「お呼びですか、大臣」
「柳生、入ってくれ」
 その日の深夜、柳生は柳大臣の部屋に単独で呼ばれていました。
 連れの兵士もつけないようにという事は、きっと内密の話があるのだろうということは、柳生は来る前から分かっていました。
「…何か」
「……城内は、騒がしくなってきたな」
「…既に本日のみで十人以上のメイドが消えました…明日になれば、おそらく更に数は増えるでしょう」
「そうか…」
 それを聞いてからも暫く沈黙していた柳は、単刀直入に命じました。
「…仁王を連れて来い」
「!!…は?」
 仁王という名を聞いた柳生は微かに肩を揺らしたものの、再度確認する様に相手に問い掛けましたが、向こうは躊躇う様子はありません。
「奴の所在、お前が既に突き止めている事は知っている…この国の大臣の実力、舐めてもらっては困る」
「……」
 これ以上誤魔化してもそれは徒労に終わるだろうと早々に察した騎士団長は、覚悟を決めたように溜息をつき、顔を上げました。
「…幼馴染なのでね、彼が行きそうな場所は大体察しがつくのです…非常に嫌なコトに」
「お前の気持ちも分からないではない」
 柳生の胸の内にあるものを感じて、大臣は相手に労いの言葉を掛けました。
「来訪した他国のお抱え術者がいけ好かなかったという理由で竜を呼び出してけしかけたり、奴を見下した別の国の使節団から有り金全部巻き上げて、身包み剥がして追い出したり、惚れ薬を使って皇子を落とそうとした某国の姫を、逆にその薬でガマガエルにメロメロにさせて国に戻したり…確かに俺がこの職に就いて以来、あれ程に愉快な魔導師は例を見ないからな」
「ええ、紹介した昔の自分をくびり殺してやりたい気持ちで一杯ですよ」
 淡々と語る大臣に比べて、騎士団長の声は鬱屈したそれでした。
「まぁ皇子は面白がって結構重宝していたが、胡散臭い薬の実験で城の半分吹き飛ばした時には、流石に皇帝の怒りを抑え切れなかった訳だが」
「城と国の安全を守る誇り高き騎士団が、土方まがいの作業をさせられた時には、悔しさと怒りで三日三晩眠れませんでした」
 更に柳生の声色が低くなっています。
「……お前と皇子の願いもあって何とかギロチンは免れた訳だが、暫くは国外追放の身の上となり、以後はようとして行方が知れなかった」
 柳は相手を見据え、再度言いました。
「立海随一の実力を誇る魔導師、仁王…長い暇だったが、そろそろ旅を終えてもらっても良かろう」
 この国で、この難問に光明を投げかける事が出来る人物は、彼ぐらいだ…と語る大臣に、団長もそれについては反論の余地はありません。
 確かにあの男なら、何か良い知恵を与えてくれるのではないかと、そんな期待をしてしまいます。
 しかし同時に、柳生は別の不安をも抱えることになることを忘れた訳ではありませんでした。
「…今度は城が全壊するやもしれませんよ。あの時だって、『おっと調合間違えた』の一言で、城の半分をガレキに変えた男ですから」
「問題ない、既に新築の構想は第三案まで立てておいた」
「良かったですね、皇帝が眠っていらっしゃって」
 もしあのお方が聞いていたら、また青筋がぶちぶちと派手に切れていただろうと思いつつ、柳生は一旦その場を下がりました。
(いつバレるかと思っていましたが…流石に大臣は優秀ですね…)
 そのまま廊下を通り、部屋に戻るかと思いきや、彼はそのまま城の外に出て見回りに向かったのです。
 魔女は消え、再び城は平穏を取り戻しましたが、こういう時にこそ油断をしてはいけない…それは、彼がこれまでの人生で学んできた教訓でした。
「…おや?」
 ふと、彼は耳を澄ましました。
 何処からか、声が聞こえてきます…複数の人間の声です。
(何か、揉め事の様ですね…しかしこんな深夜に面妖な…)
 一体何事だろうと思いつつ柳生が足早にその場に向かってみると、馬舎の中から男女の声がよりはっきりと聞こえてきました。
『お願いです、行かせて下さい!』
『ダメだ! それだけは許せない』
『そんな死に急ぐようなこと、俺らがさせる訳ないじゃんか!』
(この声は…)
 大方の予想をつけた彼が中に踏み込むと、思った通り、丸井とジャッカルと桜乃が、そこにいました。
