女子テニス部コート
 複数の学校のテニス部が集まると、流石にその光景は壮観である。
 練習試合と言っても、そこにはいつにない熱気がこもっていた。
 既に数試合が消化され、桜乃の出番も徐々に近づいてきている。
(負けたくないなら、勝たなきゃ駄目、か…そうだよね)
 仁王に言われていたことを思い返し、桜乃は自分のテニスシューズの靴紐を、ジンクスがあるようにきつく結び直した。
(リョーマ君たちも、そうだもんね…)
 しかし、今の自分には…
 遠く、向こう側の陣営にいる一年生…彼女が今日の自分の試合相手だ。
 向こうは先輩達と何やら楽しげに話しているのだが、今の自分にそんな人達は誰もいない。
 女子テニス部と言っても、全員が自分を敵視している訳ではないのは知っている。
 自分としっかりとした友好関係を築いている先輩もいるのだが、運が悪いことには、今日の試合に同席しているのは自分を疎ましく思っている先輩達ばかりの集団だった。
 これが偶然か必然かは分からないが、桜乃にとっての不運だったことに変わりはない。
(…いいな、向こうの子…)
 最終的に勝負は自身の実力だということは分かっているが、どうしてもああいう光景を見せられると、孤立している自分が心細くなってしまう。
 その精神的な弱さが、試合に出なければいいのだけれど…
(…あ、だめ…気を強く持たないと…)
 ぐっとラケットを握り締め、深呼吸をしようとした桜乃の耳に、女性達の黄色い声が聞こえてきた。
『ち、ちょっとあれ見て!!』
『うそっ! 立海の幸村さん達じゃない!? ええっ!? レギュラー全員よ?』
『何でこんな処にあの人達が来ているの!? 練習は?』
 皆が、中学テニス界の帝王と呼ぶ立海男子テニス部メンバーの登場に色めき立つ。
 彼等はどうやら多くの女性陣にとって憧れの存在であるらしい。
(え…?)
 あの人達が…?と首を巡らせると、視線の先、即席の応援席をこちらに向かって歩いてくる、立海レギュラーメンバーの姿が見えた。
「…?」
 どうしたんだろう、とぼんやり考えている少女の姿を幸村が捉え、笑顔で片手を上げた。
「幸村…さん?」
 きゃ―――っと女性たちの悲鳴が上がる。
 こんな所に立海メンバー全員が揃ったかと思ったら、部長が一人の試合選手に気をかけている。
 事情を知らない人が見たら、それは何事かと思うだろう。
『何、何? あの子っ』
『まさか皆さん、あの子に会いに来たの!?』
 ざわざわする周囲に気押される桜乃に構わず、幸村たちはやはり彼女に向かって歩いてゆく。
 彼等が青学側に割り当てられた控え席に来たところで、桜乃を陰で責めていた先輩達が声をかけてきた。
「あ、あの…立海の皆さん…何か私達に御用が?」
 桜乃に詰め寄っていた時とはまるで違う撫で声に、仁王は内心舌を出したかもしれない。
 そして、声をかけられた幸村は、ふふ、と相手に笑い返した。
「ううん、俺達が用があるのは竜崎さんだよ。ちょっとね、彼女の応援に来たんだ」
 暗に彼女だけに用がある、と言われて固まる少女達の沈黙を埋めるように、真田が続けた。
「試合までまだ少し時間がある。話しても支障はあるまい?」
「は…はあ」
 何となく、その視線が厳しく冷たい真田に完全に押され、先輩達は抵抗も出来なかった。
 それに対する禁止事項もないので、止めるなど元々出来ない話ではあるのだが。
「おっさげちゃーん!」
「応援に来たぜー!」
「皆さん…?」
 どうして?と困惑する桜乃の周囲を、あの夏の日の様に皆が取り囲んだ。
「水くせーよぃ! 今日来るって話だったら、ちゃんと計画たてて応援しに来たのにさぁ」
「丸井、無茶を言うな。彼女が俺達の連絡先なんか知るわけがないだろうに」
 不満を表すように、ぷーっと丸井がガム風船を膨らまし、桑原がそれを嗜める。
「アンタすげーじゃん、一年で練習試合に出るなんてさ! しっかりやれよな、応援してっから」
 切原は猫の様な目をきらきらさせ、楽しそうに彼女を励ました。
「落ち着くことです、私はあなたが勝つことを信じていますよ」
 柳生はあくまで紳士的に桜乃の心を和らげる。
「お前は恵まれた環境でテニスをしている、素質も決して悪くない…全力をもって挑めば、お前が負ける確率は十パーセント以下だ」
 細い目で、しかし確実に相手の実力を見抜いた柳が確信する。
「意志をしっかり持て、負けることなど考えるな!」
 相変わらず真田は厳しい言葉だが、心から応援しているということは十分に伝わってきた。
「俺達は、ここで応援しか出来ないけど…折角来たんだ、君の勝つところが見たいな」
 頑張ってね?と肩を叩いてくれた幸村は、緊張など忘れさせてくれる柔和な笑顔を向けてくれた。
「あ…」
 最後に、桜乃は銀髪の少年と向き合う。
 彼は、感情を読みかねる表情を浮かべていたが、やがて僅かに唇を歪めた。
「よう泣かんかったの、いい子じゃ…勝ちに行くんじゃろ?」
「…っ…はい!」
 彼らの励ましが、自分の心の中でとぐろを巻いていた弱気を振り払ってくれた!
「…そろそろ時間じゃの」
 じゃあ…と全員がもう一度桜乃に手を上げて挨拶する。
「俺達は、向こうで応援しているよ」
「はい! 頑張ります!」
 立海の皆がその場を離れ、いよいよ試合が始まろうとしていた。


