もこもこあみあみ
冬の到来も間近な秋の或る日、桜乃はすっかり習慣となってしまった立海へのテニス見学に赴いていた。
最近では、最早、「どうして来たんだ?」と尋ねられることもなく、顔を見せたら「よく来たな」と歓迎される始末…いや、嬉しいのだが、普通とは何となくちょっと違う気もする。
当初は青学のスパイなのでは?と他の部員達から疑われた時もあったらしいのだが、レギュラーメンバーはそんな意見をことごとく一蹴し、ゴミ箱へと蹴り入れた。
曰く、『そういう方面には全く頭が働かない子だし、その程度で盗めるウチの情報なら、とっくに乾がやっている』のだそうだ。
何より幸村を始めとする立海テニス部の重鎮達が、桜乃の来訪を認め、喜んでいる限り、彼女が邪険に扱われることは考えられなかった。
そして、その日も桜乃はいつものように彼らの練習風景を眺め、時に幸村に技について質問したり、有意義な時間を過ごしていたのだが…
「なぁ、何するか決まった?」
「いや、全然…はぁ、普段していない分野だしなぁ」
奇妙な会話が耳に飛び込んできたのは、部活動も終わり、部室に皆が引き上げる時だった。
ジャッカルと丸井が互いに浮かない顔で頭を突き合わせ、そんな会話をしているのを聞いた桜乃は、好奇心で二人の会話に割って入った。
「あのう…何かあったんですか?」
「おっ、おさげちゃん……って、流石に今回のはおさげちゃんでも難問だろうなぁ」
「だよなぁ」
何か分からないが、既に自分について何かを納得されてしまい、少女はえ?と首を傾げる。
「ほら、ブン太、ジャッカルも。説明もしないんじゃ、竜崎さんも困ってしまうだろう?」
「お、幸村」
そこに、部長の幸村がゆっくりと同じく部室に向かって歩きながら合流する。
いつもの様に朗らかな笑みを浮かべている姿からは、テニスで万人を魅了する神業の持ち主であるとは想像も出来ない。
「あ、幸村さん」
「俺達テニス部の三年レギュラーに課された課題でね…冬休み前に手芸の作品を提出するように求められているんだ」
「…テニス部、しかもレギュラーだけなんですか?」
「うん」
「…不公平って感じがします」
素朴な桜乃の一言に、幸村はいやいやと笑いながら首を横に振った。
「これでも温情措置なんだよ。俺達はほら、夏とかに大きな大会があって、そっちの方にばかり集中していただろう? 本来は夏に提出しないといけない自由課題とかも、特例として免除されていたんだけど、流石に一つも提出がないと成績もつけようがないからね。で、少しは落ち着いたこの時期に、一つの作品を提出して、それで手を打つって事」
「そうだったんですか」
納得、と頷いた桜乃の前で、丸井はげんなりとした表情を隠しもしない。
「ちぇっ…料理関係だったらお手の物なのに、手芸なんて時間ばっかかかってロクなの出来ないっての…!」
「下手な物を作ろうとしたら、それなりの手間もかかるしな…」
見ると、柳や仁王、真田達も周りに集まって一様に渋い顔をしている。
「誰かに人身御供になってもらおうと思っても、一つ作るのにも結構な時間が要りそうじゃしな」
「まぁ、そんな考えそのものが不届きではある訳ですが」
はぁ…と頷き、桜乃はぱっと幸村の方へと振り向いた。
「皆さんが同じ作品であっても構わないんですか?」
「そうだね、その物を自分自身で作るっていうのが条件だから…でも、なかなか良いアイデアが浮かばなくて、俺も含めて全員、まだ手をつけていない状態だけどね」
後輩の君にこんな事をばらしたらいけないかな、と苦笑する相手に、桜乃はにこりと笑うと、人差し指を立てた。
「何とかなるかもしれません!」
「え…?」
「私が、お手伝いしましょうか? 皆さんに、ぴったりの作品の作り方を教えてあげます」
少女の提案に、その場の三年生全員が注目する。
自分達にぴったりの作品…?
