詐欺師の余裕を見せ付けられた桜乃は、ちら、とその隣にいた柳生を見ながら首を傾げた。
「そう言えば、お二人はたまに入れ替わったりするんですよね…?」
「ええ、そうですよ?」
「じゃあ、たまにはそれぞれ逆の立場で、お兄ちゃんって呼ばれたり?」
「そうですねぇ…確かにありますよ。ばれたことはまだありませんが」
 身内さえも騙せるんだ〜、と感嘆しながら、桜乃は思ったことを素直に述べた。
「それだけ慣れているなら、柳生さんも仁王さんみたいに、他人から呼ばれても動揺しないかも・・・」
 先程の仁王を思い出して彼を見ると、向こうはそっぽを向きながら口笛でも吹きそうな雰囲気だ。
「さぁ…どうでしょう。お試しになりますか?」
 やはり柳生もそう簡単に心の内を見せるつもりは無い様子だったが、す…と手を眼鏡の縁に触れて微笑みかける仕草は、いつもの優しいそれだった。
「えっと…比呂士お兄ちゃん?」
「ええ、桜乃さん」
「……」
 ごく自然に答えてくれた柳生に、暫く沈黙していた少女が腑に落ちないとばかりに眉をひそめた。
「…何だかいつもと変わりませんね。妹にも『さん』付けですか…?」
「はは…どうしてもこの場合、私の信念が邪魔をしてしまうようですね。紳士であるべし、という目標は相手が他人であっても身内であっても変わるべきものではありませんから…しかし正直、今あなたに呼ばれた時は、平静を務めていてさえ心が揺らぎそうになりましたよ」
「…紳士でいるって、大変なんですね」
 そうかもしれませんね、と柳生が楽しそうに笑って答えた後、今度はひょこっと切原が顔を出してきた。
「へー、んじゃ、俺の番だな、俺の番!」
 当然、呼んでもらえるという事を前提にしているのか、やたらと楽しそうにはしゃいでいる。
「あれ? 何だか切原さん、さっきとは違って乗り気ですね…」
「いーじゃん、下の奴持つって、結構面白そうだし!」
「はぁ…じゃあ、赤也お兄ちゃん」
「おう! 桜乃! おにーちゃんにお茶煎れてくれっ!!」
「……」
 相手の反応に一瞬沈黙した桜乃は、はは〜んと全て読めたという顔で彼を追及した。
「そーゆー狙いがあったワケですね、切原さん…」
「だーって兄貴とか姉貴とかって大体いばるもんだろ? 俺だって姉貴によく…」
 腕を頭の後ろに回して組みながらふふーんと鼻で笑っていた切原に、いきなり桜乃が悲鳴にも似た声を上げた。
「きゃあああ! きっ、切原さん!! NGワードです、それっ!!」
「へ…?」

