アンニュイな秋の午後


『ねぇ、見て見て』
『あ、幸村先輩…相変わらずステキよね〜〜〜』
『先輩にあんな表情をさせることが出来る人なんて、いるのかしら…』
 ある秋の日の昼休み、図書館でそんな女生徒達の会話が交わされていた。
 ここは立海大附属中学の図書館。
 昼休みに図書を借りたり、読書に勤しむ生徒達は結構多く、今もこの場所は人の姿が比較的多い。
 秋風も冷たさを増し、外で遊ぶより屋内にいる生徒が多くなったというのも原因の一つかもしれない。
 そんな人の多い場所にあって、一人の少年が女性達の視線を釘付けにしている…・幸村精市だ。
 立海大附属中学の男子テニス部部長であり、最近ようやく病を克服して学校にも通学出来るようになった眉目秀麗な男子である。
 姿だけではなく性格も至って温和…時に厳しい一面も見せるが、出来た人格のため、無論人望も篤く、それ故にテニス部部長という責務もこなせているのだろう。
 そんな彼が、図書館の窓際に佇み、ため息をつくかのような憂い顔で外を眺めている姿は、それだけでも十分に絵になるというものだ。
 きゃあきゃあと陰で囁きあって騒ぐ少女達の視線に気付くこともないのか、幸村はただじっと外を眺めていたが、彼の代わりに、図書館の中でのささやかな喧騒に気付いた一団がいた。
 幸村と同じく、テニス部に所属している他の部員達だ。
 幸村より彼女達に近いという距離的なこともあって、女生徒達の騒ぎようは、最初から彼らには筒抜けの状態だった。
「うわ〜、相変わらず幸村部長って人気高いッスね〜…退院してから尚更ファンが増えた気が…」
 ちらちらと幸村のファン達を見ながら呟いたのは、二年生エースの切原である。
 さっきからその騒ぎの方が気になるのか、手にしている本になかなか視線が定まらない。
 そんな彼に首を振りながら答えたのは、先輩でありながら彼の子守役でもあるジャッカルだった。
「ま、久し振りだと熱も上がるんだろう。病み上がりだと、女性の母性本能もくすぐられたり…」
「病持ちは色気が増すというような諺もあるからのう…ま、俺はそう見られるために病気になるなぞ、真っ平御免じゃな」
 実に現実的で健全な意見を述べた銀髪の男、仁王は、切原よりは自分の本に集中出来ているようだが、隣で寡黙に読書に勤しんでいる相方の柳生程ではなかった。
「お前達…少しは静かにせんか。図書室だぞ、ここは」
 一緒にいた副部長の真田が、こめかみに青筋を浮かべて、遂に我慢が出来ないといった態で口を出した。
「と言うより、何でここに皆が集まっているのかが俺には理解不能だが…」
 同じく同席していた柳が久し振りに視線を上げて、他の部員を困惑気味に見つめたが、それに堂々と答えを出したのは後輩の切原だった。
「秋の読書週間でみんな読破数とか張り合ってるし、知ってる顔あったらそりゃ集まるでしょ。それに今日は外も特に寒いし、だから人数が多いんスよ」
 立海では季節ごとの行事も多く、この秋の読書週間なる時期には、生徒一人一人の読破した本の数が図書室において計測される。
 上位に入る人間は表彰されたりもするのだが、ここ数年、一位は男子テニス部参謀の柳という生徒が独占している状態だ。
「お前にしては見上げた心がけだな、少しは読書に勤しむ気持ちが芽生えたか…」
「柳先輩、ここにいるついでにこの問題分かんないんで教えて下さい。今度の追試落としたら、マジ進級やばいんで」
「…………」
 真田の褒め言葉は一秒ももつことはなく、彼の冷たい視線の先では柳も呆れた表情を隠そうともしなかった。
「少しは自分で考えてみたらどうだ」
「時間ないッス」
「テレビゲームの時間を潰せばどうとでもなるだろう」
 先輩と後輩の攻防の向こうで、丸井がむ〜っと何かを考えているような微妙な表情で幸村を眺めている。
