立海おとぎ話・第五節


 桜乃達が馬車に乗り、魔女の城に向かう前に立ち寄ったのは、王都から少し離れた場所にある、とある森の中でした。
 鬱蒼と生い茂った木々は日の光を適度に遮り、心地良い環境を作り出しています。
 木の実や動物などの食料も豊富で、確かに狩猟と自衛の腕がある程度備わった人間であれば、十分に森の中での生活は可能でしょう。
 勿論、今の三人にはそれに興じる時間など、ありはしませんでしたが。
「ん〜〜〜っとお〜〜〜……柳生のヤツの地図なら、ここ辺りで間違いないんだけどな」
「住んでいるってコトだから、当然住居みたいなものがあるだろうな。ま、立派なモンじゃなくても洞窟とかさ」
 地図を見ながら指示を出す丸井に、ジャッカルが手綱を繰って馬を動かしながら移動する中で、桜乃が彼らに尋ねました。
「柳生様にはお伺いする暇がありませんでしたが…その仁王様という魔導師は、その、そんなに特徴的なお方なんですか?」
「………あ〜〜〜…まぁな」
「黙っとけばイイ男なんだけどよい…人のトラブルがあいつの主食じゃないかっていうぐらいに悪戯が好きな奴でさ…幸村皇子は気に入ってたみたいだけど」
「幸村皇子が…」
 桜乃が復唱しかけたところで、おっとジャッカルが先の方を見ながら声を上げた。
「何かあそこにあるぞ…小屋っぽいな」
「マジ?」
 丸井も視力はかなり良い方でしたが、ジャッカルが指したものの確認までには多少の時間差を要しました。
 しかし、相手が言った事に誤りはなかったらしく、彼もまた確認したところで大きく頷きます。
「本当だ、結構新しい感じに見えるけど…あそこかな」
「…何か拍子抜けだなぁ」
 てっきりあの天邪鬼な魔導師のコトだから、探し出すのにも苦労するかと思っていたんだが…と思いつつも、彼らは取り敢えず辿り着いたロッジの前に馬車を停めました。
 見れば見る程に普通の、木々を組み合わせて造り上げられた簡素なロッジですが、余計な装飾が一切合切省かれているところが却ってセンスの良さを伺わせます。
 生活に必要最低限な居住空間のみを求めたらこうなるのかもしれませんが、そこには貧しさを感じさせるものも全くありませんでした。
「…いらっしゃるんでしょうか?」
 桜乃の問いに、丸井が馬車から降りながら答えます。
「さあなぁ…ここがアイツの住まいかどうかも分かってないし…一応、お前はまだ馬車の中で待ってろよい、おさげちゃん。ジャッカル、気をつけといてくれよな」
「ああ、分かってる」
「は、はい」
 少女と相棒を馬車の中に残して、丸井は辺りの気配に気を配りながらロッジの入り口になるドアの前に立ちました。
 別に何の変哲もない、ただの、普通の木造りのドアです。
「…もしもーし」
 最低限の注意を払いながら、丸井はどんどんとドアを叩いてノックし、中へと声を掛けました。
 いたら相手の確認をするのが自然の流れですが、もし不在の場合はどうしようと彼が考えていると…
『入ってます』
と、実に素直な返事がドアの向こうから返ってきました。
「そうですか……って、ちげーよっ!!」
 あまりに素直な返事に思わず背を向けかけた丸井が、我に返って再びドアへと向き直り、今度はばんばんと激しくそれを叩きました。
「今の声!! やっぱそこにいるんだろ、仁王―っ!! 開けろーいっ!!」
 遠慮なくドアを叩き続ける丸井を見守るジャッカルと桜乃の視界の向こうで、暫しの沈黙の後にドアがぎいと開かれました。
「…何じゃ、騒々しいのう」
 その向こうから覗いたのは、銀の色と漆黒の黒。
「!」
 美しい銀の髪と透ける様な肌の美麗な若者が、闇色のマントを纏ってドアの傍に立っていたのです。
(あの人が立海随一の魔導師…!? 物凄く若く見えるけど…)
 殆ど自分達と変わらないのではないか…と桜乃が思っている間に、互いに知己であった若者達は、早速本題へと入りました。
「仁王! 頼む、お前の力で魔女のヤツを何とかしてくれい!!」
 返事が返るまでの所要時間、僅か0.02秒。
「嫌」
「脊髄で答えるなっつーの!! ちっとは脳ミソ使って答え方考えろよ!!」
「口下手じゃもん、俺…ん」
 話し合うのも面倒だという様な億劫な態度を取っていた銀髪の若者、仁王が、そこで初めて馬車の中でこちらを伺っている少女の姿に気付きました。
「……」
 じっと相手をみていたその魔導師は、それから同じく馬車の手綱を握っているジャッカルへと視線を移し、そして再び丸井へと向けてから、首を傾げながら言いました。
「何じゃあ? いつの間に幸村の奴、嫁を娶ったんじゃ? それともまさか、皇帝のか?」
「へっ…?」
 嫁? 娶った…?
 何のコトだと思い、丸井は振り返って桜乃の姿を認めたところで、相手が言わんとしている事を察しました…が、それは勿論誤った認識だったので、しっかりと訂正を入れます。
「ああ、アイツは只の使用人だよい。桜乃ってんだ…確かに皇子のお気に入りではあったけど、今はそんなご大層な立場どころか命の危機に見舞われてる真っ最中」
「んー?」
 そんな赤毛の若者の説明を受けて、仁王はまた桜乃へと視線を移し、しぱしぱと数回瞬きをして、おやと不思議そうに瞳を見開きました。
「ふーん…おかしいのう、確かにさっき…」
 あの子の頭に、王冠が見えたんじゃけどな…
 最後の台詞は心の内に留め、魔導師は興味深そうにその少女をしげしげと眺めていましたが、やがて気を取り直して丸井へと呼びかけました。
「まぁいい。占いでは、今日は大人しく家におったら面白いコトが起こると出とったんじゃが、多分お前さん方のコトじゃろ。立ち話も何じゃから入りんしゃい」
 珍しい城からの来訪、初めて見る少女、その彼女に命の危険…
 それらのキーワードは銀髪の魔導師の興味を十分に引いたらしく、彼の誘いで、丸井たち三人は、取り敢えず一度、相手のロッジの中へと招かれることになったのです。


