スクラッチカード


「ねぇ桜乃、ちょっとここでお茶していっていいかな」
「うん、いいよ。ここのドーナツ美味しいしね。実は今やってるキャンペーン、点数集めてるし」
「あ、桜乃もなんだー、実は私も」


 或る休日の夕方
 青学の一年生、竜崎桜乃は、買い物を終えた後の帰り道、親しい友人二人とそんな会話を交わしていた。
 大手チェーンであるこのドーナツ店は、比較的安価で美味しいドーナツを提供することで若者達の支持を集めている。
 また、時々行われるキャンペーンでは、スクラッチカードの点数の合計によって好みの品物を提供するサービスも行っていて、これも結構な集客力となっているのだ、丁度今の彼女達の様に。
 店の中に入ると、店員の元気のいい掛け声と暖房の効いた空気が出迎えてくれて、三人はそのまま女性店員の案内で奥の席へと通された。
 夕食時ということもあって、中は予想より混んでいた。
 ドーナツなどでなくても、暖を取る為に飲み物だけという客も結構いるようだ。
 席に着いて荷物を置いて、一段落してから肩の力を抜いたところで、三人は改めてドーナツと飲み物を買い求める為に品物を並べているショーケース前に並ぶ。
 既にそこにいる数人の客も、店員に希望の商品を言ってトレイに乗せてもらうなどしており、彼女たちの順番はもう少し先の様だった。
「でも、帰ってからも夕食あるから、なかなか集まらないんだよねー」
「分かるー。私も抱き枕狙ってるんだけど、あれだけで十五点でしょ? 結構ハードル高いんだよね。桜乃は?」
「私も出来たら抱き枕だけど…やっぱり無理かなぁ。期限も迫ってるし」
 ちらっと桜乃が見た先に、今やっているキャンペーンの貼り紙があった。
 商品を三百円買う毎に一枚のスクラッチカードが貰え、そこに記載されている点数の合計五点でプレート、十点でお弁当箱セット、十五点で抱き枕、二十点で飲茶セットの品物がもらえると言う主旨のことが書かれている。
 因みに今、桜乃がためている点数は五点。
 その期限まではもう一週間もなく、正直桜乃は無理だろうと考えていた。
「まぁ、こんな所でムキになって貰うものでもないんだけどねー」
 あはは、と笑う友人に、桜乃もそうだねーと苦笑いしながらも、残念そうに軽く息を吐き出した。
「でも、あのうさちゃんが可愛いのよね〜、だっこしたい〜〜」
「売ってないから欲しいってこともあるしね」
「そうそう…」
 頷いた桜乃の耳に、その時、喧騒に紛れて小さな声が聞こえてきた。
「ふふ……」
 微かに笑う男性の声…滑らかなそれは耳に寧ろ心地よく入ってきて、思わず桜乃はきょろっと辺りを見回してしまった。
 何となく…自分達のことを見て笑われている気がする……
 そう感じながら見回していた彼女の目が、ごく当たり前の事だが隣の客の視線とぶつかった。
「あ…」
 今まで友人と話してばかりで全く気付かなかったが、隣の先客は、自分もよく知る人物だった。
「…幸村さん!?」
「こんばんは、竜崎さん。君もここに来ていたんだね。気付かなかった」
 立海大附属中学の男子テニス部部長、幸村精市が、桜乃に微笑みかけながら挨拶する。
 休日にも関わらず、いつも見慣れた立海の制服姿だ。
「こんばんは、幸村さん…あ、あれ? どうして…」
 神奈川にある立海の学生である彼が、どうして東京に…と考えていると、それを見透かした様に幸村はにこにこと笑いながら先に説明した。
 相変わらずその笑顔は、中学生とは思えない程に大人びて、男性とは思えない程に美々しい。
「今日は別の学校での試合でみんなと一緒にこっちにね。で、今はその帰りの途中。まさか君がいるとは思わなかったけど…元気かい?」
「はい、幸村さんも、お元気そうで何よりです」
「ふふ、有難う」
 笑顔で返してくれる少女に、幸村は頷いて答えた後、興味深そうに彼女とその後ろで自分に視線が釘付けになっている二人の友人を見回した。
「面白そうな話をしていたね、うさちゃんって?」
「あ…あ〜、それは…」
「お客様、御注文はお決まりでしょうか?」
 桜乃が恥ずかしげにどもっている間に、幸村の順番が回ってきた。
「あ、ホットティーを一つ、ミルクで」
「かしこまりました」
 手際よく注文を済ませた男子生徒は、再び隣の女子へと視線を戻す。
「うさちゃんって人をだっこしたいの?」
「ち、違いますよ。あれです、あの抱き枕」
 あらぬ誤解を受けそうになり、桜乃は恥ずかしさも忘れ、慌てて例の貼り紙へと幸村の視線を指先で導いた。
「……ああ、あれか。ふぅん、点数を集めるんだ」
「そうなんですよ。あの中の抱き枕が可愛いんです。うさちゃんでしょ?」
「なるほどね。でも、もう期限が近いね」
「悩ましいところです…抱き枕のために太るワケにもいかないし、懐が寒くなっても意味ないし」
 実に素直で現実的な感想を述べた桜乃に、幸村はそうだね…と楽しそうに笑いながら答えた後、今度はレジの店員へ呼ばれ、そのまま清算を済ませてレシートを受け取る。
 そしてトレイを持った方とは反対の手を軽く上げた。
「じゃあ、俺達は奥の席だからここで」
「はい」
 続けて彼は桜乃と後ろの友人達に会釈すると、奥の死角へと消えていった。
 L字型の空間になっているこの店では、奥の席はこちらからは見えなくなっているのだ。
「桜乃、今の人って?」
「あ、立海のね、テニス部の部長さん。凄くテニスが強いのよ」
「桜乃、そんなの問題じゃないわ、物凄い美形じゃない!! テニスが出来なくても、あれなら勝ち組よ!」
「ちょ、ちょっと……」
 それからドーナツと飲み物を選んで戻るまで、桜乃は友人達から「男性を見る目」の熱い語りを延々と聞かされることになったのである……


