「りゅ、竜崎!? 目ぇ、覚めたか!? どっか、身体悪いトコないか!?」
「ふえ…?…すぶりはまだこれから〜〜〜」
(うわっ、完全に酔っ払ってる…!)
 幸村の心の声の通りだった。
 全く呂律が回っていない状態で、ぽやぽやとした桜乃がそう言いながら、はた、と丸井に注目する。
「まるいさん…ないてる?」
 眠気は少し取れたのか、最初の台詞よりはしっかりとした口調だ。
「あ、い、いや、これは違うよぃ、別に泣いてるワケじゃ…」
 ぎゅ…
「はえ?」
 安堵で再び涙目になろうとした丸井を、いきなり桜乃が抱き締め、周囲の空気が凍りついた。
「はい!?」
「ないてるの? かわいそう…まるいさん」
 アルコールで感情の起伏が激しくなっているのか、既にもらい泣きの状態の一歩手前まで来ている桜乃は、わたわたする丸井を抱き締めたまま、いい子いい子と頭まで撫で始める。
 普段の彼女からは想像もつかない、或る意味破天荒な行動に、いよいよ周囲はうろたえ始めた。
「い、いや、ちょっと! ちょっと待て、竜崎!!」
 丸井が、顔を青くしながら彼女を止めようとしているのは、周囲の男達からの異様に冷たい視線の所為だろう。
 自分に非が無いとは言え、そして相手が酔っ払っているとは言え、ここまで桜乃と密着した状態で更に頭にも触れられたりしているのだ。
 それはもう痛いに決まっている……羨望の視線が。
 何とか今の場所から抜けようとしている丸井を手伝い、真田が手を貸して桜乃と彼を引き離した。
「竜崎、少し落ち着け」
「んにゃ…」
 自分の両腕を掴んで引き離した相手が真田であるという事を知ると、今度は桜乃の興味が彼へと移った。
「あれ…? さなださん?」
(相手は認識できる様だな…)
 そんな事を考えている間に、桜乃はベンチにいきなり正座をして、真田に向かってぺこっとお辞儀をした。
「いつもおせわになってます〜」
「む? い、いや、こちらこそ…」
「真田! 真田! つられてるって!!」
 思わず条件反射で礼を返してしまった男が、ジャッカルの突っ込みではっと我に返っていかんいかんと自分をたしなめた。
「蓮二、向こうの水を取ってくれるか。少し飲ませてみよう」
「うむ」
 真田が親友にそう頼んでいたところで…
 ぎゅっ…
「!!!!!!!!」
 再び、桜乃の抱きつき攻撃が、今度は真田に炸裂してしまった。
 首に手を回し、ぎゅ〜っと抱きついてくる相手に、真田が見事に生きた彫像と化してしまう。
「うわぁ! 竜崎、大胆過ぎっ!!」
「真田、息しとらんぜよ」
 慌てるばかりの切原の隣で、純な男が気の毒に…と仁王が哀れみの目を向けていると、そこにコップを手にした柳が歩いてきた。
「弦一郎? 水を…」
 言いかけた彼が、目前の二人の密着した状態を見て、言葉を閉ざす。
「……ふぅむ」
 じゃーっ
 徐に、柳は真田にコップを手渡すことなく、それをそのまま相手の頭上で傾けると、中身を下へとぶちまけた。
 普段なら、さぞや酷い仕打と非難を受けたことだろう、が、しかし……
「今回は礼を言う!!」
「うむ、気にするな」
 水の冷気で意識と目が覚めたのか、それとも金縛りが解けたのか、すっくと真田が立ち上がり、それを切っ掛けに桜乃の腕の拘束から逃れ、柳に礼を言いながら部室の外へと飛び出して行った。
「あ、あれ? 真田副部長?」
「頭を冷やしにランニングにでも行ったのだろう…しばらく一人にしておいてやろう」
 柳の見立てでも、相当な精神攻撃を受けたようである。
「…さなださん?」
「すげぇなぁ…ま、分かる気もするけど」
 いつもは見られない鬼の副部長の意外な一面を覗き、へへーっと面白そうな笑顔を浮かべていた切原だったが、彼が自分の正面に来た時、初めて桜乃はむっと酔いつつも厳しい表情を浮かべた。
