GO! GO! U-17合宿!!・2


「はふぅ…」
 U−17合宿が始まった日付から数日と経過していないにも関わらず、桜乃は教室の窓枠に手を掛け、力ない溜息を零していた。
(そんなにしょっちゅう会いに行っていた訳じゃないけど…会えないってことになったら気になるなぁ)
 思い浮かべているのは、仲良く優しくしてくれていた立海のレギュラーメンバー達だ。
 確かに桜乃が思っている通り、彼女もそう毎日彼らの許へ通っていた訳ではない。
 数日空けることもあったし、試験前などになると一週間以上訪問を控えた時期もあったのだが、今この時の様に思いを馳せる事はそうなかった。
 何故ならその時は、自分が『行けなかった』のではなく『行かなかった』からだ。
 自身に相応の理由があり自らの意志で決めたことなら、そう悩む必要もない。
 しかし。
 今回は行きたいと望んでも、そして仮に行ったとしても、『会えない』、『会ってはいけない』という条件が付いているのだ。
 そこに己の意志は反映されていない。
 勿論部外者を排除するには、選手達をより特訓に集中させようという主催者側の目的はあるのだろうし、自分も彼らを邪魔しようというつもりは毛頭無い。
 しかし、やはり遠くからも見る事が出来ない、完全に隔離された状態だと、気にしない訳にもいかないのが人間だ。
(忘れようと思っても、なかなかね…)
 そう努力してみた事もあったのだが、如何せん自分もテニス部員であり、部活動中や青学のレギュラー達もまた校舎内にいないという事実を認める度に、連想ゲームの様に立海の面々の事も思い出してしまうのだ。
 それを振り切るように、彼らとの約束を果たす為に、桜乃は部活動も決して疎かにはしていない。
 そういう自負はあったが、やはり彼女の気持ちはすっきりと晴れやかにはいかない様だ。
 彼らは、きっと自分が休み時間にこうしている今頃も、厳しいトレーニングを課せられているのだろう。
 まだまだ未熟な自分には、その内容すら想像出来ない。
(…会えないと思うとストレス溜まるなぁ…発散によくお菓子作ったりもするけど、消費してくれる人がいないなら、作るだけ無駄だし…)
 と言うよりも、別にストレスが溜まっていなくても、食べてくれる人達がいたからよく作ってはいたんだけど…
「……はぁ」
 もう一度深い溜息を吐いたところで、そこに同クラスの女生徒が近寄ってきた。
 どうやら先程から黄昏ていた彼女の様子が気になったらしい。
「どーしたの、桜乃。元気ないじゃない」
「あ、うん…ちょっとね」
「? あー分かった、男子テニス部のレギュラーがいないから落ち込んでるんでしょ。桜乃、結構親しかったもんね」
「…うん、何だか心配で」
 素直にそう言って認めた相手に、友人はやっぱり、と笑った。
「大丈夫だよ。あの人達結構タフな人達ばかりだし、きっとしっかりやってると思うよ」
「うん…」
 そう信じてはいるけれど…と思いつつ、桜乃がぽつんと不安を口にした。
「…三強の皆さんは、きっと問題なく練習されていると思うけど…」
「三強…?」
 聞き慣れない呼び方だな、と思った友人はしかしすぐにそれに知っている三人を当て嵌めた。
(ああ、手塚部長と不二先輩と越前君かな…確かにあの三人は青学でも特に強いって噂だし)
 勿論、桜乃が言った三強というのは、立海の幸村、真田、柳の三人だったのだが、互いの思惑の擦れ違いは是正されることなくそのまま会話が続いてゆく。
「他のメンバーの方々は、血糖低くなって倒れてないかとか、人を騙してないかとか…」
「…???」
「暴走して他の学校の生徒さんを潰してないかとか、それを抑えてとばっちり食っている人が出てないかとか……私がいたって何も変わらないのは分かってるけど、やっぱり心配で」
「…あなた何の話してんのよ、桜乃」
「え? テニスよ? 決まってるじゃない」
(…大丈夫なのかしら、ウチの男子テニス部……)
 少なくとも青学のレギュラーにとっては大いなる冤罪だったのだが、それからその誤解は解かれることはないまま、休み時間は過ぎていった。
 立海の面子と付き合う様になってから、桜乃の中の常識も、少しずつずれていっているらしいが、本人にはその自覚は皆無だった…



