立海おとぎ話・第六節
彼らが与り知らぬところで刻々と事態が動き出している中、桜乃達はいよいよ馬車を急いで走らせ、魔女の城へと辿り着いていました。
とは言え、勿論あっさりと中へ入れる様な、甘い場所ではありません。
まず、彼らが乗った馬車が到着したのは、一頭の巨大な犬が控える城へ至る道の入り口でした。
犬…と言ってもその大きさは尋常ではなく、伏せている今でさえ大人の二倍以上の高さがありました、しかもその首から繋がっているのは三頭分の頭です。
何処かの伝説で地獄の番犬とも呼ばれているようなその犬は、彼らが来たところでぴくんと耳を動かし、途端に異常なまでの俊敏さで立ち上がり、桜乃達に向かって飛びかかろうとしました…が、首につけられていた首輪を繋いでいた大きな鎖の所為で、その目的は果たされませんでした。
(こんなバケモノが最初っからいるのかよ…)
(おさげちゃん…本当にあんな道具だけで大丈夫なのか…?)
ジャッカルと丸井が内心で不安に冷や汗を流していたところに、その場にしわがれた声が響きました。
「おやおや、やっと到着かい…待ちくたびれたよ」
「…!」
馬車を降りた桜乃が目にしたのは、唸る犬の横で意地悪く笑う、フードを纏った老婆でした。
間違いありません、彼女こそが今回の災いの元凶でもある魔女です。
無言で相手を見る桜乃を、向こうもじろじろっと品定めするように何度も上から下までを眺め回し…ふんと大きな鼻で笑いました。
「まぁまぁの肉付きじゃないか…それにしても冴えない娘っ子だね。身なりも汚いし、持っている物だって、雑巾に油さしに肉だって? 連れて来た男達も只の庭師と馬飼いだし、大臣どももどうでもいい百姓娘を押し付けたって感じだね…まぁ、下手な小細工でも仕込んでいたら雷で焼いてやろうと思っていたけど、逆らう程にはバカじゃなかったってことかね」
「……」
「……」
何気ない相手の言葉に、丸井達はぞっとしながら仁王の機転に感謝していました。
彼の予想は全くもって当たっていたのです。
もし仁王が下手にこの場にいたり、桜乃に変な武器を渡していたら、その時点で彼女の命運は尽きていたのですから。
「あの…魔女、様…」
それまで黙っていた桜乃は、おず…と魔女に伺いを立てました。
幸村皇子を酷い目に遭わせた張本人でしたが、ここで下手に騒げば全ての計画は終わってしまいます。
桜乃は必死に恐怖と怒りを抑えながら、従順な娘として魔女に言いました。
「約束の通り、私はここに来ました…お願いです、幸村皇子達を元に戻して下さい」
「そうはいかないよ。お前一人の命じゃあまだまだ全然足りないね」
即座に否定の返事が返ってきましたが、それは元々予想していたものだったので内心はそんなに落胆はしませんでした…が、桜乃は魔女の手前、激しく嘆く振りをしました。
あまりに淡々としていては、また別の疑いがかけられてしまうからです。
「そんな…!! では、貴女が持ち去った皇家の杖は、せめて戻して頂けるんですか?」
「あれもダメだね、小娘一人の命でどうなる代物じゃないからね」
「では…では…」
あくまでも表向きは魔女に差し出された生贄の娘として、桜乃はその場に膝を付き、顔を覆いながら伏し願いました。
「私は何の為に命を捧げるのでしょう…! お願い致します、ではせめて、杖を一目だけでも見せて下さいませ! 私の様な卑しい娘は皇族の方々とも目通りは一生叶いません…せめて、私が死ぬ証となる何かをこの目で確かめて死にとうございます、お願い致します…!」
非力な娘が、力を持つ自分に縋り、希う姿は、魔女の自尊心を大いに満足させるものだったのでしょう。
魔女は嫌味な笑みを浮かべて、そんな哀れな桜乃の姿を見詰め、ジャッカルと丸井はぐっと唇を噛みながら耐え忍んでいました。
ここで自分達が動くことで何かが変わるのであれば、あの娘にあんな格好をさせる事はないのに…!
