「やぁ、ここにいたんだ」
「あ…幸村…さん? それに皆さんも」
立海メンバーを引き連れた幸村がその場に来ると、上から桜乃を優しい表情で見下ろす。
「俺達はもう帰るから、ちょっと挨拶にね。お先に失礼するよ?」
「あ、わざわざ来て下さったんですか? すみません、こちらこそ…挨拶にも行かなくて…」
友人と一緒だったとは言え、向こうから足を運ばせる結果となったことに桜乃はおろおろと慌てたが、彼らは心配するなという様に笑ってくれた。
「いいんだよ、気にしないで…それより竜崎さん、はいこれ、俺の分」
「はい?」
幸村が、最初に彼女と会った時には、テーブルの上に置きっぱなしで渡せなかったスクラッチカード一枚を差し出した。
「え? これって…」
「良ければ使って。どうせ俺は使い道ないし、捨てるくらいなら有効利用してくれた方がいいしね。軽食のセットだけだったから、少ないけど…」
「わぁ…いいんですか? 有難うございます!」
嬉しそうに受け取る少女に、美麗な少年も同じく嬉しそうに笑って、その場を離れる。
「じゃあね、また立海に来た時には顔を見せてほしいな」
「はい、きっと寄らせてもらいますね」
幸村との挨拶が済むと、続けて副部長である真田がテーブル脇の通路を通り過ぎ、彼もまた桜乃へとカード二枚を差し出した。
「精市から聞いた、これを集めているそうだな。俺も二枚しかないが、受け取ってくれ」
二枚ということは六百円相当のモノを頼んだということだが、ドーナツが平均百二十円前後のこの店だし、飲み物の分も考慮されると、彼ぐらいの男性なら消費量として十分納得出来る。
「わ、有難うございます」
「あまり遅くならない内に帰るといい、女性だけなら尚更だ」
「はぁい」
どうしても、一言は説教地味たことを言わなければ気が済まない性分らしいが、桜乃ももうすっかりそれに馴染んでしまっている。
真田の次には柳が通り過ぎたが、彼もまた手にしていたカードを桜乃へと手渡してくれた。
「一枚しかないが…すまないな。どうにも俺は和菓子の方が好みだから…」
「気にしないで下さい。私の方が甘えてしまってるんですから…」
「…ではな」
ふるるっと首を振ってかしこまる相手に、いつも冷静沈着な参謀も柔らかな笑みを浮かべて、軽い会釈をして通り過ぎて行く。
「よう、久し振りじゃの竜崎。俺の分じゃ、使いんしゃい」
「あ、こんばんは、仁王さん」
銀髪の男、仁王が手渡したカードは三枚と比較的多かったが、彼の手元には持ち帰り用の小ケースが握られていた。
「お家の人にもお土産ですか?」
「ああ、弟達も勘の良い奴らだからな、俺だけ良い目をみたら後がうるさいんじゃ。じゃあの、ウチにもまた遊びに来んさい。お前さんなら歓迎じゃ」
「はい、有難うございます」
カードを渡した手でそのまま桜乃の頭をなでなでと二回撫でると、銀髪の詐欺師は括られた後ろ髪を揺らしつつ悠々と歩き去っていった。
続いて、その彼の相棒でもある柳生が、同じくお土産用のケースを抱えた姿で桜乃にカードを四枚手渡した。持っているケースは先程仁王が抱えていた箱よりもう一回り大きなものだ。
「こんばんは、竜崎さん。どうぞ、使って下さい」
「こんばんは、柳生さん。有難うございます。あ、柳生さんもお土産ですね?」
「ええ、今日食べるかは分かりませんが…家族全員で頂きますよ」
「みんなで食べると美味しいですもんね」
うんうんと納得の態で頷く少女に柳生はそうですね、と笑って同意し、それでは、と紳士の名に相応しい礼儀正しさで暇を告げた。
「よう、テニスの方は頑張ってるか?」
「あ、桑原さん。皆さんほどではないけど、頑張ってます!」
柳生に続いて気さくに話しかけてきたのは、立海メンバーの中でも一般的に言う『常識人』に近いジャッカルだった。
彼も仁王と柳生に続いてお土産用のケースを手にぶら下げている。
「ほれカード。丁度親の分も買っていたから良かったな、っても三枚なんだが」
「気を遣って頂いてすみません。貰えるだけで有り難いんですから、気にしないで下さい」
「…あんたと話していると、こういう普通の会話をしてもいいんだって安心するな…普通に感謝もされるし」
「……また、何かあったんですか…」
「察してくれるだけでも有り難いよ。あんたが来たら俺の胃痛も少しはマシになるから、また来てくれ」
「が、頑張って下さいね」
一体、どんな目に遭わされたんだろう…と思う桜乃の前に、今度は二年生で唯一立海のレギュラーを務める切原が歩いてきた。
それだけ聞くといかにもやり手な人物像を思い浮かべがちだが、実はあのジャッカルの胃痛の原因は彼である可能性が非常に高い…ことは桜乃も知っている。
