ジャッカル達が彼等に追いついたのは、学校の屋上への扉の前だった。
「おーい」
「何やってんだ?」
二人が来たことに気付いた切原が、困った顔で肩を竦めてみせた。
「い、いや、俺も何やってんだか…」
一方、仁王は扉のノブに手を掛けて回したが、がちゃがちゃと耳障りな音がたつばかりで開く様子は微塵もない。
どうやら、鍵が掛かっているようだ。
「ふーむ?」
むぅ、と唇を尖らす仁王に、ジャッカルが…
「そう言えば、事故を防止する為に、屋上の鍵を常時施錠するってこないだ教員会議で決まったらしいぜ? って、仁王なら知ってると思ったけど」
よく屋上に行くって言っていたけど、もう流石に今は無理だろうし、当然知っていると思っていた…と言う彼に仁王はいやいやと首を振った。
「いや、知っとるよ?」
「え?」
答えながら、仁王はすたすたと階段の隅に置かれていた清掃用ホウキに近づくと、上部に付いていた金属リングを力を込めて変形させ、一本の針金に変えて手に持った。
「はい…?」
不思議そうに見つめるジャッカル、丸井、切原をよそ目に、柳生だけが落ち着いて眼鏡の縁を軽く押し上げる。
「では、宜しくお願いします」
「うむ、苦しゅうない」
そう言うと、針金を扉のノブの鍵穴に差し込み、かちゃかちゃと軽く動かした時間、約三秒。
かちっ
乾いた音がして、仁王はあっさりと鍵の開いた扉を押し開ける。
「おお、開いとる」
「ちょっと待て――――――っ!!」
目の前で展開された準犯罪に、ジャッカル達は大慌てで仁王に突っ込んだが、向こうは全く視線を向けずに無視を決め込んでいる。
「おい仁王っ!! 流石にそれは止めとけ! 先生方に見つかったら…」
「そんなヘマはせん」
「いや、そういう問題じゃなく…」
「いい加減、先生方も諦めたらええのにのう…こんな子供騙し、俺にはザルよ。心配するな、ここの担当はあの山西先生じゃ、もし見つかっても先生がボケて閉め忘れたことにすりゃあええんよ」
背中を向けたままの仁王の、くっくっくっ、という不気味な笑い声。
『悪魔だっ!』
『俺の目の前に鬼がいるっ!!』
『あの後ろの髪の毛、本当は尻尾じゃねぇのかっ!?』
皆が思い思いの感想を心で叫ぶ側で、柳生だけは沈着冷静に仁王に続いて屋上へと向かう。
「皆さん、急がないと誰かに見つかりますよ」
「…お前、よくそんなに冷静でいられるな」
「常に紳士たれというのが私の信条ですから」
「紳士が犯罪助長するのは良いのかぃ?」
「仁王君の生き方を尊重しているだけですよ。彼は詐欺師ですから」
「………」
成る程、紳士と詐欺師が手を組んだら、こんなに天下無敵の暴論吐けるんだ〜…
最早、討論で打ち負かそうという気もなくなり、三人は肩を落としてぞろぞろと屋上へと続き、扉を閉めた。
「よーし、赤也、プール膨らませ、プール」
「お、俺っスか!?」
「トレーニングと思えばいいんじゃよ。幸いポンプもあるし、そう時間はかからん」
「む〜〜」
仕方ないッスね〜と言いながらも、切原はしゅこしゅことリズミカルに空気入れを開始し、見ていた丸井も面白そうに参加する。
その一方で、仁王は携帯をちょっと弄っていたかと思うと、屋上にあった水道の蛇口に繋がれていたホースを引き出してきた。
「よし、入れるぜよ」
ある程度形になったプールにじょぼじょぼと水を注ぎ入れると、自然とみんなの表情がうきうきとしたそれになってくる。
キラキラと太陽の光を反射する水面が、いかにも涼しげで美しい。
「うっひゃ〜〜、すずしそ〜〜〜〜」
丸井は側でしゃがみこみ、早速ちゃぱちゃぱと水を手でかき回して遊び始めた。
「水着はさすがに無理だが、裾を捲くれば足だけでもつけて涼めるじゃろ。ベンチが要るな」
「よし、運ぼう」
もう腹を括ったのか、ジャッカルも協力的に動いてくれ、程なくプールの周りに屋上に据え置かれていた三つのベンチが移動した。
「うおー! 気持ちいいッス〜〜!!」
「暑いは暑いが、足が水につかっていると、何だか涼を楽しんでいる気分になるな」
「授業中は冷房が効いている部屋にいますからね。時々はこうして外に出た方が、新陳代謝にはいいのかもしれません」
「こうやって食うメシも美味いしな〜」
思い思いに、裾を捲くり、足をプールに降ろし、ベンチに座って昼食を食べる男子の一団…
側から見たらかなり異質な光景だが、本人達は気にしない。
「あ、丸井先輩、水掛けないで下さいよ」
「へっへー、悔しかったらやり返してみろい」
「あっ! 言ったッスね〜〜!」
「やるか〜〜!?」
ばちゃばちゃばちゃばちゃ…っ!!