「ほーう…城でそんな騒動がのう。真田皇帝も幸村皇子もやられるとは、なかなかの相手の様じゃな」
「あの魔女の事はお前でも知ってるだろう、何を今更…」
「会ったコトもない奴に正しい評価を下せやせん。それにあれだけ年上じゃと、かなり好みも限られるじゃろうが…熟女好きってレベルでもないし…」
「何の話をしてんだよい」
 そういう付き合いをしろと言っている訳ではない、と丸井達が断っている間、自分にも少なからず関わりがある話題だったものの、桜乃はただ黙っているだけでした。
 そう堅苦しい雰囲気でもなく、男衆も彼女を蔑ろにしている訳でもなかったのですが、彼女は彼女で目の前の光景に声も出なかったのです。
 ごく普通のティーポットやティーカップが、まるで羽が生えた様に自分勝手に飛んできて、目の前に温かなコーヒーを注がれてしまえば、普通の人間なら彼女でなくても驚きます。
 しかも少し視線を外した先のこじんまりとしたキッチンでは、同じ様に鍋やフライパンが自分の意志を持っているかの如く動き回っているのでした。
「…どうした、コーヒーは苦手かの」
「いっ、いえ…! だ、だいじょうぶ、です…」
 的を得ない返事だったかもしれませんが、それに気を向けるゆとりもなく、桜乃はじーっと動き回る食器達に注目したままで、仁王へは代わりにジャッカルが答えました。
「すまんすまん、こいつはこういうの初めて見るからな、驚いているんだよ。俺もお前の術を初めて見た時は似たようなもんだったし…」
「そうか? 大した見世物じゃないが…心配しなさんな、毒は入っとらんよ」
 改めて桜乃にコーヒーを勧めて、椅子に座って姿勢を整えた仁王に、丸井がしつこく食い下がりました。
 と言うより、それが本来の目的だったので、そう易々と諦める訳にはいかなかったのです。
「おめーの魔術の力なら、魔女とも対等に渡り合えるんじゃねぇのい? このままじゃ国も危なくなるしおさげちゃんも…」
「んー…そうは言われてものう…俺も色々と忙しいんじゃよ。ジャム作ったり、猪の肉を干したり…面倒ごとはゴメンじゃのう」
(ジャムと肉に負ける国の威信って…)
 ずーん…と落ち込み、言葉もない様子のジャッカルの隣では、ようやく食器達から視線を離した桜乃が黙したまま仁王の台詞を聞いていました。
(どうしよう…仁王様、あまり乗り気ではないみたい……あ)
 ふと、彼女はある事を思い出しポケットを探ると、そこから一通の手紙を出してそのまま仁王へと差し出しました。
「ん?」
「あの…柳生様が、これをお渡しするようにって…」
「柳生の奴が?」
 そうです、あの夜、柳生が万一の事態に備えて桜乃に手渡した、あの手紙です。
 勿論、桜乃もそこに何が記されているのか分かってはいませんでしたが、今がそれを出す時だと何となく感じていたので、その心のままに相手に渡したのでした。
「ふーん…アイツが俺に手紙とは珍しいのう」
「不幸の手紙じゃねぇの? オメー、散々アイツには迷惑掛けまくっていたし」
「そうじゃったか?」
 全然覚えてない、と堂々と言いながら、彼はいよいよ柳生の手紙を開きました。
 そこに書かれていたのは非常に短い一文で…

