立海おとぎ話・第四節


 皇帝と皇子が魔女に討たれたという話は、かろうじて城外から出ることはありませんでしたが、それは言い返せば、城内ではもう知れ渡ってしまったという意味でもありました。
 柳生の手により、皇帝と皇子の身体は至急で救護の処置を取られ、かろうじて二人とも命は取り止めたのですが、勿論すぐに元に戻るというものでもありません。
 国の根幹を為す、二人の要人が共に倒れたという国の一大事。
 それでも流石に立海と言うべきか、上に立つ者達は速効で自分達が取るべき行動に殉じ、動揺を最低限に抑えたのでした。
「時を待てる決済は出来る限りで引き延ばせ。人命に関わるものでなければ、多少の遅延は見逃す事を伝えろ。この瞬間から、緊急事態につき城内の全ての人間の出入りを禁じる。外の者との接触は最低限に留める様に全員に言い渡せ」
「はい!」
 廊下を歩きながらも控えていた兵士達に逐一細かな指示を出して、大臣の柳は城の奥の一室へと入りました。
 その両脇には武装した兵士が控えており、警備の物々しさが伝わってきます。
「…柳大臣」
 中に控えていたのは、騎士団長の柳生でした。
 彼が傍に控えているベッドには、幸村皇子が寝かされています。
 生きているのだという事は、血色がかろうじて保たれている頬と、上下に規則正しく揺れる胸の動きから分かりました。
 しかし、柳が入ってきても、その瞳は開かれることはありません。
「皇子の様子は?」
 問い掛ける大臣に、柳生は力なく首を横に振りました。
「生きてはいます、しかし相変わらず眠ったままで、目を覚ます気配がありません…私の見立てでは、これは…」
 そこまで言うと、柳生はふぅと息を吐き出し、忌々しげに呟きました。
「呪いです」
「呪い……確かなのか」
「私の古くからの知己より学んだ症状と酷似しています。医術で治すことは望めないでしょう」
「ではどうすれば?」
「……強力な呪いです、魔女を倒すより他には」
「…やはりか」
 柳生の返答に、柳は眉をひそめながらも比較的冷静に事実を受け入れていました。
 尋ねるまでもなく、彼の知識はその方法についても網羅していたのです。
 しかし…それでも、彼は他に方法があるという奇跡を信じたかったのでした。
「…長年、手も足も出ない相手に打ち勝つしかないということか…確率を計算したら、無謀という文字しか浮かばない……皇帝は如何だ?」
 皇子と共に倒れた皇帝について問われた野牛は、皇子のベッドから離れ、その部屋と扉で繋がっているもう一つの部屋へと大臣を誘いました。
 そこにもベッドが置かれており、今は皇帝が静かに眠っています。
「皇帝は…呪いからは逃れることが出来ました。先程僅かに意識を戻され、その時にお聞きしましたが、皇帝への最初の一撃を皇子が代わりにお受けになられたそうです」
「呪いの身代わりか…何という」
 柳はそう言って、柳生に確認しました。
「では、今はお眠りになっているだけなのだな」
「ええお眠り『頂いて』います」
「…?」
 何となく、言い方に微妙な違和感を感じた大臣が首を傾げて相手を見ると、団長は本当に困ったといった様子で眼鏡に手を遣っていました。
「…覚醒された途端、激怒のあまりに錯乱されて、まぁ兵士は投げ飛ばすわ壁は殴り崩すわ、二次災害もいいところでしたので…調合した眠り薬で、押さえつけているといったところです。起きたらまたすぐにあの調子で魔女の許へ向かわれるでしょう」
「…つまり、魔女を何とかしない限りは、我々の手で皇帝を眠らせ続けるしかないと」
「最悪そうですね」
「……そちらの方が、余程性質の悪い呪いだな」
 心底そう言って皇帝を見舞う大臣に、暫く無言だった柳生がひそりと言いました。
 言いたくない事ではありましたが、言わない訳にもいかなかったのです。
「柳大臣…魔女の伝言については…?」
「…悔しいが、呑まざるをえまい」
「……」
 この二人だけではなく、若い女性達も犠牲になるのか…
 思うだけで、柳生は腸が煮えくり返りそうでしたが、柳の言う通り、従うしかないという事も理解していました。
 人の命は尊く、重い…決して軽んじるべきものではない。
 しかし、一つの命で多くの命を救えるのなら…
「…っ」
 そう考えたところで、柳生は唇をきつく噛みました。
 違う、一つの命ではない、そんなものでは済まない!