「よう、幸村、遅かったの。おかわりはそれだけでいいのか?」
「うん、ちょっとレジが混んでいてね…ごめんよ、これを飲むまで待ってくれる?」
「別に急ぐこともありませんから、ゆっくりどうぞ」
「すまない」
 死角へと入った幸村を待っていたのは、先に品物を買って席で待機していた他のテニス部レギュラーメンバーだった。
 銀髪の仁王と柳生に声を掛けられた幸村は、答えながら自分に割り当てられていた席へと着席する。
「ふい〜〜、食った食った……」
「これで夕食までは何とかもちそうだな」
 先に注文していた山盛りのドーナツをぺろりと平らげ、テーブルを戦場のような状態にした二人の部員に厳しい視線を向けたのは、幸村本人ではなく、同じく着席していた副部長だった。
「赤也、丸井、もう少し静かに落ち着いて食えんのか」
「だって試合で体力使ったし」
「んなゆーちょーに食ってたら、俺、その間に餓死しますって」
 当然ながら、試合は全勝だった。
 まぁ、立海が本気になるレベルの学校相手でもなかったのも事実だが。
「お前達には、大脳か消化管の機能障害でもあるのではないか?」
 たかが数時間で、しかも食べながら、どうしたら餓死の危険を覚える程の空腹感を感じることが出来るのか…正直、本当に餓死に至るのか試してみたいところだ、と思いつつ柳が疑問を投げかけたが、向こうは既に互いに食べたドーナツの味の批評に夢中で、人の話など聞いていない。
「ふふ、いいんだよ。俺が待たせたのは事実だし…そうだ、みんな、丁度竜崎さんが来てるんだよ、ここに」
「えっ? 竜崎が?」
「うん、だから少し話し込んじゃって、それも遅れた理由なんだけどね」
 ジャッカルの問い返しに頷いた部長に、今度は柳生が問うた。
「折角なら、ここで御一緒しても良かったのでは? 彼女なら、ここに反対する人間はいないでしょうに」
 いつも寡黙で、紳士という呼び名にふさわしく出過ぎた真似はしない柳生が、珍しく踏み込んだ事を言ったが、別に間違ったことではない。
 桜乃本人が何処まで自覚があるのかは定かではないが、彼女は立海のレギュラー陣からは非常に気に入られており、彼らに出会う都度、何かと気に掛けられ、可愛がられている。
 温和で優しく、出しゃばることもなく、何より自分達と同じくテニスに一生懸命な姿が、男達の好感を呼んでいるのだ。
「マジっすか? じゃ、俺が…」
 その証拠に、あれだけドーナツに集中していた切原が今は腰を浮かしかけ、少女を呼びに行こうとすらしていたが、それは幸村によってやんわりと阻まれた。
「ダメだよ。彼女は友人達と来ているから、邪魔しちゃいけない」
「…ちぇ、なんだ」
 残念そうに再び腰を下ろす切原を含む全員に、幸村が、ところで…と切り出した。
「みんな、ドーナツ買った時に、カード貰わなかった? スクラッチカード」
「ああ…これか? よく分からんが、くれるから貰っただけだが」
 現物を取り出してみせた仁王に、そう、と頷く親友に、真田が怪訝そうな顔を向けた。
「それが…何だ? 俺も何枚かは貰ったが…」
「これって、点数を集めると景品が貰えてね。彼女、それが欲しいらしいんだけど、今のままじゃ足りないみたいなんだ。だから、別に必要じゃないなら譲ってあげて。俺も事情を知ってたら、もう一枚ぐらいは何とか出来たかもしれなかったんだけど…」
「何だ、そういう話ならお安い御用だ」
「俺としては別に使い道があった訳でもない。全部彼女に譲ろう」
 部長の親友である真田と柳は、あっさりと彼の願いに応じて頷き、彼らに続いて他の部員達も特に考えることもなく同意する。
「有難う、じゃあ、帰りに渡そうか。彼女達はまだここにいるみたいだからね」


