「!!」
 まるで神のお告げを聞いた様に、桜乃がはっと相手の瞳を見つめましたが、そこに丸井が疑念も露な声で割り込んできました。
「ちょっと待った! そんな事本当に出来んの!? 柳生は、魔女を倒さない限りは術を解くのは無理だって…」
「せっかちじゃのう、話は最後まで聞きんしゃい。確かにそう言われとるが、魔女が持ち去った杖を使えば呪いを解く事は可能じゃよ…あれは只の飾りじゃない、相応の力を持つ人間が手にしたらその力を増幅する…だからこそ、皇家の象徴として歴代皇帝の手に握られていたし、あの魔女が欲しがった」
「……そう言や、柳生もそんな事を言ってたな。魔女の捨て台詞に、この杖を使って云々と…」
 ジャッカルがうんうんと頷いて納得したところで、仁王は三人に持ちかけました。
「お前さん達は皇子達を助けたい、向こうは若い娘の心臓が欲しい…この状況を利用してやる事は一つ、『桜乃が杖を探しだして、生きて魔女の城から持ち出す』」
「……」
 具体的な策を言われると、桜乃はどうしても身体が緊張で固くなってしまいました。
 魔女の城から生きて逃げ出す…そんな事が果たして可能なのでしょうか?
 普通に考えたら、あれだけの魔力を持つ魔女の手から逃れるなど土台無理な話です。
 杖を持ち出すだけでも怒りを買い、無残に殺されてしまうかもしれません。
 元々向こうは少女の心臓が望みなので、そうしたところで痛くも痒くもないでしょう。
「仁王、オメーまさか、今の情報と計画出しただけで手ぇ貸したなんて言うつもりじゃねぇだろうな」
「普通の人間に、魔女の城に潜入して杖持って逃げろだなんて、無謀もいいところだぞ。やっぱりお前が同行しないと…」
 丸井とジャッカルも同じ事を考えていたらしく、相手にそう詰め寄りましたが、向こうはあくまでも傍観を主張しました。
「じゃから、俺が行ったら却って向こうの警戒を誘うじゃろうが…心配しなさんな、俺が行かん代わりに、桜乃にはええもんやるきに。上手く逃げ出せる為の秘密兵器じゃ」
「え…?」
「ちょっと待ちんしゃい」
 言い残し、仁王は席を立つとキッチンへと歩いていきました。
「いいものって…何だ?」
「そりゃやっぱ、かよわい乙女を魔女の城に送り込む様な大胆な真似するんだからよい。相当強力な武器とかじゃねい? どんな奴でも真っ二つに出来る剣とか、どんな攻撃でも防げる盾とか…」
「あうう…真っ二つにはしたくないです…」
 丸井の予想に少女が逃げ腰になっている間に、仁王が手に幾つかの物体を抱えて戻ってきました。
「よし、こいつらを持って行けばええぜよ、必ずお前さんの助けになるじゃろ」
 自信満々にそう言いながら、仁王がごろごろっとテーブルの上に置いたのは…