『桜乃に手を貸すつもりがないのなら、私があなたにこれまで貸したお金、今すぐ耳を揃えて返して頂きます。 柳生』

「…………」
 いきなり黙り込んだ魔導師に、他の三人も怪訝そうな視線を向けました。
「?」
「?」
「?」
 そしてそんな三人の前で、仁王は手紙を手にしたままはぁ〜っと溜息をつき、やれやれと立ち上がったのです。
「しょうがないのう〜〜…手ぇ貸しちゃるよ」
 先程とは打って変わった相手の方向転換にも、桜乃は疑いもせずに手を叩いて喜びました。
「本当ですか!?」
「んー、まぁ……長年の付き合いの奴の頼みじゃからな〜…」
「まぁ…柳生様と仁王様はとても仲が良い親友なんですね」

『…………』

 素直に感動している桜乃の傍で、丸井とジャッカルは非常に微妙な表情で無言を守っていました。
(ぜってー裏で何らかの取引があったぜい、さっきの間)
(ああ、恐いぐらいによく分かる)
 真実を薄々察知した二人の男は、しかし変な突っ込みは入れる事を避けました。
 桜乃に真実を知らせたくもなかったし、ここで折角乗り気になった相手の意欲を、悪戯に削ぐような真似は不要だと考えたのです。
「じゃあ、俺達と早速一緒に来てくれるのかい?」
「いや、俺は行かんよ」
 すぐに馬車を出そうと腰を浮かしかけた丸井でしたが、魔導師はあっさりと相手の言葉を改めて拒絶しました。
「え、だって…」
「手は貸す。けど、一緒に行く事は出来んよ、俺が同行したって向こうの思う壺じゃからのう」
 そこまで言うと、仁王は一度コーヒーをゆっくりと口に含み、それを飲み下した後に再び口を開きました。
「あの魔女は、本当は魔術の腕はそう強いものじゃない…ただ、一度城に逃げ込まれたらその磐石な守りの所為で、手も足も出せんから厄介なんよ。何度も討ち取れるとこまで追い詰めとっても、その度に城に逃げられて同じコトの繰り返しじゃ。アイツは城まで生贄が来る事を望んどるんじゃろ? 当然じゃよ、自分が安全な城の中にいて向こうが来てくれるなら願ったりじゃろう」
「仁王の力で引きずり出す事は出来ないのか?」
 ジャッカルの申し出に、相手は肩を竦めて首を横に振ります。
「亀の甲より年の功、若い俺の策略なんぞ向こうには通じんよ。仮に俺が同行しても、相手も魔術を扱う奴なら見抜くのは簡単じゃ。策がバレた時点でこちらの負け」
 そして仁王は、魔女の本来の目的である若い娘…桜乃へと視線を向けて言いました。
「お前さん達は魔女を倒しに行くんが目的か?」
「……非力な私には、そんな大それた事は出来ません…ただ、どうしても幸村皇子と皇帝陛下だけはお助けしたいのです」
「ふむふむ…」
 彼女の真摯な願いを聞いた魔導師は、どうした訳かにやっと意味深な笑みを浮かべると、身を乗り出しながら一つの案を出しました。
「…別に魔女を倒さんでも、皇子の目は覚ますコトが出来るかもしれんよ?」



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