「きりはらさん!!」
「うわっ! な、何だよ」
 自分にいきなり大声を上げた桜乃に、切原は思わず数歩後ずさる。
 少し…ほんの少しだけ、『自分ももしかしたらぎゅっとしてもらえるかもしれない』と期待していただけに、この展開は予想していなかった。
「ちょっと、そこにおすわりなさい」
「へ?」
「おはなししたいことがあります」
「……」
 何だ、この展開は…
 もし別の条件で言われたら、状況によっては簡単に突っぱねることが出来る筈の要望だったが、流石にこういう状況は初めてだった。
 どうしよう、と幸村へ視線を向けて援護を要請してみたが、相手は楽しそうに笑みを浮かべるのみ。
『聞いてあげたら?』
「……ん〜」
 視線から読み取ったアドバイスに、仕方なく、切原は頭を掻きつつそこに正座してみた。
 まぁ、相手は酔っ払いだし……
「きりはらさんは、むちゃをしすぎます」
「は?」
「かってばかりしたら、けがをするかもしれないし、ほかのみなさんにもめいわくをかけてしまいます。さなださんにしかられてばかりじゃいけません」
「むぐっ!!」
 酔っ払いの言うことだから…と思っていたが、酔っ払いのクセに正論を吐いて来た。
 しかも、全く弁解が出来ない程に!
 酔っ払いに叱られている…とショックを受けている切原に、更に桜乃の追い討ちが掛かった。
「じゃあ…くわばらさんに『ごめんなさい』、してください」
「はぁ!?」
「なにっ!?」
 いきなり名前を出されたジャッカルもこれには驚いたが、桜乃は二人の反応など関係なく、じーっと切原を見据えたままだ。
「いつもいつも、くわばらさん、きりはらさんたちのためにいろいろとしてくれているじゃないですか。めいわくかけてばかりじゃいけません、めいわくかけたらあやまるんです、ほんとうは、まるいさんもしないといけないんですよ?」
「ぐ…」
 名前を出された丸井も、言葉に詰まる。
 本当に返す言葉もないとはこのことだ……
 酔っ払いに言われたくねぇや、と言いたいところだが、相手が好んで自らアルコールを摂取した訳ではない。
 年下のクセに!と言ったとしたら、年上の自分が更に惨めになるような気もする。
 年下だろうが年上だろうが、酔っ払いだろうが素面だろうが、正しいことは正しいのだ。
「………ま、まぁ…そうだな」
 酔っ払いの戯言だと蹴る事だって出来たが、切原は考えて、桜乃に理があることを認めた。
 いや、素面相手だと却って反感があったかもしれないが、相手が朦朧としていることで、この隙に、と寧ろ従いやすい、素直な気持ちにさせてくれたのかもしれない。
「…すんませんっした」
「…ごめん、ジャッカル」
「い、いや……」
 便乗して丸井にも謝られたジャッカルは、不覚にも感動して泣きそうになってしまう。
 多分…ここで謝られても、数日後にはまたあの賑やかな二人に戻るのだろうが、それでも今の一言は、とても嬉しかった。
「…えへへ」
 見ていた桜乃も、同じ様に嬉しそうに笑うと、さわ…と切原の頭を撫でた。
「っ!?」
「きりはらさんはいいひとなんですから、ほんとうはちゃんとできるんですよ。りっかいは、みなさんがなかがいいからここまでつよくなれたんです。これからも、なかよくしていかないとだめですよ」
「………」
 何も言わなかったが…切原は今、凄く感動しているに違いない。
 赤目になったり、悪魔の化身の様に残虐になったりする若者が、言葉一つでここまで従順に従わせられたのは、おそらくこれが初めてだった。
 そんな彼らを、仁王が実に興味深そうに見つめていたが、やがてその足が桜乃へと向いた。
 あの生意気な二年生を怒らせず、反抗させず、欺きもせずに思うように動かした彼女に興味をもったのだろうか…?
