「……何て気の毒な」
「彼女の家だけが不作だった事を、神の怒りだの、悪魔の呪いだの言う者もいましたが、とんでもない。私は、神がわざわざ彼女をここに連れて来てくれたのだと思っておりますよ。本当に気立てのいい、働き者の娘ですから」
 人に神の真意は分かりませんが…と言う騎士団長の言葉に、何か感じるものがあったのでしょうか。
 幸村皇子は窓越しにじっと桜乃の働く様子を眺めていましたが、やがて再び歩き出しました。
 今歩いてきた廊下を方向転換して、戻る形で。
「幸村皇子?」
「ちょっと見てくるよ。俺が頼んだ植木や植物も、届いているみたいだから」


「うっわあ〜〜〜〜、見事な植木ですねぇ。青々としてとっても元気そう」
 運ばれてきた植木を見上げた桜乃は、目を大きくして丸井へと振り返って早速やる気を出していました。
「これを私達で植えるんですか? 大仕事ですね」
「あーいや、そっちは別、運んでくれた奴らが最後までやってくれっから。俺らはこっちさ」
「ほえ?」
 大きな植木はどうやら自分達の仕事の範疇外の様です。
 桜乃は丸井に促されて彼の指す方へと歩いて行くと、そこには様々な苗が簡素な木箱に詰められて幾つも並んでいました。
「これを庭園の縁に沿って植えてほしいってさ」
「結構な数ですね」
「ああ、作業そのものはそんな苦じゃないけど数があるからな。やっぱ時間も掛かるだろい? だからお前を呼んだのさ」
「成る程〜」
 じゃあ頑張りましょうか、と桜乃は早速移植ゴテを片手に張り切っています…が、丸井はコテではなく、一枚の紙を熱心に見入っています。
「何ですか?」
「あ〜、これで納入されたのは全部かな〜…ここでミスったらまた色々と面倒くさい事になるからさー、ちゃんとやっとかねーと」
「そうですね…」
 流石に皇帝の住まう城は、そうおいそれと外部には開放出来ません。
 訪れる人間や品物はしっかりと怪しいところがないか、検められ、その上で入城を許されるのです。
 その為、作業に抜けがあった場合は、その検める作業もまた重ねて行われることになるので、大変な労力と手間の無駄遣いになってしまうのでした。
「うーんうーん…あ、やっぱ一つ足りないわ。まだ外の貨車に置いたままかも、ちょっと見てくるから、出来るとこから始めといてくれる?」
「はい!」
 しっかりと不備がある部分を見極めた丸井は、その品物を見つける為に一度門へと向かう為にその場を離れようとしましたが、不意にくるっと桜乃へと振り向いてびしっと指差し、確認を行いました。
「因みに今日のお薦めは、東の端の方にあるアケビ!」
「食べませんってば」
「美味いのに〜」
「ばれてお叱り受けても知りませんよ」
 とは言え、桜乃は今までここに結構長く住まわせてもらい、働かせてもらっていますが、確かに彼が叱られている場面を見た事はないのです。
 つまみ食いはしているのですが、余程やり方が上手いのか、それとも皇族達がやたらと寛容なのでしょうか…
(どっちにしろ、丸井さんにとっては夢のような職場ね…)
 腕はいいから、苦情なんかもなさそうだし…と思いつつ、桜乃は言われた通りに先に作業を始めました。
 先ずは庭の一番端に移動して、そこに予め準備されていた移植場所の窪みに、丁寧に苗を植え込んでいくのです。
 その彼女の視界の端には、確かに丸井が言っていた、今が食べ頃のアケビが実っていましたが、少女はそれを取る事もなく黙々と作業を続けます。
 そして、作業を始めて五分と経過していない内に、背後からさくさくと芝生を踏む音が聞こえてきました。
「あ、丸井さんですか? お帰りなさい。すみません、今ちょっと手が離せないんですよ」
 声を掛けましたが、相手はそれに答えず、代わりに彼女の視界の端に見えていたアケビへと近づいて行きます。
(むっ、丸井さん、早速つまみ食い…!?)
