結局、桜乃は数多くのナイトに囲まれて、厳戒態勢で橋までの道を歩いていた。
「なぁなぁ、アンタ、竜崎先生のおマゴさんなんだって?」
「はっ、はいっ! 孫ですっ…!」
「何だよ、そんなビクビクすんなって、取って食いやしねぇからさ」
腕を彼女の肩に乗せるように身を乗り出し、切原が桜乃に喋りかける。
「ふーん、あのヒトも結構濃いキャラしてっけど…アンタ、全然そんな感じしないな」
「そっ…そう、ですか?」
「ってか、存在感ないんじゃね? もうちっとアピールしないと、越前リョーマにも…」
がすっ!!
全てを言い終わる前に、切原は背後から副部長の愛の一撃を受け、そのまま身柄を確保されてしまった。
「ってええ〜〜〜〜〜っ!!」
「お前は叱られることに関してはアピール過剰の様だな。リクエストに応えてやるか…」
「い、いや…結構ッス…」
ずるずると引きずられていく切原を、桜乃は呆然と眺めるばかり。
(あの人…赤目の恐い人じゃなかったかなぁ…全然印象が違うけど…)
二人を見送る彼女の前に、にゅ、とリンゴ飴が突き出される。
「えっ…」
「ほら、やるよ」
「あ、どうも…」
差し出したのは、色黒で明らかに純粋の日本人とは違う一人の若者だった。
頭を剃っているが、端正な顔立ちは大体の髪型には合うのではないだろうか?
「い、いいんですか?」
「ああ、気にするな、くじで余計に当たった分だ」
「有難うございます…えっと…」
「ジャッカルだ、ジャッカル桑原。で、向こうでわたがし屋をヨダレ垂らして見ている奴が丸井ブン太だ」
「ジャッカルさん…? え、と…・それとも、桑原さん?」
「んー…別にどっちでもいいが。呼びやすい方でいいぞ」
「はぁ」
そこに、ジャッカルの行為を目敏く見つけた丸井が飛び込んできた。
「ずっりー!! ジャッカルずりーぞ、彼女だけーっ! 俺にもリンゴ飴よこせぃっ!!」
「自分で買えっ! 毎日毎日、人におやつだ何だとたかるなっ!」
「ひっでーっ! ひいきだひいきっ! おさげちゃんっ! そいつに騙されるんじゃねーぞぃっ!」
「何―っ!?」
延々続く二人の言い争いに、桜乃は何となく懐かしささえ覚えてきた。
(…青学の皆さんと何となく…似てる)
下らないことで一生懸命になってるところとか…仲悪そうで、実はいいところとか…恐そうなのに、実はいい人だった…とか……
(…ちょっと…誤解してた、かも…)
悪いことしたかな…と反省して、改めて見ると、そこではまだジャッカルと丸井が不毛な争いをしている。
何となく見ていて微笑ましくなり、桜乃はここにきてようやく笑うことが出来た。
「……はい、丸井さん、あげます」
「えっ?」
丸井の前に、桜乃がリンゴ飴を差し出した。
「え? だってこれ、お前が貰ったもんじゃんか」
「あ、お返しです…さっき、たこ焼き貰いましたから」
「いいの!?」
「はい」
「うわー! サンキュー!! お前、いい奴だなぁっ!!」
遠慮はしなかったが、その分丸井は大喜びだった。
ここまで喜ばれたら、こちらとしても嬉しさこそあれ悔いなど残ろうはずもない。
「すみません、桑原さん。折角頂いたものだったんですけど…」
「いや、気にするな…はぁ、丸井の奴、いつもああなんだ、逆に悪かったなぁ」
「あ、いえ…皆さんに親切にして頂いて、嬉しいです」
「そ、そうか? 俺達は当然ながら男所帯だからな。クラスでも女生徒と必要以上の付き合いはない奴等ばかりだし、女のマネージャーとかもいないし、どうも女性の扱い方はよく分からんよ。あんたが優しい人で助かった」
成る程、だから最初に会った時も、皆、あんなに自分に寄ってきていたのか…
ある意味、珍獣を見る感じに似ていたのかもしれない…ちょっと複雑な心境だが。
「ああ、やっぱり丸井に取られたか」
「予想通りですね」
そこに加わってきたのは、銀髪の男子と、眼鏡の男子だった。
「ほい、じゃあ代わりにコレ」
「はい?」
「これもどうぞ」
「は、はい…?」
有無を言わせず二人が渡したのは、ジュースと苺のクレープだった。
どうやら、これらは二人が奢ってくれるつもりらしい。
きょとんっと二人を交互に見つめる少女に、先ず銀髪の若者がにっと笑って挨拶した。
「仁王雅治じゃ、よろしくな」
「は、はい…竜崎桜乃です、よろしくお願いします」
「柳生比呂士といいます。仁王君とダブルスを組ませてもらっています」
「はい…あっ」
柳生に言われて、はっとする。
あの、試合で入れ替わっていた二人だ…!