 そんな事があってから次の休日…
「つ……作ってしまった…」
 桜乃は、自宅のキッチンで朝から途方にくれた声を出していた。
 彼女の周囲の状況にそぐわない発言であったのは間違いない。
 何故なら、目の前のテーブルには渾身のお菓子の作品達が大量に並んでいる。
 別に調理器具を破壊したとかそういうオチもないし、既にキッチンそのものは綺麗に片づけを終えている。
 本来なら無事に全ての菓子の製作を終えて、歓喜の時を迎えている筈であるにも関わらず、桜乃は『やってしまった…』というような渋い表情を隠しもしなかった。
「ううっ…いけないと思っていながら止めれられない事もあるんだぁ…全部、会心の出来なのに届けに行けないなんてぇ…」
 確かに、食べてくれる対象がいなければ、沢山のお菓子も宝の持ち腐れである。
 それでも、桜乃は今日と言う休日に起き出してから、止められない衝動に任せてお菓子たちを大量に製作してしまったのだった。
 これもストレス発散ということで多少心は晴れたものの、消費の問題を考えたら単純には喜べない。
(…月曜まで保存出来るのは保存して学校に持って行くとして…日持ちしないのはご近所さんにでも配るしかないよね)
 普通は食べる相手を想定してから製作に掛かるものだが、今回に限っては完全に本末転倒。
 そうするしかないと分かってはいても、それでも桜乃はあの赤い髪の若者達にあげたら、どれだけ喜んでくれるだろうかと、まだ未練が残っている様子だった。
「ああもう…どうせあげられないの分かってたのに、どうして作っちゃったんだろ…私のバカ…」
 小さい声で自分を叱咤していたところに、聞き慣れた声がキッチンに響いた。
「おやおや、何事だいこんなに!」
「お祖母ちゃん!」
 それは、祖母である竜崎スミレだった。
 今日も元気溌剌なその女傑は、冷蔵庫に入っている牛乳を貰おうとその場に現れ、孫の作品群に目を丸くしている。
「さっきからここが賑やかだと思ってたら、何をこんなに作っているんだいお前は…」
「ご、ごめんなさい〜」
 どうしよう、兎に角、予定でもあげる人を知らせておかないと…と考えていたところで、キッチンの傍に充電器と一緒に置いてあった電話の子機が鳴り出した。
「もしもし?」
 近くにいたスミレがそれを取って応対し、一時桜乃との会話は中断される。
 その間も桜乃はその場から動かず、祖母の話が終わる事を待っていた。
「…ああ、はい、ご無沙汰しております。その節はどうも…」
(学校の関係者の人からかな…?)
 丁寧な口調で話しているのを見る限りでは、祖母の親しい友人ではなさそう…と思っていた桜乃の耳に、気になる単語が飛び込んできた。
「いえいえこちらこそ……どうですか、ウチの奴等は。そちらの合宿メニューにはついていけてますか?」
「っ!!」
 普段はおっとりのほほんとしている桜乃が、ぴくーんっと素早い動きで顔を上げ、見えない獣耳を極限まで伸ばした。
 合宿…ということはまさか、向こうにいるのはあの例のU−17関係者!?
 自分の祖母が青学の顧問である事は重々承知だったが、ほんの少しでも立海についての情報が流れてこないかと、桜乃は意識を集中して祖母の会話に耳をそばだてる。
「そうですか、元気でやれているなら何よりです…え? 見学、ですか?」
「っ!!!!」
 更に新たなラッキーワード!!
(け、見学!? って事はその合宿所の見学よね…!? ってことは、お祖母ちゃん、合宿所の中に入れるのかな…)
 もし行けるなら、せめてこのお菓子を皆さんに届けて…と密かに画策していると、目の前の祖母が少し困った表情を浮かべた。
「乾が? ええ、それらの資料は確かに把握していますが……え? 同伴者も認める?」
「〜〜〜〜!!」
 同伴者も認めるってことは…上手くしたら…!
「…分かりました、一応、借りられる人手があれば今日にでも」
 その言葉を最後に祖母はぴっと子機のボタンを押して通話を打ち切ると、ふむ、と小さく頷いた。
「お、お祖母ちゃん、何処かに行くの?」
 大体察しはついていたが、桜乃はさりげなく相手にそう尋ねてみた。
「ああ、各学校の顧問に、U−17合宿の見学の誘いが来ているんだよ。過去の練習方法とか、向こうも色々と監督の立場のアタシ達に聞きたいこともあるらしい。ついでに乾がデータの記載された資料を持ってくるように頼んでいるらしいんだが…結構な量だからねぇ」
「ふ、ふぅん…」
「…………」
 うろうろうろうろうろうろうろうろうろ…………
 スミレの返答を聞いてから、桜乃は明らかに挙動不審となり、祖母の視界から外れることなく目の前を行ったり来たりを繰り返す。
 無論、無言の『人手なら目の前にいます』アピール作戦である。
「……お前、随分と暇のようじゃないか、桜乃」
「うっ、うん! 暇!! もうどうしようもなく暇っ!」
 自分で言ってて悲しくなる台詞だったが、そこは気持ちを割り切って。
 桜乃は祖母がぶら下げた餌に、思い切り良く食いついた。
「はぁ…アタシの孫なのに休日から冴えない子だねぇ。アタシの若い頃なんぞは…」
「モテたらしいのは知ってますよだ…」
 武勇伝を語り出した祖母に、桜乃は少し拗ねた様子で言い返した。
 自分もイケメン軍団の立海に過保護なまでに可愛がられているのは、こういう時には自覚がなくなるらしい。
 と言うより、桜乃の認識としては、自分は女性としてではなく妹分として可愛がられているというものだったので、モテるも何も関係ないのだった…現実はどうであれ。
「しょうがないねぇ…もしそこまで暇ならちょっと荷物運びに付き合っとくれ。U−17合宿所に行くよ」
 予想していた通りの行き先…そして、降って沸いたラッキーに、桜乃は飛び上がって喜びたい気持ちを抑えて確認した。
「あ、あの…私も中に入っていいの!?」
「ああ、同伴者を認めてくれるらしいからね。お前は女子で実力的にもあまり関係はないだろうが、プロを出す場所の練習や設備を見るだけでも良い刺激になるかもしれない。外で待っていても構わないけど、もし興味があるならおいで」
「う、うんうん! 見たい!!」
 そして、設備以上に、立海のメンバーの皆さんに会いたい!!
「えと…じゃあじゃあ、このお菓子も差し入れで持っていくね! 向こうが受け取ってくれたら、いいでしょ?」
「そりゃあ構わないけど…よく作ったもんだね」
 そして桜乃は、ちゃんとお菓子だけではなく荷物も責任をもって運ぶ事を祖母に約束し、意気揚々と目的のU−17合宿所に向かったのである…



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