そして合宿参加初日…
「お別れすんのは寂しいけど……今まで楽しい時間を有り難う…!」
テニスの合宿に行く前の台詞とは思えない程の、かなり切羽詰まったそれを相手に投げかけながら、立海の丸井が暫しの別れを惜しんでいた。
「うわ〜〜〜ん! おさげちゃんっ!! 俺らがいない間に浮気なんかすんなよ〜〜〜〜〜っ!!!」
「はいはい」
ひしっと抱きつく相手は、当然竜崎桜乃その人。
場所は合宿所の正門前、いよいよそこを過ぎたら戻ることは叶わなくなる、いわゆる日常生活との境界線だ。
朝も早く最後に応援に来てくれた少女に、立海勢はぐるりと彼女を取り囲んで暫しの別れを惜しんでいる。
「丸井…今生の別れじゃないんだから大声で喚くなって、恥ずかしい」
「オメーにおさげちゃんとおさげちゃんのおやつに会えなくなる辛さが分かるか〜〜〜っ!!」
「少なくとも、お前の悲しみにはまず食欲ありきだという事はよく分かる」
げんなりした様子のジャッカルが相棒を窘めている間に、幸村が桜乃に優しく微笑みながら来てくれた事に礼を述べる。
「わざわざここまで来てくれたんだ…有り難う、竜崎さん」
「いいえ、私も皆さんに会いたかったし、結構近い場所でしたから…」
公共の交通機関を利用したら意外と早く来る事が出来た…と桜乃は合宿所の正門を見やり、しみじみと言った。
「でも、近いけど、皆さんが入ってしまえば暫くお会い出来なくなるんですね。何だか変な感じです」
「うん…寂しくなるけど、頑張ってくるよ。君に笑われないようにね」
にこ…と微笑み、餞別代わりに幸村がぎゅうっと桜乃を抱きしめる。
それは確かに、先輩達と後輩の深い絆を示す光景…だった筈なのだが、先程からそんな彼らの様子を微妙な表情で眺めている一団があった。
他でもない、桜乃の母校でもある青学の男子テニス部レギュラー陣である。
一年のスーパールーキーと二年の凸凹コンビ以外は揃っている様子で、彼らも今から正門から入ろうというところらしい。
「…何かこう…目のやり場に困るにゃあ」
三年の黄金ペアの片割れである菊丸が、そう言いながらもまじっと立海の方をガン見している。
「いやまぁ…あれ以上の事はしていないから、別に良いんじゃないか、うん」
河村も許容する台詞を述べはしたものの、それは自分に言い聞かせる為のものであったらしく、目が明らかに泳いでいる。
そんな彼らの視線の向こうでは、幸村に続いて他のメンバーも桜乃を思い切りぎゅーっとしている真っ最中。
因みに今は仁王が彼女をハグしており、ついでになでなでと頭も撫でるおまけつき。
からかっているのか別れを惜しんでいるのかは定かではないが、少なくとも親愛の情はたっぷりこもっているらしい。
「竜崎は、随分と立海の面子に世話になっているらしいな」
相変わらず、部長である手塚は淡々とそう評するばかりで、向こうの光景のいびつさには全く気づいていない様子。
確かに、ただ抱きしめるだけで桜乃も嫌がっていないのなら、セクハラにも当たらないのだろうが…
「俺の持っていた立海のイメージが…」
関東大会、啖呵を切って向こうの副部長から思い切り睨まれた経験のある大石は、相手が今はそんな仲間を止めようとすらしていない光景にうーむと渋い表情。
「僕達の方が同じ学校だし、正規の先輩に当たるんだけどね」
そうは言いながらも、不二は珍しいものが見られたとばかりに楽しそうに笑っている。
もしかしたら「弱味発見」と思っていたかもしれないが、それは定かではない。
「では、取りあえず、俺達は先に向かうか」
「そうだな」
手塚と大石が確認し、頷いたところで、青学の面子が全員正門を通り過ぎていった。
それから一分もしない内に、そこに新たな招待客達が現れた。
但し、徒歩ではなく、大型バスに乗った形で。
言わずとしれた、強豪校氷帝学園の面々だ。
「あ、立海の奴らだ」
「正門はすぐそこなのに、何をしているんでしょう?」
「あん…?」
向日と鳳が片方の窓際へと寄って、そこから見下ろす光景に疑問の声を上げたところで、部長である跡部もそれを聞いて興味を覚え、窓からそちらへと視線を移した。
確かにあのジャージの色合いは立海のそれだが、何故か一カ所に固まっている。
「?」
更によく凝視してみると、彼らの中央にいるのは部長の幸村ではなく、一人のおさげの少女だった。
それ程親しい訳ではないが、顔と名前ぐらいは覚えている。
青学の顧問である竜崎先生の孫だった彼女が、何故か立海と一緒にいる。
