ハロウィーンの魔女
立海大附属中学…
『立海大附属中学・高校男子テニス部に於いては、ハロウィーンイベントに関していかなる事情があっても女子の飛び入り参加は禁止とする』
「……ほんっと〜にやっちゃうんだもんなぁ」
「相変わらず行動力の高さはピカ一っすね」
中学のテニス部部室に貼られた貼り紙の前で、ジャッカルと切原が感心しながらそれを眺めていた。
立海のテニス部の強さは既に全国に知られているが、その功績は勿論安穏と為されたものではない。
常に実力を研鑽する為に、例え学年、学校が異なっても関係なく実戦を行っているのだ。
しかも、幸村達が暗躍したお陰で今年からは中学側との合同練習の機会が大幅に増やされ、結果、中学生の切原と活動を共にするのは相変わらずであった。
切原本人は表向きこそぶーぶーと言っていたのだが、部長になった後でも何かとアドバイスを受けられ、親交深い先輩達とまた同じコートでテニスが出来るという面では実際は歓迎している様だ。
そんな彼らが、合同練習に際して中学側の部室に集まった時、新たに貼り出されていた壁紙に気が付き、今の状況に至っている。
「真田先輩って、一年でしょ? 何の役職にも就いてないのに、よく意見通したっすね」
「一年になろうと真田は真田じゃからの…アイツの剣幕に立ち向かえる奴なんぞ、ここでは幸村ぐらいじゃないのか?」
今この場にいない先輩についての切原の疑問に、銀髪の仁王は面白そうに笑いながら答えたが、誰も否定の意を示そうとはしなかった。
「そんなことはないと思うんだけど…でも、余程去年のイベントはこたえたと見えるね」
くすくすと笑いながらそう言ったのは、先程引き合いに出されたばかりの幸村精市だった。
今は高校一年となり、テニス部で相変わらずその実力を高めている若者だが、肩書無しでも十分に先輩達を上回る腕を披露している。
彼が今言ったイベントというのは、去年のハロウィーン。
丸井が仮装を真田に止められた腹いせで、代わりに青学の桜乃という娘に猫娘の姿をさせ、立海中を連れ回したという武勇伝があった。
その時の桜乃の色気に見事に当てられた真田は、当時、今後の女子の参加を徹底的に拒否すると宣言したのであった。
で、今年になって見事に有言実行のこの貼り紙…
「先手を打たれた形になったなぁ」
ジャッカルの台詞に、丸井がぷーっと頬を膨らませる。
「イベント参加は出来なくても、仮装させて楽しむのは自由じゃねい?」
「…アキバの住人みたいな台詞ですね」
それもどうなんだろうと思いつつ柳生は苦悩の面持ちで首を傾げたが、幸村は然程気落ちしてもいないのか、淡々と笑っていた。
「竜崎さんがその日に来てくれるかどうかも分からないのに、今から焦っても仕方ないさ。それに、彼女なら別に仮装しなくても、会えるだけで嬉しいけど?」
「そりゃそうだけどさ〜〜」
むーっと丸井はそれでも少し不満げな表情だった。
「じゃあ、今年のハロウィーンの収穫は去年程には期待出来ないんだなぁ…野郎の仮装じゃたかが知れてるしさ〜〜。うーむ、何にしようかな〜〜」
ハロウィーンの仮装で校内を回ってお菓子を貰うのは立海共通の行事となっており、去年は桜乃のお色気でかなりの収穫を得られたのだが、それが止められたとなるとやはり今年は減収間違いなし…か。
「結局、先輩の目的はソコになるっすか…」
変わってないっすね、と切原は或る意味賞賛に値する先輩の信念に頷いていた…
「さて、いよいよこの日と相成った訳ですが…」
ハロウィーン当日…
桜乃は幸村のささやかな願いが聞こえていたかの様に、夕方になって立海の最寄り駅に荷物を抱えて降り立っていた。
大きな紙袋を二つ程抱えていた少女は、きょろっと辺りを見回してみる。
「うわ、意外と賑やかなんだぁ、ここの通り…」
ハロウィーンイベントが盛んな立海という学校が近くにある所為なのか、駅から続く商店街は、桜乃が思っていた以上にハロウィーン色が強い装いになっていた。
柱の飾りもお化けカボチャやコウモリに変更されており、各店の店員さん達もそれぞれが仮装をして客やその子供達にサービスを行っている。
更に、その子供達も皆が可愛いモンスターになって、辺りをきゃっきゃと騒ぎながら駆け回っていた。
大袈裟な言い方ではなく、仮装している人間の方が一般の格好の人々よりも多い程だ。
「見ていても楽しい〜〜…あ、じゃあ…」
立海に行ってから着替えようかと思ったけど…もうここ辺りで着替えていっても目立たなくていいかも…
(もしここで着替えていったら、立海の校舎に入らなくてもそのままコートに行けるし…うん、そうしよう)
そう決めると、桜乃はきょろっと辺りを見回し、最寄の大きな駅ビルの中へと入っていった。
そして暫くして…
「ま、こんなものかな…」
建物内の化粧室を借りていた彼女が再び外に出た時、その服装は一変していた。
青学の制服を脱いで、黒のワンピースに黒のマントを羽織り、頭にはしっかりと同じく黒の三角帽子。
しっかりとした作りの為か、三角帽子は先っぽが軽く折られている他は歪みもなく、衣装そのものも安っぽさがない本格仕様。
売り物であると言っても通じただろう。
そして手には一つの紙袋が消えた代わりに大きなお化け西洋カボチャの手提げバスケットが握られている。
「ありきたりだけど、誰にでも分かるってところではこれが一番よね」
傍の店のガラス窓を鏡代わりに改めて帽子の位置などを確認している桜乃は、おさげも解いて完全な魔女っ子スタイルに変身していた。
(立海にああいうイベントがあるって事は去年まで知らなかったけど…例年やっているって事だし、便乗させてもらおっと。別に青学の制服が見られなかったら大丈夫よね…?)