「よっ、竜崎。アンタも来てたなんて奇遇だな」
「切原さん、あまり桑原さんを困らせたら駄目ですよ」
「おい、顔見るなりいきなりそれかよ」
むっと不機嫌そうな表情を浮かべる相手だが、この程度で本気になるような男ではなく、それからすぐにその顔は笑顔へと戻った。
「ま、俺だって迷惑かけたくてやってるワケじゃねーから心配するなって。それよりほれ、カードな」
「かけたくてやってたら、桑原さん、本気で泣いちゃいますよ…・・って」
苦言を呈していた桜乃の顔が、切原から差し出されたカードの束を見て呆然となる。
これまで切原の先輩達から貰ったカードの厚さの比ではない…五枚ある。
思わず切原の荷物を見たが、その何処にも持ち帰り用のケースの姿は確認出来なかった。
「あ、あの…これだけの分、全部ここで食べたんですか?」
「ああ、トーゼンだろ? まぁこれから夕食もあるし、セーブはしたぜ? 家でばれたら姉貴もうるせーし、かと言って土産分の余裕はないしさ〜」
これだけ食べて、まだセーブ……しかも外見、相変わらず痩せてるし…
悩む桜乃の心中は完全に無視で、切原はのほほんとした顔で桜乃に手を振り、挨拶しながらその場を離れていく。
「んじゃな。アンタがいたら部長や副部長の機嫌が良くなるからさ、絶対また来いよ」
「人を弾除けに使わないで下さい…」
ジャッカルには多少の同情の気持ちはあれど、切原のこの発言に対しては一言ぐらい物申したいところではある。
しかし、今の桜乃はそんな事よりも、カードから逆算した予算で彼が一体何をどれだけ食べたり飲んだりしたのかという方が気になっていた。
(え〜と…ドーナツが一個百二十円として、千五百円全部だとしても十二個…飲み物を沢山飲んだとしたら少しは個数を減らして…あ、でもドリンクサービス…ってあったっけ、ここ)
「おさげちゃん! ちわ!!」
「ひゃっ!」
黙考に入っていた桜乃を、元気のいい掛け声が現実に引き戻した。
「あ、丸井さん…」
どうやら立海レギュラーのしんがりを務めるのは、甘党で名高い丸井の様だ。
「何だよ、おさげちゃん、欲しいモノあったんなら先に言ってくれてたら良かったのになぁ。今日は俺、普通にしか食べてないからあんまり貰ってないんだよ…ほい」
「いえ、先に言うのは無理だと…でも、そんなに気にしなくて…」
いい…と言いそうになった桜乃の口が塞がる。
手に渡されたカードが、やはり厚かった。
あれ…と改めて数えてみると、八枚。
何度暗算してみても、無論、導き出される答えは一つしかない。
「あ、あの…丸井さん…この枚数」
「おう、おこづかい貰ったばっかりだから、ついペースに乗せて食べちまったい」
「…お土産の分とかでは」
「そんなの買うぐらいなら俺が食う」
「…でしょうね」
それにしても、その体型…世の女性達の恨みを一気に受けそうである。
「少なくてごめんなー」
「いえ…逆にもっと少ない方が安心です」
あなたの健康を考える限りでは……
切原の分で驚いていた自分は、まだまだ甘かったのか…と深く反省しながら、すたすたと歩いて行く丸井を見送ると、やがてその場から喧騒は消え去り、店のBGMと周囲のテーブルからの客の雑談が戻ってきた。
短いようで長かった再会だった気がする。
「………」
気を取り直してテーブルの上を見ると、貰ったカードがそこに積まれており、前を見ると完全に言葉を失くした友人二人が呆然と座っていた。
「…桜乃、アンタ何者なの?」
「イイ男集団に、どんだけ貢がせてんのよ!」
「そういう言い方やめて〜!」
どれだけ自分、悪女なの!?と桜乃は友人達の意見を真っ向から否定し、二人と自分の中央にカードを寄せた。
「…何だか凄いよね」
「男の子って、こんなに食べるんだ」
「いや、最後の切原さんと丸井さんが特別だったってだけで…えーと、切原さんが五枚で、丸井さんが八枚…何をどれだけ食べたのかな…」
当然湧いてくる疑問に、友人の一人が興味本位にテーブルに備えてあったメニューを取り上げて卓上に置いた。
「一番高いのは、この特製ドーナツでしょ? セットには組めないから当然単品で注文するから…それでも十個は超えてる」
そう言って推測する友人のもう片方が、話を遮ってメニュー内の写真を指し示した。
「ちょい待ち。でもこれって種類が二つに限られてるから、流石にこれだけ食べるのって辛いんじゃない? やっぱり他のドーナツも計算には入れないと…」
「あーそうか…じゃあ、全種類を一個ずつ買ったら幾らかな」
「待って、電卓あるから」
一体何をやっているのか…おそらく三人にもよく分かってはいないだろう。
