「こういう願い事を考えている時って楽しいですよねー」
 にこにこと笑う桜乃の傍で、悩んでいた切原がふと顔を上げて彼女に問う。
「ところでさー、そもそも七夕って…」
「はい?」
「振られた奴らが天の川を見上げながら、相手なんか星の数いるんだってリベンジを誓うイベントだったっけ?」
「……」

(さっむ〜〜〜〜〜!!…)

 桜乃が言葉を失っている脇では、男性陣が冷や汗を流しつつ無言を守っていた。
(ありそうで怖え〜〜〜〜〜〜〜!!)
(と言うか、思わず賛同しかけた俺って〜〜〜〜〜っ!!)
 ジャッカルと丸井が内心で動揺しまくっている脇で…
 ごんっ!!
 日本の文化を思い切り愚弄してくれた後輩に対し、珍しく柳が拳骨を食らわせていた。
「織姫と彦星!」
「そ、そうっすか…」
 後輩が怯える前で、知識が豊富な男はすらすらと正しいそれを語り出した。
「諸説あるが…天帝の娘で機織の名手の織姫、牛追いの夏彦星、ともに働き者だった二人が結婚したことにより夫婦生活が楽しくなり、働くのをやめてしまった。それを天帝が怒り、二人を天の川を隔てて引き離し、年に一度の七月七日のみ会う事を許したというのが有名な話だ」
「ふーん」
「因みに、星の逢引であることより七夕は星合いという別名もある。当日に降る雨は催涙雨とも言われ、織姫と彦星の流す涙と言われているな」
 柳の詳しい説明を大人しく聞いていた丸井が、頷いて一言。
「それって現代風に言えばさ、ワーカーホリックだったカップルが結婚してキャッキャウフフしてニートになって、親の怒りをかって別居させられているってコトでOK? 当然じゃん、働けよい」

