「ちょっと待ちきれなくて、たまには驚かせようかと思って来ちゃいました…あれ?」
「…」
ぐったりと、既に疲労困憊の様子で玄関先で座り込んでしまった仁王を見て、内情などまるで知らない少女は何事かと首を傾げた。
「ど、どうしたんですか? 雅治さん…」
「いや、何でもない…」
何でもあるんだが、何でもない、と仁王が立ち上がったところで、桜乃は彼の後ろからこちらへと歩いて来る姉弟達に気がついた。
「あら…?」
「やぁだ、意外と可愛いコじゃない〜〜!」
喜んでいるのかはしゃいでいるのか、どうにも区別がつきかねる反応をしながら、仁王の姉が彼に抱きっと抱きつきながら桜乃をじっと凝視する。
まるで品定めをするような視線を受けながら、桜乃は相手の勢いに押されつつも、彼女と彼女に抱きつかれている恋人を交互に見比べながら尋ねた。
「ええと…貴方は?」
「アタシ? アタシ、彼の元カノ」
どうやら詐欺師の姉もまた、他人をからかう事は嫌いではないらしい。
あからさまな嘘を言って桜乃を動揺させようとした姉に、仁王が怒りと驚きで声を失っていると、呑気な恋人は意外に冷静に仁王の姉の戯言を受け止めていた。
「はぁ、元カノさん…」
「そうよ〜」
さぁどんな反応が来るかしら、今は茫然自失って感じだけど、怒り出したりしたらそれはそれで面白いかも…と、姉が思っていると…
「…で、今は何と仰るんですか?」
と、桜乃が瞳をキラキラと輝かせ、興味も露な視線で尋ねてきた。
「…はい?」
何の話?と逆に姉が戸惑っていると、桜乃があれ?と首を傾げて再度質問。
「え、だから…今のお名前は何と?」
「…名前?」
「元かのさん、なんですよね? かのさんから、今度はどんなお名前に…?」
そこでようやく桜乃の激しい勘違いっぷりに気付いた姉は、思わず相手ではなくその恋人である弟の胸倉を掴み上げていた。
「ナニよこの凄まじいボケっ娘は!!」
「なーんで俺が責められにゃならんのかのう…」
掴まれつつも、無意識でも桜乃が姉にささやかな意趣返しをしてくれたことで、仁王はざまぁみろとばかりに脇見をしつつ唇を歪めた。
続けて一言忠告。
「言うとくが、アイツのボケは本物じゃよ。下手に手ぇ出せばそっちが返り討ちに遭うと思うぜよ」
「……アンタも?」
「ここまで来るのに、何度あのボケに撃墜されたことか…」
急降下してもきりもみ回転しても、見事に打ち落とされ続けた己の努力の日々を思い、くっと言葉を詰まらせる弟は…確かに苦労したのだろう。
普段ならそこまで面倒なコトなら先陣切って切り捨てるのが常だった彼が、そこまで食い下がるとはそれだけこの少女に価値を見出したということか。
「あ、あのあのう…」
姉がそんな事を考えていると、向こうの少女がおろおろしながら声をかけてきた。
流石に胸倉掴まれている恋人の姿に一抹の不安を覚えたらしい。
「ああ、何でもない、そう気にせんと」
軽く姉の手を払いながら仁王は桜乃にそう断り、取り敢えずは上がる様に勧めた。
姉弟の脅威を考えるとこれから外出する手もあるのだが、ここまで相手が歩いてきたことを思えば、一度上がってもらって少し休憩を取らせるのが優しさだろう。
幸い自分には個室があるし、それに今日の為に準備しておいたお菓子もあるし…
「お前さん、〇〇店のケーキ好きじゃったろ? 昨日買っておいたから…」
「わぁ、すみません…あ、お手伝いしますよ」
されてばかりでは申し訳ないと、桜乃も仁王の後をついてキッチンに入り、きょろっと何処に何があるのかを確認し始めた。
その間に、仁王は冷蔵庫の扉を開けて、ケーキの入った箱を取り出そうとした…のだが…
「………」
がちゃりとドアを開けた仁王が見たものは、記憶にあるケーキの入った白い箱ではなく、でんと庫内に鎮座するカボチャだった。
それだけ。
他には、扉側の収納スペースの調味料やバターやドレッシング以外、見事に何も入っていない。