 今は誰か見知らぬ勇気ある女生徒に声を掛けられて何かを話し込んでいるが、何となく照れている様な困った様な様子であり、きっと悪くない評価をされているのだろう。
「どうした? 丸井」
「いいよなぁ…なんつーの、アンニュイな感じでオトナな男を目指すってのも」
「俺達まだ中学生だぞ」
「だけど、幸村なんかマジ雰囲気出てるじゃんか! ああいう感じを出せたら、俺も少しは成長したような〜…んで、誰かに話しかけられて〜」
「餌を貰う…と…かなりセコイぞそれは、オトナとして」
「そ、そそそんなコト、かかか考えてねーよい!」
「……」
 ジャッカルの言葉に返している丸井を仁王がじっと見つめ、彼に面白そうに進言した。
「…じゃあ、丸井よ。今、そこの窓で幸村の真似をしてみぃ」
「え?」
「いいから、やってみぃ。こういうのは形から入るのも手だぞ」
「ん…うん」
 相手の半ば強引な説得に押され、丸井は言われるままに窓際へと移動し…
「…………」
 少し疲れたような、まぁ、アンニュイと言われたらそう見えるような表情を浮かべてみた。
「おお、結構イケてるんじゃないッスか、丸井先輩」
「事情を知っている人間にはな」
 何かを悟った仁王が言い終わるか否かという時に、男女の数人の生徒が丸井に慌てて駆け寄ってきた。
「ま、丸井っ!! 腹でも痛いのか!?」
「お腹空いてるの? お弁当の残りあるけど!」
「調子悪いならすぐ病院行けよ!? お前が調子崩す病気なんて、きっとロクでもないもんだろうから!! これから受験シーズンなんだから、頼むから移すなよ!?」
「…………」
 大事にされているのか否かは微妙なところではあるが…取り敢えず、オトナの雰囲気を出そうという計画が木っ端微塵に粉砕された事は事実だ。
 言葉を返せずにいる当人を見遣り、仁王は一言断言した。
「…無理だと思うが」
「仁王君、もう少しソフトに教えられませんか」
「面倒じゃ」
 たしなめる柳生の向こうで、クラスメート達に微妙な心配をされた丸井はうわーーん!と思い切り良く爆発。
 とてもオトナを目指す男がやる事とは思えない。
「ひで―――――!! 予想してたな仁王〜〜〜〜っ!!」
「無駄な労力使わんで済んだじゃろ」
「そこ、静かに」
 柳が注意して、再び一時は静寂を取り戻したテニス部の一帯だったが、無論、丸井の立腹があっさり収まる訳ではなかった。
「何だよ〜! じゃあ、お前らもやってみろい! どんなコト話し掛けられるか見物だい!」
「何でだよ!?」
 別にいいだろ…とジャッカルがなだめるも、なかなか収まりがつかない丸井は、今度は彼を窓際へと押し出した。
「おら、ジャッカル、行け行け! オトナの男の雰囲気だぞ、頑張って出してこい」
「そういうのは頑張って出すものじゃ…」
 反論しようとしても、最早、窓際の指定席に押し出された以上やるしかないようだ。
 やれやれ…と仕方なくジャッカルは窓際の手すりに手をかけてため息を一つついてみた。
 別にポーズなんかつけなくても、いつもの自分じゃないのかこれって…
 それはそれでショックなことを思っている彼に、意外と早く彼の知り合いらしい生徒が近づいてきた。
「何だ、桑原。またあの二年生に貧乏クジ引かされたのか?」
「…いや、別にそういうワケじゃ……」
 会話を聞いていた丸井は、けひひ…と陰で笑い、切原は何となくバツが悪い表情を浮かべる。
 他の部員達は、何処か哀れむような表情だったが、何をいう事もなく、向こうの話の展開を見守っていた。
「あんまり若い内に色々抱え込むと更に老けるぞー。たまにはテニス以外のものでも発散させないとな。そうでなくてもお前、あの二年だけじゃなくて丸井にも振り回されてるみてーだし…下手すれば早死にするぞ」
 ぶほっ!と思い切り誰かが噴き出した声が向こうから聞こえた……多分丸井だろう。
「……まぁ…俺もそう思う。あいつらの人生が心配だな、せいぜい前科者にはならないでほしいもんだ」