『……………』

「えーと、まずこれじゃ、『どんな汚れもあっという間にピカピカに落とす魔法の雑巾』。次が、『どんなに固く錆び付いたドアでもたちどころに開く魔法の油差し』。最後は、俺が捕ってきたばかりの『活きのいい猪の肉』…掘り出し物ばかりじゃろ?」
「………」
 何をどう言っていいものか、混乱の極みにあるらしい桜乃が目を丸くしています。
 言葉も出せない彼女の代わりに、先ずはジャッカルが尋ねました。
「…これが秘密兵器だと」
「そう」
 続いて丸井もぼそっと小さい声で確認します。
「これだけ持って桜乃に魔女の城に行けと」
「うん」
 全く否定する様子もない魔導師に、遂に二人は同時にキレました。
『ざけんなコラーッ!!』
『こんな深夜の通販のパチモンもどき押し付けて、何が立海一の魔導師だーっ!!!』
 どがっしゃーんっ!!とテーブルをひっくり返しかねない勢いの男達でしたが、仁王は相手の反応など想定内だと言わんばかりに飄々とした態度を崩しません。
「何とでもいうがええわ、俺の言葉を信じるも信じないもお前さん達次第じゃ」
「どー考えたって何の役にも立たないだろい!!」
「せめて逃げ足が速くなるとか空飛べるとか、そういう魔法ぐらい掛けてくれてもいいんじゃないか!?」
「……」
 ぎゃんぎゃんと喚く男達を他所に、桜乃はテーブルの上に置かれていたアイテムと、魔導師の姿を何度か交互に見つめ…それらを手を伸ばして取り上げました。
「ん…」
「おっ…」
 彼女の行動に、賑やかだったジャッカル達も一時発言を中断します。
「……これを持って行ったらいいんですか?」
 桜乃の質問に、仁王はにやりと笑って頷きました。
「そうじゃよ…それらを『使うべき時』に使えば、必ず道は開けるじゃろ。お前さんにその賢さがあれば、な」
「……」
 相手の発言に、暫し考えていた様子の少女はそれらを押し抱いてぺこりと礼をしました。
「有難うございました…出来るか分かりませんけど、持って行ってみます」
「桜乃…!?」
「おさげちゃん…」
 不安げに見つめる二人にも、桜乃はにこりと笑って大丈夫だと頷きました。
「確かに、私は戦う為に行く訳ではありませんから…剣とかも扱えませんし、寧ろこういう物の方が扱いには慣れてます。聞けば、仁王様は幸村皇子の覚えもめでたい方だったとか。幸村皇子が信頼なさっていた方なら、きっと大丈夫ですよ」
「…………」
 ほう、と感心した様に仁王が桜乃を見つめていると、彼女はえへ、と不安げに笑った。
「…でも私、すぐに迷子になっちゃいますから気をつけてないといけませんね」
「迷子?」
「はぁ…ちょっと方向感覚が鈍いみたいなんです…」
 素直な答えに仁王はふーんと頷き、彼女に手を差し出しました。
「…靴を貸してくれんかの」
「靴、ですか?」
「そう」
 言われるままに桜乃が自分の靴を相手に渡すと、彼は再びキッチンへと向かい、そして今度はすぐに戻ってきました。
 手には、何の変化もない桜乃の靴が握られていましたが、彼はそれをそのまま相手へ返しました。
「これ以上は手を出す気はなかったんじゃが、いい子にはご褒美じゃ。それを履いていけば迷子になることもそうないじゃろ」
「?」
 どういう事なのかは相変わらず分からない魔導師の意図でしたが、桜乃が靴を受け取り再びそれを履いたところで、彼はかたんと椅子から立ち上がりました。
「さぁさぁ、善は急げじゃ。お前さんはそれらを持って魔女の城に行き、何とか杖を返してくれるように頼んでみんしゃい。向こうは返す気などないじゃろうが、しつこく食い下がったら渡すフリぐらいはしてくれるかもしれん。その時が勝負じゃ」
「は、はい…」
「それと…丸井、ジャッカルよ」
 桜乃の次に、まだ不安を完全には拭えていないらしい男達にも仁王は不思議な忠告を与えました。
「お前さん達は先ず間違いなく城の外で門前払いを食らうじゃろうが、下手に騒いだらいかんぜよ。その場は素直にいう事を聞いて、何処か近くの場所に隠れとけ。そして桜乃が城から出てきたら、すぐに馬車に乗せて皇家の城に向かって走るんじゃ、絶対に止まりなさんなよ」
「…分かった」
「……ここまで来たら言う通りにするしかないけど、もしおさげちゃんに何かあったら、俺、オメーのコトも絶対に許さないかんな」
 立海一の魔導師である男に縋り、出された答えがこれであるならば、自分達はその答えを以って最良の結果を導くしかないのだと二人も腹を括りました。
 大丈夫、この娘は身分は高くはないが、愚鈍でもない…きっと上手くいく…
 彼らは再び馬車の準備を整え、桜乃を乗せ、魔導師に別れを告げました。
「有難うございました、仁王様」
「ん、しっかりやるんじゃよ」
「はい」
 これが今生の別れになるかもしれないというのに、仁王の挨拶は実に砕けた気軽なものです。
 それはまるで、『お前は絶対に死ぬことはない』と言っているかのような台詞でもあり、桜乃を勇気付けました。
 そして、走り出した馬車は仁王の視界から見る見る内に遠ざかり、その場には銀髪の若者だけが残ったのでした……


