NonStop LOVE


「流石、東京…さぁ何処へ遊びに行こか」
「またッスか…どうせまた消しゴム探しの旅でしょ」
 隣で楽しそうに呟く先輩に、渋い顔で二年生の財前がため息混じりに答えた。
 ここは四天宝寺の男子テニス部メンバーが集うホテルの一室。
 滞在中の注意事項を監督から聞いた後で、メンバー達はそれぞれ思い思いの格好でくつろいでいたのだが、唯一、三年生の忍足謙也だけは、早くもうずうずと身体を小刻みに揺らしていた。
 常に『速さ』を感じていたい彼は、身体を動かさずにじっとしているのがあまり…と言うか全然好きではない。
 ようやくミーティングが終了したということで、早速彼は窓越しに外を見遣り、何処へ行こうかと画策している様だ。
「別にええやろ、今日は一日フリーやし、たまには息抜きもせんとアカン…折角東京に来たんやし、この時期なら薄着の子もいてるやろなぁ」
「……先輩って」
 少し考えた後で、財前が一言。
「ナンパなコト言うてる割には、消しゴムコレクションが増えるばかりで一向に彼女なんて出来る様子がないんスけど…もしかしてツッコミ待っとるんですか?」
「そーゆー悪辣なツッコミは、ハリセン百連発で返したるで?」
 けっと悪態をついた忍足に苦笑して、続いて後輩に答えたのは、部長でもある白石だった。
「ま、次から次へとカノジョ作って泣かすよりはマシやねんけどなぁ…ほっとき、財前。忍足は口は軽いが、筋は通す男や。そんなトコまでスピード競われたら敵わんし」
「やかましわ、ほっとけ」
 更にけけっと悪態をつく忍足に、財前は眉をひそめながら忠告する。
「スピードねぇ…まぁ、先輩が筋を通す男だとしても、そういう人間の方が、一度恋に落ちると結構突っ走るコトもあるんちゃいます?」
 そこで一度言葉を切り…そして続けて一言。
「ま、スピード競うなら、その究極は一目惚れでしょうけど?」
「一目惚れ〜〜?」
 その単語を聞いた瞬間、忍足は心底嫌そうな表情を浮かべて、その後輩を見下ろした。
「それこそありえんわ、何で見ず知らずの女に、そこまで入れ込むのかさっぱり分からん」
「そこもまた恋愛の醍醐味ちゃいますか? 俺の親戚でもそんな人いてましたよ…何でも、お相手の人と初めて会った時には、電流が走ったそうで」
「コンセントにヘアピンでも差してたんちゃうか?」
「一人者がラブラブカップルに毒吐く姿程悲しいもんはないっすな」
「……」
「おっと、荷物の整理に行かな」
 先輩の殺意の篭った視線を受けて、そそくさと財前が敵前逃亡した後には、むすっとした忍足と苦笑する白石が残された。
「はは、一本取られたな、忍足」
「知らんわ、一本でも二本でも持ってけばええんや、そんなモン」
「まぁまぁ」
 仕方ないな、と相手は笑いつつ忍足の様子を伺う。
「一目惚れが悪いワケでもないやん。一瞬で運命の人を見分けるなんて、なかなか粋なモンやとも思うけどな」
「割に合わん博打や、そんなモン…そんなんやないやろ、人を好きになるって」
「ん?」
 視線を窓の外に再び向けながら、忍足は何処か遠い瞳をして呟いた。
「何でも速ければええってもんやないことぐらい知っとるわ。ただ見ただけでその相手を理解した、なんておこがましいにも程がある。分かった気になって、相手を馬鹿にしとる様に俺には見えるけどな」
(これはこれは…)
 浪速のスピードスターは、こう見えて立派なロマンチストの様だ。
(ま、ナンパなコト言うては女のファンからのらくら逃げとったから、大体は読めとったけどな…軽い言葉に付いていく女が苦手なら、言わん方がええのに…)
 それとも、あれはそういう女性を敢えて焙り出して弾き出す、彼なりの護身法なのだろうか?
「なーんかイライラするわ…ちょっと気分転換に行って来る」
「ああ…あんまり遅くならんようにな」
「おう」
 部長の忠告を受けて、忍足は実に軽快な動きで外へと繰り出して行った。