それでも、あれだけの金額で何をどれだけ食べられるのか、という女子の興味は尽きず、それからも三人はスクラッチカードを削るのも忘れ、結構な時間を使って様々な可能性を電卓片手に試算していた……
後日の立海…
「あれ? お久し振り、竜崎さん」
「こんにちは、お邪魔します」
部活が始まる前のテニスコートで幸村が一足先に準備運動をしていると、そこに一人の客人が現れた。
竜崎桜乃だ。
あの店で会ってからそれ程に日も置かずに現れた少女に、幸村が笑いながらも意外そうに挨拶すると、向こうは荷物を抱えながら一礼を返してきた。
百科事典が入りそうな大きな袋に何かを入れて運んできている…が無論袋が透明でない以上中身は分からない。
「どうしたの? それ」
何となく重そうな雰囲気は分かったので、幸村は少女に急ぎ足で歩み寄ると、その荷物を引き受けた。
「…結構、重いよ? 何だい?」
自分にとっては大した重さではないが、ここまで長距離を運んできた彼女にとってはそれなりに負担になった筈だ。
「え〜と…飲茶セットです…あのお店の」
「は……ああ」
一瞬、何のことだろうと考えた彼はすぐに桜乃の言葉を理解したが、そうするとまた新たな疑問が湧きあがった。
「あれ? うさちゃんだっこするんじゃなかったの?」
「あ〜…その…それも貰えました、お陰さまで。有難うございます」
せめて『抱き枕が欲しいんじゃなかったの?』と尋ねてほしかったが、まぁ、彼にとってはそれよりも、うさちゃんという言葉が強く印象付けられてしまったのだろう。
言ってしまったのが自分本人でもあるので、あまり強くも言えない…
「それどころか、結局あの二人も抱き枕貰えたんですよ。それでまだ点数が余っていたので、相談して、これをお礼に皆さんで使ってもらおうと思って…」
そうなのである。
あれから散々試算に耽り、最後にスクラッチを削ってその日は終わったのだが、その削った結果がまた尋常ではなかった。
出るわ出るわ、高得点のオンパレード
二点や三点がせいぜい関の山だった自分達とは対照的に、彼等のくれたカードからは、四点、五点が当然の様に飛び出してきたのだ。
削れば削る程に、面白いように点が増えていく。
最終的には、その場の三人全員が抱き枕を入手出来た上に、まだかなりの点数が残っていたが、友人二人が『あの人達のお陰だから、何かで返してあげようよ』と理解ある発言をしてくれた。
それで、話し合った結果、全員で使える実用的なモノ、として最高点の景品である飲茶セットが選ばれた、という訳だ。
「やぁ、それは良かった」
「飲茶って言っても、茶器のセットなんでセイロとかはないんですけど…デザインは凄くいいですよ。茶杯も五つぐらいは入ってましたから」
「それはいいね。でも、ウチの部員の中で上手くお茶を煎れられるのは、蓮二ぐらいかもしれない。まぁ、人並みに煎れるんであれば、みんな大丈夫だろうけど…いや、ちょっと不安な人もいるな…」
「そう思いまして、一応、煎れ方を練習してきました。私でよければ、来た時には煎れます」
桜乃の申し出に、幸村の笑顔が深くなる。
「それは凄く魅力的な提案だな。カードを譲ったことでこんなラッキーが来るなんて、みんなも喜ぶよ」
「いえ…私も色々お勉強させて貰いましたから」
「え?」
幸村が帰った後、自分達はまだ習ってもいない確率や統計もどきの計算を散々やったのだ。
組み合わせの数は結局自分達では分からず仕舞いで、最終的には乾先輩の力を借りたのだが、あれで数字に対する免疫は結構出来た気がする…
しかも大体の組み合わせを出した後でそのカロリーも算出し、その値で如何にあの例の二人が人間離れしているかも知ることが出来た。
カードの枚数で知るその人物の隠れた一面……或る意味、勉強になったのは間違いない。
「…ほんっとうに色々、お勉強させてもらいました!」
「いや…何のことだか俺には…」
困惑している幸村の耳に、遠くから声が聞こえてきた。
他の部員達がコートに入ってきたのだ。
「ああ、みんな来たみたいだね」
「あ、じゃあお邪魔にならないように隅っこにいますね。休憩になったらお茶煎れますから。それ、部室まで持って行きます、すぐそこだし」
「うん、みんなも楽しみにすると思う。よろしくね」
荷物を再び受け取って、桜乃がちょこちょこと部室へと歩いて行くのを眺めながら、幸村は、遂に解決されなかった疑問に首を傾げていた。
「…結局、何を勉強したんだろう…彼女」
了
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