 馬達は、普段優しく世話をしてくれる人間達がここに来て揉めている様子を見て、多少興奮している様です。
「三人とも、何をしているんです」
 声を掛けると、彼らは柳生に気付き、先ず真っ先に丸井が彼に答える形で呼びかけました。
「柳生! 丁度良かった、お前もこいつを止めてやってくれよい! おさげちゃんが、魔女の処に行くって聞かねぇんだ!」
「え…」
 それを追う様に、ジャッカルも途方に暮れた顔をして続けました。
「俺達が寝ている間にこっそり出て行こうとして…気がついたから良かったが、一人で魔女の許に向かうなんて無茶苦茶だ!」
「でも…っ」
 メイド達の様に逃げるのではなく、逆に魔女の許に向かおうとしていた娘は、二人の説得にもこの時ばかりは応じる気配はありませんでした。
「誰かが行かないといけないなら、私が行きます! 私なら文句なく魔女の要求に合っていますし…もし会えたら、皇子の呪いを解いてもらえるようにお願い出来るかもしれません!」
「だからそれが甘いって!」
「のこのこ行って、簡単に要求を呑むようなヤワな相手じゃねぇんだぞい!?」
 必死に止める男達二人に、桜乃はどうしても行くと言ってききません。
 普段は彼らの言葉を素直に受け入れる姿しか見たことがない柳生にとっても、その光景は異様なものに映りました。
「…桜乃、落ち着きなさい」
 取り敢えずは、彼は桜乃の肩を叩いて無茶な行為を押し留めました。
「貴女の気持ちは分かりますが…二人の言う通りです。魔女は貴女の言葉など、聞いてはくれないでしょう。そもそも相手が若い女性を希望する理由を、貴女はご存知なのですか?」
「…心臓、でしょう」
 相手の問いに、桜乃は己の胸を押えながら答えました。
「分かってはいます…行ったらどうなるかという事ぐらい…帰れなくなるだろうことも」
「では何故…貴女はまだ選ばれた訳でもないのに」
 酷な問いをしてしまった柳生は、それでもその選択肢を選ぶ少女に疑問を投げました。
 普通の人間なら、そう、メイド達の様に怯え、逃げることがより自然な反応なのに…
 そういう団長に、桜乃は静かに答えました。
「…私は、皇帝のご温情に助けられ、ここで働かせて頂きました。幸村皇子にも本当に優しく、よくして頂きました…お二人があんな事になってしまってここまで恩義を受けた自分が逃げるなんて出来ません。私が行けば、七日はもちます…何とか皇子の呪いを解いてもらえるようにお願いもします…ご恩に報いたいのです、お願いです、行かせて下さい」
「桜乃…」
「…っ」
 少女の覚悟を知り、想いを知りながらも、それでも丸井達は涙を堪えて少女を止めます。
「いや…いや、だめ、だめ、だめだっ! それだけは…っ、諦めてくれよい、おさげちゃん!」
「俺達は、心臓抉られる為に、お前の面倒を見てきた訳じゃない…!」
 少しでも幸せになってほしいと思って…そうなるだろうと信じていたのに…
「お二人とも……ごめんなさい、こんな我侭言って、でも…」
 自分を思い遣るからこそ止めてくれる二人に、申し訳ないと思いながらも桜乃は我侭を通させてほしいと訴えます。
 それを見ていた柳生は、やがて何かを心に決めたように頷くと、丸井達に声を掛けました。
「…紙とペンはありますか?」
「…ペン?」
 場違いな要望にちょっと呆気に取られた様子の三人でしたが、彼が望む物をジャッカルが持って来ると、柳生は二枚の紙にさらさらさらっと何かを書いて、一枚を丸井達に、そしてもう一枚は大事に畳んで桜乃へと手渡しました。
「…何だこれ…地図?」
「ここからそう遠くないな」
 丸井とジャッカルが一枚の紙を確認していると、柳生は二人にある事を命じました。
「お二人はこれから、桜乃をその場所へ連れて行って下さい」
『は?』
「! いえ、私はすぐに魔女の処へ…」
 断ろうとした桜乃に、しかし有無を言わさぬ調子で、柳生は更に続けます。
「ええ、止めません…止めたところで、貴女は絶対にどうにかして魔女の許へと向かってしまうでしょう…ですから、少々寄り道をして頂きたいのです」
「寄り、道?」
「柳生! 何言ってんだよい!!」
 お前まで桜乃を見殺しにする気か!?と非難する男達に、団長はくい、と眼鏡を押し上げて自身の真意を語りました。