 毎回毎回、見逃すような形になってしまっているとは言え、やはり一度も注意しないのは如何なものかと、桜乃は苗を植えつつ注意をしました。
「んもう、丸井さん? 美味しそうだからって庭のものに手を出したらダメですよ。ちゃんとそういうのは許可を貰ってですねぇ…」
 しかし、向こうはそれでも止まる様子はなく、彼女のすぐ隣に来ると、そのまま手を伸ばしてアケビへと触れようとしています。
「あんもう…ダメですったら」
  丁度植え込みを一つ終わらせたところで、桜乃はすっくと立ち上がると、アケビに伸ばされていた手を軽くぺちっと叩きました。
 あくまで痛みなど感じない…軽く注意を促すぐらいの強さです。
「わ…っ」
「……え?」
 叩いた後に気付きました…その人の手の白さと細さに。
 そして叩いた相手が、丸井ではないということに。
「はえ…?」
「ふふふ…ごめんごめん」
 叩かれた手を引っ込めて別の手で擦りながら、一人の若者が笑っていました。
 桜乃は初めて出会う、見慣れない若者です。
 柔らかそうな髪がウェーブを描いた大層美々しい若者は、桜乃よりかなり長身で、飾り気はないものの非常に高価そうな衣装を纏っています。
 桜乃は、自分よりは間違いなく高貴な立場の相手に驚きながら、数歩下がって慌てて詫びました。
「も、申し訳ありませんでした! 私、てっきり丸井さんかと……ええと、あのう」
「…大事に植えてくれてるんだね」
「え…?」
「……植えてるところ、見せてもらったけど…とても大事に苗を扱ってくれてるんだなって」
「あ、ああ…苗、ですか」
 誰であるかを聞きそびれてしまいましたが、桜乃は相手の言葉に頷きました。
「小さい命ですから、大事に扱ってあげないと元気をなくしてしまうんです」
「…植物、好き?」
「はい、見ていると落ち着きますよね。育てるのは大変ですけど、ちゃんと愛情込めて世話をしたら、本当に綺麗な花が咲くんですよ。だから毎日、楽しいです。ここは本当にいい子達ばかり」
「……」
 柔和な笑顔を称えていた若者は、桜乃に注いでいた視線を庭園の緑に移し、彼らが青々と生命力に溢れている様を認め、彼女の言葉が真実であると知りました。
 日々の手入れは決して嘘をつかないのです。
「そう…君みたいな子なら世話を任せても安心だね…丸井の腕も確かだけれど」
「丸井さん…?」
 彼の名を呼ぶということは、外部の人間ではなくこの城の関係者?
 どなたですか?と桜乃が尋ねようとした時、少し離れた場所から大声が上がりました。
 今度は間違いなく丸井の声です。
「げっ!! 幸村皇子―っ!?」
「え…?」
 皇子が何処に…?と思った桜乃がそちらを見ると…驚愕も露な丸井がこちらを、いや、この若者を凝視しているではありませんか。
「…皇子?」
 まだ理解出来ていない桜乃がぼんやりと相手を見上げると、彼は楽しそうにくすくすと笑いながら彼女を見下ろしていました。
「え…?」
 首を傾げた桜乃に慌てた丸井が駆け寄ると、その腕を引いて幸村皇子から引き離しつつ、彼に向かって必死に詫びました。
「皇子! 御免! こいつ何かやった!? 俺がついてなかったからさ、こいつまだ何も知らないから失礼があったなら俺が代わりに詫びるから! 勘弁してやってくんない!?」
 慌てる丸井に、しかし相手の皇子は怒るでもなく寧ろにこにこと楽しそうに笑っています。
 そして、一度は桜乃に止められたアケビの収穫をするべく再びそれへと手を伸ばし、三つの実を採ると、自分を含めた彼らに一個ずつ手渡したのです。
「別に怒っちゃいないよ。頑張ってくれているみたいだからね、ご褒美」
「おお、ラッキー」
 丸井は素直に喜び、皇子の心遣いを受け取りましたが、相手が皇子であると初めて知った桜乃は、そんな心のゆとりなどありませんでした。
(お…皇子様!? っていうことは、皇帝のご子息…で、この国の次期皇帝〜!?)
 まさかそこまで高位な相手とは知らず、自分が相手の手をはたいてしまった事実を思い出し、彼女は一気にパニックに陥ってしまいました。
「も、申し訳ありませんっ!! 私、何て無礼を〜〜っ!」
「え!? お前、やっぱ何かやったの!?」
「いつもみたいに丸井がつまみ食いをしようとしたのを止めただけだよ。躾が良いよね」
「うっ…」
 実は、丸井のつまみ食いは皇子にはしっかりばれていたみたいですが、それを指摘されても本人は気まずい顔は浮かべたものの、あまり動揺している様子はありませんでした。
 どうやら、皇子に知られているという事実は丸井も認識していた様です。
「ご存知だったんですか?」
「まぁ薄々だけどね、一応ここ、俺のお気に入りの場所だし。果物ぐらいで怒ることもないし」
「はぁ…」
「それに丸井が食べた数で、それの熟れ具合を知る事も出来るしね」
「……」
(い、意外とやり手? この皇子様…)
 桜乃がそんな事を思っていると、相手はそんな彼女を改めて上から見つめ、視線が合ったところで優しく笑いました。
「桜乃って言うんだってね…君みたいな子がいるなんて、知らなかったよ」
「とっ、とんでもありません! 私みたいな使用人風情が皇子様に覚えてもらうなんて、厚かましい真似…っ」
「俺は覚えたい人間は自分で選んで覚えるよ。丸井達の事もそうやって覚えてきたんだ」
 そう断言した皇子は、手を伸ばして桜乃のそれを取りました。
 さっきまで土を弄っていた桜乃の手は汚れていましたが、恥ずかしさと畏れ多さに引こうとするそれを押さえ、彼はしっかりと固く、彼女と握手を交わします。
「よろしくね、桜乃」
「は、い…よろしく…お願いします…」
 その顔を赤く染めて、恥ずかしそうに伏目がちになりながらも挨拶の言葉を述べる少女に、幸村皇子は夢中になりました。
 今まで会ってきた、どんなお姫様よりも、彼女のことが大好きになってしまったのです。



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