実はこういうお祭は大好きな桜乃は、今年は自分から積極的にこのイベントに参加しようと思っていたのだった。
勿論、際どい格好は恥ずかしくて出来ないが、こういう全身を覆うスタイルの衣装なら羞恥心もそれ程感じなくて済む。
更に、商店街のノリの良さも、桜乃の背中を前向きに押してくれていた。
「ん…じゃ、改めて出発〜」
後は立海に向けて歩いて行くだけ…と道を歩いていた桜乃だったのだが…
「あ、まじょだ」
「すごーい、ほんものみたーい」
先ず桜乃の家庭科の実力を如何なく発揮した仮装に気がついたのは、近所の子供達だった。
彼女の周りを尊敬の眼差しで走り回ったり、手にした手提げカボチャを見入ったりしている彼らに釣られて、他の大人達も次第に目を向け始める。
「や、こりゃあ可愛い魔女さんだ」
「ホント、可愛いこと。お嬢さん、これ持ってきなさいな」
「は、はぁ…?」
可愛い魔女の仮装に感心した商店街の大人達が、子供達に配ってあげていたお菓子を、桜乃にも与え始めたのだ。
「ど、どうも…有難うございます」
じゃあこれに…と貰ったお菓子をお化けカボチャに入れたのが誘い水となってしまった。
「俺も俺も」
「いや、この手提げもよく出来てるなぁ、本物のカボチャか」
なまじお菓子を入れるアイテムとして周囲に認知されてしまった所為で、今度はそのお化けカボチャに次々とお菓子が入れられてゆく。
(な、何が起こっているのかよく分からないんだけど…!)
ノリが良すぎる!と困惑しながら、桜乃はぺこぺことお礼を言いながら、更にお菓子の洗礼を受け、立海への道を歩いて行った。
彼女は知らなかったのだ。
その日の商店街のイベントでも、仮装した子供達にはもれなくお菓子が振舞われるという事を。
仮装している子供達がやたらと多かったのはその所為だったのだが、それに気付かなかった桜乃もまた、或る意味勝ち組だったのかもしれない…
「や、やっと着いた〜〜〜」
ようやく立海に着いた時、その魔女のお化けカボチャには既にかなりの量のお菓子が入れられていた。
(こういう目的で作ったものじゃなかったんだけどなぁ…)
桜乃ははふ〜と息をつきつつ、先ずは中学校の方のコートへと向かっていき、その道中でもかなりの生徒の目を引いていた。
珍しいからではない。
実質この時間、立海の中には例年通り仮装している生徒達が多数を占めていたが、やはりその中でも桜乃の仮装のレベルはかなり高いものだったのだ。
「ん〜〜〜、と。切原さんは部室かな…?」
そんな視線の中、桜乃は一路部室へと向かったのだが……
「……え? 切原さん、ここじゃないんですか?」
実際そこに行ってみると、切原の姿はなく、非レギュラーの部員達がいるだけだった。
「今日は、最初から高校のコートの方で練習をする事になったそうですよ」
「まあそうだったんですか…お邪魔をしました」
「いえいえ」
実は非レギュラー部員達にも人気が高かった桜乃は、彼らから丁寧な説明を受けたところで、礼を述べると改めて高校へと向かって歩き始めた。
しかし同じ立海とは言え、やはり高校と中学の建物の間は多少の距離がある。
桜乃はとことこと覚えたばかりの道を迷わない様に注意しながら歩いていたのだが…
「あ、可愛い魔女」
「はい?」
「んー、これは奮発ものだろうな」
「え?」
ぽいぽいぽい…っ
生徒達と擦れ違う度に、再び加工済西洋カボチャの中にお菓子が放り込まれてゆく。
これは立海の中での例の慣習。
『仮装が優れていたら、それに応じたお菓子を貰える』という決まりに準じたものだ。
桜乃は立海の生徒ではなかったが、青学の制服を身につけていなかったので、完全にここの生徒と誤認されているらしい。
まぁ、彼女を青学の生徒と認識しているのはテニス部メンバーぐらいなので、当然の話だろう。
(あ…そ、そっか…立海の中ではそういうイベントなんだった…えとえと、じゃあ…)
郷に入っては郷に従え
それから桜乃は道で通り過ぎる人達に『お菓子をくれなきゃ、悪戯しますよ』と笑顔で挨拶をしていったのだが……
