一部にはプレミア?
「来年のカレンダーを見に行こうと思う」
或る若者の、そんな些細な一言が切っ掛けだった。
「おお、世界のスイーツ…」
「おっ、こっちには珍しい動物のもあるッスよ」
某有名デパートの文具コーナーの一画。
普段そのフロアは筆記用具のコーナなのだが、毎年年末の時期になると一時的にカレンダー特集へと姿を変え、人々の目を楽しませ、興味を引いていた。
そしてそのコーナーにぞろっと集団で来ている学生達が、各々の興味があるカレンダーを手に取り、賑やかに談義している。
近場にある立海大附属中学の男子テニス部レギュラー達と、彼らと仲が良く、丁度テニスの見学に訪れていた青学の一年女子であった。
全員の中ではその少女が一番年下でまだまだあどけない顔立ちであるが、年上だろう男達とも全く物怖じしない様子で喋っている。
特に約一名、男子の中でもかなりの強面である若者に対しても、怖気づく事もなく談笑している姿は、余程男達と親しいだろう事を伺わせた。
「結局、全員が来る事になったか…」
自分の一言が切っ掛けで、皆がデパートに大挙して押しかけることになった事を受けて、テニス部元参謀の柳が渋い顔で呟くと、元部長である幸村が笑顔で応じた。
「いいじゃないか。俺もそろそろ次のを選びたいと思っていたんだよね」
「まぁ、別に一人で来ても大勢で来ても同じだから構わないが…」
そんな二人の横で、卓上カレンダーの類を眺めていた少女…竜崎桜乃が楽しそうな笑顔を浮かべつつ、会話に割り込んできた。
「他の人が選んでいるのを見ても、結構楽しいですよね」
「そうだね、まぁイメージ通りって事もあるけど、意外な一面を見られるかもだし」
「何かを選択する際には大きくその人物の嗜好が影響されるからな…確かに参考にはなる」
幸村と柳の答えを受けて、桜乃はもう一度笑うと、卓上カレンダーを元の場所に置いて彼らの持っている壁掛け型のカレンダーを覗き込んだ。
「幸村さんや柳さんはどんなのを?」
覗きこまれた幸村は、特に拒否することもなく素直にカレンダーの表を相手に見せた。
「俺は…まだ決めた訳じゃないけどね、ここに入っている画家の作品が好きだから候補に」
「あ、印象派の絵ですね、確かに綺麗…柳さんは?」
「当初は日付だけのシンプルな物を選ぶ予定だったが…この日本を代表する庭園を特集したものも捨て難いな」
「うわ、こっちも凄く綺麗…本物には敵わないでしょうけど、そこに行った気分になれそうですね」
へえーと或る意味彼ららしい選択に感心していた桜乃に、後ろから楽しげな声が掛けられた。
「そういうお前さんは何を選ぶつもりなんじゃ? 竜崎」
「あ、仁王さん」
振り返ると、銀の髪を揺らしながら仁王がこちらを見下ろしてきている。
「仁王さんはもう選んだんですか?」
「んー…まぁ、のう…」
尋ね返されると、男は軽く目を伏せ、さて?という様に首を傾げて嘯いた。
「他の奴らのも参考にしようと思っとったが、なかなかピンとこん。丸井はお菓子、切原は何かの映画モノ、ジャッカルは風水、柳生はよく分からんゴルフ場のヤツを熱心に見とるしなー」
「真田さんは?」
「………味も色気もゼロの能率カレンダー」
「ああ〜〜…」
味気ないけど、物凄く納得…と桜乃もうんうんと頷いた…ところで、仁王が再び同じ質問。
「で、お前さんは?」
「あれ、結局私が先に言うんですか?」
「そりゃ、な」
「む〜…」
もしここで自分が粘っても、向こうが何を選んだのかは教えてもらえない可能性が高いことを、既に桜乃は十分察していた。
詐欺師とまで呼ばれているこの男は、他人を欺き、はぐらかす事など造作もなく行えるだろう。
悪人ではなかった事がせめてもの幸いか。
しかしそれでも相手の思うままに答えるのは少し悔しかったので、桜乃が仁王に一言忠告する形でちくり。
「…私は言ってもいいですよー、でも仁王さん、自分のが言えないってコトは、まさか女の人のハダカとかえっちなのを買うつもりじゃないでしょうねー?」
「…男の人のハダカなら?」
「っえええ!!??」
突っ込んだ筈が意外な答えを返され、桜乃が本気で信じておろおろすると、返した仁王も渋い表情でしまったと反省。
「…いかん、ソコを流せるレベルにはまだ至っとらんかったか」
「彼女の天然を甘く見ない方がいいよ、仁王」
「返した筈が、余計怪しい疑惑を生んだな…」
