立海おとぎ話・第二節


 桜乃は、皇帝に約束した通り、大変よく働く娘でした。
 朝は早くから、夜は遅くまで、努力を忘れず必死に自分の仕事を覚えていきました。
 馬の世話も、植物の剪定も、確かに体力も要る仕事は多かったのですが、彼女の目付け役でもあったジャッカルと丸井は幸いにも彼女によくしてくれたので、少女は辛いことがあってもそれを乗り越えることが出来たのです。
「はいはい、ご飯ですよー」
 その日も、桜乃は朝から元気に馬たちへ声を掛けながら餌やりに励んでいました。
 最初はおっかなびっくりだった手つきも、今やすっかり慣れたものです。
 馬達も桜乃にすっかり慣れて、最初の頃の様に暴れる子は一頭もいません。
「おう、餌やり終わったか? 桜乃」
「はい、ジャッカルさん。次は藁運びですか?」
「いや、今日はそれはいいんだ。悪いが今から丸井の処に行ってくれるか? 今日届く植物の植え替えで結構忙しいみたいだから、手伝ってやってくれ」
「はい、分かりました」
 てきぱきと動く少女の姿に、相手の男は非常に満足そうです。
「お前は本当によく働くなぁ。最初はちょっと不安だったが、来てくれてから俺達も随分楽になったよ」
「何だか身体を動かしていないと落ち着かなくて…家でもよく親の手伝いをしていましたから」
 そんないい子が家族を守る為に一人寂しく運ばれて来たのだと思うと、憐れでなりません。
 桜乃が当初この城に来た時には、やはり一部の使用人達からは納得しかねるという声もあったのですが、彼女が必死に働くに従いそんな声もなくなりました。
 徐々に仕事も覚えていくに従い、桜乃は今やこの城で、特に馬と庭にとってはなくてはならない存在にまでなっていました。
「じゃあ、丸井さんの処に行ってきます…でも、今日はそんなに沢山の植物が届くんですか?」
 あまりこういう事で呼ばれた事のなかった桜乃がジャッカルに尋ねると、相手は肩を竦めておどけて言いました。
「ああ、お上に一人、園芸好きの方がいるのさ。きっとあの人の希望で入れたんだろう」
「ふぅん…」
 そんな人が…と思いながらも、桜乃はそれ以上は考える事もなく、朝の餌やりが済んですぐに丸井の許に向かって行ったのでした。


