(死ぬっ! 下手したら死ぬっ!!)
(マジで起こす気あんの!? そのまま永眠させる気じゃないのかいっ!!)
しかしそんな彼等の動揺を他所に、切原は何事も無かったかのようにむくっと頭を上げた。
これもこれで凄い、まるで氷帝の誰かさんのようだ。
「…ありゃ?」
「起きたか、とっととこっちに来い。お前さんにはまだ無理じゃったな」
「……何か頭が痛い」
「気のせいじゃ」
あっさりと自分の非情な仕打を語ることもなく、仁王は悠々と後輩を連れて皆が集まる場所へと戻ってきた。
「赤也、大丈夫か?」
「俺、マジで頭蓋が割れたかと思ったよい…」
「へ?」
ジャッカルと丸井が気遣う隣で、真田はふんと鼻を鳴らした。
「あの程度で割れるような頭では、俺の拳骨をこれまで受け続けてこられたわけがない」
「いやだからって……」
「何スか? あ、で俺、誰かに何か言われてました?」
「言われる前に眠っていては世話が無かろう…」
呑気な切原に、柳があからさまに眉をひそめてそう言ったが、本人は全く気にしている様子はない。
「何だ、俺寝てたのか…」
「お前、やっぱり別の意味で大物だな〜」
「周囲の人間に迷惑かけるだけかけて、で、どっかにトンズラするタイプだな…一番、お付き合いしたくないタイプ……オトナでもいるけど、そういう奴は」
「いや、そういう人間に限って長生きするもんじゃよ」
「少しは静かに出来んのか、お前達は…」
わいわいと話し出した部員達に、呆れた口調で真田がたしなめるが、ノリ始めた部員達は今度は真田達に標的を変えてみた。
最早、彼らの中で本に集中している人間は誰もいない。
「真田はどうだい? やっぱ真田ぐらい老け…じゃない、大成してたら、オトナの雰囲気なんてちょろいもんだろい?」
「今の言いかけた言葉が非常に気になるが…」
公共の場などに皆で出掛けた時には、まず間違いなく引率の先生やら親やらに間違えられてしまう、或る意味不運な中学三年生は、丸井の発言した言葉の中で耳ざとく気になる一語を拾い上げたが、結局それは向こうの笑顔で誤魔化されて終わってしまった。
「…俺は試そうとしなくても過去の経験があるからな、改めてやる必要などない」
苦虫を噛み潰したような顔で断言する真田には、やはりあまり良い思い出ではないらしい。
「へぇ? 言われたことあんのかい?」
「まぁな……あの二年生が何やらかしたんだ、とか、あの二年生がおちゃらけて困ってるのか、とか、あの二年生が寝こけるばかりで進歩がないのか、とか、あの二年生がコートで暴れて…」
「はい先生、その二年生がここで死んでます」
語れば語る程に眉間の皺が多く深くなってくる副部長に、丸井が突っ伏した切原の襟首を掴んでうりゃっと持ち上げ、仁王が下から、顔が青ざめている当人を覗き込んだ。
「つーか、今度は狸寝入りじゃの…このまま埋めとくか」
「庇おうという気はないんスか…」
「ない」
即答する仁王もかなり非情であるが、これだけ前科が積み重なった切原を擁護するのは、それだけで骨が折れそうである。
「…柳はいつも何かしら考えて行動するから、特別言われることは無いんじゃないか?」
結局、輪の中に加わっているジャッカルが柳に話を向けると、相手はふむ、と顎に手を当てて少し考えた後に答えた。
「そういう表情などで人の心情を探り、声を掛けるということは、環境によってもその内容は左右される。俺が今、仮にこの場で同じような表情を浮かべたとして問われる内容は、一つ『図書室の蔵書で未読のものが無くなったことを想定される』、二つ『これだけ図書室と言う場で騒いでいる部員に愛想を尽かしていると考えられる』、三つ『図書委員の顧問の個人的な極秘情報を暴露しようか悩んでいる』が挙げられる。しかし最後の件は知っている人物が限りなく少ないので、問われる確率は三パーセント以下…」
「一と二はどうでもいいけど、最後の三が異常に気になるッス」
「俺が聞いてやるから、行かない? 窓際席」
途端に復活した切原と丸井が目をキラキラさせて柳に迫る。
「愛想を尽かされてどうでもいいとはどういう事だ、お前達…」
びきびきと青筋を更に増やして問う副部長の怒りも届いていないのか、二人はそれでも尚、興味津々という態だが、逆に柳は困ったな、という表情で念を押した。
「…言うのは構わないが、共犯と看做された場合には、人生で幾つか失うものを覚悟しなければ…」
『………』
一瞬、何を言われたのか分からなかった二人が、ちら…と互いの顔を見合わせた。
それってやっぱり…そういうヤバイ話になるんだろうな…
てか、そういうヤバイ話に学校の教師が関わっているってどういうコト?
