海原祭狂想曲


 或る日、青学の一年生・竜崎桜乃が、立海の男子テニス部を訪問した時だった…
「あ、そうそう、竜崎さん」
「はい?」
 真面目にテニス部の練習をじっとベンチで見ていた桜乃に、部長である幸村がにこやかに声を掛けてきた。
 細身ではあるが痩せているという訳ではない、理想的な筋肉を身につけた中学三年生は、女性的な顔立ちとも相まって非常に見目麗しい。
 しかしその姿とは裏腹にテニスの腕は鬼神の強さを誇り、時折見せる鋭い眼光は確かに彼の意志の強さを示していた。
「もうすぐ海原祭なんだ。俺達の学校の文化祭みたいなものなんだけど…パンフは届いた?」
「ああ、あの…」
 相手が言った『海原祭』という単語に頷いて反応した桜乃だったが、その言葉が途中で止まり…
「………私のイラストが…まんまパンフに載ってしまったイベント…」
と、背中を向けてトラウマの真っ只中に突っ込んでしまった。
「いや…ホントごめん、一応匿名で載せて君の名前は出てないから、それで勘弁してくれない?」
「はぁ…」
 実はその原因は幸村本人なのだが、彼の計らいで何とか彼女の名が外に出る事は免れたのだった。
 元々、あまり根に持つタイプではなかった桜乃は、相手の謝罪を受けて何とか立ち直ると、改めて彼に向き直った。
「そう言えば、そろそろそういう季節ですねぇ…あの時はイラストのお話だけでしたけど、男子テニス部は確か…」
「うん、色々と案はあったんだけどね、まぁオーソドックスに喫茶店をやろうかと」
「喫茶店、そうでした…」
 にこりと微笑む幸村を見上げて、桜乃は彼に頭の中でウェイターの服を着せてみた。
 ぴしりと糊の効いたシャツに黒のベスト、蝶ネクタイに黒のロングエプロン……・
 想像だけでうっとりしてしまい、少女ははふぅとため息を漏らした。
「…とてもお似合いだと思います〜」
「そう、かな…」
「きっと女性客が凄い勢いで来ると思いますよ〜〜。幸村さんも勿論ですけど、レギュラーの皆さん全員、格好いいですもん!」
「そう言われると、恥ずかしいけど自信がつくよ」
 朗らかに話している二人の後ろに、丁度他のメンバーも通りかかった。
 いや、実際のところは、彼らが何を話しているのかと寄ってきたのだ。
 桜乃の非常ににこやかな表情から、どうやらテニスの話題ではないと察したらしく、皆が興味を示して会話の中に割り込んでくる。
「何だよぃ、幸村。おさげちゃんと楽しそうに話してさ〜」
「何を話しとったんじゃ?」
「ふふ…ちょっと海原祭についてね。俺達が喫茶店をやるって話していたんだよ」
「俺はもう少し教養のある出し物をしてみたかったが…」
「仕方ありません。こういうイベントの場合はニーズに合わせた出し物をするのが上策ですからね」
 真田の残念そうな意見に、柳生が苦笑しながら返すと、ジャッカルが桜乃に改めて礼を言った。
「そういや、あん時は竜崎がイラスト描いてくれたんだっけな。有難うな」
「は、はぁ…あまり思い出したくないです…私なんかの落書きが…」
「そう謙遜することもないだろう。今年の部活動部門では見事に大賞を取ったのだから」
 柳が真面目に答えた隣では、切原が何故か身体を震わせて悪寒を感じている様子だった。
「…最初に聞いた時には、何てイヤな想像させんだと思ったけどな」
「何を想像しとるんだお前は」
 真田が怪訝な顔で尋ねたが、実は聞かなくても桜乃には大体の想像は出来てしまっていた。
(きっとメイド喫茶だ…)
 つまり…切原はレギュラー全員にメイドの格好をさせた姿を想像したのだろう。
 神をも恐れぬ所業とは正にこの事だ。
「うん、取り敢えず舌噛んで死んでくれって思ったけどね」
 後輩の思考などお見通しといった感じで、幸村がにこやかにキツい一言。
(わー、幸村さん、本気で怒ってる)
 あまりこの話題を引っ張るのはまずいかもしれないと思った桜乃は、さりげなく話題を別の方へと向けた。
「でも、海原祭って中学、高校、大学…揃ってのお祭りになるんですよね。凄く大規模じゃないですか」