『…………』

 嫌な沈黙が流れる…
(はっ……!)
 己の失言に、切原本人が気付いた時にはもう手遅れだった。
「赤也、俺達のお茶煎れろ」
「赤也、肩を揉め」
「切原君、部室の掃除をお願いしますよ」
「明日の朝錬前のコート整理、宜しくのう」
 次々上がる他のレギュラー一同からの要望が切原に向かって飛んでいく。
「えええええっ!! 何で俺〜〜〜っ!?」
 原因の種を蒔いたのは自分であるにも関わらず、そんな台詞を本気で言っているのだから、切原の自覚のなさも大したものである。
「お前は俺達の弟分になるんだろうが、兄貴は威張るものなんだろう?」
 いつもは切原にやられているばかりのジャッカルがニヤニヤと笑って言った。
 全く反論出来ず、自分で掘った墓穴に飛び込んでしまった事実を認めるしかなくなった切原は、がっくりと力なく肩を落とした。
「ううう…」
「妹じゃなくてもお茶ぐらい煎れてあげるのに…」
 手伝ってあげます、と切原の肩をぽんっと叩いて励ました桜乃に、柳が厳しい一言。
「甘やかさない方がいいぞ、竜崎。全く…本当に切原に下の兄弟がいたら、さぞ気の毒なことになっていただろうな」
「でも、小さい頃から下の面倒を見ていたら、違っていたかもしれませんよ?」
「どうだろうな…」
 今にもため息をつきそうな程に渋い顔をしている柳に、桜乃もまた苦笑する。
「柳さんも厳しいですねぇ…あ、じゃなくて…蓮二お兄ちゃん、赤也お兄ちゃんをあまりいじめないでね?」
「っ…」
 くすくすっと笑って茶目っ気混じりにそう言った桜乃に、参謀・柳さえも硬直してしまう。
 そして他の男達がうわ〜〜〜と遠巻きにその現場を目撃しながら心で声を漏らした。
(マジで最強だぃ…)
(柳さえも時を止めたぞあの子…)
(竜崎以外の女子から同じことされても、絶対零度の視線だけで終わりそうじゃがのう)
(取り敢えず、切原君の寿命は守られましたね…)
「竜崎…俺、勉強以外なら、お前に恩返しする…するから、マジで俺の妹になんね? お前いたら、俺の学生生活がかなり上向くと思う」
「お、お申し出は嬉しいけど…それぞれにも家族がいますから」
 庇ってくれた少女の優しさにほだされまくっている切原は、程よく頭のネジも緩んできているらしい。
 現実的にどう考えても不可能な要求を、どうやら本気で言っている様子の彼に苦言を呈したのはお目付け役でもある真田だった。
「何を寝惚けたことを言っている…そういう気の緩みが…」
「だぁって真田はまだおさげちゃんに呼んでもらってないじゃんか〜、言われてみたらそんな事言えなくなると思うぜい?」
「下らん!」
 丸井の言葉を一刀の許に切り捨てているそんな真田の背中の向こうで、こっそりと幸村が竜崎に『おいでおいで』と手招きで彼女を呼び寄せている。
 そして真田を指差して、何事かを彼女の耳元で囁いた後…
「そもそも……ん?」
 お得意の説教を始めようとした真田の左腕が後ろからぎゅ、と誰かに遠慮がちに掴まれ、必然的に彼はそちらの方へと顔を向ける形となった。
「弦一郎お兄ちゃん」
 首を傾げ瞳をうるうると潤ませ、自分の腕に擦り寄る桜乃の、下から目線攻撃。
「っっっっっ!!!!!!!!!!」
 正に攻撃…しかもガード不能技。
 一ミリにも満たなかった真田の隙をえいやっとばかりにこじ開け、心臓を直撃させて、少女は見事に相手を机に突っ伏させる偉業を成し遂げた。
「〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!」
 心拍数は百を越え、血圧は二百近くに跳ね上がった副部長を見つめながら、部長はうんうんと頷いていた。
「流石の弦一郎も、首傾げ四十五度と涙目、腕を握られながらの妹攻撃には完敗だったみたいだね」
 その彼の手には何故か目薬…桜乃に何をしたか一目瞭然である。

「お前もグルか精市――――――――――っ!!!!!」

 振り向いて思い切り親友を非難した真田だが、その顔はまだ赤く、そんな相手に対して幸村はふふふ、と楽しそうな笑顔を浮かべていた。
「だって俺が最初にやられちゃったから、何となく悔しかったんだよね」

(眉一つ動かさず、自分の都合を親友にっ!!!)