あんなに上手く互いを演じられる人達ってことは…まさかと思うけど…
二人の間を泳いでいる桜乃の視線に、仁王は目敏くその心を読み取った。
「ははぁ…心配せんでもええよ。こんな所で入れ替わっても仕方ないじゃろ? 今日は『ちゃんと』俺が仁王じゃよ」
「あ…っ」
見透かされたことで、わたわたと慌てる少女に、仁王が軽く吹き出す。
「ははは、面白いの、お前さん。素直でいい子じゃ…ところで」
にこっと朗らかに笑う詐欺師が、ずいっと桜乃に迫り…
「素直でいい子ついでに、青学の誰かの秘密の練習内容なんぞ、何か知らんかの〜?」
と、青学の機密を聞き出そうとしたが…
「仁王君っ! 仁王君っ! それはなしですよっ!!」
慌てた相棒が、その暴挙を阻止するに至った。
「はははは、冗談じゃ。今日は折角のお祭りじゃからの、迷子の子に意地悪はせんよ」
「はぁ…あのう…」
「ん?」
「あの…私が知っているのは、多分…秘密じゃないと思います…青学のメンバーの皆さんは、そういうの、陰で努力する人達ばかり…だから…」
「……」
「あ、でもっ、もし私が知ってても、やっぱり、教えられないと思います。皆さんには助けて頂いたし、感謝してますけど…す、すみません、あの、それは、どうしても出来なくて…!」
「あ、いや、先ずは落ち着かんか? 今のは冗談じゃから、気にせんでええよ?」
「あの…す、すみません…ごめんなさい」
ぺこぺこと謝る桜乃に、あの仁王さえもが毒気を抜かれ、柳生に疲れた表情で振り返った。
「職業柄、何人もの人間を騙くらかしてきたがのう…騙そうとした人間に謝られたのは初めてじゃあ…いい子過ぎだぞ、この子…」
「あなたの職業は中学生だったはずですが…もしかして違うんですか?」
冷静に突っ込む柳生もかなりのものだ。
そんな彼等を、少し後ろから幸村たちが見守りつつ歩いている。
「ふふふ、皆、あの子が気に入ったみたいだね。楽しそうだ」
「…まぁ、お前がそう見るならそうなのだろうが…楽しそう…」
うーむと悩む真田は、その感想に同意しかねる部分があるらしいが、取り敢えず否定はしない。
「彼等がレギュラーメンバー以外で、最初からあそこまでくだけて話すのは珍しい。確かに、新しい刺激を受けて皆、楽しんでいる様だ」
柳は相変わらず冷静に、メンバーの心理状態を分析している。
そうしている内に、やがて橋が見えてくる。
橋の上にも花火を見ようと大勢の人々が集っていたが、そこで目当ての人物の一人を見つけたのは、立海のメンバーの中でも飛びぬけて視力が良いジャッカルだった。
「おい、あそこにいるのは越前じゃないのか?」
「ん〜…? あ、そうだ、あの背の低さ! 越前リョーマだ!! おーい! 越前―――っ!! どっち向いてんだ、こっちだこっち―――っ! 背が低いからって言い訳してシカトしてんじゃねーぞ――っ!!」
「ああ、気づいたようですね」
「おお、すげえ、ダッシュで来るぞダッシュ」
「怒っとるの〜〜〜、赤也、責任取れよ」
(切原さん、やっぱりリョーマ君のことは苦手なんだ…)
ここまで来ると、桜乃も落ち着いたものである。
しかし、これでようやく青学の皆と合流出来る。
意外なハプニングだったが、桜乃は今は、このハプニングを喜んでいた。
「良かったね、じゃあ、俺達も青学のメンバーとちょっと話してから行くよ」