『…………』

 何気ない意見だったが、全員の口を封じてしまう程に影響力は抜群だった。
(どうしよう…あながち間違ってないんだけど…!)
(そういう言い方をすると、ロクでもないバカップルが理不尽に祭り上げられているような気がする)
(っつか、そういう奴らに願い事するんか、俺ら…)
 幸村や真田、仁王が内心でそんな事を考えている間に、他の者達も微妙な反応を示していた。
「まぁ、表向きは悲恋の話なのだが…解釈の違いだろう」
 そう言いながらも困った顔をした柳に、柳生も微妙に困った顔を向けた。
「何か…場の空気が思い切り盛り下がりましたね…」
 そして、切原やジャッカルも短冊を手にしつつも、どうしようと首を何度も傾げていた。
「向こうさん、こっちの希望聞く余裕あるんですかね…?」
「俺らの願い事より、お前さん達の方を先に何とかしろって言いたくなるな…」
 そして、短冊を持ってきた桜乃も、微妙な顔でそれを眺めながら溜息をついた。
「おかしいなぁ…去年まではロマンティックだと思っていたのに…何だか救えない話に思えてきました」
「わ―――――っ! わ―――――っ!」
「いやいやいやいや!! 気の所為、気の所為!!」
 純粋な少女の心を汚してはっ!とジャッカルと切原が慌てて彼女の思考を止めるべく論点を逸らそうと躍起になる。
「そうですか?」
「でもまぁロクでもない奴と結婚して人生変わるって話もよく聞くし…」
「丸井―――――――――っ!!!」
 まだ言うか!とジャッカルが相手の口を押さえて引き摺って連れて行く一方で、詐欺師がやれやれと桜乃の肩を叩いた。
「まぁ難しい話は抜きでええじゃろ、お前さんは書かんのか?」
「あ、はぁ…」
 上手く誤魔化しつつ、仁王は七夕の由来から短冊の願いへと彼女の思考を誘導し、机の前に着かせると、皆で揃っての書き込みタイムとなった。
「…うーん、自分で叶えられるのは自力でやるとして…やっぱりこれかな」
 幸村は少し考え込んで『家族の健康』と書き込んだ。
 過去に病に伏し、健康の大切さを知っているが故の望みなのだろう、誰もが納得するような内容だ。
「……蓮二は?」
「そろそろ読む蔵書がなくなるので…」
 彼の短冊には『立海の図書室蔵書の大幅な増加』と実に彼らしい希望が記されていた。
 その隣の真田が書いているのは『家内安全』と、何となく幸村のそれと似ている。
「何かジジくさいっすね」
 隣で覗き込んだ切原を睨みつけ、本人はふんと鼻を鳴らした。
「何とでも言え。殆どの人間の生活の基盤は家にある。その家が堅固でなければ心の平穏も伴わん。近しい者の安全を願うのも当然の人の心理だ、そう言うお前こそ何を望む」
 まだ書き込んでいなかった切原は、ちょっぴり不敵な笑みを浮かべて三強を見回した。
「俺はやっぱ、先輩方三人を倒すってコトっすかね…願いって言うより決意表明ってトコっすけど」
 そこに、ひょこ、と顔を出して桜乃が感心した様子で頷いた。
「流石ですねぇ切原さん…私はてっきり、苦手な英語の成績向上を願うものだと思っていました。やっぱり、それは自力本願なんですか?」
「…………」
 少女の言葉を聞き、切原の動きがぴたっと止まる。
 そして、彼は改めて短冊に向かい、唸り始めた。
「う〜〜〜ん、う〜〜〜ん…」
「揺れとるのー、自力と他力の狭間で」
「そう言えば、この間の英語のテストも相当やばかったらしいですね、切原君…」
「…柳生さんは何を?」
 桜乃が相手を見遣ると、彼はふむと頷きながら自身の分の短冊を眺める。
「少々俗的な願いですが、父が医療事故を起こさないように、と」
「…お、重いですね…」
「『ごめんなさい』じゃすみませんからねぇ、あの職業は…まぁ、絶対という事は世の中にはありませんから」
「成る程〜〜…仁王さんは?」
「なるべく相手に分かりやすく」
 彼が差し出した短冊は…
『金』
 実に端的に、でかでかと。
「……」
 桜乃は思わず沈黙し、それを覗いた丸井がうひゃ〜という表情を浮かべる。
「……俺が神様だったら、叶えたくねーな〜」
「そうかの?」
「そう言う丸井さんは?」
 桜乃が彼の短冊を見ると…
『世界征服』
「……」
 最早ここまで来ると驚く感覚も麻痺してくる。
「…お約束ですね」
「俺が神でも叶えたくない」
 ジャッカルの本音に、丸井はえー?と疑問の声を上げた。
「何で? 征服したら戦争終わらせて宿題なくしてお菓子とゲーム持込許可するのに」
「最初の案は賛成ですけど、後の案は国を滅ぼすかもしれませんねぇ」
 うーん、と唸って、桜乃は最後にジャッカルの短冊の中身を尋ねた。
「桑原さんは?」
「…まぁ、叶わないのが夢とも言うが…」
 そういう彼が記していたのは…『平和(特に俺の人生の)』と意味深なカッコ付き。
「…心中お察しします」
「ありがと」
 深く突っ込まないでいてくれた少女に感謝しながら、若者は渋い顔をしていた。
 夢は夢として、既に自分の人生については悟っているのかもしれない。
 一応一通り聞いて回った桜乃だったが、不意に自分の短冊を裏返して机に置くと、全員にぺこんと礼をする。
「ちょっと席を外しますね…あ、覗かないで下さいよ、短冊」
 特に行き先を告げることも無かったが、お手洗いだということは大体察しがつくので、男性達も特に突っ込まない。
「うん」
 幸村が返事を返して、少女が部室を出て行くと……
「どれどれ」
「何を書いているのかなっと…」
 言った傍から切原と丸井が問題の短冊へと特攻をかけていた。
「こらーっ!!」
「いい度胸じゃのー」
 真田が怒声を上げ、仁王が呆れた様子で見ていたが、結局二人の暴挙を止めるには間に合わなかった…のだが、
「……」
「……」
 短冊を捲った二人が、ほぼ同時に無言になり、ぴたっと身体が静止して、周囲の興味を引いた。
 何か、彼女もはじけた希望でも書き込んでいたのだろうか…
「? どうした?」
 柳が尋ねても答えない二人に、幸村が動いてひょいっとその短冊を覗き込んだ。
『は・ず・れ』
「……っ」
 少女の仕掛けたトラップに、思わず幸村が吹き出し、声を上げて笑い出す。
 他の部員も同じ様に覗いては、同じ様に声を上げて笑う中、引っ掛かってしまった二人の若者だけがむぅ、と唇を尖らせていた。
「…ちっ、成長してやがんな、竜崎の奴」
「兄貴分としては褒めてつかわす」


