わってしまっていたのだ。
「いいじゃん、ちょっとぐらいカレシと離れて俺らと遊んでも」
「嫌ですってば!」
 もう何度も拒絶の言葉を繰り返しても、一向に埒が明かない事態に、桜乃は内心うんざりしていた。
 自分の手を引く相手に連れられて店の外に出たら、全く知らない男だった。
 自分よりは年上だが、大人ではない…せいぜい高校生ぐらいの年頃だろう。
 すみませんと謝ってまた店の中に戻ろうとしたのに、相手が無理やり手を引っ張って、自分を店から離れた人気のないこの場所に連れて来たのだった。
 何処かの屋内アトラクションの建物の陰だが、袋小路状態である上に大きな通りからは離れている。
 少し離れた場所にある小道には結構人が歩いているのだが、向こう自体が賑やかな音の中にある為、多少の声を上げても気付いてくれる人はいなかった。
 しかも更に最悪なのは、相手が一人ではなく三人いたことだ。
 途中で合流した二人は仲間の暴挙を止めるどころか、にやにやと意地悪な笑みを浮かべて、逆に自分が逃げられないように包囲網すら敷いてくれた。
 もしかしたら…かなりピンチな状態なのかもしれない。
「何だよつれねーなー、俺達が可愛がってやるって言ってんのに」
「わ、私…好きな人、いますから!」
「うわ、けなげ〜。俺、そういう子大好き」
 桜乃が逃れようとしても、向こうは逆に彼女の反応を楽しんでいるのは明らかだった。
 まるで捕えた獲物をいたぶる様に。
「もう! 帰して下さい、仁王さんが心配してますから」
「ニオウ〜?」
「何だよそりゃ、どっかの大仏の親戚かぁ?」
 自分だけならまだしも大切な恋人の名前すら小馬鹿にされてしまうと、流石に普段は大人しい桜乃も立腹した。
「あなた達には興味有りません! 離して下さい」
「しつけーな、恋人なんてほっとけばいいじゃんか。俺達と一緒に遊んだ方が楽しいぜ? 銅像相手にしたってつまんねーだろ、ご利益もねーのによ」
 その仁王じゃないもん!と心の中で思い切り否定しながら、桜乃はそれなら、と相手の別の呼び方に変えた。
「雅治さんの方があなた達よりよっぽどいい男!」
 べっと舌を出しながら言った桜乃の言葉は、確かに彼ら三人のプライドに大きく傷を付けた様だ。
「…何だとこの女」
「雅治さんよりいい人なんていません! あなた達みたいな人達と一緒にしないで!」
「てめ…っ」
 遂に向こうの怒りが頂点に達し、一人が今にも桜乃を殴ろうかと腕を振り上げた時だった。
「やめんかエロ校生」
 ここにいる以外の何者かの声が聞こえてきて、男の腕を止めた。
 男子三人は仲間のものではなかった声に驚いたが、桜乃だけは心の何処かで助かった事を自覚していた。
 だって、この声は知っている…いつも自分を守ってくれる人のものだから。
「…まさ、はるさん…?」
 桜乃の言葉の通り、あの銀髪の詐欺師が、アトラクションの建物の陰から姿を現し、少女の姿を見つけてほっと安堵の笑みを浮かべていた。
「あーもー…随分探したぜよ、桜乃。浮気などしとらんじゃろな」
「しません!!」
 こっちは大変だったのに!とつい大声で否定した少女だったが、残念ながら状況は依然危険であることに変わりはない。
「おー、王子様の登場だ〜」
「エロ校生なんて言いやがって、お前一人で俺達に敵うと思ってんのかよ」
 数も多く年齢的にも自分達が上だと思っている向こうは、自分達が有利だと信じて疑っていないらしいが、それこそ仁王の思う壺だった。
「俺の何処が王子様に見えるんじゃ、最近のエロ校生は老眼も進んどるんかの〜…こんなに見紛うことない詐欺師じゃのに」
「見ても分かりませんってば…」
 律儀に突っ込む桜乃だったが、三人からしたら馬鹿にされているだけだ。
「……お前いい加減にしろよ」
 内一人が仁王へと真っ直ぐに歩いていき、彼の背中は相手の身体をこちらの視界からすっぽりと隠してしまった。
 中学生と高校生の体格の違いだ。
 仁王も大きな方ではあるのだが、前に立っている高校生と比べたらかなりの細身。
 肉弾戦でいったら、やはり不利である事は否めない。
「雅治さん!?」
『おう』
 人の壁の向こうから呑気に返事をする仁王の声と、微かに見える相手の身体が同時に揺れるのが見えた。
 きっと、これから荒事になるのだろうと誰もが思っていたのだが、事態は急変する。
「…!」
 桜乃と男二人が見ている目の前で、仁王の目前に立っていた高校生が、声も無く倒れたのだ。
 そう、声一つ上げずに、何の動きもなく、突然に。
 倒れた男の向こうに久し振りに見る仁王は、相変わらず呑気に突っ立ちながら、桜乃へと笑みを向けていた。
「…何じゃ? 桜乃。名前で呼ばれるのはなかなか嬉しいもんじゃな」
「え…」
 どういう事…?