『よけーなお世話だっつーの!!』

 詫びを入れるどころか心で悪態をついた二人の態度からは、おそらくこれからもジャッカルの心労が減ることはあるまい…と他の部員は共通して思った。
 それからあの生徒が去った後、暗い表情のままで戻って来ると、ジャッカルは誰かに何かを言われる前に、自分からヤケクソで騒ぎ出す…まあ、気持ちは分からないでもない。
「ああそうだよ!! おりゃジジイさ、オトナどころか老けてる上にクジ運悪いんだよ! 悪かったな、どうせ一生こういう人生なんだっ!!」
「いや、誰もそこまで言ってませんって!」
「悪かった、悪かったよぃ! これからは心入れ替えて、お前がいる時しか尻拭いはさせねぇって!」
(それは全然これまでと変わらないということなのでは…)
 冷静な柳生が心で思ったが、口に出して言うと更に騒ぎが大きくなりそうなので、敢えて黙っておいた。
 仁王も気付いているだろうが、彼も同じく黙秘している…多分、そっちの方が傍から見ていて面白いからだろう、今もしっかり目が笑っている。
「だーっ! くそっ、こうなったら今度はお前行け! 赤也!!」
「いっ! 俺ッスか!?」
 ジャッカルが珍しくキレて今度は切原を窓際に追い込むが、誰もそれを止めようとはせず、寧ろ手を振って元気に送り出してしまう者さえ現れる。
 真田と柳については結果に期待しているのではなく、寧ろ諦めの境地といった方が正しい。
「お、あそこにいるのお前のクラスメートじゃんか。頑張れ赤也、死んだら骨は拾ってやるからよい」
「拾った後にどうしてくれんのか、聞くのが恐いッスけどね…」
 大体どうしてこういうコトで命のやり取りをしなきゃならんのかが甚だ疑問。
 それに、そもそもそんな顔をしたところで、話し掛けられること自体が可能性は薄いと思うし…
 あ〜あ…という顔で取り敢えず目的の生徒側の窓際に移動し、さて席について外を眺める…
(無駄だよなぁ多分…あ〜外は寒そうだけど、取り敢えずここはぬくいし…)
 アンニュイな、気だるげな表情を心がけて…
 一秒、二秒、三秒…
「ぐう…」
 誰かから話しかけられる暇も無く、切原は夢の中へと逃避した。
「うおおいっ!!?」
「しまった盲点だったぃ!」
 ジャッカルの突っ込みと、丸井の舌打ちの隣で、真田が仁王に不機嫌も露に指示を出す。
「…叩き起こせ」
「俺?」
「元はと言えばお前が丸井を炊きつけたからだろうが」
「ん〜、仕方ないのう…」
 確かに相手の言う事も一理ある…逃げてもいいがそれはそれで後々面倒だ。
 仁王はかたんと椅子から立ち上がり、つかつかと切原へと向かって歩いていくと、面倒臭そうに側の机上にあった分厚い本を取り上げ、思い切り良く相手の頭に振り下ろした。

 がすっ!!!

 聞こえてくる派手な音に、他の生徒はおろか、テニス部メンバー達の一部もびくうっと肩を竦ませる。
「起きんか赤也、朝じゃ」
 起こす台詞も投げやりそのものだったが、遠目で見ていたメンバー達はそれより切原の安否が気になって仕方がなかった。



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