苦い嘘(前編)


「雅治さんは、今年のクリスマスは何か予定ありますか?」
「ん、クリスマスか? そうじゃな…」
 秋も深まった或る日、一組の若いカップルが街路樹の並んだ遊歩道をゆっくりと歩いていた。
 長いおさげの少女と、銀の髪が美しい若者だ。
 彼らは互いに手を繋ぎ、その足並みを合わせて緩やかな時の流れの中での散歩を楽しんでいる。
 雅治と呼ばれた若者…仁王雅治は、尋ねてきた少女に面白そうに瞳を向けた。
「その日は確か、ウチのメンバー達と集まってパーティーでもしようかって話しとったトコロじゃよ。お前さんも混ざるか? 桜乃」
「あ、パーティーですか……ええと…」
 桜乃…竜崎桜乃は、相手の屈託ない笑顔を受けて、ほんの少しだけ逡巡する素振りを見せたが、彼女が何らかの返答を返す前に仁王がさらりと付け加えた。
「因みにクリスマスは二十五日じゃ」
「え…」
「二十四日のイブは…空いとるよ、と言うかお前さん次第じゃな。安心したか?」
 実は相手を誘おうとしていた心中をあっさり読まれ、更に軽くからかわれてしまった桜乃は、仁王の悪戯っぽい笑みに苦笑で答えながら肩を竦めた。
「ん、もう…また騙されちゃいました」
「何じゃよ、こんなの騙す内にも入らん…今日は早めに引き下がった方よ」
「そうですか? 物凄く楽しそうに見えますけど」
 怪しいなぁ、と桜乃が上目遣いに見上げても、向こうは怯むことも慌てることもなく真っ向からその視線を受け止めた。
「そりゃあ楽しいに決まっとるじゃろ? 可愛い恋人とデートしとるのに楽しめん方がおかしいんじゃ。それに…」
「…!」
 なかなかに熱い台詞をさらりと言った銀髪の詐欺師は、すぅと左手を相手の頤に伸ばして線をなぞる様に優しく撫でた。
「うっかり悪戯が過ぎると、別の予定を立てられかねんからのう…そんな事されたら困るじゃろうが、なぁ桜乃?」
 そしてそのまま、自分だけの特権である相手へのキスを優しく与える。
 互いが互いを恋人としてから何度繰り返したか分からないのに、それでも少しも慣れる事もなく、それは桜乃の胸を熱くした。
「雅治さん…」
「クリスマスは皆で賑やかに過ごすコトになるが…イヴはお前さんだけ傍におればええよ」
「…時々ね」
「ん?」
 そっと仁王の胸に身を添わせ、頬を当てた桜乃が小さく囁く。
「…本当だって分かっていても、恐くなることがあるんです…雅治さんの言葉があまりに嬉しくて…こんなに幸せでいいのかなって」
 互いに異なる学校の生徒でテニスを切っ掛けに知り合った二人が、同じくテニスを通して親しくなっていき、その仲はいつしか友情という括りでは収まらなくなってしまっていた。
 片方の気持ちだけではない、二人の心が惹かれ合い、求め、互いの手を取ったのだ。
 『詐欺師』と呼ばれる男も、恋人の桜乃の前では嘘の仮面を外して素顔を晒す事を楽しんでおり、相手の少女もそんな彼の事を誰よりも理解していた。
 信じられない程の幸福を感じているのは、当然桜乃だけではない。
「『疑うつもりか?』と言いたいとこじゃけど、まぁその気持ちも分からんでもないからの…俺が本気だって事は、お前さんがその目で見て確かめていったらええじゃろ。そうしたら傍にもおれるし」
「ふふ…どっちが目的か分かりませんね」
 勿論後者で、と言いたいところをぐっと堪えて、仁王はそれからも桜乃と暫く連れ立って歩いていたが、いよいよ駅に到着してしまった。
 時は既に夕暮れ。
 あまり遅くなってしまっては桜乃の身も心配だし、向こうの家族にも申し訳ないということで、名残惜しくはあったものの、今日はそこで別れることにしたのだ。
「じゃあ、今日は有難うございました雅治さん。とても楽しかったです」
「クリスマスにはまだ間がある。またいつでも暇な時には連絡してくれ」
「はい」
 改札口のところでそんな言葉を交わし、そしてもう一度別れ際にキスを与えて、仁王は桜乃を見送った。
 手を振りながらホームに消えていった少女の姿を思いつつ、若者は頭の中でカレンダーをぼんやりと思い浮かべつつそれを捲る。
 クリスマスイヴまであと一月余り…そう思うと結構時間は空いている。
「プレゼントを考えんとなー…正攻法はやっぱり面白くないか、となるとこっそりと探りを入れて…」
 その為には、やはりクリスマス前に会っておこう…それもなるべく早く。
 プレゼントを悩む時間も要るからな、と都合よく言い訳を考えながら、彼はくるりと踵を返す。
 もう恋人同士なのだから別に会う理由をあれこれとつけなくてもいい筈だが、まだ恋仲になる前の習性が抜けていないらしい。
 元々が『詐欺師』と呼ばれる程の人物なので、誤魔化すという行為に慣れきってしまっているのかもしれないが。
(この俺が、こんな事を考える様になるとはの…別にええけど)
 相手があの子ならそれもいい、と思いながら、仁王は楽しかった時間の余韻に浸りながら帰宅の途についた。
 家に着いて夕食を食べて、早々に部屋に引っ込んだ仁王は、一息ついたところで壁の時計を眺めた。
(…そろそろアイツも家に着いた頃じゃな)
 計は早めに立てておかねばと思ったのか、それとも単に待ちきれなくなったのか、彼はポケットから愛用の携帯を取り出すと、桜乃へのメールを打ち出す。
(次に会えるのはいつになる…と…よし、送信)
 ぴっと送信ボタンを押してから、彼はそれを持ったまま部屋のベッドにぼふんと身を投げ出した。
 食休みついでの休憩タイム。
「あ〜、このまま寝ちまいそうだな…あんまり返事が遅いと待ちくたびれちまうぞ」
 おどけた口調で、何気なくその場にいない恋人にそんな台詞を言った直後…
 RRRRR…
「おわっ…!」
 予想に大きく反して、手の中の携帯がバイブレーションと共に鳴り出し、若者は思わず声を上げた。
「な、何じゃ? やたらと早いの…」
 勿論反応が早いというのは喜ぶべきことなのだろうが、それにしても今回は度が過ぎていないだろうか…メールを読んで、返信の準備をして、文字を打ち込んでいくだけでもそれなりの時間を要する筈…と考えながらそれを開いた仁王は、すぐにその理由について納得した。
(ああ、通話の方か…)
 メールで送ったから単純にメールで返ってくるものとばかり考えていたが、携帯『電話』なのだから電話で返ってきても何らおかしくはない。
 窓にもしっかりと竜崎桜乃の名前が表示されているのだし、これはもう間違いないだろう。
「おう、もしもし、桜乃?」
 だから、仁王はいつもの様に通話のボタンを押して、寝転がったまま相手に気軽に呼びかけたのだが、返って来た反応は彼が予想していたものとは余りに違いすぎた。
『…仁王だね?』



仁王リクエスト編トップへ
仁王編トップへ
続きへ
サイトトップへ