高校一年生の棟の一室…
「では、次の内容について…」
そこでは、放課後の時間を利用して、年末に備えての学生の補講などの内容についての意見が交わされていた。
室内には、テニス部の幸村と真田も顔を揃えている。
「弦一郎はどう思う? 俺は苦手科目を克服したいから…やっぱり化学が気になるけど、俺のクラスの担当教師じゃないんだよね」
「教師陣の面子を見る限りでは、化学の選択は悪くない。あの教師は説明も分かりやすいし、質問にも丁寧に答えてくれたという話を、隣のクラスの奴から聞いた」
「そうなんだ、じゃあ期待出来るかな」
二人で隣同士に座っていた男達は、配られたプリントを手にふむふむふむ…と壇上の教師の説明に聞き入っていたのだが…
『あ〜〜〜〜、また迷っちゃった〜〜〜』
そんな小さな声が聞こえると共に、その教室の外の廊下を一人の魔女がとことこと歩いて渡っていた。
仮装が立海ならではのイベントなので別に誰もそれに注意を向けようとはせず、向こうも、こちらの様子で邪魔してはいけないと感じていたのか、立ち止まる事もなくすーっと歩いてやがて見えなくなる。
「……」
「……」
魔女が姿を消して約十秒…真田と幸村は何の疑問ももたずに席に座っていたのだが……
『!!!!!』
遅れて脳神経があの魔女の正体を認識した瞬間、二人はがたんっ!!と音も激しく立ち上がり、許可を受ける前に廊下に飛び出していた。
「失礼するっ!!」
「急用を思い出しましたっ!!」
それだけを言い残し、彼らはダッシュで魔女の後を追う形で走ってゆく。
残された教師や生徒達はただ唖然とするばかり。
あの二人が揃ってあそこまで慌てた様子を見せるのは、本当に珍しいことだったのだ。
しかし、そのお陰で、二人の言い訳を疑う者は一人もいなかったのは幸いと言えるだろう。
「竜崎さん!?」
「竜崎!?」
少し先の方を歩いていた魔女の後姿に声を掛けると、案の定、桜乃だったその人はくるっと振り返り、二人の姿を見るときょろ、と大きな瞳を更に見開いた。
「あ、幸村さんに真田さん…」
「やっぱり君だったんだ…どうしたの、こんな所で…」
「あ、いえ…ちょっと迷ってしまって…あ、そうだ」
振り返った少女はにこりと二人に笑いかけ、ようやく慣れてきたこの日限定の挨拶を行った。
「えへへ、お菓子をくれなきゃ悪戯しますよー」
「…っ」
可愛い魔女の決まり文句に、幸村はうっと隙を突かれて声を失ってしまったのだが…
「な・に・を・し・と・る・ん・だ?」
真田はずぉっと青筋を立てながら桜乃に迫り、怒りも露に問い掛けていた。
それもその筈。
去年の桜乃の仮装にある意味懲りて、今年は女子の参加を禁止するという通告を出したというのに、早速それを破る形で本人が仮装姿で現れたのだ。
真田にとっては、守られるべき通告を完全に無視された様なものだった。
しかし、貼り紙の件を知らない桜乃には相手が怒る理由が分からない。
「きゃ――――――っ!! すみません、仮装してます〜〜〜〜っ!!」
理由も分からず謝り倒す桜乃を庇い、幸村が慌てて間に入った。
「弦一郎、弦一郎っ!! 落ち着いて! 多分彼女は何も知らないんだから!!」
「む…」
そう言えばそうだったか…と我に返った真田が改めて居住まいを正し、幸村は今も怯える桜乃をよしよしと落ち着かせた。
「びびびび、びっくりしました〜〜〜〜〜」
「本当にゴメン…ちょっと去年、色々とあってね…」
「ななな、何があったんですか…?」
「それについては触れないで」
「はぁ…」
実は君が原因なんだよ、とは流石に言えず、幸村はそこは上手く誤魔化してから真田に振り返った。
「…もう戻るのも何だし、一緒に部室に向かおうか」
「そうだな」
まさか、桜乃がこちらが振る前に仮装をしてくるとは思わなかった…と真田は渋い顔をしていたが、去年と比較すると許容範囲内だったので、仕方なく了承し、幸村と一緒に彼女を部室へと連れていった……
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