Trick or Treat!


「不許可!!」
「何だよぃ、真田のケチ―――――――ッ!!」
 十月三十一日の立海大附属中学男子テニス部は、朝から荒れていた。
 とは言え、部活動そのものが荒れていたという訳ではなく、某部員が、或る訴えを起こして厳格な副部長と諍いを起こしていたのである。
 その訴えとは…
「いーじゃねぇかよぃ! 放課後に猫耳と猫尻尾着けて校内歩くぐらい!!」
「やるなら退部届け出してからやれ! ウチの部が変態を育成していると思われたらたまらん!!」
 何だかよく分からない内容である。
 よく分からないものの、その舌戦は非常に白熱しており、周囲のレギュラーからも注目されていた。
「どうしたの?」
 部長の幸村が周りの仲間達に尋ねる。
 今、非レギュラーの指導から戻ってその場に来たばかりの彼は、今までの事情をよく知らず、それ故に何が起こっているのか興味津々の様子だった。
「ああ、それはですね…」
 説明しようと柳生が口を開きかけると……
「たかが西洋なまはげのイベントで、そこまでやる必要などないっ!!」
「異議あり――っ! 仮装の有る無しじゃ、獲物の数は断然違ってくるんだぜぃ!?」
と、またもあの二人の言い合いが聞こえてきた。
 それを耳にした幸村は数秒の沈黙の後に、
「……そうか、ハロウィーンか、今日は」
と納得の態で呟いた。
「西洋なまはげでソレと分かるお前さんも大したもんじゃ」
「付き合い長いからね」
 西洋のイベントを無理やり和風のそれに例えるのは、彼なりの理解の仕方なのだろうが、やはり少しずれているかも…
(と、思いつつ、俺も結構楽しんでいるんだけど)
 心の中で思いながら、幸村は丸井の必死の様子を見て、彼の相棒のジャッカルに顔を向けた。
「…よく分からないけど、随分粘るね」
「躾けても躾けても、一向に吠えグセと噛みグセが直らなくて…いっそ保健所に連れて行こうかと」
 渋い顔でそう提案するジャッカルは、相変わらず相棒の我侭に振り回されて難儀している様子である。
 最早自分がここにテニスをしに来ているのか、それとも躾けに来ているのかすら分からなくなる時があり、人生の空しさを感じてしまう不遇の中学三年生であった。
「落ち着いてジャッカル。連れて行っても多分向こうが受け入れ拒否するよ」
(さ〜〜〜て、このボケにどうツッコミ入れようかな〜〜〜〜〜)
 そう思っているのは二年生エースの切原である。
 普段から丸井と同じくジャッカルに迷惑をかけている存在なのだが、こういう部長の一言を聞くと、少しだけ素行を改めようかとも思うらしい。
 つまりは、明日は我が身。
 今の部長の発言が真意か冗談か、本気で分からなくなって彼が悩んでいると、その隙に幸村の親友でもある柳が彼に補足を加えてくれた。
「放課後の例の恒例イベントで、丸井が猫の耳と尻尾を着けて参加すると言って聞かなくてな…当然、弦一郎は断固拒否の立場だが…」
「ははぁ、成る程ね」
 くす、と笑って、納得、と部長は頷く。
「結構定着してきたよね、あのイベントも」
「そうじゃの。滅多にない他の部との交流にもなるしのう」
 仁王達も、幸村の意見に同意する。
 実は、いつ頃から始まったイベントかは知らないが、ここ立海ではハロウィーンの日に、全ての部活で共通して行うイベントがある。
 それは各部活の代表が他の部を色々と回り、お菓子を貰ってくるというものだった。
 普段は交流があまりない他所の部とこういう日だけでも顔を合わせる機会が持てるとあり、このイベントは教師達にも半ば公認で行われていた。
 お菓子程度であれば、それ程に目くじらを立てる必要もない、というのもある。
 当然、行けば平等にお菓子が貰えるという訳ではなく、やはりハロウィーンだけあって多少の遊び心は欲しいところ。
 そこで代表はハロウィーンの暗黙の規律に則り、多少の仮装をして回るのである。
 その仮装が受けたら貰えるお菓子の量も幾らかプラスされ、結果、一番ハロウィーンらしかった部が一番お菓子を貰えることになるのだ。
 これに、甘いモノ大好き人間の丸井が乗らない筈はない。
 今年は是非、各部から大量のお菓子をせしめようと前もって代表に立候補し、当日張り切って部に来たところが、あの厳格で名高い副部長に見事ストップを掛けられてしまったという訳だった。
「まぁ、仮装としては有りの選択肢だけどね…耳と尻尾か…」
「因みに実物はこれ」
「……」
 柳がひょいっと見せたのは、黒のカチューシャに見事な三毛猫の耳が誂えられた仮装グッズその一と、フックでベルト通しにつけられるように加工された、これまた見事な三毛猫尻尾の仮装グッズその二。
 暫くそれをじーっと凝視していた幸村は、口元に手を当てて首を傾げた。
