働き者の織姫彦星
「そういやもうすぐ七夕だな」
「ん?」
とある学校のテニスコートで、とある男子学生が友人らしき別の一人にそんな話題を振っていた。
振った方は赤い髪をしたやんちゃそうな子で、テニスラケットを抱えながらぷーっとガム風船を膨らませている。
対し、振られた方の若者は全身の肌が浅黒く、異国の血を引いている人間だとすぐに分かるが、語る日本語は非常に流暢だった。
「そうだな、七月七日だっけか? ってもその日は平日だから、俺達はいつもの様に練習だろ?」
「それも夕方までで終わりじゃん。なぁなぁ、終わったらどっかで遊ばない? きっとどっかでイベントの一つもやってると思うんだよな〜」
赤い髪の若者…丸井ブン太は、既に期待で胸が一杯なのか、にっこにこと上機嫌だ。
対する異国ブラジルの血を半分受け継いでいるジャッカルは、そんな相棒と異なり、何となく乗り気ではない。
「…イベントって?」
「だからほら、花火とか屋台とかそういう夏のお祭り関係のさ!」
「で、何するんだって?」
「何ってそりゃ色々あんじゃん! わたがし食ったりりんご飴食ったり焼きそば食ったり…」
「花火に謝れ」
最初に話題に出した癖に、全くそれには触れない相手にジャッカルが突っ込んだ後、最終確認を取る。
「…その資金はどっから来るんだ」
「ジャッカルのお財布」
「俺、ウチでのんびりしとくわ」
そんな事だろうと思った!とばかりに、ジャッカルがくるっと背を向けると、ひしっと相手が追い縋る。
「えー!? 友達甲斐がねーなー! いーじゃんかよい!?」
「お前の友達甲斐ってのは、行く先々でその友人に食い物代をたかるコトなのか?」
「ま、そこはスルーで」
「出来ねぇよ」
それからもぶいぶいぶい!!と言い合っている二人の姿に目が止まったのか、彼らと同じジャージを纏った若者が一人近づいてくると、背後からぽこぽこっと続けて二人の頭を拳骨で叩いた。
叩いたと言ってもさほど力は込められておらず、せいぜい注意を促す程度だ。
「こら、二人とも」
「うあ! 幸村っ!」
「おっとと、スマン!」
二人ははたいた相手の正体を知ると同時に、慌てた様子で詫びを入れる。
立海大学附属中学、男子テニス部部長の幸村精市は、さりげなく彼らを注意した後、ぐるりと首を巡らせて二人を見た。
「部活中は私語は控えること。レギュラーの君達がそんなだと他の部員にも示しがつかないよ」
「悪い…」
全く持ってその通りである。
話しかけてきたのは丸井だが、応じてしまった自分にも確かに非があったと、ジャッカルは素直に反省した。
二人がちゃんと謝罪した後で、幸村はにこりと優しく笑う…が、それで済ませる程に甘い様では、立海の部長は務まらない。
「じゃあ、お喋りのペナルティーとして今から校庭十周ね。その後ですぐに試合をするから、ペース配分を怠らないで」
「うう。やっぱりかぁ」
「しまった〜」
やはり逃れられなかった立海の鉄の規律に思い切りブチ当たり、二人がへこへこと力なくトラックに向かおうとしたところで、幸村の優しい声が追いかけてきた。
「あ、もうすぐ竜崎さんがここに見学に来るって連絡があったよ」
「行くぞいジャッカル!!」
「アイツが来る前に十周完走だ!!」
途端にやる気が沸き上がったのか、先程までの脱力振りは何処へやら、二人は我先にと完走に向けて走り出した。
「……」
そんな彼らを見送っていた部長の隣に、相手と同じく長身痩躯の若者が近づいてくる。
「…効果覿面だな」
「まぁね」
テニス部に於いて「参謀」と称される柳蓮二の一言に、魔法の言葉を唱えた幸村はふふっと笑う。
「あの子に醜態を晒す訳にはいかないだろうからね。気合いも入るだろうさ」
「異論ない…ところで、あいつらは何を喋っていたんだ?」
「ん…」
そう言えば、それについては聞かなかったな…
結構盛り上がっていたみたいだけど、何にそんなに夢中になっていたんだろう?