「は、はい、幸村さん…あ、あの、立海の皆さん」
いきなりかしこまって呼びかけられ、何事かと全員が彼女に注目する。
「…すみません…私、今まで皆さんのこと…恐い人達だって、誤解してました。でも、今日、凄く親切にしてもらって…自分が間違ってたって分かりました…本当にごめんなさい」
いきなりそんな事を正直に話されて、謝られても…
ぺこんと頭を下げて詫びる少女に、男達は困惑した様に視線を交わした、が、言葉が出てこない。
「え、と…幸村さん、真田さん、柳さん…切原さん、桑原さん、丸井さん、仁王さん、柳生さん…助けて頂いて、有難うございました」
再び、ぺこり。
この瞬間、桜乃に対する立海メンバーの親愛度はいきなりマックスにまで跳ね上がった。
いい子だ〜〜〜〜〜っ!!!
全員が、今時珍しい純朴な少女に感動している中、幸村がにっこりと笑って頷いた。
「君と話せて、俺達もとても楽しかったよ。今度は恐がらないで、話しかけてきて」
「! はい!」
元気に返事をした少女に、幸村を含めた全員が笑顔で頷き返す。
珍しいことには、真田もこの時の笑顔は、普段より『比較的』柔和なものだった。
丁度そこに、今回の騒動の元凶の一因ともなった少年が到着する。
青学の一年、生意気ながら立海のメンバーを唸らせるテニスのセンスを持つ、越前リョーマだ。
桜乃が見つかったのは喜ばしいことなのだが、今まで散々探し回った疲労と、先程切原に飛ばされた台詞が、かなり彼の機嫌を損ねているだろうことは、その表情からも明白だった。
「竜崎…」
「あ…リョーマ君…あの…心配かけて、ごめんね」
素直に謝る桜乃に、リョーマは一瞬唇を閉じ、それから目を泳がせた後に視線を横に逸らすと、ぼそっと呟いた。
「…ドジ」
「うっ…」
返す言葉もない…確かに、自分にも半分責任はあるし、桜乃にはこれまでの人生からも自分がドジの部類に属するという自覚は十分にあった。
「大体…」
言いかけたリョーマが、不意に視線を桜乃の方へ向けると、その言葉が途切れた。
「?」
不思議に思った桜乃が顔を上げる。
その桜乃の背後で、物凄く恐ろし気なオーラが立ち昇っているのが、リョーマに見えたのだ。
(何…アレ…)
何だか異様な空気があっちからどんどこ流れてくる。
よく見ると、そこには立海メンバー全員が仁王立ち、リョーマの方を睨みつけていた。
あのメンバー達全員の、ガン飛ばしである。
はっきり言って、恐怖以外の何者でもない。
「…何?」
何だか、いつもと雰囲気が違う……テニス云々に関わる感じではない。
まだ事態がよく飲み込めていないリョーマに最初に口を開いたのは仁王だった。
「聞いたか柳生よ…一人寂しく迷っとった女の子に、開口一番『ドジ』じゃとよ…奴さん、そんなに偉かったんかの?」
続いてダブルス相方の柳生が、これまた眉を思い切りひそめて断言する。
「ええ、最低ですね…・男性として、呆れてモノが言えませんよ」
「え…?」
何だろう…コートでの痛い視線は慣れているが、今のこの視線はそれとは明らかに違う…
戸惑うリョーマにかけられる言葉は更に容赦がない。
「いやいや柳生、男性としてじゃないだろう。地球人としてもどうかと思うぞ、俺は」
「少なくともお前よりおさげちゃんの方が俺は好きだぞぃ、いい子だからな! お前は自分に何も責任がなかったと思ってんのかぃっ!? 女の子泣かせやがって、悪いヤツーッ!」
