「あ〜〜〜、しまった、忘れ物した〜〜〜っ!!」
 一方、その頃…部室でそんな謎の集会が開かれているとは露知らず、二年生エースの切原が、その部室に向かってダッシュで戻ってきていた。
 明日の授業までに仕上げるべき課題を挟んだノートを、うっかりロッカーの中に置いたままだったのだ。
 普段なら知らなかった振りで過ごす彼なのだが、明日忘れたら課題を倍にして返すという教師の脅迫があった以上、無視は出来ないのだ。
「くそ〜〜〜〜〜っ!! さみーっ!!」
 自分の責任ではあるものの、どうしても愚痴を零しながらの全力疾走になってしまう。
 しかしその愚痴は部室が見えた時にぴたりと止まり、ついでに切原の足も同じ様に止まった。
「…何だ?」
 部室に煌々と付けられた灯り…
 既に部活動が終了してからかなりの時間が経過しており、てっきり真っ暗な状態だろうと思っていた切原が不審に思わない訳がなかった。
(まさか、盗人…!?)
 でも、こんなに堂々と灯りをつけるものだろうか…いや、寧ろこうして堂々と振舞うことによって、辺りの目を誤魔化しているのかもしれない…
「……?」
 何となく部室に近づく自分の足も忍び足になり、こそ〜っとドアから様子を伺うと…
『おっ、何となく形が出来てきたぞ』
『おもしれ〜〜っ、慣れたらマジで簡単だな』
『アレンジしたらまた別の形も挑戦出来そうだよね』
『真田さんも、順調じゃないですか? ちゃんと出来てますよ』
『う、うむ…確かにこれなら俺でも…』
『しっかし、流石にこういうトコロは誰にも見られたくないな〜〜〜』
といった、和気藹々といった感じの会話が聞こえてきた。
 しかもそれらの声は、まさに自分にとっても馴染みがあり過ぎる、桜乃や先輩達のものだ。
(なんだぁ? 先輩達、こんな時間まで残って何やってんだよ…しかも竜崎も一緒じゃんか。まさか、俺に内緒で何か面白いコトを…)
 昨日、もし彼が先輩達の課題について少しでも話を聞いていたのなら、こんな下手な勘ぐりはしなかっただろう。
 しかし残念ながらあの時耳を塞いでさっさと退散してしまった彼は、彼らの目的など知る由もなく、少しむっとした表情で遠慮なく部室のドアを開いた。
「ちょっと先輩方? 俺を除け者にしてナニやって…」
 言葉が紡がれたのは途中まで…

『ぎゃああああああぁぁぁぁぁ〜〜〜〜〜っ!!!! 先輩達が狂った〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!』

 周囲の民家にも聞こえそうな程の大声が響き渡り、その次の瞬間には切原を呑み込んだまま勢い良くドアが閉じられ、声もそれ以上は漏れることはなかった。
「切原君! 近所迷惑ですから静かに!!」
「むぐぐぐぐぐ〜〜〜〜っ!!」
 柳生にたしなめられた切原は、ジャッカルや丸井、仁王に上から押さえ込まれ、口元を手で塞がれても尚、激しく身体をばたつかせている。
「き、切原さん、大丈夫ですよ。今、皆さん、手芸の課題をやってるところなんですから…」
「むぐ……う…?」
 桜乃の説明を聞いて、暴れていた切原が『そうなの?』と瞳で訴え、桜乃はこくっと頷いた。
「……」
 ようやく相手が静かになったのを確認して先輩達が離れ、へたっとそこにへたり込んでしまった切原の顔を幸村が覗き込んだ。
「…あれ? 切原、目が赤いよ? 何処かで試合でもしてた?」

「ビビって血圧上がったんスよ!! あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜びっくりしたぁぁぁぁっ!!!!」