「い、いやだけどよ…どう考えたって無理だろい? 俺達、見て想像出来ると思うけど、手芸とかそういう類はからっきしダメだぜぃ?」
「それに、この手のものに対する根気だって自信ないし…正直、不器用な分、アンタに迷惑かけそうだしなぁ」
「…私の予想する限りでは」
ジャッカルと丸井の気の入らない返事に、桜乃が悟った表情でとつとつと語りだす。
「出来るアイテムは非常に実用的且つ、経済的な一品。コストは一人当たり千円以下、編み棒などの余計な小道具は一切必要なし、ちょっとコツを習って覚えれば、どんなに不器用な人でも全ての作業が終了するまで一時間もかからないと思われます!」
『是非、教えて下さい!!』
先程のやる気のなさは何処へやら。
揃って申し出た二人だけではなく、幸村達も、ほぉ〜っと感嘆した表情で桜乃へ注目する。
「…信じられないな、本当にそんな物があるの?」
「はい、慣れたら簡単すぎるくらいですよ。手芸の先生に禁じ手とかは言われてませんよね?」
「う、ん…そういう話はなかった」
「じゃあ十分に有効範囲です。良かったら、明日にも材料を揃えて持ってきますから、部活の後にでも仕上げてしまいませんか? いつもテニスを教えて頂いているお礼に、最後まで責任もって教えてあげます」
「本当に?」
「はい」
桜乃の心強い一言で、その場の全員が例外なく嬉しそうな笑顔を浮かべた。
彼女の一言で、彼らの肩にのしかかっていた余計な重荷が、一気に取り払われた感じだ。
「それは有り難い…余計な手間をかけずに課題を仕上げられるのは俺達にとっても望むところだ。是非、頼む」
「竜崎さんの指導なら非常に期待出来そうですよ、有難うございます」
「そ、そんなに期待しないで下さい。物凄くプレッシャーです…」
柳と柳生も揃って桜乃に懇願していた時、少し遅れる形で、唯一の二年生エース切原が会話に割って入ってきた。
「何だよ、竜崎。先輩達とナニ話してるんだ?」
「あ、切原さん。三年生の皆さんの課題についてお話していたんですよ。切原さんも混ざりますか?」
「うえっ、課題!?」
自分にとって好ましくない単語を耳にした彼は、即座に両耳を塞いでぶんぶんと頭を振った。
聞いたら容赦なく巻き込まれる気がしたらしく、そそくさと逃げていく。
「俺は別にいいや、んじゃ、さいなら〜〜〜〜」
「あ、切原さん…行っちゃった…」
相手の背中をちょっと残念そうに見送る桜乃と共に、ジャッカルと仁王が不満げな視線を送りつつ小声で呟く。
「…まぁ、二年生だし、外れても別にいいんだけどな、この場合」
「それでも何故かむかつくのは、俺がまだ未熟だからかのう」
「心配すんなよ仁王、俺もだし」
丸井もそこに加わり、幸村がふふふと彼らのやり取りを見つめて微笑む。
「みんなでやったら、それ程苦痛じゃないと思うよ? おしゃべりでもやりながら始めたら、きっとすぐさ、俺は逆に楽しみになってきた。じゃあ竜崎先生、明日は御指導、宜しくお願いします」
ぺこっと頭を下げる律儀な部長に、桜乃はぱたぱたと両手を振り回しながら断った。
「や、やだ、幸村さん。からかわないで下さいよ」
「ふふ…」
「…あ、じゃあ、準備のために、皆さんのお好きな色を確認したいんですけど…」
「好きな色…? うん分かった。じゃあ皆、それぞれ竜崎さんに申告してね」
そして桜乃は彼らの好みの色を教えてもらった後、帰宅の途中で手芸用品店に立ち寄り、帰りには大きな荷物を抱えていた……
約束の日…
桜乃は、昨日店で受け取った大きな紙袋を抱えて、放課後の立海テニス部部室に現れた。
丁度練習は終了している時分で、部室の中には三年生のレギュラーのみが残っている状態だった。
無論、今日の桜乃との約束を果たすためである。
「こんにちはぁ」
「うわっ! 竜崎大丈夫か!?」
「でかっ!!」
よいしょよいしょと荷物を運んできた少女に、慌ててレギュラー達が駆け寄ってきたが、桜乃本人は大して疲れた様子は見せなかった。
「あ、大丈夫ですよ〜。大きいですけど、ただの毛糸玉なんで軽いんです」
「しかしそれにしても大きくないか?」
柳が首を傾げて思案している間に、机の上に荷物を置いた桜乃は、ほっと一息ついて彼らに振り向いた。