男達が悔しがっていると、魔女は伏していた桜乃に嘲笑う様な笑い声と共に言いました。
「なかなか素直な娘じゃないか、命乞いしなかっただけ感心だ…いいとも、どうせ城の中に入ればどうやったって逃げられないんだ。冥土の土産に杖のある場所に連れていくぐらいはいいよ」
「ほ、本当ですか…!?」
「ああ…但し、城の中に入れるのはお前一人だけだ…後ろの男達はここまでだよ。変な動きをしたら、すぐにこいつの鎖が外れて食い殺すからね。十年何も食ってないんだ、骨まで残さず食べてくれるだろうよ」
魔女が番犬を見上げると、相手は涎を流しながら丸井達を物欲しそうに見詰めています…冗談の類とは思えません。
元々仁王からすぐに引き下がるように言われていた丸井達は、何とか荒ぶる感情を抑えつつ、薄情な同行者として振舞いました。
「冗談じゃねぇよ、俺らは大臣に頼まれて来ただけさ。いつまでもこんな所にいられるかい」
「小娘の為に命を棒に振るなんざゴメンだね、娘は届けたんだ、俺達はもう帰らせてもらうぜ」
心にもない無愛想な言葉を苦しみつつも吐き出すと、丸井達は一瞬、桜乃を見つめました。
『死ぬんじゃないぞ』
そして、全てを察していた桜乃は、捨てられた娘として振舞う中で、微かに笑みを浮かべて彼らに小さく頷いたのでした。
「ひっひっひ…こいつらもなかなか素直じゃないか…いいよ、筋張った男の肉なんざ美味くもないだろう。また次の娘でも運んで来るんだね」
『てめぇに次なんかねぇんだよ!!』
せめてもの悪態を心の中でぶちまけながら、丸井達は馬車を繰って元来た道を引き返していきました。
走って走って…彼女達が見えなくなったところで、丸井が先ず怒鳴りました。
「あ・ん・の・クソババァ〜〜!! お年寄りは大事にしなきゃいけねーけど、アイツだけは別だーっ!! とっとと人生リタイアしちまえ〜〜〜〜〜っ!!!」
「耐えろ丸井!! 仕返ししたかったら今はとにかく城に向かうことだ! 後はもう、桜乃に任せるしかない!!」
「分かってらいっ!! さーお前ら急げーっ、桜乃の一大事だ! お前らも沢山エサもらって世話になっただろい!? 恩返しすんなら今だぞ!!」
そして、悔しさを紛らわせるように、彼らは必死に城に向かって馬車を走らせ続けたのでした。
丸井達が去ってから、桜乃はいよいよ魔女に連れられて城へと向かっていました。
番犬を過ぎてしばらく歩くと、城内へと至る城の正面に大きな門が立ちはだかっていました。
城は大きく、非常に大きく、首を限界まで曲げても頂上が見えません。
門は、そんな城の半分の高さもある重厚で堅牢なものでした。
「門が…」
閉められている…と桜乃が呟いていると、魔女が何かの呪文を唱えました、すると…
ぎぎぎぎぎぎ……っ
「っ!!!!」
物凄い軋みの音が辺りに響き、桜乃は思わず両の耳を塞ぎました。
(こ、鼓膜が破れそう…っ!!!)
必死にその騒音を遣り過ごし、門が完全に開かれて音が止んだ後になって桜乃はようやく両手を耳から離しましたが、魔女は全く何の苦痛も感じていない素振りです。
「す…凄い音ですね…」
「ああ、開かずの門さ。アタシが呪文をかけなけりゃ絶対に誰にも開くことが出来ない。大の男が何人かかったって無理だろうねぇ…お前が中に入ったらここも閉ざされるんだから、逃げ出そうなんて思わないことだね」
「……」
そこでは何も言わず、桜乃は引き続き魔女に連れられて城の中を歩き続けます。
右へ曲がったかと思えば左に曲がり、上に上がったかと思えば下へと降りる…
例え方向感覚に優れた人間であっても、元来た道を辿るのは至難の業とも言える長い長い道のりです。
(どうしよう…本当に私、元来た道を辿れるのかしら…)
しかも城の中の道はどこもかしこも同じ様な造りで、目印になりそうなものもありません。
不安にかられている桜乃を他所に、魔女はぶつぶつと小さな声で文句を呟いていました。
「全く…田舎娘でももう少し身なりは何とかならなかったのかねぇ、床が小麦粉で汚れちまったじゃないか…」
そんな事を言っている間に、二人は突き当たりの一つの扉の前に到着します。
その扉も何処となく城正面の門に似た重い印象でした。
鋼で造られた様に黒く光り、入る者を拒むようなそれを、魔女は取っ手に手を掛けて開くと同時に…
どんっ!!
