立海おとぎ話・第三節
「桜乃、桜乃」
「あら、幸村皇子、お散歩ですか?」
「うん、気分転換にね」
「そうですか…皇子様のお仕事、本当にお疲れ様です」
桜乃と初めて会った日から、幸村皇子は彼女が庭にいると知ると、自分もそこに向かうようになっていました。
勿論、彼女と会い、語らうためです。
「最近はお庭がお気に入りみたいですね。でも、お散歩ばかりしていると真田皇帝に叱られますよ?」
「ちゃんと義務は果たしてきているからね、大丈夫」
「まぁ、流石は幸村皇子ですね」
「そう言われると少し照れるけど…君は何をしているの?」
「私は……」
桜乃が庭で野良仕事をしている時、その日も幸村皇子は庭に降り、彼女と挨拶を交わしておりました。
通常は挨拶が終わったら、すぐにその場を離れて自分の用事へと向かう皇族ですが、幸村皇子は桜乃の傍を離れようとはしません。
彼女と会う事が目的だったのですから、離れないのは当然の事でした。
一方、そんな二人を置いて、桜乃の目付けの一人である丸井は、馬小屋のジャッカルの処に転がり込んでおりました。
「思うんだけど…ぜ〜ったいに幸村皇子、桜乃に気があるよな」
「ま、あれだけ毎日通ってたら、そうなんだろ」
小屋の片隅で座り込み、庭の果物を持ち込んでぱくついている丸井に対し、ジャッカルはがしがしと藁で馬の身体を擦ってやりながら振り返りました。
「…で、お前は何をしてるんだ」
「避難」
「何で?」
「だってよ〜〜〜」
ぶつぶつ言いながらも食べる口も止まらないのは流石です。
「あの二人がアハハウフフしている時に傍にいても、何かこう…居場所ってもんがね」
「ああ…」
「つか、ぶっちゃけ幸村皇子がいる時に俺が桜乃の傍にいたら、すっげぇ冷たい視線の攻撃が…いっそ『どけやコラ』って凄まれた方がナンボかマシ…」
視線を逸らし、がくがくと震える丸井は、その時の恐怖を思い出し、それを察したジャッカルも渋い顔をしながら頷きました。
「あの人も普段は優しいんだが、やっぱりこの立海を背負って立つことはあるよなぁ…」
つまり、自分達がいたら桜乃との逢瀬がぶち壊しだから邪魔するなという無言の圧力です。
しかし二人は、目付けをしていた桜乃を相手の権力に負けて、見捨てたという訳ではありませんでした。
「ドラ息子なら何が何でも桜乃を隠し通したんだけど、幸村皇子はまぁ浮ついた噂もないしさ、よくよく考えたら文武両道、品行方正、文句のつけようがない程セレブだし…」
「ま、立場が上の人間がやるような下への意地悪もしている訳じゃないからな、仲良くするぐらいならいいだろう。丁度年齢も近いし、幸村皇子にとっては同年代の話し相手にもなって楽しいんじゃないか?」
「……仲良く…で済めばいいけど」
かし…と林檎を齧った丸井は、しかし珍しく非常に真面目な表情で何かを考え込んでいる様子です。
馬の藁拭きが済んだジャッカルは不思議そうな顔をして相手の隣に来ると、同じ様に座って休憩を取りました。
「どうしたんだ、丸井。随分深刻な顔じゃないか」
「うん…もしさ、幸村皇子が桜乃を娶ろうとしたら、ちょっと騒ぎになるかもなーって」
「めと…も、もうそこまで話は進んでんのか!?」
慌てるジャッカルは、庭での桜乃の様子を知らない分、相手の言葉が唐突過ぎて、少しパニックを起こしている様です。
そんな親友に、丸井は持ち込んでいた林檎を一つ手渡しました。
「いやいや、俺の勘。ほれ」
「ああ悪いな…ってこれ、もしかして庭のヤツなんじゃないか?」
「最近、俺が気を効かせて席を外したら、幸村皇子がくれるんだよい」
「そりゃまた丁度いい賄賂だな」
でも納得…と思いつつジャッカルがそれを齧り出したところで、丸井は二個目に突入します。
「けど、皇子がかーなーり桜乃を気に入っているのは間違いねーんだよい。だって考えてもみなって、今までどんな高貴なお姫様が来たって、そこそこ最低限のお付き合いしかしてなかった皇子が、今やもう桜乃にべったりだぜい? 遊びで召使に手を出すような色ボケでもないし…」
「お前、雇い主に結構言うな…」
もし他の誰かに聞かれでもしたらその時点で人生終わってしまいそうな暴言です。
しかし、丸井は構うもんかと拳を握って言い返しました。
「可愛い妹分の人生かかってんだもん! ジャッカルだって、アイツには幸せになってもらいたいだろい!?」
「う、そ、そりゃあそうだが…」
普通そこは『自分が幸せにする』とこないものなのか…こないとすると、自分達はまさか既に枯れているのか…と思いましたが、ジャッカルは何も言いませんでした。
相手の心の内は全く知らずに力説する庭師は、がつがつと林檎を食べながら、目下の自分の不安を親友に打ち明けました。
