お星様にお願い
七月に入って間もないある日の午後…
「わー、そっか、もうすぐ七夕だったんだ」
その日、桜乃が立海の最寄り駅に降り立つと、駅の周囲が色鮮やかに飾られていた。
今は丁度七月に入った時期。
確かに、もう一週間を数えることなく七夕の日を迎える事を思い出しながら、彼女はゆっくりと街の様相を楽しみながら立海校舎へと向かっていく。
今日もまた立海のテニス部の見学に訪れた少女は、もうすっかりこの街にも慣れた様子で、辺りの店々を覗き込んだりして、通り道を楽しんでいた。
青学から立海までは、流石に県が異なる為に公共の交通機関を利用しないと通えない距離であるが、かと言って、時間が非常にかかるという訳でもない。
タクシーを使うなどといった身の程を弁えない暴挙さえ行わなければ、比較的安価で通う事が出来るのが強みだ。
それだけの交通費を払うだけで、一流とも言えるテニスレベルの若者達から教示を受けることが出来るのなら、安いものである。
それに、今や立海の男子テニス部の幸村精市を始めとする八人の男達は、桜乃にとっては先輩以上の間柄…そう、血の繋がっていない兄貴と呼べる程に親密な仲となっていた。
一人っ子の少女にとって、彼らとの親睦は非常に嬉しいものなのだ。
そして向こうも、桜乃と同じ様に思ってくれているらしく、何かにつけ少女の事を気にかけ、可愛がってくれていた。
(今日は何を教えてもらおうかな〜〜…腕の力も少しはついてきたから、そろそろ右手だけで打ち返せるようになりたいな…)
非力である為、テニスを始めた当初は、打ち返したりする時にも左腕の補助がなければなかなか難しいレベルだったが、最近は右手のみでプレーしようと努力して、何とか七割ぐらいはこなせている。
それを年内に九割ぐらいまで持っていけたらいいんだけど…と思いながら道を歩いていた少女は、ふと空を仰いだ時、さらさらと揺れる緑の色に気が付いた。
(あ…笹…)
くっと首の位置を戻し、ちらっとそちらへと顔を向けると、一本の大きな笹が、商店街の通りの隅にしっかりと固定されていた。
笹の葉の間から、幾枚もの短冊や飾りが揺れているのが見える。
よく見ると、笹の下にはテーブルが準備されており、今も子供連れの家族がそこで楽しそうに短冊に何かを書き込んでいる。
おそらく、あの場で書き込んだものを笹に吊るしてくれるというサービスなのだろう、笹の近くには係の人らしき恰幅のいい女性が立っていた。
(あーそっか、七夕と言ったら短冊にお願いごとだよね…)
昔はともかく、もう中学生だし…と思うのは建前で。
「え、えへへ、ちょっとだけちょっとだけ」
ちょっとと言いながらも、とても嬉しそうな顔で、桜乃の足がつい〜〜っと笹の方向へと向いてゆき、その真下に来たところで、それを見上げてみた。
「うわ〜〜〜、おっきいなぁ」
こうして近くで見ると、意外と大きな、立派な笹だ。
笹の緑と、短冊や飾りの七色が、非常に鮮やかに、しかし楽しく目を刺激する。
「あら、お嬢ちゃんも書く?」
「え?」
呼びかけられ、そちらへと顔を向けると、笹の管理の係らしい女性がにこにこと笑いながらこちらの様子を見ていた。
「短冊を書いたら、自分で吊るすか、そこの箱に入れてくれたらこちらでつけてあげてもいるの。短冊はそこに置いているからどうぞ?」
「あ、すみません…」
わー、と内心喜びつつ、桜乃はサービスで置かれていた短冊の束と、笹を交互に何度も見つめていたのだが…
「これって、いつまでなんですか?」
と、女性に質問した。
「七日まで置いてるよ。八日になったら撤去するけどね」
「そうですか…あの、短冊を貰って、書いてから持って来るのもありですか?」
律儀な質問に、女性はからからと笑いながら頷いた。
「そりゃ勿論いいよ」
「そうですか…じゃあ…」
立海男子テニス部コート…
「梅雨はようやく過ぎたが、暑さは相変わらずじゃな」
「テニスに集中している間は暑さも忘れますが、こうしているとやはりそれを感じてしまいますね…」
コートの脇、仁王と柳生は現在試合をしている切原達に注目しつつ、そんな会話を交わしていた。
特に仁王は暑さが苦手なので、年々酷くなる夏の猛暑には辟易している様子だが、それでも流石に普段から鍛えているお陰か、一見しただけではまるでそうは見えない。
「しかもまだ七月になったばかりじゃろ? これからまだ暑さが厳しくなるかと思うと…は〜…流石にだれるの」
「あまり気を抜いていると、却って辛くなりますよ、仁王君。心頭滅却すれば火もまた涼しと言うでしょう」
「うん…火の中で言えたら見習う」
「まあそれもそうですね」
流石に紳士でもそれを実践するには難しい。
詐欺師の言葉にそれ以上突っ込むこともなかった柳生だったのだが…
「…ん?」