 幸村の指摘した通り、瞳が不吉な紅に染まってしまった切原は、その瞳に涙を浮かべながら、ぜひーっ、ぜひーっと呼吸困難の状態にまで達している。
 確かに…自分の先輩達が…しかもあの副部長までもが、顔を揃えて毛糸玉と戯れている姿を見てしまったら、正気を疑いたくもなるだろう。
「失礼な奴じゃのう」
「全くです、この程度の事で騒ぐとは…」
「アンタら、マジで言ってますか――――っ!? あ〜〜〜〜っ! 目が元に戻らね〜〜〜っ!!」
 柳生と仁王の言葉に声を荒げて反論をする切原に、桜乃が水の入ったコップを差し出してくれた。
「切原さん、はい、お水です。大丈夫ですか?」
「サ、サンキュ…うあ〜〜、マジで心臓吐くかと思った…」
 涙目のままで水を喉に流し込み、切原はようやく心拍数を落とし始める。
 徐々に瞳の色も元へと戻ってゆくが、それでも潤んだ瞳は暫くそのままだった。
「…で、三年の手芸の課題が何するか決まらなくて…アンタの手助けを借りながらの合同手芸教室をやっていたと」
「そうなんですよ」
 落ち着いた切原が桜乃から詳細な説明を受けている間にも、向こうでは、他の部員達があみあみ…と指と毛糸に集中して作業を行っている。
 理由は分かっても、どうしても視覚的に衝撃的な光景である。
「…まぁ、いいや。じゃあ、俺は忘れ物も取ったしこの辺で…」
「待ちんさい」
 帰ろうとした切原の背後から、がしっと仁王がその肩を掴んで引き止める。
「いっ!?」
「まぁ折角ここまで来たんじゃ…お前さんもこの際、ちょっと付き合ってもらおうかの…」
 仁王の声が、いつもより何となく淀みを帯びている…
「そうですね」
「たまにはこういう形で親睦を図るのも悪くないな」
 柳生や真田まで仁王の提案に賛成の意思を見せ始め、切原の顔が真っ青になってゆく。
「うわああああっ! 何で俺まで〜〜〜っ!!」
 じたばたと暴れる切原を、仁王が押さえ込みながら楽しそうに机の方へと引きずってゆく。
「はいはい、覚悟を決めような、赤也」
「嫌です〜〜〜〜〜っ!!」
「…あの、ちょっと可哀想じゃないですか?」
 あまりに不憫な後輩の姿に、流石に桜乃が助け舟を出したが、幸村はうーんと少し考えた素振りの後でにっこりと笑った。
「まぁ、秘密を守るには、目撃者も巻き込んで秘密を共有するのが一番だからね」
 つまりは、切原も共犯にしてしまおうということだ。
 部長が決定した以上、最早切原に帰る道は無かった。
「うわあ―――――ん!! オニ! 悪魔! 真田副部長――――――っ!!!」
「最後のはどういう意味だ赤也〜〜〜っ!!」
 それから切原が席に着くまで、部室には相変わらずわいわいとメンバーの声が響いていた…


