その時までに(中編)


 某日…
「わー…ひろーい」
 桜乃が、どうした訳か、例のU-18合宿所の入り口の所に立っていた。
 手にしているのは一通の大きめの封筒に、やや大きめの手提げバッグ。
 U-18に関しては全くの部外者とも言える彼女だったが、桜乃はそのままてこてこと受付のある入口脇の詰所に足を向けた。
「すみませーん、書類を届けに来たんですけど。これ、委任状と、身分証明用の生徒手帳です」
「はい、こんにちは。失礼します」
 客への対応にいかにも慣れているといった感じの受付員が、桜乃が提出したアイテムをしっかりと確認すると、納得した様に頷いた。
「青春学園の生徒さんですね。顧問の竜崎先生の委任ということでいらっしゃったと…ではこちらのICカードをお持ちになってお入り下さい。中央に見えます大きな建物が本部になりますので、そこで書類の提出をお願い致します」
「はい…あのう」
「?」
「中を少し見学するのは大丈夫ですか?」
 遠慮がちに申し出た少女の言葉に、受付の若い男性はすぐに頷きで返した。
「立ち入り禁止区域でなければ問題ありません。禁止区域はちゃんとその様に表示されていますから、すぐに分かると思います。コートと通路も金網で仕切られていますが、たまに越えてくるボールもありますから、それだけご注意下さい」
「分かりました、有難うございます!」
 許可を受けて、桜乃は喜び勇みながらいよいよ入口の門をくぐって中へと入って行った。
(良かった! 見学が出来るなら、その隙にちょっとだけ雅治さんに会って行こう。差し入れも少しだけど持ってきたし、喜んでくれるといいな…)
 そして、続けて心の中で祖母に感謝する。
(ダメもとでお祖母ちゃんに頼み込んでみたけど、代理許可して貰えて良かったぁ。でもお祖母ちゃんもお陰で今日の同窓会に行けた訳だし、一石二鳥よね)
 実は、桜乃が手にしている書類は本来顧問の教師が届けるべきものだった。
 その肝心の顧問である竜崎スミレは、今日という日にここに来る予定は立てていたのだが、丁度同じ日に、同窓会を開くと言う案内が少し前に来てしまったのだった。
 顧問という立場上、書類を届けない訳にはいかないが、暫くぶりの同窓会にも出来たら顔を出しておきたい。
 さて困った、という時に、たまたまその事情を知った身内である桜乃が、代理を申し出たのである。
 おばあちゃんっ子だった彼女が祖母を手伝いたいという純粋な気持ちも少なからずあったが、それを理由にして仁王に会いに行きたいという、健気な乙女心もまた少なからずあった。
 結局、祖母は孫娘の善意の申し出を受け、書類を託し、今頃は何処かのホテルの会場で久しぶりに会う同窓生たちと楽しく話に花を咲かせている事だろう。
「えーっと、本部の建物まで結構あるみたい…あ、でも途中のコートを見ていけば、雅治さんも見つけられるかも!」
 あの日、バス停で別れてから一度も会えていない。
 メールのやり取りも、邪魔をしたらいけないと向こうから来ない限りは控えていた。
 最後にメールを見たのはもうかなり前に遡るが、その時は当然まだここで強化訓練の最中だった。
(まだ数日しか会えてないのに随分昔の様な気がするなぁ…元気ならいいけど、怪我とかしてないかしら…)
 きょろきょろと辺りのコートを見回しては、その若者の姿を探していた桜乃だったが、一向にそれらしい人影は見えない。
 いや、そもそも見知った中学生達にも会えない。
 これだけ広いから当然と言えば当然だが、このままいくと、折角ここまで来たのに会える事もなく書類だけ渡してそのまま退場というケースになってしまうかも…
(ど、どうしよう…雅治さんが何処にいるかだけでも知りたいなぁ…誰かに聞いてみて…あっ!)
 不安が生じて徐々にうろたえ始めた桜乃の視界、歩いている道の向こうから、二人の人物がこちらへと歩いてくる姿が見えた。
 やはり見知った中学生ではなかったが、纏っているのは黒と赤と白が基調のジャージ。
 どうやら高校生の様だが…
(そうだ、ちょっとあの人達に聞いてみよう。コートの中の人達には流石に聞けないし…ご存知だといいんだけど)
 本部にも人はいるだろうけど、早めに情報を得ておいた方が安心だよね…大人の人より同じ学生さんの方が聞き易いかもしれないし…と考えた桜乃は意を決して、近づいて来たその二人が自分の横に並んだ辺りで声を掛けた。
「あの、すみません」
「ん?」
「?」
 相手の二人は、桜乃の呼び掛けに素直に応じ、その足を止めて彼女へと向き直った…のだが…

 ずおおおおおおん…

 うち一名の長身で、いかつい体つきと、その強面から、不可視の威圧感が音となって迫って来そうだった。
 おそらく昔の桜乃だったらそれだけで泣きだしてしまっただろうが…
(うわー迫力あるなぁ…流石、高校生)
 人の慣れとは恐ろしい物で。
 仁王と知り合い、そのまま立海のレギュラーの面々ともそれなりに親しくしていた桜乃は、某副部長のお陰で同類の人間にはかなりの免疫が出来てしまっていた。
 なので、相手の鋭い視線に射抜かれても特に物怖じする素振りも見せず、一礼までする心の余裕があったのである。
「呼びとめてすみません。あの、立海の三年生の仁王雅治さんって、今どちらにいらっしゃるんでしょう?」
「立海?」
 強面の男が聞き返した隣で、もう一人、同じく長身だがどちらかと言えば痩躯の、冷えた印象を持つ若者が桜乃に質問を返した。
「君は?」
「あ、すみません、私は竜崎スミレの代理で来ました。青春学園の生徒です」
「竜崎?…ああ、聞いた事がある、何処かのテニス部顧問とかだった様な…青春学園?」
「はい、私の祖母です。都合がつかなかったので、私が代理で書類を届けに」
 ひょいっと手持ちの封筒を桜乃が見せたところで、向こうも納得したのか、やや警戒を解いた様子で頷いた。
「ご身内の方、か…それは大変だったな」
 U-18の待機組の中でNo.1の実力を誇る男、徳川カズヤが桜乃を軽く労った後、門番の異名を持つ鬼が改めて桜乃の質問を反芻した。



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