「そうだよ、俺達のスペースの近くの講堂では色々なイベントが予定されているみたいだからね…正直、そっちに客が取られるかもしれないし、頑張らないと」
 少し不安そうな表情を浮かべた部長に、桜乃はえい、と両手を上に上げて頑張れっとエールを送る。
「じゃあ、それを逆手にとって、そちらのお客をこっちに引き込んで売り上げアップですよ」
「なかなか上手い事を言うな」
 やはり、彼女のポジティブさには学ぶべき所が多い、と柳が微笑んだ。
「…で、お前さんは来られるんか?」
 微笑んで尋ねた銀髪の男、仁王の言葉に、幸村がああと頷いた。
「そう、肝心な事を聞いていなかったよ。君にも是非来て欲しいと思って声を掛けたんだ。どうかな」
「一般の人にも解放されるんでしたら、是非参加したいです」
「日曜だから、他に用事が無ければ大丈夫だろう。イラストの礼もあるからな、もし来たらウチのスペースにも是非立ち寄ってくれ」
「お前の飲食代はロハという事にしてやろう、せめてもの礼だ」
 副部長と参謀が嬉しい提案をして、部長が笑って同意してくれた。
「うわぁ、楽しみです」
 メニューもそうだけど、レギュラーの全員がどんな格好になるのか…
 桜乃はそれから海原祭当日までわくわくとした気持ちのままに日々を過ごした……


 そして待ちに待った海原祭当日…
「きゃー、凄い人ごみ〜〜〜」
 桜乃が海原祭に来たのは昼前の事だったが、既に校内の道は多くの人々で溢れかえっており、呼び込みの声や客の笑い声があちらこちらで響いていた。
 快晴だったことと、過ごし易い気温だったのも、人々の足をここへ向けた理由かもしれない。
「ええと…幸村さん達のスペースは…流石、実績がある部だなぁ、結構広い…」
 地図で確認して、桜乃がとてとてとそこへと向かってみると……
(きいあああああ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!)
 桜乃の予想通りと言うべきか…
 テニス部が主催している喫茶店は主に女性客で満席。
 しかも待っている客も外の廊下にずらりと並んでいた。
(うわぁ…これは結構待つかも…それより、メンバーの皆さん、大丈夫かなぁ)
 まさかあれだけの部員数を誇るテニス部が、全員をスペースに入れる訳ではないし、おそらくは交代制なんだろうけど…
 それでもこれだけの人数の客を捌くのは大変だろう。
 うず…うず…
 桜乃の身体がそわそわと落ち着き無く揺れる。
 別に順番が待てないという訳ではなく、何か手伝える事はないかと考えているのだ。
 骨の髄まで働き癖が染み付いてしまっている、勤労天使の中学生の耳に、やがて聞き慣れた声が聞こえてきた。
『そちらのお客様の人数は…はい、はい』
(あ、あの声…)
 列からひょこんと顔を出すと、先の方で待っている客の人数の確認を取っている柳生の姿が見えた。
 勿論、彼もウェイター姿だ……そして桜乃が想像していた以上に決まっている。
「うわ、格好いい、柳生さん」
「…ん?」
 思わず出てしまった感嘆の声に、柳生が反応して振り向き、桜乃の姿を捉えた。
「ああ、これはようこそ」
 一時仕事を中断して、柳生はすっと桜乃の前へと移動して、軽く、しかし粋な挨拶をした。
「ようこそ、お待ちしておりましたよレディー。今日は無論…お一人ですね」
「うふふ、はい、宜しくお願いします」
「かしこまりました…ふむ」
「え?」
「…申し訳有りませんが、少しこちらに御足労願えますか?」
「…はい?」
 柳生の導きによって、桜乃は列を抜けてそのまま室内へと案内され、それから更に厨房スペースの奥へと通された。
 無論、外部の人間は出入り禁止の場所である。
「お? どうしたんだよ柳生…って、おさげちゃん!!」
「お待たせするのもどうかと思いましてね…特例措置です」
 客の確認をしていた筈の柳生が厨房に戻って来た事を訝った丸井だったが、桜乃の姿を見て納得した。