「結構、予想以上にいい動きをしている」
 桜乃の試合を見守りつつ、真田が腕を組んだ姿でそう評すると、他の部員の殆ども一様に頷いた。
「いけーっ! 竜崎――っ!!」
「けっちょんけちょんにのしたれぃっ!!」
 但し、切原と丸井については、何かテニスとは異なる応援をしており、真田の発言に耳を傾ける余裕はなかったが。
「相手も同じ一年だが…防御、攻撃、どちらをとっても竜崎が上だ。勝負あったな、相手の動きも今ひとつ冴えない」
(そりゃこんだけの応援団が敵側におったら、気力も削がれるじゃろ…)
 立海テニス部代表選手一同が集まり敵方についていたら、普通の相手はその殺気、気迫に呑まれてしまい、戦意すら喪失してしまうかもしれない…女子なら尚更。
 桜乃を元気付ける為に皆をここに来るように仕向けたのは仁王本人だったが、彼は、向こうの一年には少し悪いことをした、と考えていた。
 柳が真田と同じように竜崎に一定の評価を下している隣で、柳生と桑原はうんうんと興味深そうに頷いている。
「女子の方の試合もなかなか面白いですね、動きが実に柔らかだ。敏捷性については、普通の男子の選手より上回っているのでは…?」
「体格や筋肉量については男子とは比べるべくもないが、その分軽さが武器になるんだろうな」
 そして、幸村は穏やかな笑みを浮かべて試合を見守っていたが、もう少女の勝ちがほぼ決まったと考えた時点で、ちらりと仁王に目配せした。
「あれなら俺達がいなくても勝てたよ…あの子の実力と努力は認めるべきだね」
「すまんの幸村…練習を止めさせて」
「いや、たまには人の試合を客観的に見るのも良い経験さ、特に女子の試合なんてそんなに見られるものじゃないからね。それに…」
 僅かに幸村の表情が曇る。
「…あの子に対する謂れのない仕打も気になったし…ね」
「……」
「仁王のことだ、まだ何か考えてるんだろう?」
「さあ、どうかの」
 含みを持たせた笑みを浮かべて仁王が視線を向けたのは、竜崎が勝ちそうな状況で何処か複雑そうな表情を浮かべている彼女の先輩陣だった。