「……?」
冷蔵庫の中を見て固まっている仁王を不審に思い、同じく桜乃が中を後ろから覗き込むと同時に、彼らの背後から姉弟の声。
「あ、中のケーキ、食後のデザートに貰ったわよ」
「代わりにお母さんが貰ってきてたカボチャ入れといたから食べたら?」
「……………」
「わ、わわわ私別にカボチャでもいいですからっ!! ね? ね!? 雅治さんっ!!」
ずーん…と真っ黒なオーラの中に佇む恋人に必死に桜乃が取り縋って訴えるが、どう贔屓目に見ても、カボチャにはケーキの代わりは務まらない。
せいぜい、同じ体積部分を補うというところ止まりだろう。
恋人の気持ちは嬉しかったが、流石に仁王はそこまで見過ごすことは出来なかった。
「…二人とも、一緒に来てもらうぜよ」
『?』
顔を見合わせる二人に、仁王が厳しい表情で腕組みをしながら振り返り、断言。
「客人の食べる物を勝手に食べたんじゃ…当然、それよりイイもんを買って返すんが道理じゃろ? 今から一緒に店に買い直しに行こうかの」
「ええー!?」
「別にいいじゃない、ワザとじゃないんだし」
ぶーぶーとブーイングをする二人だったが、仁王の追撃は止まない。
「食うなとあんだけデカくマジックで書いとったんに、お前さんらの目は節穴か? 普段はせん事を今日に限って次から次へとしくさって、どの道確信犯なのは決まっちょるじゃろ、桜乃はそれまで俺の部屋ででも待っとりんしゃい」
「え…でも」
「歩いてきて疲れとるじゃろ、俺らの用はすぐに済む、そう遠くない店じゃしな…俺の部屋は二階上がってすぐの場所じゃ。行けば分かる」
そして桜乃を家に残した状態で、まだ多少不満は残っているらしい二人を仁王は強引に外に連れ出して行ってしまった。
「……うーん」
残された桜乃は、二階へと続く階段を見つめるも、次に冷蔵庫の方を見遣り、どうしたものかと悩んだ様子で、その行為を何度も繰り返していた……
「別にコンビニで適当なの買って返せばいいじゃない〜」
「何でこんな遠くまで来なきゃいけないんだよ〜」
「やかましい、四の五の言わんと精算じゃ」
仁王だけではなく、他の二人の予定からも外れ、三人は当初向かう筈だった店から少し遠くの洋菓子店に来ていた。
別に仁王が心変わりした訳ではなく、目的地の店が臨時休業だった為だ。
そこで別の店を探し代替の品を買うことになったのだが、仁王が二人から徴収したお金でレジで精算をしている間、こっそりと彼の弟が店の外に抜け出すと、携帯で何処かに電話を掛け始めた。
RRRRR…RRRRR…
数回のコールの後で、がちゃっという音に続き、向こうから女性の声が聞こえてくる。
『はい? もしもし?』
その声を確認すると、仁王の弟はにやっと何かを企んだ笑みを浮かべ、携帯と自分の口の周りを手で覆い、声色を変えて話し出した。
「もしもし? 警察の者ですが、つい先程、そちらの仁王雅治さんという方が事故に遭いまして…」
『え…っ!? ま、雅治さんが!? 雅治さんは、無事なんですかっ!?』
予想通り向こうが大いに慌てた口調に変わり、まんまとこちらの嘘に騙された様を聞いて、弟は笑い出したいのを必死に堪えて言葉を継いだ。
「ええまぁ、それでですね…」
『うっ…! うえええ〜〜〜〜〜〜んっ!!』
「っ!? え、あの…」
まだ正体を明かしてない内から向こうの号泣が聞こえてきて、弟が面食らう。
そう、彼が携帯でかけていた先は自分の家。
両親がいないとなると当然受話器はあの兄の恋人が取るだろうと見越し、兄へのほんの悪戯という意味で彼女を騙そうとしたのだ。
しかし、お金などはとらずにあくまで軽めのジョークで済ませようと思っていたのに、事態が自分の予想を大幅に超えてしまった。
(ど、どうしよう! 本当に信じちゃってる…! そこまでおどかすつもりなかったのに…!!)