「今のところ、皇子はお忍びで庭に下りて、桜乃と楽しく語らっているだけだけどさ…最近、召使共があまりいい顔してねんだよい」
「!?…メイド達が?」
「そ、どっかの王女様ならともかくとして、自分達の方が皇子との接点も多いのに、何であの泥臭い女の方が皇子の覚えがめでたいんだって…こないだも陰でそういう話をしてたのを聞いてさ…」
「……」
暫く無言だったジャッカルでしたが、ぽつりと本音を漏らしました。
「…雇われ者ってところは同じなのになぁ」
「怖いね、女の嫉妬って」
ジャッカル達にとって可愛い桜乃が皇子と上手くいくのは歓迎するべき事でしたが、そう思っているのは城の中でもごく一部でしょう。
田舎から来た何処の馬の骨とも知らない少女が、玉の輿に乗ろうとしているのだとしたら、それはもう顰蹙ものです。
「アイツの性格を知ったら、そういう意見ばかりでもないんだろうに…」
「基本、お外の仕事ばかりのアイツだから、接点が無いのも問題なんだよ。かと言って、今更召使に取り立ててくれったって、いじめの巣窟にアイツを放り込むようなもんじゃんか」
そんな二人が喋り込んでいるところに、不意に上から声が降ってきました。
「サボリですか?」
「そうサボ…」
言いかけた丸井がはた…と上を見上げると、そこには騎士団長の柳生が立っていました。
いつの間にかこの小屋を訪れ、話を聞いていた様です。
「わわわわわっ!!」
「私の馬の様子を見に来たのですが…」
「はははは、はいはいはいっ!」
一時会話を中断し、あわあわと慌てる二人を見つめていた柳生でしたが、軽く眼鏡に手を触れて、同じく軽く切り出しました。
「私も、桜乃の人となりを知る者としては彼女の幸せを願っておりますが…確かに周囲の騒音はやや煩いとも思えます」
「!」
意外な賛同者が現れた事で、丸井とジャッカルは互いに顔を見合わせます。
まさか、騎士団長の様な高位の者が、桜乃に対して同情的な意見を述べようとは…
自分の駿馬の首を軽く叩いて愛でながら、団長は軽く頷きながらも、その表情は何処か固いもののように思われました。
「皇帝はその者の出自は気になさらず、純粋に能力、個性を尊ばれる方です。顔や口先だけの娘であれば即座に皇子から引き離すでしょうし、何より皇子自身が気付くでしょう。まぁ彼女に関してはその心配はなさそうです。このまま何事もなければいいのですが……」
「? 何事かあるのかい?」
そんな固い表情をされては、何となく気になる…と思った丸井が尋ねましたが、相手は軽く首を横に振りました。
「いえ、どうも最近、魔女について嫌な噂を聞きますもので…まぁ桜乃とは無関係なことですよ」
「え、魔女がまた何か…?」
「暫く大人しかったのになぁ…」
二人も、魔女という言葉を聞いて露骨に嫌な顔をしました。
それもその筈。
彼らの言う魔女は、立海の辺境にある古城に住む、何百年という歳月を生きた老女でした。
よくおとぎ話では、善人で主人公を助けたり、悪人で主人公を苦しめたりと言う二極の存在として記されますが、ここでの彼女は間違いなく後者です。
彼女はこれまでも何度もこの国で様々な悪さをしており、歴代皇帝も手を焼いておりました。
何とか調伏出来るところまで追い詰めたこともあったのですが、その度に難攻不落の彼女の城に逃げ込まれていたのです。
「私も警護の任に就いている以上は、些細な変化にも耳を傾ける必要がありますからね。何かあったら教えて下さい」
「了解……そういや魔女って言えばさ」
ジャッカルが何かを思い出して、柳生へと問い掛けました。
「お前の親友の仁王はまだ帰らないのか? とっくに追放期間は過ぎてるだろ」
「そーだい、アイツなら魔女騒ぎも何とかしてくれるんじゃね?」
「あの風来坊ですか…」
表情は全く変わりませんでしたが、仁王という者の名を聞いた瞬間、柳生の纏う雰囲気が一変。
何やらどす黒いものに変わっていき、彼はぶつぶつと馬を撫でながら独り言を呟き始めました。
「知りませんよ、どうせ窮屈な城が嫌だと言って、何処かで獣でも追い回しているんじゃないですか? 全く…あれから私がどれだけ彼の罪の軽減の為に尽力して走り回ったと思っているんでしょうかね。それなのにあの男は人から借りられるだけの金を借りた挙句に放蕩三昧なんですから。幾ら私が騎士道精神に殉じているとは言え、限度というものがあると理解して頂きたいですよ…」
(やっべぇ〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
(思い切り地雷踏んだ〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!!)