『ゲームセット!! シックストゥーワン! 青学!!』

 竜崎の勝利が決まり、周囲から歓声と拍手が沸き起こる。
「いやった―――――いっ!!」
「勝った勝った〜〜〜〜〜〜っ!!」
「丸井! 切原! 落ち着かんかっ! 全く、自分達が勝った時より騒ぎおって…」
「だって副部長! 俺達が勝つのは当然でしょ? 応援してた奴が勝ったんだから、そりゃ嬉しいっすよ!」
 そうだそうだと丸井が一緒になって同意している間に、試合の勝者が汗だくになって戻ってきた。
「お帰りなさい、とても良い試合でしたよ」
「頑張ったな」
 柳生と桑原に迎えられ、竜崎は息を切らせながらベンチに戻った…ところで、へにゃ、とその場に座り込んでしまう。
「お、おい!?」
「どうしました!?」
 慌てる男性陣に竜崎はしばらく何も答えなかったが、やがてそろそろと顔を上げると、その瞳を涙で潤ませる。
「あ…き、急に…力、抜けて…今になって、恐く…なっちゃって…」
「はぁ!?」
「もう試合終わったぜ! 何だって今頃…!」
 驚く切原と丸井を、幸村がそっと手を上げて制する。
「二人とも静かに、緊張の糸が切れたんだ。仁王、タオル渡してあげて」
「了解ナリ」
 幸村に促される前に、既に準備していた仁王が竜崎の顔前にタオルを差し出した。
「ほれ竜崎、汗、拭きんしゃい」
「は、い…」
 顔に優しく押し付けられたタオルは、彼からの涙を流しても構わないのだという許可だった。
「よくやったの…もうええよ」
「〜〜〜っ…」
 ぐすぐすと鼻を鳴らす少女に、皆が気遣い声をかける中、仁王は腕を組み静かに黙考する。
 ちら、と竜崎の先輩達に目を向けるが、向こうは自分達には興味はあるようだったが、後輩については何ら心配するような様子はなく、寧ろ敵意が露な視線だった。
「……プリッ」
 誰にも気づかれず、仁王の瞳が冷たさを増した。


 後日…
「桜乃――――っ」
「あ、トモちゃん」
 休憩時間での青学の校舎内、桜乃は同級生と廊下でばったり出会っていた。
「今日も部活?」
「うん、今日は基礎練習を少し…」
「へぇ、大変だね。そういえば最近、アンタんとこの部で結構人が抜けたんじゃない? 何かちょっと噂になってるけど」
「あ…あ、うん、そう、みたいだね」
「そうみたいって…知らないの?」
「う、うん、私も実はあんまり」
 あの練習試合の日からしばらくして、いきなりその変化は訪れた。
 竜崎を苛めていた先輩達一同が、急に部を辞めたのだ。
 それだけならまだしも、内何人かは、数日の『自主的な休み』の後に学校から消えてしまった。
 何があったのかは正直知らない。
 噂によると、匿名で教育委員会やらマスメディアに彼女達の『問題写真』が送りつけられたらしい。
 後輩をいじめている現場の決定的写真だったそうだが…自分以外にも被害者がいたのだろうか?
 今の時期、こういう話題には敏感な社会だ、途端に関係者は騒然となり当事者達が追求されたとも聞いているが、それも噂の域を出ない。
 しかし最終的に、部活動における竜崎の懸念は払拭された訳だ。


「今時の携帯は凄いのう、細かいトコロまでよく写っとる」
 部活の帰り道、一人、仁王は自分の携帯をぽーんと放り投げては受け止めていた。
 あの日、集団のいじめの時に持ち合わせていた携帯だ。
 噂では誰かが彼女達の悪行を委員会に報告したとあるが、それはただの噂に過ぎない。
 もし事実なら、竜崎本人も聴取されるに決まっている。
 真実は、あの時に『偶然』写した写真を、彼女達を知る人物数人に『偶然』流しただけだった。
 しかし、一度流れた情報は留まるところを知らないものだ、特にこういう話題は。
『こいつら知ってるか? いつも後輩をこうして苛めてるらしい、係わり合いにならない方がいいんじゃないか?』
 親友からただの知人から、それはもう多岐に渡って事実は流布され、ほんの少しこちらの言葉で曖昧な色をつけただけで、そこに更に誇張された妄想と悪意の棘がついて回った。
 効果は、上に知らせるより覿面だった。
 周囲の自分達を見る目が変わり、評価が地に落ちる…集団でしか行動を起こせない彼女達にとってはキツイ仕置きになっただろう。
「ま、これも因果応報…悪く思わんでくれよな」
 お前らが、落ち度のないあの子に手を出したのが悪いんじゃ。
 仁王は携帯の機能を手早く操り、あの問題の写真のデータを消去した。
 これで…自分の手元には何も残っていない…彼女等との曖昧な繋がりさえも、全て消去。
 にっと笑った銀髪の少年の目は、その時確かに、詐欺師の冷酷さを顕していた…






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