今は、あの二年生の若者に抱きつかれてくしゃくしゃと悪戯に髪をかき回されているが、随分と親密な雰囲気だ。
「……?」
立海の面々と桜乃が、かなり親しい間柄であるとは知りもしない跡部にとっては、それは非常に奇異な光景に映っただろうし、他の氷帝メンバーについても同様だろう。
徒歩だったら立ち止まってまじまじと見てしまうところだったが、今は生憎バスの中。
かと言って、その光景だけの為に「止めろ」と指示を出すまでには及ばず、彼らはバスの走るままに正門前を通り過ぎ、敷地内へと入って行った。
「……撫でてご利益があるのは…」
「ん?」
ふと呟いた跡部が、くるっと忍足の方へと振り向く。
「ビリケンだったか?」
「あれは足やろ」
「そうか…ならやっぱり地蔵か」
「何がどうして地蔵やねん…」
いや、何を言いたいのかはうっすらと察しがつくが、具体的に言うとなると難しい。
それからも彼らは、あれは一体何の儀式だったのだろうとバスを降りるまで長いこと考え込んでいた。
『じゃあ、皆さん。どうかお怪我のないように気をつけて下さいね。私、お会いする事は出来ませんが、ずっと応援していますから!』
それが、あの可愛い妹分の別れ際の言葉だった…
「今回、韓国遠征で一軍二十名が…」
立海勢がいよいよ敷地内に入り、コートに他校のメンバー達と揃って集合したところで、U−17代表戦略コーチである黒部由起夫が、高校生、中学生全員に向かって、今回の合宿の意図について説明を行っていた。
が、立海の面々は、元々招待状の中身からそれについては既に知るところであり、今更何の感慨も無い。
それより…
『はぁ…これで当分、おさげちゃんには会えないのかぁ』
『しょうがないじゃろ…お前さん、二度も三度も抱きついとったクセに』
『仁王だって頭ぐりぐりしてたじゃん』
丸井や仁王の内緒話と同じ様に、全員、離れてしまった妹分について思考を巡らせていた。
「諸君! 互いが切磋琢磨し、U−17の…」
『後で貰ったお菓子分けて下さいよね、丸井先輩』
『独り占めはなしだぞ、丸井』
『へいへい』
黒部コーチの話はまだ続いていたが、殆ど聞いちゃいねぇ状態。
『皆さん、少しは話を聞きましょう』
『その通りだぞ、揃ってたるんどる!』
柳生と真田が彼らを嗜めたが、男達はその内の黒い帽子の若者に逆に質問した。
『けど、真田副部長、最後まで竜崎にぎゅーっとしなかったけど、良かったんスかぁ?』
『これから暫く会えなくなるんだぜい?』
『むっ…ば、馬鹿者! 男子たるものそうそう気軽に女子に触れるなど…』
うろたえる男に、部長の幸村さえもが内緒話を肯定する形で発言した。
『我慢し過ぎるのも身体に毒だよ、弦一郎』
『が、我慢などしておらん! その程度で鬱憤など溜める訳がなかろう!』
そう言い募ったところで、黒部コーチの台詞が更に続いた。
「ただし監督から伝言があります…」
バラバラバラ…
遠くから聞こえてくるエンジン音…出所は…空だ!
『!?』
中学生だけでなく高校生も全員が振り仰ぐと、プロペラ機が一機、コート上空を目指して滑空してくる。
「ボールを二百五十個落とす。取れなかった四十六名は速やかに帰れ…と」
そして同時に空の機体から降って来る黄色の大粒の雨達が、合宿最初のサバイバルレースの始まりを告げていた。
わっとどよめきたつ高校生達を他所に、中学生五十名は極めて冷静に行動を起こし、次々とボールを手に入れてゆく。
その中にはしっかりと立海メンバー全員も含まれていたのだが……
「あ…」
「あら〜〜〜」
ジャッカルと丸井が見つめる先、黒の帽子を被っていた同部の副部長は、一個で良い筈のボールをこんもりと親の仇の如くラケットの上にピラミッド状に積み上げていた。
あれはもう殆ど、ヤケを起こした姿としか思えない…そして、その予想はおそらく間違っていない。
「…鬱憤、溜まっていたのだろうな」
「無理せずにハグしとけばよかったのに…意地っ張りなんだから」
やれやれと参謀と部長が溜息をついてそう評した。
結局その場で脱落した中学生は一人としておらず、そして幸村と因縁深いあの若きサムライもアメリカから帰国し、彼もまた最後のボールをゲットして合宿への参加を認められた。
桜乃と触れあえなかった事で、やたらと最初から張り切ってしまった副部長の所為で合宿から落とされた高校生達にはご愁傷様と言う他はなかったが、兎にも角にも、ここにいよいよ、U−17合宿が開始されたのである。
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