「ったく、カノジョカノジョうるさいっちゅうねん…そこまで言うなら自分こそ作ってみいっちゅうんじゃ、ったく」
 ひょいひょいと、長身の身体を羽が生えた様に軽く見せながら歩いていた忍足は、街の中に繰り出した後も暫くは不機嫌な顔を隠しもしなかった。
 何かその気分を晴らすモノはないかと思いながら、彼は辺りの店を見渡しながら歩を進めていく。
 長身で明るい髪色で顔立ちも整った、十分にイケメンで目立っている忍足を周囲の若い女子達は例外なく振り返っていたが、彼本人は軽口を叩いていた割にはそんな彼女達には一瞥も向けるつもりはないらしい。
 軟派なのか硬派なのか、よく分からない人物であった。
「…おっ?」
 そんな彼がようやく足を止めて見入った先は、一軒のそれなりの大きさを誇る文具店だった。
 中を覗き見ると、結構な数の客がいて非常に賑わっている…と言う事はおそらくは品揃えもいいのだろう…と言う事は……
(何か、面白いヤツがあるかも…)
 刺々しかった表情が、徐々に楽しげなそれに変わり、忍足はいそいそと足を踏み入れた。
 向かった先は…各種消しゴム売り場。
 年頃の女性よりも消しゴムに注目するあたりが、後輩に無情なツッコミを受ける要因なのだが、本人は気付いているのか無視しているのか、一向に構う様子も無く、売り場の商品達へと目を向けた。
 きょろっと全体を見渡したところで、近くのポスターに目を留める。

『キャンペーン期間中、三百円ごとにクジを引いて頂き、当たった方には限定の眠り猫消しゴム進呈中!』

(ふおお!)
 思わず心の中で声を上げた忍足の目が、ポスターに載っていた問題の眠り猫に注目した。
 丸い身体を更に丸めて目を細め、寝入る猫…めっちゃ可愛い。
 普段はキャラクター消しゴムを使用する事に躊躇わない彼も、流石にそれは保存に回そうかと考える様な出来栄えだった。
 いや…しかしそれ以前の問題として、当たって手に入れなければ保存も使用も叶わないのだが。
「おめでとうございまーす。当選です。こちらをどうぞー」
「きゃあ! 可愛い〜」
 見ている傍から早速誰かが眠り猫を引き当てた様だ、後ろのレジからそんな声が聞こえてきた。
(まぁ、そんなに倍率も高くはないやろし…結構見た感じ、色々と新しい物もありそうやし、何回か引いたら当たるやろ)
 そんな楽観的なコトを考えつつ、彼はゆっくりと様々な形の消しゴムの品定めを始めていた…


「残念でした、ハズレですー」
「……」
 千五百円分の出費をし、五回のくじ引きに挑戦し…ゼロ勝五敗…
 実に惨憺たる結果。
 やり場のない怒りと不甲斐なさに、忍足は思わずポケットの中で握りこぶしを作り、それを思い切り震わせてしまった。
 何故だろう、下手なテニスの試合より物凄く悔しい気がする…!!
(な・ん・で、今日はこんなにケチが付く日なんや〜〜〜〜!! 財前か!? 財前がどっかで呪ってんのか!?)
 難癖を付けられた後輩もいい迷惑である…が、おそらく当の本人は何処かでけろっとした顔をしているに違いない。
 確かに、面白い消しゴム達は手に入った、予想以上の収穫と言ってもいい。
 しかし!
 あの眠り猫は金では買えない景品…だからこそ、余計に欲しかったのに。
(けど、もうこれ以上は流石に予算がなぁ〜…)
 諦めるしかないのは分かっているが、どうにも心が惹かれてしまう。
(クソ、こうなったら帰ったところで財前のヤツにいちゃもんつけたろ…大体アイツが一目惚れ〜なんて下らんコト言うから…)
 それとくじ引きの結果には何ら関連性は認められない筈なのだが、そんな事などお構い無しに、忍足はぶつぶつと怪しい独り言を呟きながら店を出ようと足を入り口へと向けた。
(しかし…やっぱアレ、ええなぁ…)
 まだ未練があるのか、店を出ながら後ろを振り向いて、例のポスターを再度見た時だった。
 どんっ…
「お…?」
「きゃんっ」
 思わず漏れてしまった声の向こうで、小さく聞こえた悲鳴…女性の声だ。
 それと同時に何かが身体にぶつかり、そのまま離れた感触を感じたので、慌てて彼が前へ視線を戻すと…
 誰も居ない。
(え…っ?)
 一瞬きょとんとした若者が慌てたついでに視線を下へ移すと…横に座る形で屈み込んでいる少女の姿があった。
 きっと、自分とぶつかったのは彼女で、その拍子にバランスを崩してしまったのだろう。
 長いおさげをしている事は分かったが、顔は下を向いており、表情までは伺えない。
「あ…す、すまん、大丈夫か?」
 尻餅をつかせる程に強くぶつかってしまったか、と忍足は慌てて自分も腰を屈め、そっと右手を差し出した。
「ホンマに堪忍や、怪我してないか…?」
「あ…だ、大丈夫です」
 相手の娘は、頷きながら忍足の手にそっと自分のそれを触れさせ、掴まり…ゆっくりと顔を上げた。
「っ!!!」

