桜乃争奪戦・中編
「頑張れ桃城〜〜〜っ!!」
「先輩、かるーくいなしちゃって下さいよー!」
青学と立海の試合が行われているコートでは予想以上の接戦が繰り広げられていた。
「う〜ん…流石に天才的な俺でも、逆の手で綱渡りは難しいな〜…けど別にやんなくても勝てそうだけどね」
「へぇ…の割にはこれまで全く同点っすけど?」
丸井・ジャッカルペアと桃城・海堂ペアのダブルスの試合は今のところ15−15の同点。
逆の手の戸惑いがあるのか、決定打に欠ける分、時間が掛かっている。
「ん〜〜、出来ればここでポイント先取しときたいなぁ…次にやる仁王って、ほぼ両手利きと同じだからどうしても有利になるんだよにゃあ」
ぶーっと菊丸が唇を尖らせた時、自分のいる場所から然程離れていない所でエンジン音が聞こえる。
それは別に何でもないことなのだが、彼がそれにつられて目を動かした瞬間、がばっと菊丸の身体がその音のした方…駐車場へと向いた。
その時丁度、青学側のベンチで顧問の竜崎が、孫がなかなか来ない事に愚痴を漏らす。
「それにしてもあの子達は遅いねぇ…何をしているんだい」
「竜崎っ!?」
叫ぶ菊丸の声が、祖母だけではなくコートの全員に聞こえた。
試合をしている四人はまだそちらに集中していたが、他の観戦に集中している者達は視線を送り、がしゃんっ!とネットに張り付いた菊丸の行動の異常性に早くも気付いた。
「先生っ! あれ竜崎だっ!! どっかに連れてかれちゃう!!」
「え…」
ざわ…と辺りがざわめき、ここでようやく試合中の男達も、何か大きな事が起こったのだと察する。
周囲よりいち早く外の異変に気付いた菊丸は、エンジン音をたて、急カーブを描きながら飛び出していく黒の車と、その後部座席に乗せられた、ぐったりとした桜乃を確実に目で捉えていた。
元々視力が極めて良かった彼は、最早一片の疑いもなくその事実を顧問に伝えたのだ。
「何だって!? あの子は今、ボールを取りに…」
駐車場にいた筈だよ、と続けた竜崎の耳に、また別の大声が聞こえてきた。
『おおーい!! 女の子が倒れてるぞっ!?』
『救急車呼べ! 何か様子がおかしい!』
コートの従業員なのだろうが、声の震えに心の動揺が如実に表れている。
「!!」
「精市、行くぞ」
がたっと立ち上がった幸村に真田が声を掛け、他のメンバーと共に青学のベンチの方へと走っていった。
「手塚! 竜崎先生とメンバーと一緒に、倒れている子の確認に向かって。それと、ここの従業員の人と一緒に竜崎さんを探そう、俺達も協力するから。念の為、警察にも連絡した方がいい」
「幸村…分かった」
手塚も流石に少しは動揺した様子だったが、すぐに元の冷静さを取り戻し、顧問の竜崎を促して声のした方へと急いで移動する。
手塚を見送った後、幸村は自分の仲間達にてきぱきと指示を出した。
「倒れている女の子の所には柳生と仁王も行ってほしい。柳生、緊急の処置がいる場合には手伝ってあげて。仁王はその手伝いを」
「おう」
「分かりました!」
「蓮二、多分君の古い友人も分かっていると思うけど、菊丸君からさっきの車の特徴を聞いておいて。彼は視力がいいから、良い情報が期待できるかもしれない」
「無論だ」
「他の皆は俺と一緒にこの施設を見て回ろう。彼女がいてくれたらいいけど…正直、期待は薄い」
「だが、何もしないより余程マシだ!」
菊丸の視力を知っているが故の幸村の言葉に、真田が叱咤する様に答えた。
「うん…そうだね」
最早、試合どころではなくなった。
実際、何が生じているのかは誰もが理解していないところなのだが、それでもやらなければいけないことぐらいは、考えたら見えてくる。
彼らは分散して、建物の中と外を走り回り、おさげの少女を探し回った。
「おさげちゃ―――――――んっ!! 返事しろ――――――――いっ!!」
「竜崎―――――――――っ!!」
然程大きくない施設の中、走り回る間に青学のメンバーとも顔を合わせるが、嬉しい反応は一つとしてなかった。
「いたか!?」