「どうだった?」
「うーん…家にあるのを合わせても七点かな。やっぱり難しいみたい…」
 桜乃が友人に問われて苦笑する。
 ドーナツと飲み物を受け取って席に戻り、三人は早速スクラッチカードを削ってみたのだが、なかなか満足する高得点獲得には至らなかった様子だ。
 隠されている点数は一〜五点らしく、非常に運がよければ三回トライするだけで目的の景品がもらえることになる…がなかなか運命は甘くない。
 桜乃は自他共に認める普通の少女であり、特にラッキーに恵まれている訳でもなかった。
「私も大した点数じゃなかったし、三人合わせた分でやっと枕一個かなぁ…」
「こればかりはねぇ…」
 友人二人もかんばしくない成績にため息をつくが、桜乃は早々と気を取り直して彼女達に食事を勧めた。
「くよくよしても仕方ないもん。二人とも、食べよ? やるだけやったんだし、あとはそれこそ運任せだよ」
「それももう終わってるけどね〜」
 それもそうか…と桜乃に勧められるままに彼女たちがドーナツに手を伸ばしたところで、わいわいと多人数の声が聞こえてくる。
 きっと何処か他の席にいた集団が、食べ終わって店を出て行くのだろう…と思っていると、その声が何故かこちらに向かってきた。
(あれ?…何だろう、場所移動かな?)
 ここは店のドアからは寧ろ遠い場所にあるのに…と思っていると、先程聞いた知人の声が再び投げかけられて来た。



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