お兄ちゃん‘Sと妹系?
立海の男子テニス部部室にて、その日は幸村部長の訓示が行われていた。
「じゃあ、明日から立海は冬休みに入るけど、みんなそれぞれ有意義な時間を過ごしてほしい。年を越したらいよいよ三学期、短い学期の中、進学とか色んなことで忙しくなる時期だ。俺達立海男子テニス部は一つの集団で、それは一つの社会、一つの家族と同じ意味を為すものでもある。もし一人では解決できないことがあれば、同じメンバーとして相談してほしい、また、相談されたメンバーも耳を貸し、可能なら力を貸してやってほしい…」
「見事な訓示だったな、精市」
「有難う弦一郎…久し振りだから、随分緊張しちゃったよ」
「いや、とてもそうは思えない、とても心のこもったものだった。部員一同、これでまた気を引き締めてくれることだろう」
今日は、二学期最後の日
立海テニス部の活動は休みにも特別スケジュールが組み込まれ、稼動していくのだが、節目節目に緩んだ気を新たに引き締めるべく、部長の訓示があるのだ。
しばらくは副部長である真田が代理で行っていたその行事も、今回は久々に本来の部長である幸村が行い、部員一同、改めて感慨に浸っていた。
しかし、である。
訓示が終わってしばらくした部室の中で、一人だけ、残念ながらそれを聞けなかった人物がいた。
青学の女子、竜崎桜乃である。
青学と立海はどうしても距離的に離れているため、彼女が今日ここに来た時には、既に幸村の訓示は終了していたのだ。
これには、桜乃も大変がっかりしていた。
「いいなぁ…聞いてみたかったです、幸村さんの訓示…」
「ふふ…そんなに残念がることじゃないよ、でもそう言ってもらえるのは嬉しいな、有難う」
む〜っと唇を尖らせて残念がる桜乃に微笑みかけ、幸村はぽんぽんと彼女の頭に優しく手を乗せた。
「…どんなコトをお話したんですか?」
「まぁ、それほど特別なコトや無茶は言ってないよ。有意義な時間を過ごして、部員の結束を固めるようにってことかな、家族みたいにね」
説明する幸村の言葉を聞いてふんふんと頷いた桜乃は、家族という言葉に反応を示した。
「家族ですか…うーん」
「? 何かおかしいかな?」
「いえ…すみません、正直に言っていいですか?」
「? うん…」
「…家族だと、幸村さんはお母さんってイメージがします…優しくて美人なお母さん」
『っ!!』
おそらく誰もがそう思っていただろうことを、しっかり言葉として発言した桜乃に、その場にいたレギュラーがぎょっと目を剥く。
いつもはぽやぽやとしたイメージの彼女なのだが、たまにこういう度胸のある所を見せることもあり、柳を含む立海のメンバーにおいてすら、いまだ彼女の人となりについては計測不能なのだ。
「うーん…褒められてるのか微妙だな」
「褒めてますよ、当然です!」
苦笑する幸村に桜乃は心の底から力強く答え、それが更に相手の笑みを誘う。
ここまで天然を貫き通されると、何も言えない。
「…俺がお母さんなら、お父さんは?」
「真田副部長に決まってるじゃないッスか」
桜乃の代わりに発言したのは、生意気盛りの二年生エース、切原だった。
「…決まっているとはどういうコトだ、赤也…」
尋ねる真田の声のトーンがいつもより低い…ついでに言うと眉間の皺も多かった。
「いやだって…」
言葉を濁す切原に、幸村がふふふと笑って援護をした。
「まぁ、家族は家族だけど、まだ中学生だし兄弟ってことにしておいて?」
「兄弟…いいですねぇ」
家族に続いて、その言葉にも桜乃は何処か羨むような声を出す。
「…何がいいのだ?」
不思議そうに少女に尋ねる柳に続き、他のメンバーも同じ疑問を持って彼女に目を向けると、相手はだって…と残念そうに言った。