もし自分の兄…詐欺師と呼ばれている彼だったらこの場も上手く切り抜けられるかもしれないが、如何せん、その弟はまだ小学生、しかも詐欺の才能は兄のそれとは及ぶべくもないのだ。
こうして困っている間にも、向こうのか細い泣き声がまだ続いている。
「も、もしもし…!? ちょっと、アンタ…」
今更ながら、自分が何をしてしまったのかをようやく気付いた少年が必死に携帯に向かって呼びかけていると、不意に背後から何者かがその携帯を取り上げる。
「っ…!」
振り返ると…先程、彼によって事故に遭ったとされた仁王が、その名の通り仁王立ちになり、携帯を持ったままこちらを見下ろしていた。
どうやら、精算が終わったらしい。
身内の自分ですらぞっとする様な視線を向けつつ彼は携帯を耳元に押し当て…桜乃が泣いている声を聞くと、一瞬その瞳を見開く。
「……桜乃?」
『っ!?…ま、さはるさん…!?』
「…ああ、俺じゃ。今すぐに帰るけ、心配するな、な?」
『え…え…? どうして…事故って…』
「何も起きとらん。だから、泣かんでもええよ」
にこ、と笑って相手に念押してから、携帯の通話を切る…と、更に仁王の瞳には震える程の冷気が宿り、弟を真っ直ぐに貫いた。
「さぁて…?」
「…っ」
「…今度はどんなふざけたコトをしくさったんか、話してもらおうかの…」
ごんっ!!!
「ってえ!!」
帰宅後、全てを聞いた仁王は、桜乃の目の前で弟の頭をしたたかに殴っていた。
「雅治さんっ」
桜乃が慌てて止めたが、若者は自分の行った行為を謝罪するつもりは全くなかった。
いつになく激怒している様子の弟に、姉も口出しすることが出来ず、見守るしかない。
「お前らの悪戯は俺は慣れちょる。結構えげつないコトもしてくれるが、身内のよしみで見逃してもきた…けど、今回ばかりは俺も限界じゃ!」
「……」
「……」
これまでの様にブーイングを飛ばさないのは、まだ桜乃の過剰な反応の余韻が残っていたからか、それともその本人が目の前にいる所為なのか…
無言のままの姉弟に、仁王が怒気を帯びた声で言い放つ。
「俺がちょっかい出されるんはムカつくが構わん…けど見てみんしゃい! 桜乃は初対面のお前らの悪戯にあれだけ引っ掻き回されて、心配させられて、泣かされたんじゃ! 俺の大事な桜乃を今度また泣かせる様なコトがあれば、親兄弟でも絶対に許さんからのーっ!!」
「ご、ごめんなさいっ!」
「すみませんでしたーっ」
びりびりと窓ガラスが振動するほどの大声に、二人は身を竦ませながら必死に謝った。
「……」
一方、桜乃は桜乃で、これまでここまでの大音量を出す仁王を見たこともなく、驚きで呆然としてしまっている。
「全く…もうゴメンじゃ」
コイツの泣き声を携帯越しに聞いた時、心臓が止まるかと思った…と心で思いながら、仁王は桜乃の手を引いて階段へと向かい、そのまま部屋へと連れて行った。
「…」
「…」
リビングに残された姉と弟はまだ暫く動けずにいたが、やがて互いに視線を交わすと、一気に肩を落としながら嘆息する。
「こ、恐かった〜〜」
「アイツがあんなに大声を上げたの…生まれて初めて見たかも」
少なくとも自分が姉として相手と接し始めてからこの方、あれ程の激昂は見た事がない…しかもその声量のまま『俺の大事な』と言い切るとは、つまりそれだけあの若者があの娘に入れ揚げているということか。
信じられない…身内から見ても冷たい印象しか思い浮かばない兄弟だったのに…
しかし、思い返したら確かに、自分達は少しやり過ぎたと言われても仕方がない。
最初に柳生から話を聞いた時にはほんの小手調べのつもりで済ませるつもりだったが、兄であり弟であるあの若者が随分と執着している様子が前日の様子からも伺われ、つい下らないヤキモチを焼いてしまったのだ。