「おう来たんか竜崎」
 そこに、客への対応をしていた仁王も戻って来た。
「きゃあ…皆さん本当に素敵です〜〜〜」
 白いウェイターシャツに蝶ネクタイ、漆黒のウェイターズボン…自分がほぼ予想していた通りの衣装ではあったが、実際の姿は想像の遥か上をいっていた。
「そ、そうか…?」
 普段着慣れない服を着ている真田がどうにも落ち着かない様子だったが、桜乃はぶんぶんと首を横に振った。
「やっぱり、普段からテニスしてる分凄く背筋が伸びていて、凛々しいですね〜〜。ハンサムなのは前から知ってましたけど、皆さん、惚れ直しちゃいそうです…」
 ほう…と頬に手を当てて呟く少女の素直な褒め言葉に、全員が喜びながらも照れてしまう。
 実は祭が始まり、多くの客がここに来る度に彼らに対しては桜乃以上の褒め言葉が際限なく投げかけられていたのだが、ここまで彼らを喜ばせたのは彼女が初めてだった。
 流石に、妹分に対しての愛情は並ではない。
「こりゃ嬉しいなぁ…けど今は、正直喜んでいる時間もないのが辛いところだが」
「そうだね…まさかここまで忙しいとは思わなかったよ」
 閑古鳥が鳴かないだけマシかも、と幸村がジャッカルの言葉を受けて笑う。
(あら…?)
 普段からテニスの猛特訓をこなしている筈の男達だが、今日は何となく普段の元気がない様な…
「…確かに忙しそうですね…いつも鍛えてらっしゃる皆さんが」
「鍛えている体力が違うんだよ〜〜」
 切原が泣き言に等しい訴えをしつつ、トレーに水を入れたコップを乗せてゆく。
 きっと、また新たに来た客人に運びに行くのだろう。
 確かに、こういう作業はテニスとは大きくかけ離れている…
「…うーん」
 きょろっと辺りを見ても、注文された品を持っていく動作も何処かぎこちない…それでも一般の男子よりは様にはなっているのだが。
「……」
 再び、桜乃の身体がうずうず…と揺れる。
「じゃあ竜崎さん、何処か席が空いたらそこに…」
「あのう…幸村さん」
「ん?」
「ちょっとお手伝いしましょうか、私、お皿運ぶのは結構慣れてますよ」
「ええ? けど、君にまた負担をかけるのは…」
 イラストのお礼に御馳走しようと思っていたのに…と幸村が躊躇っていたが…
「マジ!? 助かる〜〜!! 頼む竜崎っ!」
 先に二年生の切原が助け舟を頼んでしまった。
「はい、いいですよ」
「ちょ…ちょっと待って。でも、彼女は私服だし、ウェイターの服を着せようにももうないよ?」
 止める幸村に、しかし切原はいつになく強気の様子だ。
「だーいじょうぶですって…実は…一着だけあるんスよね」
「何が?」
 部長の疑問の声に答えて切原が厨房の裏の物置から引っ張り出してきたのは…何故か、女性用のメイド服だった。
 因みに、切原達が所属しているのは男子テニス部……言うまでもない事だが。
「……切原…何でこんなモノがここにあるのか説明してくれる?」
 真田や柳、他のメンバー達までもが硬直して言葉を失っている中、切原はけろっとした顔で答えた。
「いやぁ…もし客の入りが悪かったら、客引きの一環として部長にコレ着せたらいいと思って、念の為に調達しといたんスよ。まぁ、必要なかったみたいッスけど」
「…今ココで君を刺し殺しても、俺まだ少年Aだよね…」
 静かな笑みを称えつつも非常に物騒な事を呟いた幸村に、慌てて真田達が取り成しに入った。
「待て! 精市、それは堪えろ!」
「竜崎の前で、血を見せる訳にはいかんだろう」
(前じゃなかったら、見せてもいいって事になるのかしら…)
 はわわ…とうろたえる桜乃に、苦笑した仁王がちょんちょんと肩を指先で叩いて注意を促した。
「取り敢えず、裏で着替えて来んしゃい。家事に慣れたお前さんが手伝ってくれるのは正直有難いぜよ」
「は、はい〜」


「いらっしゃいませ〜、ご注文をどうぞ」
「うわ、可愛いメイドさん!」
 桜乃が臨時の手伝いとしてスペースを回り始めて、徐々に溜まっていた注文が捌け出した。