「ちょっとこれにも仕掛けがありまして、フェイクファーって言うんですよ…ええと、じゃあ皆さん、揃ってますよね」
周りを見回して、確かに切原以外のレギュラーメンバーが勢ぞろいしているのを確認する。
「うん、他の部員はもう帰ったし、俺達しかいないから」
「……」
微笑んで答える幸村の隣では、何故か真田がいつにも増して気合の入った仏頂面をして腕を組んでいた。
「…真田さん? どうかしましたか?」
「い、いや…別に…」
言葉を濁した相手に、仁王が後ろからぽんっと肩を置いてしょうがないな、という笑みを浮かべ…
「まぁ、覚悟を決めんしゃい真田。今の世の中、男も料理をする時代じゃよ」
「料理ぐらいは俺だってやっている!」
がぁっと背後の相手に怒鳴った後、気まずそうに厳格な副部長はため息をついた。
「…どうにも…手芸という類とは昔から相性が悪い! やっている姿を見られるだけで、次の日には妙な視線を受けるし、学校の科目になければおそらく一生手をつけんぞ、俺は!」
「いや、それを大声で主張されてもよぃ…」
「俺達にはどうにも出来んぞ」
丸井とジャッカルが冷静に突っ込んだが、真田は更に苛立ちを露にして続ける。
「前にも、編み棒を使っての手芸の授業があったが、あれなど忍耐の限界だった…!!」
(真田が編み棒〜〜〜〜っ!?)
(どんな罰ゲームだよそりゃ!)
二人の心の中の突っ込みが入る中で、真田の親友である柳と幸村は、それぞれ渋い顔と朗らかな笑顔と実に対照的な表情を浮かべていた。
「で、何を編んだのか、伺っても宜しいですか?」
顔色一つ変えず淡々とそう尋ねる柳生には、この世に恐いものなどないのかもしれない。
「…マフラーを…作るつもりだったが…」
ぼそっと小さい声でカミングアウトする真田の言葉に続き、
「ワカメと呼ばれていたな」
「結構、指も編み込んでいたよね、弦一郎」
と、非情な親友達の補足が入った。
「〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!」
『うわ〜〜〜っ』という他の部員の視線を受けて、真田はわなわなと身体を震わせていたが、怒りの所為か恥のためか、言葉もない様子。
「真田が編み物すると、ワカメが増殖するんか…」
「髪にいいからジャッカルにでも食わせたら?」
「俺は剃ってるだけ!!」
せめてそこで止めておけばいいものを、仁王達が更に傷口に塩を擦り込む様な発言をした為に、遂に真田の鬱憤が爆発してしまう。
「貴様らにあの時の俺の悔しさが分かるか――――――――っ!!!!」
『わ―――――! 真田が怒った〜〜〜っ!』
怒鳴る副部長に、周囲の人がわらわらと辺りに散ったが、そこはすぐに部長の幸村によって収拾が図られた。
「まぁまぁ、弦一郎。過去のことは済んでいるし、今更やらないという言い訳も立たないだろう。折角竜崎さんが来てくれているんだから」
「…う…」
「彼女がここに来て、既に十分が経過している。あまり長く引き止めるのも悪かろう…」
「…まぁ…確かに、それはそうなのだが…」
幸村と柳の尤もな意見に、真田もようやく怒りを収めつつも…
「…俺の怒りに火を注いだのは、身内の恥を晒してくれたお前達という気が…」
「細かいことは気にしない」
せめてもの追及も、幸村の朗らかな笑顔に撃破されてしまった。
『結構、幸村部長も容赦ありませんよね…』
『俺ら立海の部長出来るんじゃ、今更何言っとる』
『ってか、誰も敵わねーって…誰か喧嘩売ってみろい』
『返り討ちで、サービスで墓穴も付けてくれそうだな…』
ぼそぼそと話している部員の脇で、桜乃も真田達の気迫におされてたじたじとなっていたが、少し状況が落ち着いたところで声を掛ける。
「あのう…真田さん」
「む…」
「じゃあ、今日こそ上手に作りましょう。真田さんなら出来ますよ、私もお手伝いしますし!」
「…そ…うだろうか…」
「はい! 大丈夫ですよ」
「ふ、む……分かった。俺も大人気なかったな。お前がそう言うのなら、努力してみよう」
騒いでしまったことを恥じているのか、口元に手をあてて顔を隠した真田は、そのまま彼女の指導を受けるべく改めて静かに座った。
竜崎マジ――――――ック!!!!