知りたいのは山々だけど、もし知ったことで人生のレールが大きく方向転換されて、その行き先が断崖絶壁であった場合は…やっぱり自分達が責任取らないといけないワケで。
「やっぱいいッス」
「そのまま墓場までもってって」
二人は一時的な好奇心より、自身の長い人生の保全の方を迷わず選択した。
「そうか」
「…仁王君は、既に御存知のようですね」
柳が頷いている向こうで、柳生が仁王を見ると、確かに彼は含みのある笑みを口元に浮かべていた。が、さらっといつもの様に軽く受け流す。
「まぁの、その程度の情報なら、わざわざ参謀に聞くまでもない…バレるようなヘマもせんしの」
(何処かのマフィアかここはっ!)
如何に名門とは言え、普通に考えたらただのテニス部の集まりである筈が、何故先程からこんな如何わしい話題が舞い飛んでいるのか…真田は人知れず頭を抱えた。
「…っと、ところでまだ柳生と仁王が済んでないよな」
「私達ですか…? 別に大したことは言われないと思いますが…」
す…と眼鏡の縁に指を当てて柳生が丸井に応じたが、当然、ここまで来て引っ込む相手ではない。
「まあまあ、そう言わずに行った行った」
「ちょ、ちょっと…仕方ありませんね、全く…」
丸井に背を押され、柳生は眼鏡を指で押さえながらやれやれと窓際に移動する。
「しかし、誰かに注目されるということも保証出来ませんよ」
「んなワケないだろい。お前らだって校内で結構人気あるんだし、それなりの表情してりゃあすぐに誰か食いついてくるって」
「…何だか魚の餌みたいで嫌です」
む〜っと少し不本意な態度を示しながらも、柳生は窓際に立って暫く無言を守った。
確かに、立ち姿は絵になっている。
すらりとした長身で、腕を組んで立っている柳生は、確かに様になっている、いるのだが……
「……………」
何かが起こることを期待していた丸井達だが、一向に誰も柳生に話しかける様子がない。
一分が過ぎ、二分も経過し、三分が過ぎ去ったところで、丸井の忍耐が限界に達する。
「だ―――――っ! 何で誰も何も言わねぇんだよ」
「いや、そりゃあ期待し過ぎってもんだろ…大体、柳生が言ってた通り、必ず話し掛けられる保証はないんだし…」
ジャッカルが相棒を宥めている脇で、既に悟った様子の仁王が肘をつきながらため息をついた。
「当たり前じゃろ…目は口程にモノをいい、と言うじゃろうが。柳生みたいに目の表情が分からんと、どんな顔しとってもいつもと同じじゃ。同じなのに用も無いヤツに声を掛けるワケもないしの」
「…柳生、眼鏡外して」
「断固拒否します」
一秒と待たずに否決した柳生は、さっさとこちらの机に戻ってきてしまった。
さて、残るのは…
「…んじゃ、仁王だな〜」
「うーむ…」
炊きつけた本人であるという自覚がある以上、彼もやる覚悟はあるのだろうが、それでも何となく浮かない顔をしている。
「まぁやってもええがのう…はぁ、あまり気は進まん」
「何だよぃ。人にさせといて今更抜けるのはナシだぜ」
「…まぁ、仕方ないか」
ため息をついて仁王は柳生と同じ様に窓際に立って、口元に手を当てながらため息をつく。
自分達が見ていても振りなのか故意なのかも分からない自然さであり、これなら誰かが声をかけるなり騒ぐなりするだろう…と期待していた一同だったが…
「仁王君、ちょっとこっちに来なさい」
「…あり?」
仁王に一番最初に声を掛けたのは、意外にも図書室にいた一人の教師だった。