「いや、いねぇ…! 向こうは見たか?」
「今、丸井が行っている!」
「くそ〜〜〜〜っ、いねえよーいっ!!」
苛立ちを隠しもしない彼らの所に、別行動をとっていた大石が駆けて来た。
「みんな、来てくれ! やっぱり竜崎さんは、誰かにさらわれてしまったらしい」
「…!」
半分…いやそれ以上予想していた事なのに、やはり言葉で断言されると、心に衝撃が走る。
「…何か分かったんスか」
海堂の睨むような視線の向こうで、青学の副部長は沈んだ面持ちで事実を告げた。
「倒れていたのは小坂田さんだった…意識を取り戻して、竜崎さんが連れていかれた時の事を話してくれたらしい」
「…何で、さらわれるなんて…」
「…それについても、行けば分かる」
「…え?」
朋香の側には、救急車の到着を待つ柳生たちと、手塚たちが集まっていた。
既に意識を取り戻していた朋香ではあったが、やはりショックは強かった様子で、まだ全身が小刻みに震え、言葉を出すのも苦痛である状態だった。
「ごめんなさい…私が…こんな道使おうって言ったから…」
「落ち着いて…大丈夫、貴女は何も悪くありませんよ」
「殴られた時の事…何か、話せるか?」
医師の息子である柳生の知識を期待して幸村は彼女の所へ彼を送り込んだのだが、幸いと言おうか大きな怪我はなく、認められたのは頭部の打撲のみだった。
おそらく誰かに殴られたことにより昏倒してしまったのだろうが、彼女はその後も身体こそ動かせなかったものの、僅かに意識は保っていたらしい。
「分からないけど…桜乃が、連れていかれたのは…聞こえてた。何か…第三・・区画、倉庫、とか…言って…」
「……!」
語る娘の手元に視線を向けた仁王が、形の良い眉をひそめてそちらへと手を伸ばし、彼女の手の中に握られていた物を取り上げる。
「仁王君…?」
「これじゃな…いかにもヤバそうなブツじゃ」
朋香が握っていたビニル袋の中に入れられていたのは、白くて丸い錠剤だったが、何となく包装の形から正規の薬品とは思えない。
きっと、朋香がぶつかった相手の荷物だろう…拾おうとしたところで殴られ、気を失ったと思えば辻褄も合う。
そして朋香が袋を握り締めていた事には、相手が気付かなかった…皮肉な幸運だ。
「これは…」
「実物は見たことないが、おそらく麻薬とかの類じゃろ…モチロン、物によっては持ってるだけでパクられる。善良な一般市民とは縁のないシロモノじゃ」
「では竜崎は…」
ショックで声もない祖母の代わりに手塚が声を出すと、仁王が立ち上がりながら頷いた。
「この子以上に妙なヤツらの秘密を知ったんじゃろうの…早うせんと、あの子の身が危ない」
そこに『救急車が来ました!』という声と賑やかな物音が聞こえてきて、話は強制的に打ち切られてしまったが、最後に仁王は手にした袋を竜崎に預け、柳生が彼らに忠告する。
「それを警察に。先生は彼女と一緒に病院へ行って下さい。青学の皆さんも、同伴した方が宜しいでしょう」
「しかし…竜崎を…」
手塚の表情はいつにも増して厳しく、声には苦味が滲んでいるが、仁王はその相手の心中を察しながらも冷静な言葉を紡いだ。
「やから、これからは警察の仕事よ。それにお前さん達にも最低限の聴取はある筈じゃ。顔、揃えとかんと厄介じゃぞ」
「む…」
「じゃあの。柳生、後は専門に任せえ。行くぞ」
「はい」
ストレッチャーを運んでいく救急隊員と擦れ違い、そのまま仁王達は、今度は菊丸と乾、柳の元へ向かった。
彼らは、菊丸が問題の一瞬を見たあのコートの脇に集まっており、菊丸が何かを身振り手振りで話している内容を、乾と柳が手早くメモしていた。
「柳!」
「仁王…? 何か新たな情報があったか?」
「おう、とびっきりの凶報じゃよ。少なくとも竜崎は、もうここにはおらん」
「やっぱり!!」
菊丸が声を上げるのを待たず、ぐい、と仁王が柳の袖を強く引いた。
「柳、乾、ここから一番近い距離にある第三区画倉庫ってのは、何処を指すんじゃ」
「第三区画倉庫…?」
「そんな名前の倉庫は、おそらく探せば幾らでもあるぞ」
