頼れるお兄さん達?
或る晴れた日曜日〜
「よし、しばらく休憩。皆、各自水分補給を怠るな!」
「はいっ!」
その日は、立海大付属中学男子テニス部の合同練習の日。
毎週行う訳ではないが、やはり全国でもトップクラスの実力をもつ同校は、休日でも気を緩ませることを良しとせず、定期的に練習スケジュールを組み込んでいる。
副部長の指示の下、部員達はテキパキとノルマをこなしてゆく。
その中でも、流石にレギュラー陣は身のこなしが軽やかだった。
周りでへとへとになっている非レギュラー部員に対し、汗のかき方や息の上がりがまるで違う。
「仁王君、今日は君の動きがいつもと違うようですが?」
「すまんすまん、うっかり携帯使ってそのままポケットに入れちまったんよ。休憩中に置いてくる」
「途中で外せばよかったじゃないですか」
「真田にバレるじゃろうが、内緒にしとけよ」
「仕方ないですねぇ」
「…あり?」
ふと、コートの向こう、ネットで隔てられた道を見て、丸井ブン太が声を出した。
「何だあれ、見慣れない服だな…しかも女子ばかり」
ぷーっと風船ガムを器用に膨らませながら喋る相棒に、ジャッカル桑原が汗を手で拭いながら、同じく視線を向こうへと移した。
「本当だ、何かあるのか?」
二人の視界の先には、多くの女子が道を歩いている姿が見えた。
制服によって四つか五つのグループに分けられる彼女達は、一様に見慣れた道具を手にしている。
テニスバッグだ。
どうやらテニスに縁のある団らしいが…?
「ほほう…他の学校の奴らか?」
「女子だけのようですけどね」
もう一組のダブルスメンバー、仁王雅治と柳生比呂士も水分補給をしながらその光景を目で追っている。
「練習試合だよ」
彼らの疑問に答えたのは、ゆっくりと歩いてきた部長の幸村だった。
彼も軽く女子の集団を一瞥すると、いつものように笑いながら仲間に説明した。
「俺も詳しくは知らないけど、関東近郊の幾つかの女子テニス部が集って合同練習試合をするんだって。ウチの女子テニス部は別の場所での試合があるから出られないらしくて。丁度空いたコートを提供するんだと先生から聞いていたんだけど、そうか、今日だったんだね」
「へぇ、成る程ね、道理でウチの制服は見かけないワケだ」
タオルで汗を拭う二年生エースの切原は、早速その女子達に注目しているが、その表情は何となく困惑気味だ。
「けど制服見ても、あんまり何処の中学か分かんねーなぁ…ブレザーとかなら服の色とか似てるけど」
「ふむ…確かに。元々同じ中学でも、ウチはそれ程に女子の部とは活動を共にすることはないからな」
「だが弦一郎、あの制服は覚えがあるだろう?」
参謀の柳は、副部長の視線を引っ張るように、女子の一団の内の一つを指し示した。
言われてみると、その制服の色合いや形は確かに記憶に留められていた。
「今回は、青学の女子テニス部も参加しているらしい」
「ああ、成る程」
青学の男子ならば興味もあるし、当然手合わせにも応じるが、女子なら別に大きな興味は湧かない。
「まぁ、こちらの練習に支障がないなら関係もない」
断じる真田に、幸村はくすっと苦笑した。
「確かにそうだけどね…もし時間が空いたらちょっと覗いてもいいかも。参考になるプレイは女子も男子も区別はないよ」
「ふむ…」
皆が女子の一団に対する興味をある程度満たしたところで、またそれぞれの休憩に入ろうと散開する。
その時、柳生は自分の相棒がいつの間にか姿を消していることにようやく気づいた。
「おや? 仁王君?」
辺りを見回しても、彼の姿はない。
幾ら自由奔放な性格の彼でも、部活動を断りなく途中で抜けるような真似はしない、それは誰もが分かっていることだ。
(お手洗いにでも行っているんでしょうか…?)