あの兄が認めた女性ということで、勝手にこういう欺瞞や悪ふざけに動じない人間だと思いこんでいたのも、悪戯がエスカレートした原因だった。
まさか、あそこまで素直に人の言葉を信じる純粋培養娘だったとは…
「…確かに、あの子にはもうおかしな事は出来ないわね…本当に殺されるわ」
「見た感じはぼーっとした人なのに…」
良くも悪くも普通の女子に見えるのに、あの詐欺師をどうやってメロメロにさせたのか…
心底不思議だと思いながら、弟は緊張で乾いた喉を潤そうとキッチンに移動し冷蔵庫をがちゃりと開けた。
「…?」
そこには例のかぼちゃがあった筈なのだが、その姿は見当たらず、代わりに複数の陶器のカップが並んでいた。
普段食器棚に並んでいる見慣れた食器達だが、それが何で今ここに…と一個を取り出した彼の目が、中に入っている物体に目を丸くする。
「どうしたのよ」
「これ…」
不審に思った姉がそこに寄って同じく中を覗くと、黄金色の半固体の物体が器を満たしていた。
そして中央には緑のかぼちゃの種がちょんと載せられている。
外見から見ても間違いない…
「…かぼちゃプリンだ」
「いつの間に…」
いつの間に…と言っても考えられるのは一つしかない、きっと自分達が仁王に連れられて外出している間だ。
確かに店の閉店の事もあって多少遠出にはなってしまったが、それでもあの時間内であっさりと一品作ってしまったのか…抜けた顔して侮れない。
『…出来る!』
どうやらあの少女のこと…認めない訳にはいかない様だ。
「何じゃ、まだ泣いとるんか?」
「だって…」
部屋の中に引っ込んだ仁王は、買って来たケーキもそっちのけで、ベッドに背を凭れさせ、足を前に投げ出した姿でまだ少しぐずっている桜乃を抱きしめていた。
「雅治、さんが…無事なのか心配で心配で…っ」
「ああ…じゃからもう安心してええよ、俺のコト心配して泣いてくれたんは嬉しいがの」
心苦しいが嬉しくもある…不思議な気持ちだ。
こういう感情も、こいつと知り合わなければ味わえることはなかっただろう。
「すまんかったな…俺の姉弟が迷惑かけた」
「いいえ、いいんです…雅治さんが無事だったから、もうそれだけで…」
「…」
少女の殺人的に健気な台詞にぶるっと身体が震えるのを感じながら、仁王は桜乃の肩口に顔を埋め、甘い香りを嗅いだ。
絶対に放したくない…この幸せだけは。
愛しい女性をこうして抱き締められて、そして彼女からこんなに優しい言葉を掛けてもらえる…詐欺師には過ぎた幸せかもしれない、しかしそれでも、彼女を閉じ込めてでも…!
「……何か、今日はもう何処にも行きたくない感じじゃ」
「え…?」
最初はあの姉弟から逃れる為に外出しようかとも考えていたが、今日は許されるまでずっとこの部屋の中にお前を閉じ込めていたい…だから閉じ込めてしまおう。
「何処かに行かれるつもりだったんですか?」
「ん…けどもうええよ」
桜乃の質問に、にこ、と仁王が間近で笑いながら指摘した。
「そんな俺の為に泣き腫らした可愛い顔を、他の奴に見せたくないからのう」
「っ…!!」
初めて自分が泣いた所為で顔が腫れているだろう事実に思い至り、桜乃がはっと両頬を手で押さえようとしたが、それは相手の手によって阻まれ、そのまま唇まで奪われてしまう。
「あ、雅治さん…」
涙の所為だけではない赤い頬をした恋人に、ようやく求めていた安らぎの時間を得られた詐欺師は悪戯っぽく笑って言った。
「じゃ・か・ら、今日はウチでいちゃいちゃするか」
了
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