 週に一度、一人の女性の命が失われる…つまりその一つの命で救えるのは、人民のたった一週間の寿命に過ぎない。
 この国の人々が安穏と日々を過ごしている間に、若い娘達が屍となって彼らの礎になっていく。
「…女性に扮して、魔女を討てませんか?」
「勝算は限りなくゼロに近いな…魔女もその程度の事は予想しているだろうし、奴の魔法を使えば男か女かを知るのも容易い…我々は、彼女の言う通り、女性を送るしかないのだ」
「……」
 どうしようもないのか…と思っていた柳生に、今度は柳が声を掛けました。
「…人の命を失うことは辛いことだ…しかし、我々はもっと恐ろしい事を経験しなければならないだろう」
「え?」
「…連れて行く女性…魔女は名指しをしなかった。つまり、『誰』を連れて行くかを決めるのは…我々だ」
「!」
 見ると、大臣の拳がきつくきつく握られ、蒼白のままにわなわなと震えていました。
「そうだ、柳生。人民を守らねばならない筈の我々が、犠牲になると分かっていてその者を選ばなければならないのだ、これ以上の恐怖が何処にある?」
 それを、我々は七日に一度…延々と繰り返さなければならないのだぞ…


「幸村皇子…っ!」
 緘口令が敷かれた城内でも、桜乃の耳に幸村達の不幸が入ってきたのは、そう時間が経過していない時でした。
 今日は特に何も行事がなかった筈なのに、季節外れの雷が沢山鳴っていると思っていたら、城内が急に慌しくなり、城門が固く閉ざされ、人の出入りが禁じられてしまったのです。
 何事かあったのかと疑うのは当然で、桜乃は何の気はなしに、城の茂みに隠れ、そこにいた兵士達の会話から、事の仔細を知ってしまったのでした。
『皇子と皇帝が…』
『皇子は目の覚めない呪いをかけられて…』
『週に一度女性の心臓を差し出さなければ国が…』
 たった一つの情報でも大きな出来事なのに、次から次へと入ってくるそれらに、桜乃の頭は真っ白になりました。
 かろうじて人目を避けてその茂みから出てくると、彼女はそのまま自分の部屋に飛び込んで、ベッドにわっと泣き伏してしまいました。
「皇子…っ! 幸村皇子…!! どうして…!」
 罪もないあなたが…何ておいたわしい…!!