 笑顔を浮かべながら親友をも巻き込んだ部長に、レギュラー達が心に冷や汗をかく。
 やっぱりこの人物だけは、本気で怒らせてはいけない…
 結局、みんなが桜乃の『お兄ちゃん攻撃』の洗礼を受けてしまった。
「いや、楽しい時間だったな…竜崎さん、もし良かったらこれからも俺達のこと、兄妹みたいに頼ってくれる? 君の力になることは俺達にとっても嬉しいことだし」
「えへ…じゃあ、お言葉に甘えますね。ちっちゃい頃の夢が叶って嬉しいです! さっきはごめんなさい、真田さん」
「む……う…いや別に」
 ようやくいつもの調子に戻った真田は、謝られて視線を落ち着き無く辺りに彷徨わせた。
 あまりに嬉しそうに笑う桜乃の顔を見てしまった以上、もう怒ることも出来ない。
 しかし、元々桜乃に怒られる理由などないことは彼にもよく分かっているのだ。
 幸村にしてやられた悔しさは、まだ少し残ってしまうかもしれないが…
「さて、じゃあそろそろ帰る準備をしようか。竜崎さん、良かったら途中まで一緒に行こう」
「あ、はい是非! 皆さんお着替えですよね、外で待ってます」
 にこっと笑い、早くも彼らの行動を察した少女は部室の外へと席を外し、部室には普段どおり男性陣のみが残された。
「いいなぁ妹…また呼んでもらおーっと」
 丸井が早速そんな企みを考えている脇では、ジャッカルが少し心配そうにドアの向こうに消えた桜乃を視線のみで追っていた。
「…しかし、あまり俺達が傍にいすぎても迷惑だろう」
「何でッスか?」
「それは…まぁ、年頃の女子だしな」
 切原の質問に、言葉を濁しながら彼が答える…と、
 ぴくっ…
 全員の肩が反応して、彼らの目に殺意にも似た感情が宿った。
「確かに…相手はよくよく選んでやらんとのう、可愛い妹に悪い虫をつける訳にはいかん」
「まず性格がいいことですね」
「経済的にも問題ない奴がいいなー、おやつでも何でも買い放題!」
「持ち家や車は最低条件ッスよね、お手伝いがいたらなお良し。で、三食昼寝付き!」
「ルックスも清潔感があって、竜崎に恥をかかせないマナーを弁えている人間が好ましい」
「武道を嗜んで、俺でも打ち負かす奴なら認めてやってもいい…命の保証はないが」
「こらこらこらこら!! ストップストップーッ!」
 次々飛び出す兄貴分達のレベルが高い要求に、ジャッカルが慌てて皆の暴走を止めに入る。
「そんな事言ってたら、アイツ、一生嫁に行けなくなるぞ!?ってか、中学生だし!! 今からそこまで包囲網引かれちゃ幾ら何でも可哀相だろ、そりゃ」
「…ふむ…確かに…可能性はゼロではないが、現実的でもないな」
「だろ!? な、幸村!」
 真田を納得させながら、幸村にも同意を求めたジャッカルだったが…
「うーん…」
 ちょっと悩んだ様子の幸村は、くるっとジャッカルを始めとする仲間達へと振り向いた。
「別にいいんじゃない? そんな事になったら、俺達の誰かが責任を取るってことで」
「はい!?」
「だって兄妹だろう?…でも、血も繋がってない、と」
 幸村がさも当然といった顔で断言する。
「願ったりじゃないか。血縁じゃないなら別に遠慮する必要はないと思うけど…俺達にも同等の権利があるのは事実だし、責任取ることに何か問題がある?」

『…………』

「いやあの、それは確かにそうなんだが…」
「それではまた別の問題が…」
 また嫌な沈黙が背後で流れていることを痛感しながら、真田達が言葉を探しているところで…

 カ―――――――――ンッ!!

(何処からともなくゴングの音が〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!!!!)
 ひいぃぃぃっ!!と頭を抱えるジャッカルに、参謀が寄ってきて過酷な現実を突きつけた。
「…今の精市の発言をもって、竜崎が他所の男子と恋仲になる望みは当面絶たれたな」
 実質、ウチの中での争奪戦になるだろう…その幕開けをさっきのゴングが告げたワケだ。
「ああ…そう、そうね…やっぱり…」
 ぐすん…と心で涙を流していた彼の隣では、複雑な表情で真田が幸村へ進言していた。
「…お前は訓示で俺達に兄弟のような関係を求めていた筈だが…」
「そうだけど」
「…何と言うか…兄弟の繋がりどころか、血で血を洗う抗争に発展してゆく気がしないでもない」
「そうかな? 大丈夫だよ、みんな仲良いし。竜崎さんが嫌がることはしないさ」
「…確かに…」
 幸村の言う事には異論はない。
 自分にも確かにゴングが聞こえた気がしたが、今回の件で自分達の鉄の絆にひびが入ることはないだろう…しかし、当分部内が色々な意味で荒れることは間違いない。
 この部長はおそらくそれを楽しそうに眺めているだけだろうし…
(…竜崎にも何かの時には助力を願うか)
 はぁ…と息をつき、苦労人の副部長は今後について早くも一抹の不安を抱えていた。


「皆さん、何だか遅いなぁ…」
 一方その頃、桜乃は中での会話の内容など知る由もなく、のんびりと外で彼らの帰宅を待っていた。
 竜崎桜乃…立海メンバーを兄と慕うことで、最も過酷な花嫁への道を選んでしまった、記念すべき第一歩であった……






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