「こらこらこらこらっ!!!」
「あーもー、早速始めよったか…おい、二人ともいい加減にしとけ」
水合戦に発展している二人に、やれやれと周囲が呆れた顔を向け、ジャッカルは真田と柳がここにいないことを神に感謝した。
「しかし、こんなトコロをあの二人に見られたら大変だったな。特に真田副部長は赤也の気配には異常に敏感だから…」
「ああ、まぁ、内緒ごとでバレたら大事じゃから…」
仁王がそこまで言った時、徐に屋内へと通じるあの扉が開き、真田と柳が現れた。
「何事だ、仁王、屋上まで呼び出して…」
「校内での携帯使用は感心出来ないな…む? 屋上は確か施錠されていたと…俺の気のせいか?」
「一応、巻き込んでみた」
「ノ――――――ッ! ノ――――――ッ!! ノォ――――――ッ!!!!」
あっさりとこちらを見てあの二人を示す仁王に、ジャッカル達は半狂乱になる…柳生を除いて。
「仁王先輩っ!! アンタ、何考えてるッスか!?」
「何でよりによってこんなトコロまで呼ぶんだいっ!!」
「何かの嫌がらせかっ!?」
折角、神に感謝したばかりなのに、この目の前の悪魔が早速その祈りの全てをぶち壊した。
「いやぁ…どうせ赤也がおるんなら、遠からずバレるからの。なら、最初から呼んで共犯にしてしまえば…・」
騒ぐ向こうの男達の姿を見て、真田と柳も暫く沈黙する。
ベンチでプールを囲み、裾をまくって足を中に突っ込んでいる五人の姿…
「…説明してもらおうか?」
「おう、ええよ」
ひくひくと顔を引きつらせて唸る真田に、仁王は平然と頷いた。
「別に何しとるワケじゃあない、涼んどるだけじゃ。で、たまにはみんなで、こういう昼の過ごし方もいいかと思って呼んでみたんじゃ」
「…つまり」
柳が、眉をひそめて要点を突いた。
「俺達にもそれに参加しろ、ということか」
「そうじゃよ」
「……」
「……」
どうする?という声が顔に刻まれたような表情で真田と柳は顔を見合わせる。
来てしまった以上はすぐに立ち去る訳にもいかず、二人は渋々という感じで屋上の彼らの側まで歩いてきた。
「まぁ、そんな恐い顔せんと。やってみたら結構いいモンじゃよ。休み時間は休むためにあるんじゃからの」
言っていることは尤もだ、尤もなのだが…
「たるんどる」
「まぁ見た目はそうだが…確かにこういう涼の取り方もある」
先に仁王に同意したのは柳だった。
「おう、参謀もやってみい」
「…・そうだな、多少強引という気はするが、面白いデータが取れそうだ」
「蓮二もやるのか!?」
真田が意外そうに尋ねた時には、柳は既に準備を始め、結局副部長も参加する形となった。
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
「………」
全員、暫く無言…
「…で? これの何が楽しいと?」
そう言う真田の顔は明らかに困惑している。
全員が円陣を組んで、裸足をプールに突っ込んでいる姿は、部外者には絶対に見せられない。
扉には予め鍵を掛けたので、誰も入っては来ないと思う…仁王の様な人間がこの学校内にいない限りは。
「いや、だって話もしないんじゃなぁ」
「面白いハズがないよぃ」
「そうッス、こっちだって副部長がそんな睨んでたら、話すことも話せませんって」
「これは地顔だ!」
ただ一人だけ、柳は無言で水温のデータやら自分の心拍数やら何やらを面白そうに持参のノートに書き込んでいる。
「時間が勿体無いな…では今日の練習についてでも…弦一郎、今日の内容だが、一斑と二班のデータでは均衡が取れない。特に二年の岡村の調子が今ひとつだ」
「ふむ?」
どうやら、非レギュラーの部員達のことを言っているらしいが、それを聞いて口を挟んだのは、意外にも後輩の切原だった。
「あ、それは当然ッス。アイツの母親が今、家にいなくて、兄弟の面倒やら家事やら一手に引き受けてるッスからね。結構キツイみたいで」
「なに?」
初めて聞く情報に、真田がぴくんと片眉を上げる。
「そうだったのか、蓮二?」
「いや…そういう情報は入ってきていない」
足で水をぱちゃぱちゃやりながら腕を頭の後ろで組み、切原はん〜と青空を見上げた。
「母親がいないのは、遠縁の人が入院した都合らしいッスからね。自分の家族には直接的な関係がないから、柳先輩とかへの報告もしなかったんだと思いますけど…それにアイツ、結構そういうの遠慮する方だし、言い辛かったんじゃないスか?」
「ふむ…」
これは意外な情報源だった…