まぁ、まだ休憩時間の範囲内だから、大騒ぎする必要もない。
柳生はゆっくりとその場を離れ、息を整えながら相棒の帰還を待つことにした。
「練習試合がなければ、そっちのコートも使わせてもらいたかったんじゃがのう…ま、仕方がないか」
休憩時間、するりとテニスコートから抜け出した仁王は、気分転換も兼ねて女子のコートへと足取りも軽く向かっていた。
自分も今日のそういうイベントについては知らなかったが、どの程度の規模なのか、何となく気になる。
それ程長い時間は残されていないが、何処の中学が集っているのかを確認するぐらいは出来るだろう。
(青学ねぇ…例の手はもう使っちまったし、向こうもまたそれに騙される程バカでもないからのう…それでも、次にやっても勝つのは俺達じゃ)
無論、男子の方の話である。
「…?」
ふと、歩いていた足が止まる。
(何じゃ…?)
何となく、誰かの声が聞こえる。
女子の声らしいが、随分くぐもった感じで聞こえてくる。
『大体…なのよ』
「…?」
素通りしてもいいのだが、何となく仁王は聞こえた声の元が気になった。
もしその声の調子が、誰かとの会話を楽しんでいる様子だったなら、彼はそのまま通り過ぎただろう。
しかし、どうにも…そうであるとは言い難いものだったのだ。
何と言うか、トラブルの渦中にあるような、それとも好意的とは言えない感情に満たされた声…
仁王はその声の持ち主を探るべく、さっきよりも集中して出所を探った。
『あなたが…なんて…』
(こっちかの…)
何が起こっているのか真実を知る為には、こちらの存在は気づかれない方がいい。
仁王はゆっくりと足音を殺しながら、声の方へと歩いてゆく。
どうやら校舎の建物の陰…そこからの様だ。
ようやく声が全て聞き取れる場所まで行くと、仁王は相手から見えない死角の壁に身体を添わせ、こそっと向こうを覗き込んだ。
「竜崎先生の孫だからって特別扱いされて。いい気になってるんじゃないの?」
いきなり聞こえてきた個人名に、仁王の瞳が大きく開く。
(ありゃあ…あの子じゃないか?)
見えた光景は、とても友好的なものではなかった。
自分が知っている一人の少女を、ずらっと複数の女子が囲んでいる。
背丈や雰囲気から彼女の先輩達の様だが、指導と呼ぶには程遠い…一番近い言い方をしたら、いじめの現場だ。
囲まれたおさげの少女は、自分のテニスバッグを持ちながら、顔を青くしながらも相手に言い返していた。
その子は仁王にもとても見覚えのある少女、テニス部顧問、竜崎スミレの孫である桜乃だった。
夏祭りの日に、迷っていた彼女を立海メンバー全員で青学側に届けたことがある。
「で、でも先輩達…後輩だからって一年生を何にでも使わないで下さい! 部活の仕事ならまだしも、休み時間でも使い走りとかさせるなんて…やりすぎだと思います」
どうやら、彼女は一年生を代表して苦言を呈した様だ…が、それが向こうの癪に触ってしまったらしい。
少女の訴えを聞いて、あちらは反省どころか、却って怒りを増幅させてしまった様だった。
「一年生のクセに口答えするんじゃないわよ!」
「あんた、どうせ先生の孫だから特別扱いされてるだけじゃない!」
「男子のレギュラーメンバーと仲良さそうだけど、そういうのって向こうにとってはいい迷惑なのよ! あっちだって、あんたが先生の孫だから、悪い顔できないんだからさ」
「あんたも、それを期待してんでしょう?…あんまり文句言うと、その大事な右腕、いつか大怪我するかもしれないわよ…?」
「そんな…っ! 私、特別扱いされてなんかいません! してもらいたいとも…」
顔を上げて否定する桜乃の言葉も、相手は大勢だから強気になっているのか、まるで聞き入れる様子はない。
有る訳がないのだ、彼女達の目的は話し合いではなく、桜乃を貶めることなのだろうから。
それは傍から見ているのが仁王でなくとも明らかだっただろう。
(エグいの〜〜〜〜〜)
思いつつ、仁王はごそっとポケットを探った。
まず出てきたのは持っていた携帯。
「ありゃ…ん〜〜」
普段は持っていない携帯をがちゃがちゃといじりつつ、もう一度仁王はポケットを探った。
その向こうでは、まだ桜乃が先輩達の悪口雑言の餌食になっている真っ最中。
「あんたがいい気になるのは勝手だけど、あんまりふざけたコト言うなら今ここで…!」