「…終わった後で聞いてみようか」
そんな事を幸村達が話している一方で、大急ぎでノルマ十周をこなしている丸井達も、走りながら話題を戻していた。
「おさげちゃん来たら、ちょっと誘ってみね? 部活終了後に待ち合わせなら、浴衣とか着てくるかもしんねーし!!」
「お前もめげないなぁ…ま、止める理由はないな」
「あらら、ごめんなさい丸井さん。その日はもう先約があるんですよ〜」
「何だ、そうなの?」
部活が終了した後の部室では、早速七夕当日の計画を丸井が訪問者に説明していたが、返ってきたのは残念な報告だった。
「ちぇ〜、残念」
「本当にすみません、折角お誘い頂いたのに…」
ぶーっと唇を尖らせながら拗ねる丸井に、おさげの少女は申し訳なさそうに小さなため息をついた。
彼女は竜崎桜乃。
青学の学生であるが、立海のレギュラーメンバーにとっては親しい知己であり、且つ妹分の存在である。
こうしてたまに立海を訪れては彼らの試合や練習を見て、自分も同じく嗜むテニスの向上に役立てているのだ。
勿論、訪れる目的はそれだけではなく、彼らと言葉を交わし、穏やかな一時を過ごすのも大きな楽しみとなっている。
桜乃にとっても、レギュラー達にとっても。
「無茶言うたらいかんぜよ、丸井。お前の方も別に何処に行くとも決めとらん段階なんじゃからの」
銀髪の同じくレギュラーである仁王雅治がやれやれと拗ねる丸井をなだめたが、なかなか向こうは気持ちを切り替える事が出来ないらしい。
まぁ、「コート上の詐欺師」と呼ばれる仁王ならば、そういう切り替えは得意とするところなのだろうが、丸井はそこまであっさりと諦める事を良しとしないのだ。
「そりゃそうだけどさ…折角、俺達レギュラーは集まれるって事だから、おさげちゃんも一緒が良かったのに〜」
七夕当日、希望者で集まって何処かに繰りだそうという丸井の呼びかけには、特に所用もなかったということで、レギュラー達も一枚噛むことになった。
それは素直に嬉しい。
しかし、折角の企画に、可愛がっている妹分の桜乃が参加出来ないとあって、盛り上がっていた気持ちが急速に萎えていった。
「う〜…」
「今更、行かないなんてなしッスからね、丸井先輩」
本当にそう言い出しそうな程に落ち込んでいる丸井に、一年後輩の切原が念を押す脇では、残念だと思いながらも桜乃に気を遣い、声を掛ける柳生の姿があった。
「どうかお気になさらず。先約があるのなら、そちらを優先するべきですからね……しかし、七夕に約束とは貴女もどなたかとご一緒に…」
はっ…!!
何気ない紳士の問いかけが全て終わる前に、その場の男達に見えない緊張が走った。
そう言えば…七夕と言えば一年に一度、織り姫と彦星が逢瀬を果たすという、恋人達がメインのイベント!
そんな日にわざわざ約束とは…まさか…
『誰と行くのかな?』
「女友達とです…」
途端に、「妹の友好関係に超厳しいお兄ちゃん」状態になった八人全員から迫られ、桜乃はびくぅっ!と怯えながら答えた。
普段はとても親切で優しい若者たちなのだが、たまに怖く見えるのは何故だろう…?
まさか、立海の中でも特にイケメン集団でもてまくっている彼らが、自分に対し異性としての好意も抱いているとは、桜乃は夢にも思っていなかった。
「そうか、それなら構わないが」
相手が女性の友人であれば、と柳が了承する隣では、念には念をと副部長の真田がしっかりと釘を刺した。
「いかがわしい男には決してついていかない様に! 何かあれば大声を上げて助けを呼べ」
「はい…」
楽しい筈の七夕なのに、何だか変に緊張してきちゃったな…と思っていたところで、そこに丸井が割り込んでくる。
「おさげちゃんはその日、何処のお祭に行く予定なの?」
「え…私ですか?」
「そう」
「え、えーと…私は一応…」
そう言って、桜乃は部室の机上にあったメモ帳を借りて、簡単な地図を書き始めた。
どうやら、都内の様だが…
「ここですねー、毎年恒例でお祭をやるところだし、近いし」
そうなんだ…と幸村が頷きつつ納得していると、傍から地図で大体の地区を確認した柳が、早速手持ちのPCで当日のその場所での情報を集め始める。
「ふむ、これだな…確かに規模としては小さくはない」
「どれどれ?」
祭への参加だけでなく、相応の質にもこだわる丸井がPCの画面をのぞき込んだ。
「ふーん…確かに小さくはなさそうだなぁ、規模もなかなか…」
「花火もやってるし、面白そうッスね」
行くべきか…と熟考している若者達に、いえいえと桜乃が慌てて止めに入る。
「で、でもあくまで私の地元のって意味ですし! わざわざ遠出させるのも申し訳ないですから」