 何があったのかと思ったのは桜乃だけではない。
「て、てめぇ何しやがったんだよ!」
 明らかに予想とは違う場の流れに、大いに慌て始めていた二人の男が怒鳴ると、銀髪の悪魔はうんざりといった表情でぞんざいに返す。
「うるさいのう…単に死んだだけじゃよ…ほれ」
 言いながら、彼はどかっと倒れた学生を蹴ってごろんと上向かせたが、男はぴくりともせず、起きる様子もない。
 本物の死体の様に、だらりと弛緩しきった仲間の様子を見て、残された二人の脳裏に一気に恐怖の種が蒔かれた。
 それは詐欺師が蒔いた種。
 彼が操れば、種は望みのままに芽を出して、獲物の身体に絡みつく…疑心という蔓で。
「…! 嘘つけ!!」
「そーかの」
 恐怖と混乱に翻弄されながら、別の一人が倒れた男に駆け寄り、その身体を揺さぶった。
「おい! おい!」
 もう一人の男は、まだ桜乃の隣に立っていたが、同じく激しく動揺していて、彼女を人質に取るという行為すら思いつかないらしい。
 そうしている内に、倒れた男を揺する別の男に仁王がまたゆっくりと近づき、膝を付く。
 再び仁王の身体は相手に隠れて見えなくなったが、その数秒後…
「っ!!」
 残った一人の男が見ている前で、二人目の男も倒れてしまった。
 声もなく、最初に倒れた男の身体に覆い被さるように。
 それからはぴくりとも動かない…それもまた、死体の如く。
「……っ!!」
「…ほら」
 悪魔が…銀の髪を揺らして再び立ち上がり、にや、と笑う。
「…また死んだ」
 さぁ、種よ。
 目に見えずとも、人を動かす大いなる感情…恐怖、その種よ。
 お前が蒔かれた心の土壌に、一気にその根を張り巡らせ。
 育って育って大きくなって、そいつの脳を食い荒らせ!
 悪魔の宣告が、最後の一人の脳に残っていた理性を暴発させ、彼は狂った様に叫びながら、仁王の方へと突進していった。
 立ち向かおうというのではない…彼の脇を抜けて逃げようとしているだけだ。
 仇を取ろうなど、そんな見上げた根性など持ち合わせてはいない。
 しかし、そんな都合の良い話を、悪魔が許す道理もなかった。
 初めて仁王が動き、隣を抜けようとした男の腹部に膝蹴りを入れる。
「ぐっ!!」
 その動きには淀みもなければ遠慮もない、躊躇もしない。
 腹を抱えてうずくまった相手に、若者はゆっくりと座り込み、鋭い視線を真っ向から向けた。
「俺の大切な桜乃に手を出して、タダで済むと思っとるんか?」
 向こうは痛みを堪えても恐怖は堪えられないのか、身体をがくがくと震わせている。
 余りに無様な様子に、仁王は侮蔑の混じった笑みを浮かべた。
「心配しなさんな、お仲間は死んじゃおらんよ。そこまで詐欺に掛かるとは、お前さんら度胸なさ過ぎじゃな」
 そう言いながら、彼はポケットから、片手に少し余るぐらいの黒い塊を取り出した。
 長方形の全体的に丸みを帯びたプラスチックの塊の様だ。
「…俺なぁ、一応これでも暴力行為はご法度の身なんよ…じゃから」
 ごりっ…
 相手の男の額にその塊…の先端にあった二つの端子を押し付け、悪魔は冷酷な笑みを浮かべ…
「最大出力で許しちゃる」
 間髪入れずに脇のスイッチを押した。
 バチッ!!