 今日の仕事はもう何もせず、大人しくしている様にとのお達しがありましたが、こんな状態で仕事など出来る筈もありません。
 本当は、すぐにでも彼の許へ行きたかったのですが、ただの雑用係の小娘が皇子に謁見出来る道理もありませんでした。
『桜乃、桜乃!』
「…!」
 どんどんとドアを叩き呼びかけてくる声に、聞き覚えがあった桜乃はのろのろと身を起こして、そちらへと歩き、ドアを開きました。
 そこには、常に親身になってくれる丸井とジャッカルが立っていました。
 きっと彼らも、今日の仕事を止められて、そしてここに来たのでしょう。
「丸井さん、ジャッカルさん…」
「よお…」
「…やっぱり、もう聞いちまったんだな、幸村皇子のコト」
 いつもは元気な二人も、流石に今は冗談を言うゆとりはないようです。
 二人を部屋に迎えた桜乃は、彼らから精一杯の励ましを受けました。
「だ、大丈夫だって…ウチには凄い物知りの大臣と、優秀な騎士がいるし、きっと何とかしてくれる」
「皇子も、何として目を覚ます方法が見つかるから…元気出せよい」
「…はい」
 その時、その場にいる誰もが真実を語っていないことに、全員が気付いていました。
 どんなに博識でも武術に秀でていても、魔女の呪いを解くのは不可能に近いことも、呪いが解かれない限り皇子が目を覚ますことがないだろうことも、桜乃がこの不幸の内で元気を出せる筈もないだろうことを…全員分かっていたのです。
 それでも…今、彼らが自分達を支えるには、他愛無い嘘が必要でした。
「俺達の中では、きっとお前が一番辛いだろうな…何と言っていいのか分からない」
 あれだけ幸村皇子と仲良く、大事にされていたのだから、心のショックもいかばかりか…とジャッカルが桜乃を労い、桜乃は気丈にも首を横に振りました。
「大丈夫です…私がしっかりしないと、皇子は眠っていても心配しないといけなくなりますから…」
「…そうか」
 そこに、丸井がやけに神妙な面持ちで桜乃に声を掛けてきました。
「明日から当面、仕事はないってことだからさ…おさげちゃん、暫く部屋にいろよい?」
「え、でも…」
 確かに仕事はなくなったけど…と桜乃は納得しながらも食い下がりました。
「馬さん達に餌をあげない訳にはいきませんから…せめてそれぐらいは…」
「ダメだ!」
 普段なら穏やかな口調で話すジャッカルまでもが、その時ばかりは桜乃の行動をびしりときつく禁じたのです。
「え…?」
「馬達の世話は当面、俺だけでやるから、お前は部屋から出てくるんじゃないぞ」
「暇だってんなら、俺とジャッカルが交代で様子見に来てやるから…いいな、おさげちゃんは絶対に外に出るなよい?」
「……は、はい」
 何故かいつになく厳しい口調でそう言った二人は、最後まで桜乃に外出を控えるように念押しして、部屋から出て行きました。
 それは勿論、桜乃に対する意地悪などではなく、逆に彼女を案じてのことだったのです。
「何てこった、こんなコトになるなんて…」
「サイアクだよい…兎に角、おさげちゃんはもう外に出しちゃダメだ、下手に人目に触れたら…アイツが…」
 最後まで言うのも恐ろしいと、丸井はそこまで言って言葉を切りました。
 そうです、二人が案じていたのは、桜乃が最悪、魔女への生贄として選ばれる可能性があるということでした。
 既に、魔女の悪意に満ちた命令は城内でも知れ渡っています。
 その所為で、早くも人の目を盗んで逃げ出す召使達が続出し、そういう面でも城内は騒然としているのでした。
 どういう形で女性が選ばれるのかは分からないし、そもそも城内から選ばれるのかも不明ですが、騒動をこの場所のみで抑えている以上ここから誰かを選出する可能性が高いでしょう。
 では、若いという条件以外でどんな女性が選ばれるのか…
 その人物がいなくなっても、あまり周囲に影響を及ぼさない人間が好ましいだろうことは、二人にも想像出来ました。
 例えば、独り身で、家族がいなくて、仕事も大きなものを任されていない…そう、桜乃の様な境遇の子。
 それに気付いた時、二人は即座に彼女を守護する事を心に決めたのです。
 幸村皇子がもし無事だったら彼は全力で彼女を守ろうとしてくれたかもしれませんが、皮肉にも、彼本人が魔女の呪いで倒れてしまった以上、どうする事も出来ません。
 何とか桜乃を人の目から遠ざけて忘れさせ、それでもどうしようもなくなった時には、この城から逃がす事も考えようと二人は真剣に考えていました。
 しかし、そんな彼らの思いとは裏腹に、桜乃は彼らとは真逆の事を考えていたのです。
 そして、その日の夜、彼女はそれを実行に移してしまいました…



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