「……」
そう気にしないで下さいと断る桜乃に、無言で様子を見ていた仁王がそうか、と、やけに朗らかな笑顔で返した。
「まぁ確かに都内じゃなぁ、俺らが行くにはちょっと遠いかの」
「はい」
「…竜崎は、ここの祭りについては詳しいんか?」
「え、ええ…近場ですから、よく見に行ってましたよ。人も多いですから、賑やかな雰囲気を楽しみたい人にはいいかも」
「ふーん…」
何となく、返事の所々に挙動不審な面が見える…
何かありそうだな、この子のこういう反応は…正直な子が相手だと助かる。
そう思いはしたものの、あまり深く突っ込むと、逆に警戒心を強く抱かせてしまう事になるので、仁王はそこは敢えて軽く流した。
それからはまた取り留めのない雑談へと戻り、結局その場では何処に行くかは決着はつかず、全ての部活内容が終了した後で桜乃は都内へと帰って行った。
七夕当日…
「で、結局都内に出向くことになると…」
やれやれ…と溜息をついているジャッカルの隣で、対照的に元気一杯の丸井がはきはきとした声で言う。
「仁王の詐欺師アンテナが反応したって事は、裏に何かあるってことだからな!」
「丸井君、堂々と大声で言わないで下さい」
『詐欺師』だの『裏』だの胡散臭い台詞に、辺りの客達の幾人かがちらちらとその浴衣姿の中学生の一団に視線を遣る。
しかし元々が人数が多い上に混雑しているので、向こうも自分達の身の上を把握するのに精一杯で、突っ込むまでに至っていないのは幸いだった。
ここは都内の某神社の境内から少し外れた街道。
いつもなら車の往来も激しい場所だが、今日のこの時間帯は、予定されていた祭の為に歩行者天国となっているのだ。
神奈川在住である立海のレギュラーメンバーがここを訪れるのは初めての事だったが、初めての場所だからこその新鮮さを、全員はそれなりに楽しんでいる様だった。
「何じゃ、差別はいかんのう柳生よ。職に貴賎なしと言うじゃろうが」
「お好きなだけ職業欄に『詐欺師』とお書きになったら宜しいでしょう。但し、これまでの私との付き合いは一切なかった事にさせて頂きます」
詐欺師と紳士が言葉のジャブの応酬を繰り広げている脇では、袂に腕を入れながら、悠々と真田が歩いている。
他メンバーと比較してもその容貌と落ち着き振りは泰然としており、見た目、完全に保護者である。
「お前達、少しは落ち着かんか」
彼らが少し騒いでいても周囲が無言を守っているのは、喧騒の所為だけではなく、しっかりと手綱を握っているらしい彼の存在があるからかもしれない。
副部長がきっちりと注意をしている一方では、柔らかな笑顔を浮かべている幸村が、団扇を片手に天を仰いでいた。
「完全な晴天じゃなかったけど、雨じゃなかっただけ良かったよね」
「うむ…しかし、やはりこの雲では星空を見るのは難しいな。織姫と彦星の逢瀬は、叶わないか…」
柳が続いて天を見上げて評したところで、ねぇ、と二年の後輩が不思議そうに声を掛けてくる。
「ずっと前から思ってたッスけど、俺、幼稚園の頃から思い返してみても、七夕の日が晴れてた記憶なんて殆ど無いッスよ。何でこんな日にわざわざそんな伝説作ったんスかね、昔の人って…やっかみ?」
「いかにもお前の考えそうな事ではあるが…」
最後の一言は何だ、と言いたげに眉をひそめると、柳は切原に説明する。
「七月七日は所謂、旧暦での話だからな。厳密に言えば現代の七月七日ではないのだ。それに、過去と現代では気象事情も大きく異なるだろうから、雨が降りやすい日だったかどうかは一概には言えないな」
「へー」
そうなんだ…と相手が納得していると、丸井がそこで口を挟んできた…両手に一杯の屋台の定番メニューを抱えた状態で。
因みにその半分の出費はダブルスの相棒からである…いつもの事だが。
「あ、それは俺も知ってる。こないだ七夕についてちょっとネットで調べる機会があったからさ」
「ほう、何か思うところでもあったのか?」
お前にしては珍しく文学的な探究心だな…と真田が感心したところで本人が追加発言。
「そう言えば七夕に由来する食い物って知らなかったなーって思って、これは是非調べてみなければと!!」
「訊くのではなかった」
思い切り期待を裏切られた形で、真田がふんっと鼻を鳴らしながらそっぽを向き、ぽんぽんと彼の肩を幸村が叩いた。
「弦一郎は夢見過ぎだよ…」
「そーゆー慰め方ってアリっすか…?」
或る意味、物凄く丸井先輩に失礼なんじゃ…と切原が冷や汗を流しつつ突っ込んだが、その丸井本人は全く関係ないとばかりに拳を握って力説していた。