「じゃから! ここから一番近い…それか、一番認知されとる場所よ。竜崎の命がかかっとるんじゃ、何とか出来んのか」
「…俺のPCがあるから持ってこよう。ネットに繋げれば、ある程度の情報は収集可能だ」
ざ…とその場の全員の背筋に悪寒とも緊張ともつかない何かが走り、乾が詳細を聞く前にそう言った。
この場合、話を聞く前に行動を起こす方が重要だと判断した上での行動であり、それに応じる形で柳も申し出た。
「この近辺の地図なら、ここに置いてあるかもしれん。聞いてみよう」
「よし、行くぜよ」
乾と柳が先行し、他の部員がまた揃って建物の中へと移動する間に、柳生が仁王に尋ねる。
「…竜崎さんは…やはり危険なのでしょうか」
「あのにぎやか娘が残されたのに、竜崎だけが連れていかれとるっちゅうことは、彼女を見逃せん理由が向こうにあったってことじゃ…そんな秘密を抱えたあの子を、今更向こうが無条件で無事に帰すとは思えん」
「……」
「車の中でのトラブルは、あったとしてももうどうにも出来ん…後は、その倉庫ってトコロで何が起こるかじゃよ」
「何か…まさか…!」
「言わん方がええよ、柳生」
最悪の事態を言葉に乗せることを禁じて仁王達が建物の玄関口へと到着すると、そこでは丁度ストレッチャーで運び出される朋香と、青学のメンバー、そして幸村達がいた。
「!…仁王」
「幸村…そっちは?」
朋香が運ばれてゆく様子を不安げに見守っていた立海の仲間達が、仁王達に気付いてそちらへと足を向けた。
「取り敢えず病院へ運んで精密検査。すぐに警察も向かうから、被害者の関係者はそこで待機しているようにって…そっちはどうだい?」
仁王達が自分達の推理を含めた経過を説明すると、いつもは温和な表情を称えている幸村が、言葉を掛けるのも憚られる程に冷たい瞳で呟いた。
「…そう…予想以上に、悪い状況なんだね」
「何という事だ…!」
あの少女には一片の非もないというのに!と怒る真田は、拳すら震わせていた。
「とにかくこっちの情報が少ない。けど、無いワケじゃないからな…あの三人に期待しよう」
ジャッカルが前向きな台詞を言いながら視線を向けたのは、受付で地図を広げ、PCを覗き込んでいる両陣営のデータマンと、唯一の目撃者である菊丸だ。
菊丸の意見を聞きながら、乾がPCのボードを叩き、柳は地図をじっと凝視しながら頷いたり考え込んだりしている。
「幸村」
そこに、青学の手塚が固い表情で歩いてきた。
「すまんな…お前達まで巻き込んで」
「そんな事はいいんだ…俺達だって、あの子の事が心配で勝手にやってるだけだよ」
そう言う幸村にもう一度、すまんと謝ると、手塚はちらりと玄関口の救急車を見遣って言った。
車に乗り込むのは、顧問である竜崎と、副部長の大石だ。
「先生達と青学の部員は取り敢えず病院へ向かう。俺達の聴取はそこで行われるのだろう…正直話せることなど何もないのにな。ただ、少し嫌な話を聞いた」
「ん…?」
「以前ここにバイトで勤めていた男が、時々あの通路の脇に自分の荷物を置いたり、不審な動きが多かったそうだ。注意されたのを切っ掛けに最近辞めたそうなのだが…どうにも怪しいところが多すぎる」
「…間取りや業務内容を知っていたら、死角を利用するのは容易いね」
「隠れて合鍵でも作っていたら完璧じゃの」
お約束過ぎる…と仁王は心で笑ったが、流石に不謹慎な発言は控えて、代わりに、くい、と受付で慌しく立ち回っている従業員を親指で示した。
「まぁ、どこまで追跡出来るか分からんが、バイトの履歴書を出して貰うことじゃな。偽名とかはともかく、顔写真は少しはあてになりそうじゃ」
「ああ…お前達は基本的には青学の人間ではない。ここで会ったのも全くの偶然だ。無駄に拘束されることは無いと思うが、もしこれからも何か情報があれば教えてほしい…協力を頼む」
「分かっているよ、頼まれなくたって協力するさ」
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