「どんなに止めても彼女は行きます…そしてそのまま行かせたところで、無駄死にで終わるでしょう。そうならないようにお二人で、桜乃をその場に連れて行って頂きたいのですよ…ええ」
 最後の一言は、言い聞かせるようにゆっくりと。
「稀代の天才魔導師…仁王の許へね」

『!!』

「…え?」
 唯一人、桜乃だけが状況を把握出来ていない中で、丸井とジャッカルが仰天した顔で柳生に迫りました。
「おま…っ、やっぱ知ってたのかよい! アイツの居場所!!」
「本当か!? 本当にここにアイツが戻ってきているのか!?」
「ええ…今いる場所には最近移った様ですからね…そうすぐに移動することはないでしょう…だからこそ、今しかありません」
「…仁王?」
 少なくとも、自分にとっては初めて耳にする人の名前に、桜乃はきょと、と戸惑いの表情を見せ、そんな娘に柳生は簡単な説明のみを行いました。
「宜しいですか、桜乃…貴女はこれから彼らと一緒に、或る場所に向かって下さい。そこには一人の男がいます。気紛れで偏屈で我侭で頑固で、もうどうしようもない程に駄目な部類の人間ですが、魔道の腕だけは確かです」
「ど、どうしても会わないといけませんか…?」
 既にその説明だけであまり会いたくない感じだと桜乃は身体を引きましたが、柳生はきっぱりと断じました。
「彼に会えないぐらいの覚悟では、魔女と相対するなんて到底無理ですよ。少なくとも彼は、女の心臓を好むような悪食ではありません…それに、彼ならもしかしたら、魔女に抗する何らかの手段を講じてくれるかもしれません」
「え…本当に?」
「確約は出来ませんが…」
「……」
 一度は引こうとしたものの、それを聞いた桜乃は再度冷静になって考えました。
 死を覚悟してでも魔女の許に行こうと決意した身で、今更何かを恐れるというのは滑稽な話。
 でももし、魔女の呪いを解いて、そして自分も生きて再び幸村皇子に会えるのなら…その仁王と呼ばれる人物に会ってみてもいいかもしれない。
「分かりました、行ってみます」
「根は悪人ではありませんから、素直な貴女が願えば何とかしてくれるかもしれません…しかし、もしどうしても腰が重いようなら…」
 そう言って、柳生はぴたりと桜乃に手渡した、あの折り畳んだ紙を指し示しました。
「それを、彼に見せて下さい」
「これ?」
「ええ、少しは力になれる筈です」
「…分かりました」
 桜乃が了解したことを確認して、柳生は丸井とジャッカルに向き直って言いました。
「お二人とも、覚悟を決めて下さい。今はどんなに逃げおおせても、魔女がいる限りいつかは桜乃もその毒牙に掛かるのです。それならいっそ、向こうの誘いを千載一遇のチャンスと捉えて立ち向かうべきでしょう……幸村皇子が、選ばれた御方ですよ」
 何より、団長の最後の言葉が、男達二人の背中を大きく押しました。
「…分かったよい!」
「こうなりゃ、毒食らわば皿までだ。心配するなよ桜乃、俺達がついてる」
「…はい!」
 それからは、彼らにとっては得意中の得意の作業でした。
 一致団結して、馬舎の中でも一番足の速い馬達を数頭選んで荷台を付け、簡素ながらも造りのしっかりとした馬車を作ると、必要な道具と食料を詰め込んで早速それに乗って出発したのでした。
 期限は一週間ありますが、途中で仁王という男に会わなければならないことを考えると、やはり猶予はそうありません。
「城門を開けなさい、私の命令です。彼らの邪魔をすることのないように」
 騎士団長の命令とあれば、門を守っていた兵士達も逆らう訳にはいきません。
 重い音をたてながら開かれた扉の向こうへと、三人は馬車に乗って出て行きました。
 残ったのは、何事かと馬車を眺める見張りの兵士達と、国の命運を彼らに委ねた騎士団長です。
「…さて、もう一度大臣の許に行かなければいけませんね」
 仁王を連れ戻すのではなく、あの三人を向かわせたと、少々作戦の変更があった事を伝えなければ…
(散々気侭な旅を楽しんだのです…いい加減、少しは働いてもらいますよ、仁王)



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