 何しろ桜乃は特技として他の男子が出来なかった食器の複数持ちが出来るのだ。
 ちゃっちゃと数人分の注文を一気に運べる分、回転は非常に速くなる。
 そして、桜乃が来てから、明らかに客層の一部が変わってきた。
『おい、あそこの喫茶店、可愛いメイドがいるらしい』
『え? だって男子テニス部の出し物だって…』
『いやそれがさ、一人だけいるんだよ…マネージャーじゃないか?』
 噂が噂を呼んで、徐々に男性客も増えてきたのだ。
 その様子を陰から休憩中の丸井がこっそり覗く。
「うおおお、すげぇ…おさげちゃんって、おさげを解いたらマジで最強だな〜〜、男心、瞬殺!」
「いやそれよりも…客が前にも増して増えてきとるんじゃが…」
 どうすんじゃ…と仁王が辟易した顔で幸村達を見回した。
 桜乃の頑張りは非常に嬉しいのだが、それが却って自分たちの首を絞めてしまったかも…
「ふむ…そうだな、ここは一時的にでも彼女を引き下がらせた方がいいかもしれん」
 柳の言葉に、ジャッカルが何かを思いつき、厨房の一角を指し示した。
「じゃあ…このゴミを出してきてもらったらどうだ? 殆どプラスチックだし、女性でも軽々持てる重さだ」
「いいですね、ここから指定のゴミ収集所は然程離れてもいませんし…折角の海原祭です、少しは外も見せてあげたいですから」
「じゃの」
 全員一致で、桜乃は彼らに一時撤収を命じられた。
「はい? 幸村さん、何ですか?」
「ごめんね、竜崎さん。お陰でこっちは何とか上手く捌けて少しゆとりが出て来たんだけど、流石にゴミが溜まってしまって…悪いんだけど最寄の収集所に持って行ってくれる? 折角だから途中で色々と見てきてもいいし」
「あ、はぁい」
 言われた通り、素直な桜乃はゴミ袋を抱え、んしょんしょと収集所に向けて歩いて行った。
 これが、今年の海原祭最大の事件を引き起こす切っ掛けになるとも知らずに……


「はふぅ〜〜〜、久し振りに外に出た感じ…何だか変なコトになっちゃったけど」
 一応、自分は客人として来たのだが、それがいつの間にかこんなメイド服を着て、テニス部の裏方として働いているなんて……
(でも、皆さんのウェイター服をあんなに間近に見られるんだもん。下手なイベントよりよっぽど楽しいもんね…帰りにちょっとだけ周りの出し物見学して…あ、お土産に何か買っていって差し上げようかなぁ…)
 そんな事を考えながら、無事に桜乃が収集所に辿り着き、ゴミ袋を置いている時だった。
 その近くにうろうろと誰かを探している様子の若者が歩いてきて、桜乃を見た瞬間、彼女の方へとダッシュをかけてきた。
「ちょっ…き、君、ちょっといいかな!?」
「え…はい? 何ですか?」
 ゴミを置いたところでくるんと振り向いた桜乃の黒髪が風に煽られ、艶やかに揺れる。
 その隠された清楚な姿とメイド服が、見事なコラボレーションで男の視神経を直撃した。
「イケるっ!! 君、まさにピッタリだ!!」
「はぁ…?」
 何を言われているのか全く理解出来ない桜乃は首を傾げるばかりだったが、向こうは興奮冷めやらぬ様子で彼女の腕をぐいと掴んだ。
「きゃっ…」
「すまない! 少しだけ助けてもらえないだろうか…! 人手が足りないんだ、ちょっと参加してくれるだけでいいから、ね!? 海原祭のイベントなんだけど…」
「…人手?」
 何か、大きな物を運ぶとかしないといけないのかな…じゃあこういう時って助け合いが大事よね。
(…もし私が断ったら、テニス部の皆さんの評判が悪くなってしまうかも…)
 そう考えた桜乃は、人手がいるなら、と親切心だけでこくんと頷いた。
「…私でもお手伝い出来ることなら、いいですけど…」
「本当に!? 凄く助かるよ、じゃあ急いでこっちに来て、もう始まってしまうんだ」
「は、はい…」
 相手に腕を引かれたまま、桜乃はとてとてと何処かに連れ去られてしまった……



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