それから丸井とジャッカルは延々と相手の珍しい愚痴を聞かされる羽目になってしまったのでした……
それからも、周りがそんな風にこっそりと自分の為に騒いでいるとは露知らず、桜乃は相変わらず幸村皇子に気に入られ、目を掛けられておりました。
最初は庭での逢瀬ばかりでしたが、それはやがて城の中へまで及び、彼女の様な者が本来は入ることなど有り得ない、城内の部屋にも連れて行かれる様になっておりました。
「うん、これも凄く良く似合ってる」
「……」
その日も、幸村皇子は野良仕事を終えた桜乃を連れて城へと招き、一室で彼女に様々な服を着せておりました。
無論、自分が着替え中に手を出す事は出来ませんので、桜乃が着替えるまでは外に待機し、終わったら中に入るという紳士的なやり方です。
召使達を使えばもっと着替えはスムーズにいくのでしょうが、彼女達の裏の感情に気付いていない程に愚鈍でもありませんでしたので、幸村皇子はそれはしようとはしませんでした。
それに、外部の者を入れて二人の時間を邪魔されたくもなかったのです。
いつもの軽装から、皇子に着る様に勧められた服に着替えた桜乃は、相手の喜びようとは裏腹に、物凄く緊張した様子で鏡の前で身体を揺らしています。
確かに皇子の言う通り、おさげを解いた少女は彼の見立てた服がとてもよく似合っていましたが、本人にはそれを評価するような心のゆとりがなさそうでした。
まるで童話の中でしか見たことがない様な、美しいラインを象った触り心地のいいドレスや、帽子や、手袋と、次から次へと衣装ケースの中から取り出され、今はもう何着目でしょうか。
絹やビロードなどの布が惜しげもなく使われている衣装は確かに女性の夢ではありますが、根っからの貧乏性の娘は、却って身体をかちこちに固まらせて恐縮することしきりでした。
「凄いな、これだけ何でも似合うと、着せ替え甲斐があるよ。やっぱり素材がいいんだね」
「あ、あのう…」
恥ずかしがる少女に対し、嬉しそうな皇子はあっさりと彼女にその全てをプレゼントする事を決めていました。
「じゃあこの服、全部あげるから。後で衣装ケースごと君の部屋に届けさせておくね」
「ゆ、幸村皇子! 私、こんないい服頂けません〜!」
慌てて辞退を申し出た少女ですが、幸村皇子はそれを受け入れるつもりはありません。
「ダメだよ。だって、君、いつもツギだらけの服ばかり着てるじゃないか。少しはお洒落もしないとね」
「わ、私はそのう…ただの使用人ですから。雨露を凌げる屋根と、お腹を満たす食事、身を覆う服を頂けるだけでも十分なんです。綺麗な服を着ても、きっとすぐに汚してしまいますし、どうか他の方に…」
あせあせと焦りつつも、身分を弁えて皇子の申し出を何とか失礼のない様に辞退しようとする桜乃の姿は、却って好ましいものに見えました。
とかく心の貧しい者は、貧すれば鈍するという様に、目の前に贅沢をちらつかされると一も二もなくそれに飛びつきたがるものですが、この娘はこれまで決してそんな姿を見せたことはありません。
家の躾が良かったのでしょうか、それとも彼女の素質だったのでしょうか。
尤も、家族の為にここに来た人間であるだけに、芯は非常に強い少女であり、それは幸村皇子もとっくに分かっている事でした。
「…じゃあ、俺の為に着てくれる?」
「え…?」
「それなら別に構わないだろう? 俺の希望なら、叶えてくれるよね?」
「そ…それは、その…」
幸村皇子のたっての希望なら、叶えない訳にもいきません。
しかし自分がこれらを着る事が、どうして相手の希望になるのか、桜乃はまだよく分かっていない様子です。
「私などで…宜しいんでしょうか?」
「うん…君がいい」
「え…?」
答えた皇子はそのまま桜乃に近づくと、その小さな身体をぎゅ、と抱き締めました。
もう、皇子本人も、桜乃の事が好きな気持ちが抑えられなくなっていました。
「ゆ、幸村皇子…っ!?」
「……桜乃、俺の傍にいて」
「え…」
「俺は…君が好きなんだ」
「!!」
ぎょっとした表情の桜乃は、明らかに相手の言葉が意外だった様な素振りで、そのあからさまな反応に皇子は思わず苦笑してしまいました。
普通なら、庭で何度も顔を合わせている間に気づきそうなものです。
「…やっぱり、気が付いてなかったんだ?」
「だっ……だって、でも…! 私は…っ」
「使用人…って言葉は無しだよ」
さわ、と相手の柔らかな髪を優しく撫でて感触を愉しみながら、幸村皇子は相手の口癖を封じてしまいました。
勿論、それを先に言われたとしても、彼は引き下がるつもりは毛頭ありませんでしたが。
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