「出来た」
「おう、俺も出来たぞ〜」
 哀れな後輩が巻き込まれてから暫くして、次々に完成の声が上がり始める。
 遅く参加した切原も、桜乃の優しい指導のお陰で他のメンバーに無事に追いつき、彼女の分の毛糸を使って赤いマフラーが完成した。
 最初こそぶーぶーと文句を言っていた彼だったが、桜乃のフォローもあって途中からは指編みを面白がり、最後の方になれば、実は彼らの中で一番ノリノリだったかもしれない。
「出来たぜ、竜崎―っ!」
「上手いですよ、切原さん。皆さんも、予想より随分早く出来ましたね」
「どうどう? 似合う?」
 丸井などは早速、出来上がった自分の作品を首に巻いて御満悦の表情だ。
 真田も今回は無事にワカメに化けることもなく、れっきとしたマフラーを編み上げていた。
「うむ、なかなか有意義な時間だった」
 過去のトラウマを克服した、清清しい笑顔である。
「目が粗くても全然目立たないんだね、それに結構あったかいよ、これ」
 首に自作のマフラーを巻いた幸村が優しいぬくもりを感じてふふ、と笑う。
「指とか自分の身体を使うから、一度覚えたらもう何度でも出来そうな気がするのう」
「…指使うならボケ防止にもなるかもしれないッスね…ねぇ、真田副部長」
「…何故その話題を俺に振る、赤也」
「いや別に」
 賑やかに喋る男達を見て、自分の役割を無事に達成出来た喜びに、桜乃もふふふと嬉しそうに笑った。
「良かったです! お役に立てました」
 その一言には、無論誰も反論しない。
「有難う、竜崎さん。何だか、提出するのが勿体無いくらいだよ。でもこれでまたテニスに集中出来る」
「はい!」
 無邪気に笑う桜乃に皆も笑顔を返し、それから彼らは彼女を駅まで送っていくことにした。
 部室を出て桜乃を守るようにぞろぞろと歩く男達の首には、例外なく手作りの指編みマフラーが巻かれており、早速その効果を確認していた。
「あったかいな、あるのとないのでは全く違う」
 ジャッカルが感嘆してそう感想を漏らすと、柳生もはいと頷いた。
「首筋が冷えると、結構寒さを覚えますからね…おや、そう言えば」
 よく見ると、桜乃の首には、一人だけマフラーが巻かれていなかった。
「竜崎さんのは…」
「あ、私はいいんですよ」
 ひらっと手を振る少女の分の毛糸玉は…そう言えばあの二年生が使ったのだった
 そしてその成果はしっかり切原の首に巻かれている。
「ああ、そうか、赤也が奪ったんじゃったな」
「悪い奴だなぁ、赤也」
「全くだ」
「何で俺ばっかいつも悪者なんスか〜〜〜〜〜〜っ!!!」
 再び苛められる後輩に、桜乃は苦笑しながら慰めの言葉を掛ける。
「ほ、本当にいいんです。ほら、もう駅だし。そんなに寒くないですよ」
「……」
 幸村を始めとして、男達はちょっと申し訳なさそうな視線を彼女に向けた。
 無論、切原ばかりが悪いと思っている様な意地悪な先輩は一人もおらず、自分たちにもその責任の一端があるという自覚はあった。
「あ、じゃあ、私はここで失礼しますね。送って頂いて、有難うございました!」
「うん…じゃあ、またね竜崎さん」
「気をつけて帰るのだぞ」
「はい」
 皆が手を振り、桜乃を駅へと送り出した後、暫く全員が無言になった。
「…ちょっと、悪いことしちゃったね」
 頭を少し俯ける幸村に、みんなも同意の沈黙で答える。
「けど、毛糸もあまり余らなかったしなぁ…これだけじゃあ、一つのマフラーは出来んだろ」
「俺のも一玉分も余ってないし…」

『…………』

 その数秒後、何かを思いついた様に全員が一斉に顔を上げ、互いのそれを見合わせる。
 そして幸村が、にこりとみんなに笑いかけた。
「…みんなも同じコト、考えてるだろう?」
 その問い掛けに男達が笑顔で答えると、部長は全てを察した様に提案した。
「じゃあ、今から俺の家に来ないか? 急いだら、そんなに時間もかからないし…復習にもなるよね」