『何でも、お相手の人と初めて会った時には、電流が走ったそうで』

(何や今…ビリッと…)
 電流の様なモンが…走ったんやけど…?
 おかしいな、生身の人間相手やろ?
 けど、この子…この…子…
「……」
 無言で、忍足はじっと相手を見つめた。
 別に何ら変わったところのない、普通の少女だ。
 自分と同じかやや年下の印象を受けるが、詳しい年齢は分からない。
 おさげで地味な印象だが、瞳は大きく目鼻立ちは整っており、身体の線はやはり女性らしく細い。
 しかし何より印象的なのは、こちらを真っ直ぐに見上げてくる、吸い込まれそうな程に深い黒の瞳だった。
(え…あれ…?)
 何やろ…何か、胸が苦し…
「……?」
 ふと、向こうの無表情だった顔が、微かに変化を見せた。
 眉をひそめ、首を傾げ、こちらに訝しむ様な視線を向けてくる。
 何や?
 そんな顔して見上げんでも……
 思いかけた忍足は、しかしその時、自分が彼女の手を握ったままの姿勢でいる事に初めて気付き、途端に狼狽した。
 当然だーっ!!
 起こす仕草もなく、ただ手を握って見つめるだけの男なんて、それはやられた女性から見たら変質者そのものだ!!
「わああ! スマン! ち、ちょっとボーッとしとってん!!」
 必死に誤解を解こうと声を上げながら、若者はようやく力を込めて相手を立ち上がらせ、そしてすぐに手を離した。
「その…ホンマにすまん」
 まだ自分の頭の何処かがぼーっと霞がかかった様な感じがあったが、取り敢えずは謝ってみる。
 そして、珍しく動揺しながら少女の反応を見たが、彼女は手を離されたところで、初めて少し安心したのか、ほっとした笑顔を浮かべてくれた。
「いいえ…大丈夫ですよ?」