「!!」
 そして、三人ともが餌食になった…彼に隠し持たれていたスタンガンによって。
「……」
「最近何かと物騒じゃし、力技を使えんとなるとこういう護身具は重宝するんじゃ…こんな場所で使うとは思っとらんかったが」
 一人、呆然とその様子を見ていた桜乃に悪魔が近づくと、彼はそ、と優しく相手の頬を撫でた。
「怪我しとらんな?」
「は、はい…」
「よしよし…良かった、それならええんじゃ」
 安心した様に微笑み、仁王は一度桜乃の手を引いてその場から連れ出すと、人通りのある道に彼女を残して自分だけ再びあの三人の許へと戻っていった。
 どうしたのかと思いつつも、大人しくその場で待っていた少女が再び彼の姿を見ると、明らかに手にしている荷物が多い。
「それって…あの、服ですか?」
「ああ、損害賠償分じゃ。財布とかは残してやった、武士の情じゃな」
 言いながら、仁王は一縷の情もなく、道の傍にあったゴミ箱にそれらをがこっと突っ込んだ。
 財布が手許に残ったからとは言え、裸の状態ではあの場所から出る事は困難を極めるだろう。
「流石に…少し可哀想じゃ…」
「女の尻を追いかけるしか能のないケダモノには、人間の服なんぞいらん」
 何より、お前を傷つけようとした輩に情などかけられん…
「…え?」
 小さく呟かれた言葉は桜乃に聞き取る事は出来ず、聞き返しても相手は答えず、代わりにまた自分の手を握ってきた。
「今度こそ離しちゃいかんぜよ…こんないい男、他におらんのじゃろ?」
「!!」
 あの高校生たちに啖呵を切った時の台詞を繰り返され、桜乃はかぁっと真っ赤になった。
 まさか…聞かれてた!?
「いっ、いつから…聞いてたんですか!?」
「さぁの」
「に、仁王さん!?」
「……」
 呼ばれ、仁王はそのまま立ち止まり、じっとその場に佇む。
「?」
「…何じゃ、また仁王に戻ったんか? 折角名前で呼んでくれたのに…」
「あ…」
 そう言えば、あの時私、ついムキになって…雅治さんって…
 ふ、と桜乃は自分の唇に手をやり、俯いたが、相手はその手を掴んで引き寄せ、彼女の顔も上向かせる。
「仁王さん…」
「一度呼んだもんをまた元に戻すこともないじゃろ…? 雅治でええよ」
「ま、雅治…さん?」
「そうそう…」
 くすくすと小さな笑みを零しつつ、こちらへと顔を近づけてくる相手に、明らかな目的を感じ取った桜乃は途端に慌て始めた。
「え!? ちょ…こ、ここはちょっと…! やめっ…仁王さんっ」
 相手がしようとしている行為を止めようと、桜乃は必死に訴えた。
 慌てた為に、また呼び方が元に戻ってしまっている。
 確かに告白の時から何度か経験はあるけど…こんな昼日中で、しかもこんなに人通りの多い場所でなんて…っ!
 動揺する相手を、しかし仁王は決して離さず、目的も諦めない。
 悪魔は、自分の欲望にはいつも忠実なのだ。
「俺を心配させたお仕置きじゃ…それと、これからは仁王って呼んだら、その度に一回『その場』でキスしちゃるけ、覚えときんしゃい」
「ええ…っ」
 そんなの…と言い返そうとして、全てを言う前に唇を塞がれ、桜乃は抵抗の術を全て奪われる。
 どんなに拒んでも、大好きな人からのキスを受けたら桜乃はもう何も出来なくなるのだ。
 せめて瞼を閉じ、相手の腕に縋るのが精一杯。
 小道の脇で二人の恋人が甘い口付けを交わす傍を、幾人もの客が通り過ぎてゆく。
 口付けを受ける前まではあれほど人目を気にしていたのに、今の桜乃にはそれを考えるゆとりもなかった。
「…っ」
 ようやく解放されても、力が抜けてしまった身体では動くことも出来ずに相手の腕の中に囚われたまま。
 その小さな耳は確かに男の囁きを拾い上げていた。
「俺はそれでも構わんよ…お前が俺のじゃと、みんなに教えてやれるんじゃけ」
 似つかわしくない程の独占欲で、自分を拘束する若者の言葉を聞きながらも、桜乃は逃れるどころか寧ろ束縛を望んでいる心に気付いていた。
(…雅治さん…)
 本当は、相手が貴方なら私だって構わない…きっともうこの気持ちも見抜かれているよね…
 桜乃はそれからも暫く、甘い痺れを言い訳に、優しい恋人の胸の中を独占し続けていた。






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