それまでベンチに座っていた仁王が、徐に立ち上がってラケットを手に向こうのコートへと歩き出すのを見て、柳生は首を傾げた。
「休憩は終わりですか?」
「あ〜…暑さより怖い一番の敵が来たようじゃからな」
「敵?」
誰…と思いつつ、仁王がちょいちょいと指差した先を見た柳生は、数秒沈黙した後に笑ってこくんと頷き、相手に振り返る。
「…心強い味方でしょう?」
「ふん」
そして怖いのは相手ではなく、相手にだらけた姿を見られることだろう、と思いつつも紳士は相手の背中を見送ると……コートに向かってぱたぱたと仔犬の様に走ってくる竜崎桜乃へと視線を移していた……
「こんなに暑いのに、よく来てくれたね」
「いえ! 私こそ、相変わらずお言葉に甘えてしまってすみません…もうすぐまた試合がありますから、実力をつけておきたいんです」
部活が終わり、一時の休息時間の中で、桜乃はメンバー達といつもの様に楽しい語らいの時間を楽しんでいた。
彼らの部活後の時間を無駄にしないように長居は避けているのだが、どうにもその彼らが桜乃をなかなか手放したがらない所為か、ついついここにいる時間が長くなることもしばしばだ。
「そうなんだ、じゃあ、気合を入れないとね」
「はい。最近は筋力トレーニングもしています、打ち負けることがないように…ラケットごと弾かれた時には結構ショックで、その隙を突かれたりするんですよ」
「ああ、そりゃ確かにあるな。相手の力がそのまま自分との差に見えてくるんだろう」
「そうなんですよ」
ジャッカルの言葉に桜乃がぶんぶんぶんと首を激しく縦に振ると、隣にいた丸井が首を傾げた。
「けどさー、女子でラケットごと弾くなんてすげぇな。よっぽどテクがあるか、その〜、力がある奴なんだろうな」
「あ、いえ…弾かれたのは女性相手じゃなくて…」
えへ、と照れ臭そうに桜乃が笑い、告げた名前は…
「真田さんです」
『そりゃ弾くわ』
全員が同時に突っ込み、更に幸村はその当人である真田に目を向けた。
「女子相手にそこまで本気にならなくても…」
「ごっ、誤解だ!!」
引き合いに出された厳格な性格の男は、慌てて否定すると苦い顔で説明した。
「その…女子相手の試合などしたことが無くてな…力加減がどうにも分からなくて、一度、確かにラケットを弾き飛ばしてしまったことがある。その節はすまなかった、驚かせてしまったな」
「いえ! やっぱり男性の方の力って強いんだなって思いましたよ?」
「そりゃそーでしょ」
脇で聞いていた切原が、そこで真田へと視線を向けつつ桜乃に説明する。
「真田先輩の鍛錬のレベルは中学生の域を超えてるからな…お前一人の体重ぐらい難なく持ち上げられるんじゃねーの?」
「へぇ…そうなんですか?」
「さぁ…?」
見上げて尋ねてくる少女に、首を曲げて曖昧な返事を返した真田だったが…
「……」
「……」
じ〜〜っと見上げてくる少女のおねだり視線に結局負けてしまい、右腕の上腕に彼女を掴まらせて、希望通りに持ち上げてやった。
「…ほら」
「きゃ〜〜〜、ほんとだ〜〜〜」
きゃあきゃあと喜ぶ桜乃に、幸村がくすくすと楽しそうに笑い、傍の柳も微かに微笑みながら言った。
「今の時期なら、丁度笹に吊るされた短冊といったところか…」
「!…あ、そうでした」
何かを思い出した様に、桜乃は真田の腕から離れて礼を言うと、今度は自分の鞄へと近づいてそれを開き、何かを取り出した。
紙…しかも、随分と鮮やかな色のそれが、彼女の手に複数枚握られている。
「来る途中で、街で配られていたのを貰って来たんです。全員分ありますから、書きませんか?」
「へぇ、短冊じゃん」
早速興味を示したのは、丁度一番近くにいた丸井だった。
「貰っていい?」
「勿論です」
彼を皮切りに、他のメンバーも面白そうだと周囲に集まり、それぞれの短冊を受け取っていった。
「全員分とはな…よく貰えたのう」
流石にこれだけの枚数を貰うのは難しかったんじゃないのか、と詐欺師が尋ねると、桜乃は逆に不思議そうな顔をして答えた。
「いえそれが…一応私も皆さんに配る分だと説明して来たんですけど……『お兄ちゃんが八人いるから、その分貰っていいですか?』って聞いたら、何か係の人涙ぐんで、短冊くれたんですよね…」
(そこまで困窮してねぇよ)
きっとその人はよくあるテレビでの大所帯家族の貧乏生活のイメージでも持ったのだろう。
大所帯が必ずしも貧乏だという訳ではないし、そこはテレビ番組の弊害かもしれない。
大体自分達は彼女と正式な兄ではないし…いや、兄と呼んでくれるのは嬉しいが。
心の中で色々と突っ込みつつ全員が受け取った短冊を眺め、それぞれペンを持ってうーんと唸り、願い事について悩み始めた。
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