 それから結局桜乃の『お願い』は知らされないまま、メンバー達は彼女と一緒に駅へと向かっていたが、種明かしだけは聞かされていた。
「何だよい、おさげちゃん、先に書いてたなんて反則だぞい」
「えへへー」
 実は立海に行く前の道すがら、桜乃は自分の分は先に書いて箱の中に入れていたのだった。
「どうしてもその時に書きたくて、先に吊るすようにしてたんです。二枚も書くのはずるいですからね」
「じゃああの短冊も最初からカモフラージュだったのかよ」
 ちぇっと舌打ちする切原を宥めるように、幸村が彼の肩をぽんと叩く。
「悪いのは先に覗いた君たちだったんだからね、怒らない。さ、俺達も短冊を吊るさせてもらおうか」
 彼らは例の笹の場所についたところで、自分達の短冊を笹に括りつけ始める。
 その中で、またも興味が湧いてきたのか、メンバー達の何人かは暫く既に吊るされていた他人の短冊を眺めていた。
『めいどをやとう』
『たからくじ』
『いちねんじゅう、なつやすみ』
『せかいせいふく』

『………』

 まぁ確かにこれ以外でもまともな願いはあった。 
 誰々さんと仲良くなりたいとか、成績を上げたいとか、それはもう実直で微笑ましいお願いごとが。
 しかし、かなり外れたこういうお願いを見るにつけ、それを一つ一つ把握している神様という存在がもしいるのだとしたら…人の身ながら、心底同情したくなってしまう。
 全員が微妙な面持ちでそれらを大体見終わると、仁王が丸井へと振り返った。
「…お前さんの親戚がおったのう、丸井」
「おめーの従兄弟っぽいヤツもいたぜい、仁王」
 そんな不毛な会話の中で、精神衛生が良すぎる程の堅物・真田は、頭痛を感じながら眉間をぴくぴく震わせていた。
「…あれらを見ると、いっそ自分のを含めて叶わない方が未来の為だと…」
「叶ったらどうなっちゃうんだろうねぇ、日本」
「他力本願が如何に当てにならないものか実証する良い証拠だな…望むのは自由だが」
 幸村と柳も続けてそう述べていると、傍の桜乃がはぁ…と溜息をついてぽつんと言った。
「…やっぱりテニスは自分の力でがんばろ」
「?」
 ん?とそれを聞いた幸村が微笑みながら相手を覗き込んだ。
「なに? テニスの上達をお願いしてたの?」
「あ、いいえ、流石にそれはずるいかな〜って思ってやめときました。やっぱり自分で頑張らないと嬉しさも半減ですから……まぁ、ほんっとうに手を貸してほしいくらいに辛かったら考えちゃうかもしれませんけどね」
「ふふ、偉いね…でも、辛い時には神様より先に俺達を頼ってよ。これでもテニスについては神様よりご利益あると思うから」
「あはは、はい!」
 確かにそうですね、と素直に頷いた少女に、ん?と今度は真田が不思議そうな顔をする。
「…では結局、お前が願ったこととは…?」
「ああ…でも、よく考えたら願わなくてもいいことでしたから」
「ん…?」
「神様にお願いしなくても、絶対に叶うと思います…お願い一つ分、損しちゃいましたかねぇ」
 損をしたと言いながら、桜乃はにこにこととても嬉しそうに笑っていた。


 彼らを見下ろす笹の頂に近い場所…
 大人達が梯子を使って幾つも吊り下げた短冊の一つ
『立海の皆さんが、いつまでも仲良くあれますよう』
 そんな願い事が、星空に向かって揺れていた……






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