柳は急いでノートに切原の言葉を書き加え、熟考に入る。
早速、練習メニューの改善を図っているのだろう。
真田も、ほうと頷き、期待の二年生エースへ注目する。
「これは意外な収穫だ。よくやったな赤也」
「へへ、俺とアイツはクラス近いし、たまに話したりするんスよ」
「他に情報は? 非レギュラーで何か新たなものは」
「そういやぁ…」
柳の問いに、今度はジャッカルが手を上げて発言する。
いきなり始まった情報収集会で、やおら場は盛り上がり始めた。
「へぇ〜、何かレギュラーでこんな事話すのって新鮮だな。まぁ俺も入ってるけど」
「そうですね…そう言えばレギュラーは練習メニューも一緒ですから互いに分かり合っていることは多いです、が、非レギュラーの部員とは、あまり練習中に話す機会もありません。私達がこうして彼等について話す事もありませんでしたし…」
「どうしても、部活中は自分達の事で手一杯になるからなぁ、それに俺達があんな場所で奴らの事を話したりすると、やっぱり気にする奴もいるだろう」
ジャッカルの意見には、柳も真田も異論なく頷く。
「確かに…これは良い事を聞いた」
「早速、練習メニューに変更を加えるとしよう」
副部長と参謀に、仁王は薄い笑みを浮かべた。
「ほら、たまにはいいじゃろ? こういう場を持つのも」
「む…しかし、別にこういう場で、こういう道具まで持ち出す必要はないだろう」
「ちっちっち、分かっとらんの真田。こういう話をするには、かしこまった所じゃなく誰も知らん場所なのが必須条件じゃよ」
「いや、だからプールは…」
「気分転換」
足が冷えて、いい気持ちだったじゃろ〜〜?と、にぃっと笑う相手に、真田は無言になる。
確かに…悪い気持ちではなかったが…
「なぁ、赤也、お前これ、ここに置いとけよぃ」
「え? これって…プール?」
「俺またやりたい、これ。気に入ったぃ!」
丸井は、既にこのプールをこれからも昼の一行事に加える気、満々の様だ。
「仁王、いいだろい? ここ、貸してくれよー」
「…俺の所有地じゃないからの、別にいいんじゃないか?」
幸い、屋上の小さな雑貨収納庫に入れるスペースはあるし…と頷き、切原を見る。
「どうじゃ? 赤也」
「いや…別にいいッスけど…でも俺、ホントにどっから持ってきたんだろうな〜、コレ」
いまだに頭を捻っている後輩に、仁王は軽く声を上げて笑うと、真田達に頷いてみせた。
「今日のことはくれぐれも内密にのぅ。誰から漏れ聞かれるか分からんし」
「うむ、承知した」
「それは当然だ、分かっている」
二人に念を押したのは、きっと不法侵入を職員にばらさない為の策だ…と他のレギュラー陣は思ったが、無論、誰も何も言わない。
「じゃ、そろそろ片付けるか。休みももうすぐ終わりじゃし」
「そうか、じゃあ今日はここまでだな」
そして、最後はみんなで協力して全ての証拠を隠滅し、屋上の扉は再び仁王の手によって施錠された…
それからレギュラー陣には、天気の良い日に限って一つの習慣が出来た。
「うわ、先越された」
「早いな〜」
「おう来たか、遅かったの」
それは、昼休みには屋上で集まり、あのプールを使うこと。
無論、日によっては参加出来ない人もいるのだが、大体は全員が顔を合わせるようになったのだ。
時間を使う用途は様々…
部の密談だけではなく、家から持ってきた玩具のボートを浮かべて遊ぶ部員もいれば、足を水につけて読書に勤しむ者もいる。
「赤也! 先生から聞いたぞ。貴様、また試験で不名誉な記録を打ち立てたそうだな!!」
「げっ!! 何でそんなコトまで!!」
切原にとっては、いいことばかりの休息ではなかったが…
「はは。そう言えば、こないだここで撮った写真、幸村に送ったら大ウケじゃったぞ」
「なにっ!? お前、こんなところをあいつに見せたのか!?」
大いに驚愕している真田に、仁王はにこにこと笑ってあっさり頷いた。
「おう、五分は笑いっぱなしじゃったらしい。練習ばかりでギスギスしているかと思っとったが、安心したとよ」
「むぅぅ……」
幸村が安心したというのなら、まぁ、良かったのか……と思ったが、どうにも腑に落ちず、真田はそれからもうーんと悩んでいた。
仁王がまたそれを見て笑う。
夏はまだまだ始まったばかり。
自分が昼休みの扉を開けるのも、暫くは習慣となるだろう…
了
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