 翌日の青学の放課後…
「ねぇねぇ!! 桜乃!!」
 放課後になり、賑やかになった教室に、更に賑やかな朋香が飛び込んできた。
「え? どうしたの? 朋ちゃん」
「どうしたのじゃないわよ! 桜乃、アンタに会いたいって人達が来てるらしいわよ、他の学校から!」
「え…?」
「よく分からないけど、正門のところで、すっごい美形の集団がアンタを待ってるんだって! もうみんな大騒ぎよ!?」
「……ええ?」
 騒ぎ立てられても、全く身に覚えのない桜乃は、首を傾げるばかりである。
 誰だろう…でも、そんな約束を誰かとしているわけでもないし…?
 しかし、自分に会いたいと言っている人達をあまり長く待たせる訳にもいかないと、彼女は取りあえず、半信半疑のままで正門に向かった。
 もしかしたら、その人達は自分と勘違いして別の誰かを待っているのかもしれない…と思っていた彼女の前に、やがて正門と、そこに群がる青学の女子生徒達が見えてきた。
 群がると言っても、何となく遠巻きに何かを見ている感じである。
 その集団の向こうに、ちらっと見えた制服…
「あ…」
 声を上げた桜乃の前で、立海の男子テニス部レギュラーメンバーが集い、辺りの青学の生徒をきょろきょろと見回していた。
「見つからんの〜〜」
「まだ教室なんじゃないか…?」
「しかし、何でこんなに人が…」
「テニスコートに行ってみようか…?」
 人が集まっているのは自分達が原因であるとは思っていない様だ。
 どうやら彼らが待っているのは自分である可能性が高いと思った桜乃は、取り敢えず声を掛けてみた。
「あのう…皆さん?」
「!…あっ!!」
 声を聞いた丸井が振り向き、桜乃の姿を見つけてぱっと顔を輝かせた。
「おさげちゃんだーっ!!」
 その一言で、立海メンバーのみならず他の青学の生徒たちも一斉に注目する。
「おう、おったか」
「よかった、お待ちしていましたよ」
 仁王と柳生が呼びかける間に、立海メンバー達が桜乃を取り囲む。
 美形集団が一人の少女を囲んでいる様は、なかなか壮観なものがあり、周囲の視線は集まるばかりであった。
「今日は、どうしたんですか? 皆さん、部活は…」
「うん、ちょっと今日はね…それより大事な用事があったから」
「大事な用事?」
 桜乃の前に代表で立った部長の幸村が、朗らかに笑いながら少女に話しかける。
「昨日は本当に有難う。お陰でいい成績をつけてもらえそうだよ」
「わ、それは良かったですね。あれ…もしかして、それを言う為だけに…?」
「ああ、それだけじゃないんだ…それでね、みんなから君にお礼をしたいと思って」
「お礼なんて…私こそいつもお世話になっていますし」
「まぁそう言わないで、受け取ってほしいな」
 ふふふ、と笑った幸村は、鞄から紙袋を取り出して、更にその中から一本のマフラーを出した。
 それはよく見ると昨日編まれた物ではなく、赤、白、モスグリーン、水色…様々な色が混ざり合ったものだった。
 どの色も見覚えがある。
「え…もしかしてこれ」
 差し出されたマフラーを受け取って、しげしげと眺める少女に、幸村達が照れ臭そうに笑った。
「いや、本当に余り物なんだけど…俺達の好きな色を編み込んでみたんだ」
 実は昨日、あの部室での手芸教室の後で、幸村の家に行ったメンバー全員が、余った糸をよって結んで一本にまとめ、それから指編みで作ったのだった。
 色の配置は、見苦しくならないように柳のアドバイスも交えて決められ、全員が少しずつ手を加えて出来た、贅沢な合作品である。
「昨日の君の分の毛糸を取っちゃったからね…結構、良い出来だと思うけど、どうかな?」
「わぁ…」
 ふわ…と首に巻いたマフラーがいたわるように自分の首元を暖めてくれる。
 既製品ではない、彼らが自分の為に時間を割いて作ってくれた、世界に一つだけのマフラーだ。
 自分の為だけに、心を込めて…作ってくれたんだ…
 巻いていると、彼らの好きな色で作られたこれが、自分を守ってくれるような気がする…
「…ふ…ぅ…っ」
 半分、顔をマフラーで隠しながら、桜乃がぼろっと涙を零す。
「おっ、おさげちゃん!?」
「どうした!?」
 慌てて自分に寄って来るメンバーに、桜乃はほろほろと涙を流しながらも笑顔を見せた。
「あっ…だいじょうぶ…凄く、嬉しかったから…すごく…あったかい、です…ありがとう、皆さん…嬉しい」
「…そう…良かった」
 ふ、と安心した笑顔を浮かべ、「さぁ、もう泣かないで」と慰めてくれた幸村を始めとして、他のメンバー達も次々に優しい言葉を掛けてくれた。

 それからもなかなか涙が止まらず苦労した桜乃と、いつもの常勝不敗を誇る姿とはまるで違う、おろおろと慌てた立海のテニス部軍団の正門での邂逅は、その後も青学で語り草となったのである。






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