何の目的で呼ばれたのか無論丸井達は知る由も無いが、仁王だけは既に話の内容までも想像出来ているのか、やはり面倒そうな表情で、素直に教師の許へと歩いて行った。
『………』
『………』
何やら二人が話しこんでいる様子を見て、真田達も興味有りげに向こうの様子を伺う。
「何だ…? 仁王に何か用でもあるのか?」
「いや、弦一郎。あの教師は随分前から図書室にいた。もし仁王に用があるのなら、とっくに呼びつけている筈だ」
流石に参謀の柳は類まれなる観察力を発揮したが、それでも勿論、彼等の話の内容を導くまでには至らず、結局、仁王の帰りを待つしかなかった。
彼が戻るまでには結構な時間を要し、ようやく解放された時には、本人はうんざりといった表情でこちらへと歩いてきた。
「………ほら」
まるで予言していた事実を証明したかの様に、仁王が一言。
「いや…ほらって……」
「何が、ほら、なんだよい」
ジャッカル達が首を捻っていると、仁王ははぁ、と息を吐きながら目を伏せた。
「俺が一人であんな表情をしながら考え込むとな、必ず何か企んどると思われて尋問されるんよ。全く…昔ならいざ知らず、今の俺がそんなドジ踏むワケないじゃろ。まるで人間と狸の化かし合いじゃ、しかも正攻法とは張り合いの無い」
「…そういう昔話って、大抵、最後は狸が狸汁になって人間に食われちまうんだよな」
ぼそっと呟くジャッカルに、うんうんと丸井が頷くが、その表情は暗い。
(で、どっちが仁王先輩なんですかー?なんて聞けるぐらいなら世話は無いよな…あー恐ぇっ!)
暖房が効いているはずの図書館で、切原もぶるっと身体を震わせた。
つまり、今の仁王は教師達にとって危険人物と看做されているワケだ。
掴みどころのない人物だということは理解していた、しかし、表情一つでそこまで疑われるなどというのは流石に尋常ではない。
「…あー…つまりそれは、お前が詐欺師という異名があるからか?」
「いや、前歴じゃろ」
何となく歯切れが悪くなった真田の質問にもあっさりと答えると、詐欺師はニヤ…と意味深な笑みを浮かべた。
「証拠は無いがの」
(過去に何があった、仁王っ!!)
思いはしたものの、聞くことは憚られる気がした為、真田の疑問は声無き声としてしか存在出来なかった。
真田に限らず、他の全ての部員達も顔色が悪い……別の意味でのアンニュイな表情だが、彼らには図らずも今自分達がそういう表情を浮かべているという自覚すらないだろう。
「…やんなきゃ良かった」
「今更遅いッスよ丸井先輩…」
「ここはホントに中学校か……?」
そんな彼らを、少し離れた場所から見守っている者がいた。
騒動のそもそもの発端となった部長である幸村だ。
とっくの昔に女生徒との会話を終わらせていた彼は、今も何処となく物憂げな表情を浮かべて部員達を眺めている。
当初ここに来た時には外の秋の景色を見て物思いに耽っていたのだが、彼等のささやかな騒動に気が付くと、とてもそれどころではなくなってしまっていた。
一体今度は何で騒いでいるのか…今は少しだけ静かになったみたいだけど、きっとまた…
「はぁ……」
また、アンニュイな笑みを浮かべた表情で一つため息。
「…ほんと、手のかかる仲間達だな……ふふ、まるで子供じゃないか」
自らの物憂げな表情の原因である少年達を何処か優しい瞳で見守る幸村は、それからゆっくりとその場から離れ、悠然と彼等の方へと歩いて行った……
了
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