「っ!!」
いきなり桜乃を突き飛ばして中へ入れたが早いか、今度はがしゃんと扉を閉めてしまいました。
部屋の中は真っ暗で、日の光一つ差さない完璧な暗闇です。
部屋の大きさも、何処に何があるのかすらも分からない有様で、桜乃は大いに慌てました。
「え…っ!? ま、魔女様…!?」
扉の向こうからは、相変わらず嫌悪感を催す嘲笑が聴こえてきます。
『お前の願いを叶えてやったよ。そこが宝物庫さ。但し全ての光を遮断しているから、お前の目に有り難い杖が見えるかどうかは分からないけどねぇ…さて、アタシはお前を料理する準備があるから、その間はそこにいることを許してやるよ。せいぜい無駄な努力をするといいさ』
「そんな…! 見えない場所でどうやって杖を探せと…」
『おや、アタシは杖のある場所に連れて行くと言ったじゃないか、約束は破ってないからね…ひひひ…』
真っ暗な部屋の中で、桜乃は何とか扉に縋ってそれを叩きましたが、向こうの声は遠ざかっていき、やがて何も聴こえなくなってしまいました。
あとどれくらいか時間が経過したら、自分は杖から再び引き離され、いよいよ命の最後を迎える事になってしまう。
(どうしよう…と、とにかく何か手掛かりを…先ずは扉から壁を伝っていこう)
いきなり何があるか分からない部屋の中央に行く事は避けて、桜乃は取り敢えずは手探りで扉から続く壁を伝い、ゆっくりと歩き出しました。
慎重に歩き、何の変調も無い壁の手触りを感じていた桜乃がふと立ち止まったのは、部屋の角に差し掛かってその場を曲がり、少し歩いた時でした。
「…? ここ、窓があるみたい…」
そう、壁が一部分、自分の腰から上の高さで窪んでいるのです。
しかも不自然な形ではなく、丁度長方形に綺麗な形で窪んでおり、更に窪みの向こうにはガラスと思しき手触りの平面、そして木枠と思しき隆起があったのでした。
窓があるのに、何故ここまで真っ暗なのか…
「……あ、そうだ」
ふと桜乃は思い出しました、あの銀髪の魔導師から不思議な品を受け取っていたことを。
彼女はごそりとポケットを探り、中から一枚の雑巾を取り出しました。
仁王が自慢していた『どんな汚れもあっという間にピカピカに落とす魔法の雑巾』です。
「取り敢えず拭いてみよう…お水とかないけど大丈夫かな…」
乾いたままの雑巾でしたが、桜乃は思い切って窓のガラス部分をそれで優しく拭いてみました。
するとどうでしょう、拭いた部分だけ今まで一切の光を通さなかった窓が、漆黒の彩を失って元の透明な輝きを取り戻したのです!
何かの魔法を掛けられて暗くなっていると思われていた窓は、どうやら酷い汚れと埃で覆われていた様です。
「うわぁ、凄く綺麗になる…!」
本当に魔法の雑巾だ…と感動しながら、桜乃は夢中になってその窓を全面ぴかぴかに磨き始めました。
元々が綺麗好きの少女だったので、こういう作業はお手の物です。
しかし、そんな作業を始めた桜乃は、また別の問題が生じた事を知りました。
光が入ったその部屋の中央には幾つもの宝箱が無造作に積み上げられており、一つ一つ確認するのも大作業になってしまうのです。
果たしてこれらを確認している時間が自分に残されているだろうか…
考えながらも手は動かし続けて、ようやく一面の窓を綺麗にした桜乃に、不思議な声が聞こえてきました。
『お嬢さん、また私を綺麗にしてくれて有難う』
「え…?」
きょろっと辺りを見回しても誰もいません。
(私を綺麗に…? ま、まさか…)
桜乃が改めて見ると、窓にうっすらと女性の顔が浮かんでいます。
そう、今話し掛けてきたのは紛れもない、この目の前の窓だったのでした。
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