「…着ける云々以前の問題として、どんな顔でこれを購入したのかが激しく気になるな…」
「ものすごーく楽しそうな顔で買ったんじゃないか? これでお菓子集められると思えば、何でもいいんじゃよ、奴の場合は」
「残念ながら、その点につきましては仁王君に同意せざるを得ません。只一つ不安なのは、これを買った際に立海の制服を着ていなかったかということです」
 少なくともそういう面で同類とは思われたくない、と柳生は本気で考えているらしい。
「で、お前の判定は?」
「年に一度のイベントとは言え、流石にテニスウェアにそれを着けるのは先人に申し訳ない気がするな…賛成したら今度は弦一郎が寝込んでしまいそうだし、ブン太には悪いけど別の案で妥協してもらおうか。ふふ、可愛い耳と尻尾だけどね、別の場所で需要がありそうだ」
「確かに…何かこう、いかがわしさ三割増し!みたいなアイテムッスよね」
 後輩がそんな事を言っている向こうでは、残念ながら否決になった事もまだ知らない丸井が、尚も副部長とやり合っていた……


 さて、その日の放課後…
 朝にそんなすったもんだがあったとは全く知らず、青学から竜崎桜乃が見学の為に敷地内に足を踏み入れていた。
 既に部員達はコートで練習を行っている様だが、自分は先ず部室内に荷物を置かせてもらうのが常になっており、それに従う形で彼女はそちらへと向かった。
「もう、皆さん着替えは終わってるよね…失礼します」
 念の為にコンコンとノックをして…がちゃりとノブを回して扉を開くと…
「?」
 開かれたドアの向こうに白い壁が見え、その壁に二つの並んだ黒い穴…
「え…?」
 よくよく見ると、真っ白なシーツを被ったオバケ…よくアニメやアトラクションでも見るオーソドックスな姿である。
 しかし、いきなり目の前にそんなオバケが出て来た桜乃は、驚きのあまりに大声を上げてしまった。
「きゃああああああああああ〜〜〜〜〜っ!!!!」
 ここまで派手に恐がられるとオバケとしても非常に誇らしい筈であるが、当のシーツオバケは彼女の驚きようにわたわたわた!!と中の隠れた両手を振り回して同じ様に狼狽していた。
『わ――――――っ!! 待て待て待て! 俺だって俺〜〜!』
「…え?」
 シーツ越しでくぐもった声だったが、今のは…まさか!
「ま、丸井さん…ですか?」
 尋ねている間に、向こうはシーツを捲くり上げ、ひょこっとその素顔を晒した。
「当たりー…ってか、コレで恐がる奴、初めて見た。ちょっと快感」
「い、いきなり見たからですよ! あー、びっくりした…何事ですか?」
「いやぁ、実はかくかくしかじか…」
 説明している間に、先程の桜乃の悲鳴を聞きつけた真田が走ってきた。
「何だ、今の悲鳴は!?…む、竜崎」
「あ、す、すみません真田さん! あのっ、ちょっとびっくりしちゃって声を上げてしまいました。あの、大丈夫ですから…お騒がせしました」
「そうか…何事もなければそれでいいのだ。安心した」
「真田の所為だからなー、お前が止めたお陰であんなシーツ被らないといけなくなって、折角の耳と尻尾が無駄になっちまったじゃねーかよぃ」
 いまだに未練たらたらなのか、丸井がぶーっと唇を尖らせて相手に抗議したが、それで怯むぐらいなら立海男子テニス部の副部長など務まる筈もない。
「何で俺の所為になる。そもそもああいうアイテムを男子が着けること自体がけしからん!! 少しは立海テニス部の誇りを持って行動したらどうだ」
「常勝立海って言うなら、このイベントだって或る意味勝負じゃんかー!!」
「屁理屈など聞く耳持たん!! 回るならさっさと回って来い!」
 一喝して、真田はさっさとコートに戻っていき、その背中に向けて丸井はべっと舌を出した後に桜乃に向き直った。
「ちぇっ、融通利かねんだからよぃ、ウチの副部長…何が男子だよぃ、そういうのって男女さべ…つ…」
「……」
 言いかけていた言葉をゆっくりと終わらせつつ、丸井がじっと桜乃を見つめ、何事かを考えている。
 その様子と雰囲気から、少女が何となく嫌な予感を感じ取る。
「…あの、丸井さん? まさか……」
「何だよぃ! じゃあ女子ならいいんじゃんか!! 丁度ここにうってつけの女子いるしーっ!!」
「きゃ――――っ! やっぱり〜〜〜〜!!」
 悲鳴を上げつつ桜乃が部室の中に引きずり込まれ、それから暫しの時間が経過した後、休憩に入ったレギュラー達が部室へと戻って来た。
「ふぅ、ちょっと飛ばし過ぎたかの…冷蔵庫にあったミネラルウォーター、まだ残っとるかのう」
 最初に部室への一歩を踏み出したのは、詐欺師である仁王だった。
「さて…と…」
「あ…」
「ん?」
 部屋の中に入ると、セーラー服を着た猫娘が一人…いや、一匹…?