「へっ! テニスは上手くても女の子を泣かせるようじゃ、それこそまだまだじゃねぇの? 越前リョーマ! この子が黙ってるからって、好き放題言ってんじゃねぇぞ!」
ジャッカル、丸井、切原さえも、一味違う…やけに刺々しい…
「何なんスか…一体」
越前の問いには、柳が速攻で応じた。
「分からないのか。お前が手を離した所為で、彼女も心細い思いをした。お前が全て悪かったとは言わないが、責めるより、先ず言うべきことがあるのではないか、越前」
「…竜崎…?」
どうやら、彼らの怒りの元凶は桜乃に対する自分の言葉なのだと理解したリョーマは、それでも今ひとつ納得出来かねた。
確かに彼らの言葉にも一理あるが、それでここまで責められるか? フツー…
まるで親の仇に対するような、集中攻撃、集中砲火。
一体、自分がいない間に彼らと竜崎に何があったのか…?
惑うリョーマの前に立ったのは、腕を組んだ真田の姿。
「全く情けない…女子の手一つ満足に引けず、相手を彷徨わせたばかりか、会って詫びも慰めの言葉一つも無いとは…たるんどる!!」
ここ最近で一番気合の入った『たるんどる』だった…と後に立海メンバーは語った。
何しろリョーマだけではなく、往来の人々もその怒声に飛び上がったのだ。
そして最後に…
「まぁ…いいじゃないか、みんな。こうして竜崎さんも、無事に青学の仲間と会えたんだから」
立海の部長、幸村は、こういう時でも穏やかな笑顔のままだった。
その笑顔のまま、彼はリョーマに歩み寄る。
「でもね、越前君…もし今度、竜崎さんをまたこんな目に合わせたら…」
「え…?」
ぽん…と相手の肩に手を置いて…
「ゆるさないからねぇ?」
至近距離で、とびっきりの笑顔…なのに物凄く恐い。
「うっ…」
リョーマに限らず、同じ立海の仲間達さえも、その空気に竦み上がった。
(ううっわ、こわっ!!)
(部長、こわっ!!!)
(マジ怒ってないっ!?)
ゾクゾクと悪寒を全員が感じたその一秒後には、幸村は既にリョーマの肩から手を離し、自分の仲間へと振り向いていた。
「さて…そろそろ青学のメンバーも来るからね、俺達も一言挨拶を済ませたら行こうか」
全員が賛同し、リョーマは晴れてそこから解放されたのだが、それでも暫く背筋に感じた悪寒は消えることは無かった。
(…あの学校…ブキミな人しかいないワケ…?)
「リョーマ君…?」
勘弁してよ…と思っていたところに呼びかけられ、リョーマは桜乃に振り向いた。
(あ…)
最初は気づかなかったが、少女の瞳が少し赤かった。
泣いていたんだ…はぐれた後に…
「…そっか」
「え…?」
立海のメンバーが怒っていた理由は、これか……そう言えば、確かにあの赤目が泣かせたとか何とか言ってたっけ…
「…ごめん」
「え…」
「油断してて俺の手の力が弱かった…手が離れたせいで、迷わせちゃって…ごめん」
「う、ううん! いいの、もう会えたし…立海の人達も、親切にしてくれたから…」
「そう…じゃあ、行く? 今度は、ちゃんと握ってるから」
「! うん」
後日、これを切っ掛けに、桜乃は立海大のメンバーとの交流を深めることとなる…
了
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