ぽーんっ…ころころころ…っ
「え…?」
何かが自分の足元に当たった事に気づいた先輩の一人が足元に視線を向けると、黄色いテニスボールが何処かからか転がってきていた。
「…?」
「おお、悪い悪い」
まさに今ボールを追いかけてきたかの様に、仁王が飄々とした態度でその場に小走りで現れた。
持っていたボールがまさかこんな役に立つとは本人も思っていなかったが、ここは使える物は何でも使った方がいい。
「少し飛ばしすぎたみたいじゃ、邪魔してすまんの」
「え…い、いえ」
「別に…」
にこにこと笑ってくる仁王は、まるで今までここで行われていた事については全く知らないといった感じに見える。
一方先輩達は、突然の闖入者に少なからず動揺している様子がありありと見て取れた。
心を読むことを得意とする仁王にとって、最初から敵ではない。
「ん? おお、久しぶりじゃの、竜崎」
「あ…に、おう…さん」
いかにも今彼女に気づいた様に仁王は竜崎に目を向け、相手は本当に驚いた表情で彼を見た。
ざわっと周囲の少女達に更なる動揺の空気が走った。
まずい…とその雰囲気が語っている。
いじめていた後輩の知己がその現場に来た事で、自分達の悪事がばれるかも…とでも思っているのだ。
笑い出したいほどの心の読みやすさ…逆に言えば、一人ひとりの心は脆いのだろう。
集団で行動して個人を攻撃する輩にはよくあるパターンだ。
「何しとる、こんな所で」
「あ…あの…」
桜乃が答える前に、先輩達はそそくさとその場から退散していく。
「じ、じゃあね」
「私達、先に行くから」
「これで終わったと思わないでよ」
最後まで悪態をついて先輩達が去る姿を暫く見送ると、仁王はきょろっと瞳を動かし、動かない桜乃を見下ろした。
建物の日陰になっているこの場所で、さっきまで囲まれて責められていた少女は、テニスバッグをきつく握り締めたまま言葉を発しようとしない。
「…お前さん、いつもあんなコト言われとるんか?」
「っ!…それ、は…」
聞かれていたことを知り、桜乃は更に俯いた。
俯き顔を隠したら、少しは彼の追及の視線から逃れられるとでも思っているように…
しかし、逆にその行為が仁王に答えを教えてくれていた。
「ちょっと、おいたが過ぎやせんか?」
「…仕方無いです…私がおばあちゃんの孫なのは、事実だから」
「お前さんが特別扱いされとるっちゅうのは嘘じゃろ」
あの教師は贔屓とは最も縁遠い、青学メンバーも、そういう人付き合いはしないだろう。
孫という事実が、彼等が知り合う切っ掛けにはなったとしてもだ。
「…私、今日試合に出るんです…一年、だけど…」
「ん…?」
「だから多分…先輩達はそれが面白くないんだと、思います…おばあちゃんが、手を回したんだろうって」
「…成る程のう」
聞いてみたらよくある後輩いびりだったというワケか。
何でもいいから難癖をつけたい、そして彼女には教師の孫というとびっきりの叩き所があった。
「あの…」
「ん?」
「…助けてもらって…有難うございました…あの…この事、おばあちゃん達には言わないでおいて、もらえませんか…?」
「……」
「心配かけたくないし…こんな事知られたら…テニス…出来なくなっちゃうかも、しれないから…」
「…お前さんの好きにしたらええよ…けど、試合に出る前なら、泣くのはやめんしゃい」
「…!」
びくと桜乃の肩が震えた。
少しだけ厳しさを含んだ仁王の声が、溢れそうになっていた涙を押し留めた。
「辛いのは分かるが、泣くんは後じゃ。腫れた目で相手のボールがよく見える訳ないじゃろ。竜崎先生の手心で掴んだ場所じゃないのなら、お前さんがそれを証明するんじゃ」
「……」
「ええの? 試合は勝つか負けるか、じゃ。負けたくないんなら、勝つしかないんよ」
「…はい!」
俯いたまま、桜乃は頷いて、出来るだけ大きな声で相手に答える。
必死に、涙を耐えている声だった。
「…じゃ、俺は行くぜよ。しっかりやりんしゃい」
「…仁王さん」
「?」
「…すみません、今は顔、見られたくないから……有難うございます」
「……」
気持ちを察し、仁王は軽く頷いてそれを答えとし、早々にそこを後にした。
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