幸村と柳の台詞に、詐欺師ははぁ、と溜息をついて、傍の棚の上に前もって置いていたカレンダーに手を伸ばした。
「誤解じゃ誤解…ほれ、これが俺の候補のカレンダーじゃよ」
「う?」
ぴらっと開いて見せてくれたのは、各国の代表的なテニスプレーヤー達がコートで活躍中の瞬間を収めたものだった。
勿論、至極健全な一品。
詐欺師のことだから、どんな意外な物を出してくるかと内心期待していた桜乃は、その普通すぎる選択に思わずぼそっと本音を漏らした。
「……フツー過ぎてつまんないなぁ」
「ほーれ、ほっぺムニるぞ〜」
「ひゃう〜〜〜〜!」
うりうりうり!と仁王が笑顔で桜乃の両頬をつまみ、左右に引っ張って遊んでいる間に、向こうから真田達が揃って歩いてきた。
「何をやっとるんだお前ら」
「おう真田、お前さんも選び終わったか」
「ああ。まぁ俺は大きさの選択だけが問題だったからな…だが今日は見送ろう、幸い品切れになる心配はないものだからな。皆は?」
「うーん…俺も今日はやめておこうかな」
候補までは選出したものの、幸村はその場で購入する事は控えようと宣言した。
「見ていたらちょっと欲が出ちゃった。他の店にもいいモノがあるかもしれないからね、今週末にでも見回って最終的に決めようと思う」
「そうだな…フェアも始まったばかりだし、焦る必要もない」
柳も頷いて相手の案に同調する。
「あれ? 柳さんも見送るんですか?」
「ああ、今日入荷予定だった別のカレンダーが少々先に販売が延期になったらしい。折角だからそれを見てから決めたいと思う」
「成る程〜」
確かに、発売元の都合までこちらの自由に出来る訳もない。
「で、で?」
「おさげちゃんは何かいいのあった?」
切原と丸井が興味津々とばかりににじり寄っていく。
果たして、少女の選択は…
「私ですか? 私はですねぇ…買いません」
「へ?」
「ありゃ、そりゃまた…」
丸井が目を丸くする隣では、ジャッカルが意外だな、と笑う。
女性はこういう物には特に興味を示すと思っていたが…という相手の視線を受けて、彼女は困った様子で首を傾げた。
「出来たら選びたいんですけどね…ちょっと、今年は特に家にあるカレンダーの数が多くて、困ってるんですよ。頂き物だから捨てる訳にもいかなくて…お祖母ちゃんからはそれを貼る様に既にお達しが…」
「タダなら有り難いが、正直ビミョーじゃのー」
「選択肢がないというのも、少々味気ないものですからね」
それは気の毒に…と仁王と柳生が頷いて言っていると、幸村が桜乃に興味深そうに問い掛ける。
「へぇ、そんなにあるんだ…よく見る、地図が描かれているものかな?」
「確かにありがちなパターンっすね…見ても覚えた例はないッスけど」
「それはお前の集中力と意欲の問題だな…地図に責任を転嫁しないように」
茶々を入れた後輩に柳がざっくりと釘を刺したところで、桜乃は幸村の問いに首を横に振る。
「…地図だったらまだ良かったんですけどね…」
「…?」
おや、と幸村を始めとする男達全員が目を見開いた。
心底、困ったという様な桜乃の表情…こんなのは滅多に見る事がない。
と言う事は、余程絵柄が気に入らないものだったのだろうか?
「ど、どんなカレンダーなの?」
「何か深刻そうだな」
逆に興味が沸いたとばかりに丸井が食い下がり、相棒であるジャッカルは真面目に受け取って心配すらしていたが、それに対して桜乃が答えることはなかった。
「あっ、いえ! た、大したものじゃありませんからっ!」
ぶるぶるっと壊れた扇風機の如く首を横に激しく振った少女の頬が…やけに赤い。
(何故照れる…)
どうにも内情が掴めないな…と皆が疑問を強めているところで、仁王があっけらかんと言った。
「何じゃ、オトコのハダカか?」
「違いますっ!!!」
「仁王君っ!! レディーに何てことを言うんです! 竜崎さんがそんなふしだらな筈がないでしょう!」
柳生が仁王にがみがみと苦言を呈しているが、向こうも最初から本気ではなかったのは明らかで、つーんっとそっぽを向いて説教を素直に聞く様子もない。
「まぁ、言いたくないなら詳しくは訊かないけど…何だか大変みたいだね」
「お気遣い、有難うございます…」
カレンダーでそこまで心労を背負うことになるとは、と幸村達の哀れみの視線を受けながら、取り敢えず桜乃は秘密を守ったまま帰宅したのである。
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