 一方、桜乃達が後にした皇族の城の中では、主達を失った従僕達が、それでも彼らの出来る限りのところで施政の安定を図っていました。
 通常、忠誠心が低い者達の場合は、これを絶好の好機とばかりにクーデターの一つも起こす事もあるのですが、幸い立海の家臣達にはそういう低俗な望みは一縷もなかった為、そういう面での混乱は無きに等しいものでした。
「…ふむ…少々時間が空いたか」
 その長となっている柳大臣は、重なってゆく書類を次々と片付け、ほんの少しの休憩時間を得たところで久し振りに外へ散歩に出ることにしました。
 勿論、城の敷地外に出て行くことはなく、あくまでも庭園とその近場に留まるのですが。
 そんな彼がゆっくりとした足取りで歩いていると、馬舎の方から馬のいななきが聞こえてきます。
 何とも悲痛な声に彼がそちらへと向かうと、徐々に馬の相変わらずのいななきに交じり、誰かの声も届いてきました。
『どうどう、落ち着いて…お前達も心配なのは分かりますよ』
(あの声は…)
 声の主を大体予想したところで、柳は馬舎に入り、その者に声をかけました。
「やはりお前だったか、柳生」
「! 柳大臣」
 柵の向こうの愛馬を宥めていた騎士団長は、珍しい相手の来訪に振り返ります。
 大臣という高い身分の相手がこういう場所に来る事は、非常に珍しいことなのです。
「如何なさいましたか…何か動きが?」
「いや、ただの息抜きだ…騒いでいたのはお前の馬か…」
「ええ、無理もありません…普段から世話をしてくれていたあの三人がいなくなってしまったのですから、この子も神経質になっているのでしょう…どうどう」
 主の宥めにようやく落ち着きつつある馬を見上げて、柳はふぅと息を吐き出しました。
「あと三日もしたら、いよいよ刻限の一週間目を迎えることになる…仁王もあの娘達も、上手くやってくれたらいいのだが…」
「桜乃については問題ないでしょう……問題なのは、それを補って余りある仁王の非常識さですが…」
『ひどいのー』

『!?』

 突然何処かから聞こえてきた第三者の声に、柳と柳生が思わず辺りを見回しました…が、そこには二人以外、誰の姿も見えません。
 おかしい、聞き間違いではなかった筈…と緊張を解かない二人に、またも声が届けられました…その声は、自分達より高い場所から降ってきたのです。
『お前の言う通りにあいつらに手を貸してやったのに、その言い方はないじゃろ? 柳生よ』
「…っ」
 声の出所が分かった柳生は、はっと自身の愛馬を見上げました。
 今はもう暴れる様子もなく、寧ろ異常な程に落ち着いた様子でこちらを見下ろしています。
 馬という動物であるにも関わらず、相手の目はこちらを見て笑っているかの様で、その様子が柳生と柳に確信をもたらしました。
「…仁王だな」
『…久し振りじゃのう、柳。相変わらずその手腕は衰えておらんの』
 馬の身体を借りて喋る魔導師は、かつての己の上司でもあった男に不遜な挨拶を済ませると、続いて長年の知己へとぎろりと馬の視線を移します。
『お前さんも元気そうじゃな、戦死もせんで何より何より』
「まだ取り立ても済ませていませんのでね…で? 返しに来たのですか?」
『嫌じゃなぁ、返したくないからこうして馬の身体を借りとるんよ』
「とっとと私の愛馬から離れて下さい。貴方が中にいると思うと無性に…ムチでぶちたくなります」
『はは、恐い恐い…』
 楽しそうに笑っている魔導師に、柳が割り込む形で質問を投げかけました。
「桜乃達はお前の許に来たのだな?」
『ああ、来たよ。初対面の如何わしい男でも、幸村の知己であれば心から信じるバカ正直な娘…危なっかしい奴じゃが、嫌いじゃないのう。今頃はそろそろ魔女の城の近くまで行っとるじゃろ』
「っ!! あなたは…一緒ではなかったのですか!?」
 手を貸すように願っていた騎士団長は、てっきり相手が同伴してくれるものと思っていたらしく緊迫した声で問い詰めましたが、意外にも彼を諌めたのは大臣である柳でした。
「待て、柳生…その判断は正しい。あの狡猾な魔女のこと、下手に彼が傍にいたら余計な争いをもたらしたかもしれん…そして、あの魔女以上に狡猾なこの男の事だ、理由がなければわざわざ術を使ってまで俺達と接触を図ろうとはしないだろう…何が望みだ」
『…そこまで読んでくれとるなら話も早い』
 再び、馬が嗤いました。
 そして続けて、馬は悪魔に操られた様にはっきりと言い切ったのです。
『俺なぁ、ちょっと欲しいものがあるんじゃよ』






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