「けど無いんだよい!! 七夕由来のお菓子って! 一生懸命調べても、せいぜい出てくるのってそうめんなんだぜい!? そんなんちょっと時期過ぎれば無間地獄並に家に送られてくんじゃんか! 俺んちなんか毎年夏休みの昼飯は連日そうめんなんだから、わざわざ今から好き好んで見るかってのい!!」
「お前、それは自分の所為だって弟達に謝っておけよ…?」
「全国のそうめん業者さん達に土下座なさい、丸井君」
力説の割に、ジャッカルと柳生の突っ込みは程よく冷却されていた。
家族の心情を思えば物凄く納得出来る…
夏休みと言えば、子供は家でごろごろ…まぁ立海男子テニス部には厳しい練習があるからそれ程でもないが、やはり昼食を家で摂る機会が多くなるのは紛れもない事実だ。
只でさえ食費を圧迫しまくっているこの若者が家にいて、好きな食べ物ばかりを食べていたら、家計そのものが財政赤字になるのは目に見えている。
そうめんがその財政を支えているのだと思ったら、話を聞いたこちらとしたら、そうめん業者さんを全面的に応援したい気分だった。
「え〜? 何で俺が〜?」
ぶーっと不機嫌な顔で反論している丸井に、立海メンバー内でも常識人である二人が訥々と諭している間にも、全員の歩は進んでおり、彼らはまた屋台などが目立つ場所へと差し掛かった。
ここは屋台だけではなく、その街道の脇の一画に椅子やベンチやテーブルを置いて、簡素な模擬店もやっている様だ。
どうやら町内会の出し物の一環らしい。
ちらほら見える店員さんも浴衣姿にフリルのエプロンと、なかなか見た目にも人気がある様だ。
「座ってゆっくり出来そうだね…どうする?」
幸村がそう言って皆がそれでもいいかと賛同しかけたところで、あ、と仁王が声を上げ、別の一画を指差した。
「…アレ、やってみたいのう」
「ん?」
柳生が、彼の示す先を見て苦笑した。
「ははぁ…射的ですか」
こういうお祭の時に、男子達の注目を集めるイベントの一つである。
普段はクールな若者だが、ダーツや射的などには楽しそうに挑戦する相手の性癖を知っているだけに、柳生もそれには納得の態で頷いた。
「いいモノがあればいいですね」
「そうじゃな」
そんな彼らの会話を聞いていた他のメンバー達も、休む前にもう一興、と射的の屋台へと移動していった。
「俺もやってみようかなー、仁王先輩、コツ教えてくれません?」
「ん、ええよ?」
「ふふ、切原、頑張ってね」
「よし、俺もやるぜい!」
乗り気になった他メンバー達も巻き込んで、それから彼らは一時射的に興じることになった。
一人、二人と見ている間に興味が湧いた者達も加わり、結局最後には全員が最低一回は挑戦する事になった。
「ちぇっ、やっぱ仁王には叶わなかったか〜」
「腐るなって、年季が違うだろ、年季が」
射的の結果は、全員まとめてみると惨憺たる結果と言えなくもなかった。
一等を取れた仁王や三等を取った柳以外は、ほぼ全員が参加賞レベルの小物に終わってしまったのだ。
「まぁ雰囲気を楽しむものだしね…でも仁王、それ本当に持って帰るつもり?」
「………」
珍しく幸村からの質問を受けた詐欺師が視線を逸らして押し黙る。
その銀髪の美丈夫の手には、大きなカエルのぬいぐるみ…射的の景品が抱かれていた。
「…あのオヤジが『取れるもんなら取ってみろ』なんて言うとったもんじゃからつい…」
「負けず嫌いも大変だな…取り敢えず、こっち来るな」
同行者と思われたくない、とばかりにジャッカルがしっしっと追い払う。
「冷たいのー」
孤高の勝利者がへっとやさぐれていると、結局残念賞に終わった切原がじーっとぬいぐるみを見つめて首を傾げた。
「あんな軽い弾でよく取れるっすね…柳先輩も」
柳も三等とは言え、手にしている小振りのクッションは景品としては立派だ。
「こういう物は、如何に力点を定めるかによる…物理の応用だな」
「まぁ詐欺師じゃなけりゃスナイパーになりたいと思っとったからのう…子供の頃は」
言った後で、仁王はもう片方の手に持っていた紙コップの中から、ちゅーっとストローでコーラを吸い上げた。
「何か、どっちも血ぃ見そうな仕事ッスよね…」
「だから詐欺師は真っ当な仕事ではないと…」
聞き捨てならないと柳生が口を挟もうとした時だった。
『キャ――――――――――――ッ!!』
近くから、女性の悲鳴が聞こえてきた。
この祭の雰囲気に乗じての楽しそうなそれではない、明らかに緊迫感を伴ったものだった。
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