 使用人たちがせわしなく働いているその頃、皇族はゆっくりと朝食を摂っている最中でした。
 実は真田皇帝には一人の息子がいて、彼も若いながらも既に王者の貫禄を身につけていました。
 皇子はその柔らかな笑顔と優しい性格で、近隣の国のみならず遠国の姫達の心を虜にして、しょっちゅう彼女達からの求愛を受けていたのですが、本人は全くそれについては無関心でした。
 求愛はすれど、断られた女性は数知れず。
 彼女達の涙を集めたら、海が一つ出来るのではないかと噂される程です。
 彼は、幸村皇子と言いました。
「かなり無理があると思うんだけどな、この設定とネーミング」
「? 何か仰いましたか?」
「ん、ちょっと独り言」
 背後に控えていた騎士団長である柳生の質問に皇子が答えていると、共に食事を摂っていた皇帝が、はたと気付いた様子で相手に呼びかけました。
「ところで皇子、先日訪れた〇〇国の王女がお前に求愛をしたと聞いたが?」
 普通、皇子と王女の関係は国の存続にも繋がる大事の筈なのですが…流石、皇国立海です、その人物の決断は、皇子であろうと関係なく自己責任ということでしょうか。
 単に皇帝がその手の話題に疎かったという可能性もありますが、親の質問に、幸村皇子はにっこりと笑って答えました。
「ええ、父上。実に美しい、歌やピアノぐらいしか知らないような無邪気な王女で、お話しているだけで夢の世界に誘われるようでした」
(つまり、美しいは美しいが頭の中身は遊ぶことばかりで、会話をしても退屈の余りに眠くなりそうな、つまらない女性であったという事ですね)
 控えていた柳生は即座に皇子の言葉の裏に隠された真意を読み取りましたが、言葉に乗せる事は騎士道に反することと、しっかりと沈黙を守っています。
「……成る程…で?」
 無論、同じ真意を感じ取っている筈の皇帝は、息子の言葉に渋い顔をしながら、結局どうしたのかと続きを促します。
「あまりに退屈で無難な話しかしないので、お酒を飲ませてへべれけに酔わせたら、まぁ喋ること喋ること。とにかく贅沢と買い物が好きだと本性をのたまってくれましたので、国益にならないと判断してすぐに母国にお返ししました」
「……」
(本当に容赦ないですね、ウチの皇子は…)
 しかしこの国にとってはそれが正解です、と柳生は皇子の判断に対して賛同の意を心の中で唱えました。
「……だが、お前もいつまでものらくらとかわしているばかりという訳にもいくまい。実際、ウチには次から次へと婚姻の勧めの手紙が舞い込んでいてな…」
「大変ですよねぇ」
「お前の話だ」
 何を人事の様に…と更に皇帝は渋い顔をしましたが、皇子も一向に譲る気配はありません。
 まぁ確かに、国の面子で結婚などさせられて堪るか、というのが本音というところでしょう。
「俺は目立たない様に、慎ましく過ごしているだけなんですけど」
「しかしそれも度が過ぎていないか? 正直、お前の能力は全てにおいて俺より上回っているのだ。戦いにおいても勉学においても何処に出しても恥ずかしくない程の才能があるというのに…」
 皇帝は、本当に困った…と溜息を一つついて続けました。
「何ゆえ剣ではなく、スコップばかり握るのだか…」
「好きですから」
 苦言を呈しながらも、相手が皇子としてやるべき事はこなしているので、それ以上無茶も言えずに、皇帝は仕方がないと頷きました。
「お前にその気がないのなら、父としても無理強いは言えんな。仕方ない、この話はここまでとしよう」
 無駄な話はせずに潔いところは、流石に王者としての器でしょうか。
 早々と切り上げた相手に、皇子はじっと視線を向けました。
「……」
「? どうした皇子」
「…本当に似合っているなぁと…父親キャラ」
「やかましい!!」
 父の怒声を受けながら、幸村皇子は実に機敏な動きで食堂から退散し、長い長い廊下を軽い足取りで歩いていきました。
 その後には、柳生がしっかりと付いて行きます。
「少々、言いすぎたのでは?」
「うーん…喜ぶかと思ったのに」
「貴方の本気が分かりません」
 逆でしょう、と柳生が思っていたところで、皇子はふと通路の窓越しに見えた庭園の様子に足を止めて見下ろしました。
 そこには、赤い髪の丸井とおさげの娘が非常に忙しそうに働いている姿があり、幸村皇子はその内の見慣れない少女の方へと視線を留めました。
「?…あの子、見慣れない子だね…商人の娘さん?」
「…ああ、桜乃ですね。いいえ、彼女は少し前に、今年の年貢分としてここに連れて来られたんですよ」
「…………」
 暫くの沈黙の後、皇子は真顔で騎士団長に迫りました。
「皇子の俺が言うのも何だけど、ウチってそんなに切羽詰ってんの!?」
「いえいえいえ、年貢と言っても真田皇帝が特別なお計らいで…」
「愛人!?」
「話がヤバめになっていますから、順序だててお話しましょうか」
 本当にヤバい話になる前に、と、気の効いた団長は、桜乃がここに連れて来られるまでの経過を逐一細かく報告しました。
 同じ城の中には住んでいるものの、皇族と使用人達は、殆ど全く接点がありません。
 城内で働く召使達ならばともかくとして、土や家畜に触れて汚れがちな職場の人間達は、自分達から上の身分の者達の目に触れない様に控えているのです。
 ですから、今まで桜乃は丸井に師事して庭には出ていたのですが、皇族の者と会う事はなかったのでした。
 無論、幸村皇子は、桜乃の事を今まで知りもしなければ見たこともなく、柳生の話を実に興味深そうに聞いていました。



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