「…お前さんは、立海が好きなんじゃのう」
「わぷ……はい〜」
 やれやれ、という感じで桜乃の頭を仁王が撫でると、少女はひょこっと彼の方へと顔を向けた。
「におうさんも、だいすきでしょう?」
「……」
 あっさりと言い返してきた少女に、一瞬黙すると、仁王は更にぐしゃぐしゃと相手の頭をかき回した。
「あーあー、お前さんは、ほんっとうにいい子じゃの〜〜…恥ずかしくなるくらいじゃ」
「?????」
 頭をぐりぐりされ、酔いもあってふりゃふりゃとしている桜乃の手を抜け、仁王は柳生の隣へと避難する。
 実際、上手く隠していたが、仁王の心臓は激しく脈打ち、彼の動揺を如実に彼自身に示していた。
 危ない、危ない…バレるとこじゃった……
「凄いですね」
「お前さんは行かんのか? 柳生」
「ええ、やめておきましょう…あなたでさえ皮を剥がされそうになったつわものですからね。君子、危うきには近寄らず、です」
「…そんなに悪いもんでもなかったがのう…まぁええよ」
 詐欺師達でさえ牽制する少女に、部長の幸村がゆっくりと近づいて、ぽん、と頭に手を乗せた。
「ゆきむら…さん?」
「仁王が言う通り、君も立海が大好きなんだね」
 にこりと笑う相手に、桜乃もにこりと笑い返した。
「はい…ゆきむらさんともおなじです……わたし…ここが、すごくすきで、みなさんも、だいすき……」
「……!」
 また様子がおかしい……いや、今度は、徐々に瞳が閉じられていって…
「竜崎さん?」
 下手にベンチから下へと落下しないように、幸村が彼女を支えるように手を伸ばすと、桜乃はそれに縋り、また、抱きつく。
 抱きついたまま、しかし、瞳は閉じられてゆく…
「でも…いちばん……すきなひと、は……」
 その言葉に、全員の肩が小さく跳ね上がり、視線と意識が一気に集中したのだが……
「……すぅ」
 桜乃はそれを暴露することなく、夢の世界へと逃げていってしまった。
「竜崎―――――――っ!! そこが一番重要なんだって!」
「何だぃ、誰だぃ!? 目を開けろってば――――――!!」
 切原達が騒いでも、今度はもう目を覚ます気配すらない…
 どうやら、アルコールが、最後の最期で憎い置き土産をしてくれた様だ。
「……ダメだね…完全に熟睡してる。竜崎先生の予想より、アルコールが沢山入っちゃったんだね」
 仕方がないと、起こすのを諦めた幸村は、驚くべき提案をした。
「…負ぶって、送って行こう」


「すまなかったねぇ、まさかあんた達が揃って来てくれるとは思わなかったよ」
「いえ、こちらこそ大事なお孫さんを長くお預かりして…」
 桜乃の家では、すっかり眠り込んでしまった桜乃が、何も知らないまま、祖母に引き渡されていた。
 強行軍は、壮観たるものだった。
 一人が桜乃を背負うと、回りを他の男達が囲み、彼女の姿を周囲の人々から隠す様にしたのだ。
 無論、奇異の視線で見られたりもしたが、何とかかんとか、時々背負う者を交代させて、全員で少女を自宅へと送り届けた。
「…桜乃のクセは大丈夫だったかねぇ。酔うとやたら甘えたがるんだけどね、困ったものさ」
「…甘え…?」
 祖母の言葉に、全員がへ?と意外そうに顔を見合わせた。
 そうだったのか…?
 まぁ、そういう見方もありはするかもしれないが…寧ろこちらに説教すらしていたような…?