 ドキ―――――――――ンッ

「!!!!!」
 何をした訳でもない、何をされた訳でもない…のに、男の顔が紅潮する。
(うわ…)
 めっっっちゃ、好みかもっ!!!
 いや、好みどころか、ピンポイントでストライク!!
(う…え…? だって…初めて会うたばかりで、誰かも分からへんのに…)
 あり得へん…こんなん、絶対にありえる筈がないっちゅうねん!!
 なのに…何で動悸が治まらんのや!!
「本当に御免なさい…よそ見をしてた所為で…」
「い、いや! 俺も後ろ見てたし、君が悪い訳やないんやから、そんなに気にせんといて」
 ともすれば、相手の落ち度までも全部自分が引っ被る勢いで、忍足は少女に答える。
 答えながら、どうしても冷静な自分に戻れない事実に慌てまくっていた。
(お…落ち着いて話が出来ん…! 何や、心に身体がついていけん感じや…)
 あり得ない…だって自分は浪速のスピードスターなのに!
 これまでもこれからも、心の赴くままに己の望む速さで突っ走っていくつもりだったのに、それが出来る筈なのに、今は心だけが逸り、身体は戸惑い置き去りにされている…
 心と身体が、無理やり引き剥がされてしまいそうな、そんな感覚……
 これは…何なんや…?
 この子を見ていると、それがどんどん酷くなっていきそうなのに、何故か、目を離す事が出来ない…この感情は…まさか、これ、これが…一目惚れ…っ!?
「だ、大丈夫、やった?」
「はい…貴方は…?」
「俺は…」
 大丈夫…と答えようとした時、突然二人の間に、凶悪な程に乱暴な風が吹きぬけてきた。
「きゃああっ!!」
「っ!?」
 瞬間的に反応し、ざっと飛びずさった忍足はかろうじて被害は免れたものの、手にしていた買ったばかりの品物を入れた袋を取り落とし、更に、頬には微かな痛みを感じた。
 おかしい…ただの風ならこんな事は…
 しかし何かを考えるより先に、彼の瞳には再び地面に倒れてしまった少女の姿が飛び込んできた。
「っ!!」
 ぞわ…っと全身の産毛が総毛立つ様な感覚が彼を襲い、慌てて相手の傍に駆け寄った。
「君…!?」
「あ…バッグ…!」
「!!」
 彼女が風が吹き抜けた方角へ顔を向け、忍足もそれに倣うと、一台の自転車が物凄い勢いでそこから走り去ろうとしているところだった。
(あれは…!)
 嫌な…物凄く嫌な感情が男の心を支配し、理性を封じ込め、本能のみが彼を動かす。
「この…っ…テメーは…」
 辺りを見回し、足止めになるものがないか確認したが、それが無いと分かると躊躇う事無く腕に嵌めていたパワーリストをずるっと外す。
 そして…
「逃がすかアホンダラッ!!」
 持ち前の筋肉…プラス怒りの追加効果付きで、音速の速さでリストが空を飛んでいった。
 言うまでも無く、忍足が渾身の力を込めて投げつけたのだ。
 自転車の速度など物ともせずに、それは真っ直ぐに相手に向かい、見事に相手の背中にヒットする。
 軽い物ならそのまま振り切られただろうが、一体どれだけの重さがあったのか…
 それを受けた相手は露骨にバランスを崩し、地面へともんどりうった。
 そして彼の不幸はそれだけでは済まず…
「こんのボケがぁっ!!」
「…え?」
 さっきまで自分の傍にいた筈の忍足が、どうして今はもうあんな場所まで移動しているのか…と、おさげの少女はきょとんとして、彼の大捕物を見つめていた。
 追いついてしまえば、自転車に頼る悪党など忍足の敵ではない。
 相手が銃など物騒なものを持っていたらその限りではないが、幸い向こうには手持ちの武器など無かったらしく、あっさりと彼の鉄拳の前にひれ伏してしまった。
「いでででででっ!!」
「かよわい女の子狙うなんざ、ふてぇ野郎だっ!! 返せっ! 彼女のバッグ、さっさと返さんかいっ!!」
「!…え」
 彼らに近づいていく途中で、かよわい、と言われた少女が赤くなる。
 男が何処まで認識しているのかは分からないが、『かよわい』という表現は、女性にとっては十分に褒め言葉に値するものなのだ。
 そんな言葉を見ず知らずの忍足から言われて、少なからず照れてしまった様子の彼女がその場に来ると同時に、他の見物人も一斉に辺りを取り囲んだ。
 犯人にとっては、今日は人生で最悪の日となるだろう。
「往生際が悪いっちゅうねん!! じたばたすな!!…ほら…これ、君のやろ?」
 尚も暴れる犯人を押さえつけながら、忍足は相手が少女から奪ったバッグを取り返して、彼女へと差し出した。
「あ…有難う、ございます」
「なぁに、お安いごよ…」
「くそ―――――っ!」
「じゃかあしいっ!!」
 いいところを邪魔するなとばかりに、がすっと若者が暴れる犯人の頭に鉄拳を喰らわせ、それから警察に相手を引き渡すまで、忍足はずっと男を押さえつけていた。



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