部員達の絶賛の声が心の中で上がったところで、幸村も桜乃に指導を勧めた。
「じゃあ、そろそろ宜しく、竜崎さん」
「はぁい」
促され、桜乃はあの紙袋から、ごろごろと沢山の毛糸玉を出してきた。
糸の大きさが通常の物の数倍もある、非常に太目のものだ。
「えっと…じゃあ、皆さんのお好きな色の毛糸玉を二玉ずつ買ってきましたから、それぞれ取って下さいね」
転がる毛糸玉を取るために、わらわらと彼らの手が伸びていく。
「じゃあ、俺はこれだな」
「白は…あった」
「俺は水色だから…へぇ、凄く綺麗な色だね。好きだな、こういうの」
桜乃の独断と偏見で選ばれた毛糸玉達だったが、男達には早速、好評な形で受け入れられた。
「えーと、じゃあですね、今回作るのは指編みのマフラーになります〜」
「指編み…ああ、聞いたことはありますね」
柳生が頷いたのに続いて、幸村や柳も何となく納得したような表情を浮かべた。
「世間で流行っているような話は聞いていたけど…」
「成る程…指を使って編むのなら、確かに小道具は要らないな」
桜乃は、みんなが自分の取り分を取った後に残っていた赤色の毛糸玉を取って、端を親指に結びつけた。
「ええと…最初はですね…親指に毛糸をきゅっと縛って…」
続いて、その毛糸を器用にくるくるっと自分の左手指に巻きつけていく。
「こうして全部の指に巻きつけていって下さい」
早速桜乃に倣って、他の部員も取り掛かる。
少しずつの進め方なので焦る必要がない所為か、行動一つ一つのところで呑気な雑談が入った。
「…これでええかの」
「いいんじゃないですか?」
「まぁ、このぐらいはまだ簡単だから…っと、こうやるんだっけ?」
みんながわいわいと作業を進めている間、桜乃はメンバーの中で一番不安そうな表情を浮かべていた真田に付いて、丁寧に確認を行った。
「どうですか?」
「む…こ、こんな感じでいいのか?」
「えーと…はい、でももう少しゆったり巻いた方がいいですよ。このぐらいにして…」
「ふむ…」
桜乃が真田の指に直接触れて、糸の巻き方を指導していると、それを見た他の部員からも次々と手が上がりだした。
「はいはいは――――い!!」
「分っかりませ〜〜〜ん!!」
「……どうしたんだ、みんな…」
「…分かり易すぎだ、お前達」
賑やか過ぎる訴えに真面目な真田が眉をひそめて呟く脇で、柳は嘆息し、幸村はその日初めて苦渋の表情を浮かべていた。
(…女人禁制にしている訳じゃないけど、そんなに厳しかったかなぁ…ウチの部)
それからも暫く桜乃の懇切丁寧な指導は続き、部員達の指先はたどたどしくも動き続けていた…
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