 ストレートの黒髪の上に大きな耳が二つ…そしてスカートの向こうに覗く揺れる尻尾…
「……」
 仁王は暫く沈黙していたが、ちょっと考えた様子で相手に言った。
「…中学生七人、禁煙席で」
「そーゆーお店じゃありませんっ!!」
 声を上げて否定する少女の声に、仁王の背後から中を覗き込んだジャッカルがぎょっと目を剥いた。
「うわーっ!! り、竜崎〜〜〜〜!?」
 その声を聞き、男達が何事かと次々と部屋の中に入り込んで、全員が例外なく桜乃の姿に吃驚する。
 いつものおさげを解いてストレートの黒髪を遊ばせ、猫の耳と尻尾を着けた桜乃は、異常な程に可愛さをアップさせており、恥ずかしそうに伏せ目がちになっている様は色気さえ感じさせていた。
 真田などは一瞬見た後にすぐに後ろを向いて必死に心臓の動悸を抑え込んでおり、その隣に立っていた部長の幸村は逆に面白そうに桜乃の姿を見つめて感嘆の声を漏らした。
「うわ…凄く可愛いね。仁王の気持ちも分かるな」
「じゃろ? 一瞬、何処の店に入ったかと思ったぜよ」
「いえ…ですからそういうお店じゃないんです…」
 恥ずかしそうに顔を伏せて身体を揺らせると、それにつられて尻尾がゆらゆらと揺れる。
 桜乃にそれらのアイテムを着せた丸井が、どんなもんだいと胸を張った。
「男子がダメなら女子で文句はねぇよな? 真田〜、これなら別に構わねぇだろ、コイツ連れて回って来るからさ」
「連れて…とは言うが…」
 柳が、半ば呆然として丸井と桜乃を交互に見た。
 丸井については全く問題ないが…彼女を、桜乃を、この危うい可愛さと色気を振りまく格好をさせたまま外に行かせる…?
 唖然とする参謀の脇で、桜乃の姿に完全にテンパッてしまっている切原が大声で訴えた。
「ちょっ!! いーんスか!? 本当にいいんスか!? こんな格好の竜崎外に出して! マジで襲われても知らないッスよ!? いや、てか、襲われたらそりゃ助けに行くッスけど…!!」
「落ち着けよ赤也!! そういう事言うと竜崎が怯えるだろうが!」
 そう嗜めるジャッカルも十分にうろたえている。
 それとは対照的に、相変わらず紳士然としている柳生は落ち着いている様子ではあるものの、いつもより眼鏡に手をやる仕草がせわしない印象を受けた。
「切原君が言うような野蛮な真似をする輩がこの立海にいるとは思いたくありませんが…確かに、いつもより非常に目を惹かれてしまいますね……幸村部長?」
 どうします?という意味を含んだ問い掛けに、幸村はじっと桜乃の可愛い猫娘姿を堪能しながら考え込んでいる。
「うーん…そもそも彼女は立海の生徒じゃないんだけど…」
「別に立海の生徒じゃないといけないって決まりはないぜ?」
 流石に丸井はこの看板娘を手放すまいと躍起になって反論してくる…しかし、言っている事は正しい。
「でも、制服がそれだとやっぱり目立つね…他の部から批判が来ないかな」
「んー…じゃあさぁ」
 言われた丸井が幸村の傍に寄って、ひょこっと手を差し出した。
「幸村、ちょっとジャージ貸して? 回ってくる間だけ」
「うん? それは別に構わないけど…」
 相手に乞われるままに、幸村はするりと肩からジャージを外すと丸井に手渡し、丸井はそれを今度は桜乃の肩にふぁさっと掛けた。
「え…?」
「ちょっとそれを羽織ってみてよ、おさげちゃん! これなら立海のマークもあるし、上も隠せるだろぃ?」
「は、はぁ…」



立海ALL編トップへ
サイトトップヘ
続きへ