「…いいえ、俺でも出来ない指導をしてくれましたよ」
 幸村が笑って祖母へと応え、続けて尋ねた。
「…竜崎さんは、青学のマネージャーにはしないんですか?」
「ん? そのつもりはないよ。ウチはそういうのは置かない方針だからね」
「そうですか…」
 勿体無い…と思いつつ、幸村はそれは言葉には出さなかった。
 そこまで塩を送ることもないだろうし…正直、彼女のああいう姿を他の誰かに見せるなど考えたくない。
「何でだい?」
「いえ、別に…何となくそう思っただけですよ……じゃあ、俺達はこれで」
「……」
 代表で幸村が暇を告げた時、ぱちっと再び桜乃の目が開かれた……


 翌日…
「…寝れた?」
「ぜんっぜん!」
 立海の廊下では、真っ赤な目をした丸井やジャッカル、切原達が集まって、眠そうな顔で話しこんでいた。
「俺、目がこんなだから、今日誰も寄り付かないッス」
 切原がぶすっとふてくされた顔でそう言ったが、それは仕方がないことだ、と皆に一蹴されてしまった。
「俺、おにーちゃんだから弟達の世話とかはしてたけど、頭撫でられたことなんて、マジで覚えてない…すげぇ嬉しかったぃ」
「俺、マゾじゃないんスけどね…怒られて嬉しいなんて、どうにかなっちゃったんでしょうかね」
「真田のヤツも滅多に人に触れないから、その感覚に驚いてたみたいだな…」
「…けどまぁ、最後の最後で、いい思いをさせてもらったの」
「仁王君、不謹慎ですよ」
 柳生の言葉には誰も答えなかったが、誰ともなく、何となく気まずそうに天井を見上げていた…


 一方、幸村達も…
「竜崎さん、最後の最後で甘えグセが出ちゃったみたいだね…竜崎先生のお話だと、アルコールが抜けるとすっかり忘れてしまうそうだけど…ちょっと残念」
「忘れてくれて結構! 覚えていたら、俺は…その…彼女と会わせる顔が無い!!」
「アルコールを飲むと、精神年齢が退行するのだろうか、彼女は…しかし、部室での彼女の指摘は実に核心を突いていた」
 あの日、暇を告げた時、まるでそれを聞いていた様に再び桜乃が起き上がり、彼らに行かないでほしいと懇願したのだった…無論、まだ酔っている状態で。
 またすぐに会えるからとなだめても、ほろほろと涙を流して、行っちゃやだと拒む少女の姿を見た時、初めて男達は彼女の祖母が言った甘えるクセの意味を理解したのだ。
 祖母のなだめも加わり、最後は、皆がそれぞれ桜乃を『抱っこ』することで納得させた。
 一人ひとり、彼女の小さな身体を優しく抱き締めながら再会を約束して、最後の人が終わったところで、桜乃は眠った。
 今度こそ…次の朝までぐっすりだったらしい。
 ほんの少量のアルコールであの状態…幾らアルコール度数が強かった酒種とは言え…
「竜崎さんには何の責任もないと思うけど……その…可愛かったよね」
 幸村が言葉を途切れさせ、口元を隠しながら言う程に、最後に抱っこした桜乃は殺人的に可愛かった…
 その証拠に柳と真田も視線を逸らせつつ、無言のまま、ただ頷き同意を示す。
 あの視覚的衝撃のお陰で、精神は昂ぶって寝つきが悪くなるわ、桜乃から貰った肝心のチョコは食べず仕舞いに終わったわ、結構散々な一日でもあったのだが、彼らにとってはそれでもおつりが来るくらいには充実していた一日だったらしい。
 貰ったチョコは、今日、食べたらいいだけの話だ。
「でも…ちょっと危険だ」
 あんな姿で甘えられたら…通常の男性なら間違いなく理性が吹っ飛ぶ。
 だからあの時、桜乃の祖母は自分達なら大丈夫だろうと言ったのだろう…信用されているのは嬉しいが。
 桜乃があの時…彼女が一番好きな誰かを言いかけたことは気になるけど…
 もう一度、同じ様に酔わせて聞き出したい気持ちも確かにあるけど……
「…もう絶対竜崎さんには、アルコールの類は口に入れさせないでおこう」
 部長の言葉に、他の二人が再度強く頷く。
 そしてその三人が思っていたことと同じことを、違う場所にいた他のレギュラー達も誓い合っていたのであった……






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