「私、ひとりっこですから…兄弟っていうのに凄く憧れるんですよ。朋ちゃんも弟とかいて、大変そうですけど、でも凄く楽しそうだなって…」
「ああ、成る程のう」
納得した、と仁王が笑ったが、真田は、ん?とまだ疑問が残っている顔を崩さない。
「…そういうものなのか?」
「ちっちゃい時に、お兄ちゃんがほしいってサンタさんにお願いしたことがありますよー」
にこっと笑って過去の思い出を話す少女に、柳生が眼鏡で隠された優しい視線を向けた。
「子供の時には、よくそういう願いをするものですね。私は既に兄弟がおりましたから、そんな経験はありませんが、一人だったら…と思うと、やはりしていたかもしれません」
「流石のサンタさんでも、そりゃ無理だろうなぁ…」
人身売買になるかもしれないし…と真面目に考えている切原は、中学生になってもサンタを信じている絶滅危惧種である。
絶滅させる訳にはいかない、と考えているのかは定かではないが、取り敢えず先輩達も桜乃も、彼の夢を壊すような発言は控えた。
そして話は徐々に訓示の内容から、それぞれの兄弟観についてのものに移行していった。
「そう言えば、ジャッカルも竜崎さんと同じ、ひとりっこだったよね? どう? やっぱり兄弟が欲しいと思ってた?」
「うーん…確かになぁ、一人は寂しいから、上でも下でもいいから欲しいと思ったことはあるぞ」
幸村が興味深そうにジャッカルに尋ねると、相手は過去を思い返しながら答え…そしてちょっと残念そうに付け加えた。
「…けど、人数増えると家計に響くと思って、親に言ったことはなかったなぁ…」
「お前どんだけ現実的な子供だったんだよぃ」
「そういう方向に行っちゃうから、先輩って苦労するんじゃないッスか?」
自分達の普段の行いはちゃっかり棚に置いて、丸井と切原が相手に突っ込んだが、桜乃だけはジャッカルの発言に激しく頷いた。
「あー分かります! お兄ちゃんって書きはしましたけど、実はどっちでもいいなって思ってましたよ。上にいたら心強いし、下にいたら頼りにされて、それなりに楽しかったかなぁって。さくのーって呼ばれたり、おねえちゃーんって呼ばれたり…」
「そうそう!」
桜乃とジャッカルがひとりっこ同盟を結んでいる脇で、切原が何となく納得いかない顔をしている。
「…そーいうもんかねぇ」
「切原さんは、もうお姉さんがいるからそんなお願いはしなくていいじゃないですかー。だから実感が沸かないんです」
恵まれているからですよ、とぷんっと桜乃が頬を膨らませて抗議すると、相手は胸を張って反論した。
「あるぜ? お願いしたこと」
「え?」
「『ひとりっこになりたい』ってお願いした…後で姉貴に散々どつき回されたけど」
「それはどつかれて当然じゃろ…」
何ちゅう願い事をするんじゃ…と流石の仁王も呆れ顔である。
いや、願うのは人の勝手だろうが、そういう願いはせめて人目につかないところでやらなければ…
「贅沢ですよ――――っ!」
きゅ〜っと手を振り回して抗議する桜乃に、幸村はふふ、と微笑んだ。
確かに、兄弟というのは当人が望んでも得られない生涯の宝だ。
桜乃がそういう存在に憧れる気持ちは当然のものなのかもしれない。
「ふぅむ…」
暫く少女やメンバーの様子を眺めていた柳が、さりげなく話に割り込んできた。
「血の繋がった兄弟はどうしようもないが…精神的に絆を繋げた兄弟というのは、誰にでも持つ事が可能ではないか? 正に、幸村が訓示で言ったことだ」
「あ…」
「ふむ、真理だ」
はた、と手を口元に当てる桜乃の傍で、真田がうむと深く頷く。
確かに、途中から話が摩り替わってしまっていた。
「そうですね…テニス部の皆さんは一つの家族ですからね」
「あー? 何だよ、竜崎だって、その中に入ってるんじゃねぇのかい?」
「え?」
丸井の当然といった発言にきょとんとしたのは当人の桜乃だけで、他のメンバーは全員反論もなく同時に頷いた。
「勿論、そう思っているよ」
「で、でも…私、立海のテニス部員じゃないですよ…?」
微笑んで頷く幸村に桜乃は遠慮がちに申し出たが、切原がそれがどうしたと返す。
「そりゃあ、女子なんだから正式に入れないのはトーゼンだって。でもさ、アンタもうここの一員も同じじゃんか」
「今更他人行儀にされたら却って悲しいもんよ。お前さんは、学校は違うが、よくここに来てくれとるし、手伝いもしてくれるからの…感謝しとるよ。まぁ、アクの強い兄貴ばかりじゃけどな」
仁王の言葉も加わり、立海のメンバーが桜乃の存在を認めてくれた姿勢に、本人がとても嬉しそうに微笑んだ。
「うわぁ…嬉しいです!」
「ふふ…じゃあ、竜崎さんはまだ一年生だから、みんながお兄さんになる訳だね」
弟になる存在はいないが、それでも桜乃はにこにこと満面の笑みを浮かべて、話しかけてくれた幸村の方へ顔を向けた。
「そ、そうですね……えっと、じゃあ…精市お兄ちゃん」
「!」
どきっと胸を衝かれるような衝撃を受け、幸村が珍しく動揺してしまったと同時に、他のメンバーがどよっとどよめいた。
あの幸村が、動揺している…!?
「…しまったな、隙を突かれちゃった」
まだどきどきする胸を押さえ、僅かに照れた様子を見せた幸村に、桜乃はくすくすと頬を赤くして笑う。
「お兄ちゃんって呼ぶの、凄く新鮮です…」
「俺も俺も! お兄ちゃんって呼んでくれーい!!」
男ならではの欲望があるのか、それとも単純に面白がっているのか、丸井が桜乃に飛びついてくる。
「え?…い、いいですよ?…ブン太お兄ちゃん」
「うわ〜〜〜! 何かぞくぞくする〜〜、弟達に言われてんのとは全然違う〜〜!!」
桜乃の言葉の魔力に魅せられた様に、丸井が身体を震わせながら叫ぶ姿は、傍から見たらかなり怪しい。
しかし今のこの状況では、何故かそれを糾弾する声がない…それは他のメンバーも少女の言葉に何らかの魅力を感じているからだろうか…?
「そ、そんなに凄いのか…?」
「いやもう、一度呼ばれたら分かるって!!」
まだ興奮冷めやらないのか、丸井は訝しむジャッカルの肩をばしばしと激しく叩き、それを受けてジャッカルはちら…と桜乃へと目を向ける。
「う……」
「あは…じゃあ…ジャッカルお兄ちゃん?」
「っ!!」
幸村や丸井のように兄弟を持たないから免疫が無いのか、ジャッカルの反応は彼ら以上であり、言われた瞬間背中を向けて過呼吸に陥ってしまった。
「あ…何か…胸が苦しいかも……」
「だろだろ!?」
同意を得た丸井がはしゃぐ脇で、呼吸を整えながらジャッカルはしみじみと喜びを噛み締める。
「いや…子供の頃の夢が叶ったって感じだなぁ…」
「大袈裟ですよ〜」
言われているこちらが恥ずかしくなる、とくすくす笑う桜乃に、ほーうと面白そうに仁王が注目した。
「大袈裟かのう…じゃあ竜崎、次は俺にやってみい」
「え? は、はい…雅治お兄ちゃん?」
「おう、何じゃ、桜乃?」
「っ!!」
にこっと珍しくにこやかな笑みを見せた仁王が竜崎の名を呼び返す…まるで本物の兄の様に。
不意打ちを受けた形で、桜乃はぼっと顔を赤らめた。
「……どうじゃ?」
「た…確かに…どきどきしますね…」
大袈裟ではなかったのか…と認識を改めた桜乃に、仁王はまた面白そうに、しかし優しげな笑みを浮かべる。
「はは…じゃが、お前さんにそんな呼び方で呼ばれるのも確かに悪くないのう…いや、良い思いをさせてもらった。可愛い妹じゃな」
「も、もう…」
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